KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

我が道を~己癒しの時間

2012-09-30 | KOFUKU日記



【昨日まではお天気良かったのに…】


 

【昨日は台風の影響で雨】
【気温も低くてチビ達も丸くなってネムネム…】



台風一過、中秋の名月だのに、吹き返し強し。
現在、愛知に上陸、縦断中。

それにしても、今年は台風の当たり年。
既に「数十年に一回」「十数年に一度」の規模の
「猛烈に強い大型台風」が3つも来ています。

しっかし、台風銀座とは言え、直撃を受けやすい
沖縄や奄美などの方々のご苦労が忍ばれます。
こっちの雨だけで風も吹かず被害は全くなかったが、
あまり台風がこない地域も心配。福一4号機がめっちゃ心配。
これから関東に向かう模様、できる限り被害が小さいもので済みますように(祈)

さて、そんな台風に翻弄される日本。
デモ後の日中韓問題、国連での日中韓の応酬を見ていても
尖閣や竹島の問題は悪化の一途をたどってる感じ。
中国広報がアメリカの新聞に「日本が尖閣をぬすんだ」
と一面広告を出したのにはさすがに驚いたけど…( ̄◇ ̄;)
まあ、人前で喧嘩するのが当たり前のお国柄だからなぁ。

今はどこを見ても、その話題には尽きない。
どなたも自分側からの正論なんだろうけど、
悪言や言葉が荒いのが多いことには疲れてしまう。
ユーモアが潜んでてのその言葉であるわけもなく、
正直(アタシには)目にも耳にも宜しくない(ーー;)

実際、そう声高に言ってる人のどれだけが日本の現状を理解していて
個人的にどれだけアジアの人と親しく交わってるのかは知らないけれど、
まあ、事の流れに乗っかって横からアレコレ言ってるだけの人よりは、
具体的に自分の意志で考えて、自ら自分の信じる道を
自ら他世界の人々と関係を持って行動で示している、
俳優はじめ仲間たちの方が、アタシにとってずっと信頼できることは確か。
親しい人の多くがそう言う人でつくづく良かったと思ってます(⌒-⌒; )




【我が家の自由すぎな方々( ̄▽ ̄;)】



昨日、一昨日も書いたように、過去の出来事が原因なのか、
それとも、ここに来るまで、あまりにも人と密接に関わりすぎたせいなのか、
はたまた人生のパートナーを失って、希望が持ちづらいせいなのか、それは全くわからないのだが、
今のところ、ほかの人や世界と、直で関わる必要性を全く感じられない私…(; ̄ェ ̄)

これまた、イイのか悪いのか、そんな私を今も支えてくれているのは
ここまで生きてきた上で深く関わり、自分が大切にしてきた人達の存在。
こんなにも引きこもっているのにね…。不思議なものだなぁ。

こうしているのは、そして、そういうものを置いてこれたのは
決して諦めたからではなく、ある種のやりきった感とはっきりした未来への形があるから。

まず、私は自分が俳優であると言うことに対して、
裏方をメインにやってきた時もそれに従事していない時も、
これまで一切後ろ向きの意識といったものは持ったことがない。
なぜなら、私の真実やりたいことは劇場だけに存在するものではないからだ。
逆にいわゆる大型の商業演劇やミュージカルの在り方では完成しなかったりする。

こういう「実際役者という形で芝居をしていない私」を見て
「仕事をしてない人に役者の気持ちは解らない」
と、言い放った俳優さんがいらっしゃったが、
私から見たら、「そのスタンスでしかこの世で俳優でいられないのか、
ひじょ~~~~に残念だなぁ」という感覚に陥る私がいる。

そうは思ってしまうのだが、それはそれ、これはこれ、人は人、私は私だから
私と同じ感覚でない人を責めるつもりも否定するつもりも批評するつもりも全くない。
あー、あたしとは価値観がちゃいまんな、っつーそれだけデス( ̄▽ ̄)

まあ、もちろん人の観点から馬鹿にされる理由もないと思うので
腹が立つってことはあるかもしれないけど、直接相手にする気もなしなし。
正直、同じ土俵に立つのがヤであります(⌒-⌒; )


人にはそれぞれに才能があり、それに見合った立ち位置というものがあるわけで、
何が大事なのかというところは全然違う。違う感覚の人にとっては、
そこが一番大事なのだから選んだ場所で目一杯頑張って欲しいと心底思う。
実際、相方さんと自分はそうやって生きてきたから言えることですが、
自分のポリシーに純粋に生きるって事は相当覚悟が必要で難しいから、
それが出来るってことは、私には尊敬に値するコトですよ。


と、言うわけで、私はポリシーを持って、
大きな劇場公演つまり商業演劇から離れたのですが、
それは自分の俳優としての目標は、そこで演じるだけでは絶対完成しないと思うから。
そして、私が大事だと思うものが、商業の世界には私にとって大きくかけていたから。
それよりも、もっと自分にできることをする事の方が断然自分の夢に近かった。

だから、私には他の人のように商業演劇の仕事がない、と言う事に焦る必要がないし、
仕事がないから俳優の仕事以外のことをしなくちゃいけない、ということもない。
つまり、何をしていても、俳優としての意識を保っていられる。
何より日々の暮らし全てが、私の場合、自分の目標としているものと
密接につながっているので、日々をしっかり生きる事そのものが
私にとっての俳優としての、ものすごーくだいじな部分なのです。

スポットライトとファンとギャラが消えてしまったら、
存在価値が失くなってしまう役者なんていうものには私には意味がない。
私にとって、キャーキャー言ってくれるファンが居るところに行って
誰かに明かりを当ててもらって、お金もらって芝居するのが演劇ではないから。

どこであろうとも観てくれる人がいる、芝居ができるところで、
何がなくても、自らその世界を作り出し芝居をすること、
お客さんと一つになって、その世界を作り上げていく事こそが大事。
私にとって自分がいる場所そのものが劇場なんだから。

この感覚は亡くなった相方さんも強く共感してくれていて、
お互いの最終的に目標としている究極の姿そのものでもありました。

俳優と言う人種はそれぞれの意識を強く持っていて、
その立ち位置から人の芝居観をアレコレいうので、
(ここまで読めばお分かりのごとく、私のようにね… ̄▽ ̄;)
説明するのも面倒くさいから、敢えて誰にも語らなかったが(^_^;)
相方さんとは、いつかそれをやっていこう、と繰り返し語り合っていた。

もちろん相方さんは商業的な公演をやってたし、
そのマネージメントは私がしてたんだけど。
それは自分たちの目標にたどり着くまでに、
商業的な世界での目標点というものが私には必要無く、
相方さんの目標を叶えるにはそれが必ず必要であって、
それが最終目的の通過点として存在していただけの話。
私たちは、お互いのやり方・歩み方が違うだけで、
演劇に対する思いの根底はお互いが一番理解していたと確信している。
そして、それがどういうものであるかは私以外に誰も知らないだろう。

だから、同じ思いを共有し、目標にしていた、亡くなったソウルメイトや
天使になった相方さんだけは、私が生粋の役者魂を持っていると知っている。
この人から、それを取ったら何もなくなる、と知っている。
それがあるから、この人は生きているんだと知っている。

いくらかの俳優さんは舞台を降りて裏に廻った私を
「あいつは所詮役者を辞めた奴」と馬鹿にしたように
心の中で笑って見ていたいたのを知っていたが、
相方さんは企画者の立場上、そういう方に合わせていたけれど、

「彼らは本当の役者であることが何であるかに気づいてない。
そういう人に、君の大切なモノを語っても解らない。
だけどね、その時が来れば、お客さんはちゃんとわかる。
それでいいじゃない。それが大事なんだから。相手にしなくていい。」
と、何時も彼の方から、そう言ってくれた。

パートナーたちは、舞台に立つ人間が、裏に入るコトが出来るのは
本当にこの世界を愛しているからだ、ということを知っているから。
演者がそこに到達するまでに、どれだけの葛藤があるものか、
演者としての達成感と同じものをそこで得られる力がどれだけ大切なのかを。

演劇を愛しているから、自分の演じる欲求すら、
芝居を作ると言う、お客様に感動を手渡すという、
喜びに変えてしまえる力はなかなか得られないと知っている。

それに何より、演じる側の人間だけでは彼が求めていた演劇は成り立たない。
相方さんの信じる物を形にしていくには、私のような人間がなくてはならず、
そこでの働きを彼の演じる力と同じところまで高めていかねば成し得ないものだった。
それを誰よりも相方さんは理解していた。
そして私は彼と培ってきたことに誇りを持っている。

その考え方や在り方は、私の中で今も何も変わっていない。
ただ、今は変換期なんだと思う。

大事なモノを知ってる人がいなくなったのだから。
なかなか、そのことに慣れないでいる。
これは、かなり大きなこと。

まあ、それもそうですよ。
だって、お互いがあってこそ、築ける未来だったわけだから。
それが一番やりたいコトで、生きがいだったんだから。
自分の人生に、最終目的に絶対不可欠なものが消えてしまったのだから。
それはね、かなり厳しいですよねー(⌒-⌒; )

周りにいる方々は、もちろん善意からだけれども、
そりゃ簡単に「これから自分らしく生きていってね」とか
「新しい道をあるけばいいんだよ」「そうじゃないと彼も可哀想」
とかって言われます。

イヤイヤ無理ですってー(ヾノ・∀・`)ムリムリ
悪いけど、そこらの若者みたいに、自分が何やったらイイのか分かんない、
それでもいいや適当に楽しくやってければ~ってな人生は歩いてこなかったのよ。
そんなに簡単に人生のシフトチェンジできるほど
これまでの人生、適当に生きてきてないんだから。

それやる為に本気で人生も命かけてやってたんだから。
それをやるためだけに生きてきたのよ。
それをやるためのイノチを守るために仕事してきたんだから。
芝居なんて所詮趣味と変わらないだろ、と馬鹿にされようが、
それを一番に優先するために、どんだけお金にこまろうが苦労しようが、
それをする為にだけに必死に生きてきたんだから。

魂だよ?魂の部分だよ?自分そのものだよ?
それをねー
「うん、もう仕方ないよねー、じゃ次行くか!」
って風には行きませんって(^_^;)

しかも「あなたがそんなだと天国に行った人が可哀想」ってサ…
よう言わはれますなぁ、って感じですよ(; ̄ェ ̄)

共に歩いてきた人間に自分のイノチをかけてきた物を、
いとも簡単にシフトチェンジされた方が可哀想だって言うの。
第一、向こうに行った人が一番、私の好きなものを知ってるよ。
それが失われるって事の意味は彼らが一番知ってる。

アタシに言わせれば「もういないし、仕方ないや」って
簡単に自分の魂の部分を変更可能な人の方が不思議だわ。
どんだけ中途半端に生きてたわけ??って思ってしまいますよ。

これまで培ってきた魂が自分のベースであるってのは、
相方さんがなくなろうと変わらない。
だいたいね、自分の魂が一番望むものが「自分らしさ」ちゃうのかい?って話。

ただ、時間はこちらの都合関係なく過ぎてゆき、
今日の積み重ねで未来は作られていくコトは確か。
一つであった片割れがいなくなり、彼らと作り上げることが二度と無理なことは確か。
それはいくら私でも重々分かってる。

まずはその世界に慣れてかなければならない。
そして、変わらない自分の魂の大切な部分を、これから彼なしで
一人でどう生かしていけるのかを真剣に考えなくてはならない。
道が決まったら、それをやるための覚悟を決めて始めなくてはいけない。

まあ、やり方はいろいろあるんだけど、どれも実現するのはそう簡単じゃない。
それに今は生きていく未来への不安の方が勝っている。
とにかく生きていかねばならないが、自分の環境はそう簡単じゃない。

家族からの援助も一切ない、当然だが資産なども何もない。
逆に家族の長として、寝たきりの母や体調の悪い父を見ていかねばならない。
とは言え、いろいろ病もあり、今は外で働くこともまず困難だ。
年齢的にもこの地方では働く場所を探すのはかなり難しい。
かなり過酷な環境にある。でも、それを含めての未来だからね。

こんな状況なので一瞬先は闇も同じ。
どうなっていくのかはわからないのだが、
何にしても、生きていけてるだけで幸せだと実感している。
それが一番じゃないか、と今は思ってる。
多分、消えてしまってもおかしくなかったのだから。
チビ達もいることだし、それだけでなんとか頑張れるだろうし。

きっとまた、これらが落ち着いたところで、
自分がなせる形がハッキリと見えてくるのだろうと信じている。
世界との関わりも、人との関わり方も。

まあ、根っこに全く変わらないものがあるから、そこは心配ないと思う。
実際、今のところはここで、目の前に起きる事象をあがいてみるしかない。
それに、そういうコトがとっても大事だと感じている。

ある方の言葉

「時々どうしようもなく乱れる自分の心に対しても、
丁寧に、時間をかけて、やさしく、静かに向き合いたいと思う。」

同感デス。
とにかく自分としては腐らずにやっていくことが大事。
今できることをできるペースで。





【時には箱の中に篭ってるのも気持ちいいよ byまろたん】



昨日から台風で外は雨、空も、部屋の中も暗い。
今日も雨上がり、外はびっしょり、水たまり。
曇り空で晴れ晴れとした明るさはない。
そうして迎えた夜。

犬たちは暴れ疲れて眠ってしまった。
またしばらくしたら目を覚ますでしょう。
それまで、ちょっと懐かしい人たちの声を聴こう。
私の人生を共有してくれた大切な人たちの声を。
彼らがその場でイキテイテクレルコトデ、私はその世界にいるのとオナジナノダ。

己癒し。


まずは優しく懐かしい日本の歌を。
劇団で一期違いの大好きな仲良し先輩、岡さんの舞台から。
林アキラさん・岡幸二郎さん・伊東恵里さん・堀内敬子さんの歌で。

アキラさんは二代目歌のお兄さんなんですよ。
「こねこねこねこ」って童謡知ってます?
これの作詞作曲はアキラさんなのです。生で聞いたときは感動でしたー(*^_^*)

伊東恵里さんはお兄ちゃんと四季で同期さん。
ディズニー映画の美女と野獣のベルの声でおなじみかな。
お?そういえば、ディズニーのヒロインって、殆ど知り合いではないか。
そういえば、歌のお兄さんもお姉さんもそうじゃん。同期もいるし。

堀内敬子さんは一期上の先輩でございます。今やテレビで大活躍デスね。
つい最近も「トッカン」やら、とんねるずさんの石橋家なんかに出てましたね。
先輩では宝塚で言うところの予科・本科の関係です(^_^;)
よく丁寧にご指導いただきました。その頃から劇団の花でしたねぇ。
某劇団を出られてレ・ミゼラブルで再会したときは感慨深かったなぁ。


北原白秋  童謡メドレー


コロッケの唄    "魅せられて日本"より


ベアトリ姉ちゃん  (浅草オペラ)




次はミュージカルソングを。

レ・ミゼラブルやミス・サイゴン、モーツァルトなどで活躍するシンガー
チャリティなども何度もご一緒した仲間、tekkanくんの歌で
ミュージカル「マルグリット」から「チャイナ・ドール」




ミュージカルの王道、オペラ座の怪人から
今井さんは劇団、レ・ミゼラブルでもお世話になりました。
とても懐の深い優しい方です。

All I ask of you  伊東恵里 岡幸二郎 / 今井清隆



これまた不朽の名作、レ・ミゼラブルから。

A Heart Full of Love  岡 幸二郎  笹本玲奈  シルビア・グラブ




こんな感じでミュージカル俳優はディズニー映画なんかに関わってる人も多いのです。
ディズニーランドでもお歌を聴くことも。
次はディズニーランドのショーから素敵な歌を。



「エテールノ」 東京ディズニーシー Tokyo DisneySea



『Ererno』


美しいこの港の伝説を 胸にきざむ
人々は永遠に語り続けていくだろう
Ererno!

大切なモノを守る 歌が聞こえ胸に響く
幸せと喜びの想い 心にいつまでも
Ererno!

海に出よう共に仲間と
明日へ進もう 夢を信じて

願い叶えるため
風のふくままに
心預け 海を感じよう

さあ旅立とう 新たな国へ
今旅立とう 夢の世界へ
僕らの行く先にみんなが待っている
目指せ 素晴らしい未来へ

set sail set sail
to the sea of dreams




お次は先日、あこがれの先輩と申し上げた小西さん
ディズニー映画「魔法にかけられて」のテーマ、
So Close(そばにいて)を歌っておられます。
ライブハウスで歌われているお姿を。



So Close / 小西のりゆき (Noriyuki Konishi)


あなたと2人で踊れば
忘れてしまう 何もかも
見つめ合う
ただそれだけで
胸がときめく

時は流れ 夢は色あせ
消えていった どこかへ
今あなたの腕の中で
夢とまた出逢えた
抱きしめたい
愛をこめて

あと少しで手が届くのに
やっと本当の幸せに
このままいつまでも
ずっと一緒にいたいのに・・・

あなたのいない世界なんて
悲しすぎる

あと少しで手が届くのに
やっと本当の幸せに
2人で見た美しい夢

どうか
まだ
冷めないで・・・




さてお次は、相方さんの親友さんの一人、
私も公私ともにお世話になった坂元健児さんのお歌。
ディズニーシーの人気アトラクション シンドバッド・ストーリーブックの
シンドバッドの歌は実は健児さんが歌われているのです。
歌詞がね、またステキなの。


コンパス・オブ・ユア・ハート シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ 東京ディズニーシー



青い空高く帆上げて 水平線の彼方を目指せ
夢のように光煌めく 宝物が君を待つ

荒波が船を揺さぶり 嵐が行く手阻んでも
恐れず進めば友達が 手を差し伸べてくれるさ

風に吹かれ旅は続く 舵を取れ希望を胸に
進めみんなを助けながら 優しさと勇気忘れず

人生は冒険だ 地図は無いけれど
宝物を探そう 信じてコンパス・オブ・ユア・ハート

宝石や黄金より 大事なものがある

人生は冒険だ 地図は無いけれど
宝物を探そう 信じてコンパス・オブ・ユア・ハート

何よりも大切な 心の贈り物

ついに見つけたよ宝物 宝石や黄金じゃなく
旅の中で巡り合った 素晴らしい僕の友達

人生は冒険だ 地図は無いけれど
宝物を探そう 信じてコンパス・オブ・ユア・ハート

無事に帰ったら 君のまわり 見てごらん
友達こそ宝 信じて コンパス・オブ・ユア・ハート



坂本さんのミュージカルソングも一曲
ミス・サイゴンから「ブイ・ドイ」


ミス・サイゴン ブイ・ドイ   坂元健児




今宵の宴の最後は皆さんへの応援歌を。
レミでご一緒して仲良くしてくださった本田美奈子さんの歌を岡さんの声で。



【つばさ】岡幸二郎




時々、こうして自分の世界に還ります。
そして、魂に新たなイノチを吹き込むのです。

明日も頑張ろう。


我思ふ(愚痴という名の危機感を語ってみた)

2012-09-27 | KOFUKU日記



【早くお庭に出してくださ~い!by南国ちわわんず】


ここんとこ、見た目よりも内面、絶不調のワタクシ…(;´Д`A
実はこの記事もずいぶん前に書き始めたもの( ̄◇ ̄;)
目まぐるしく変わりゆく日々に殆どついていけてません…。
震災以降、本当に世の中についていけてない。

先の記事にも書いたが、人里離れた山で一人暮らしたいくらいだから、
多分、自分は現代のスピードに合ってないのだろうと思われる。
良くもまぁ、これまでやってきたもんですね?
つーくらいこの世に合っていない。
まあ、人にもよく言われる。変わってるねーと。

ぶっちゃけ、やりたい事があったから、その為に仕事はやってきて、
やれないとどうにもならないから、頑張ってやってただけだったりする。
とは言え、相当楽しんで行ってきたので嫌ではなかったけど。

そんなアタシがやってこれたのは、ひとえに生きていた世界が特殊なモノだったからだろう。
この世の中のテンポをあまり考えずとも、そこは個性で突っ走っても許される度量があった。
が、世間の波に揉まれつつとなると、オイラ生きるのは結構難しいらしい(; ̄ェ ̄)
この数年でそれをとても強く感じた。

その最たる部分は「現代的な要素のなさ」ではないかと思われる(⌒-⌒; )
多分、私はなんとか時代とか、戦前戦後とか、アメリカで言うなら開拓時代とか
レトロティックでノスタルジアあふれる時代のテンポの方がしっくりくるのだ。
多分、文明を遠くの憧れの対象としてイメージしてるくらいがいいんだろう。

私はテレビやネットを見続けたりするよりも、本を読んでイメージする方が好きだ。
実際、テレビとかネットとか究極を言えば必要ないし、
かなり長い間(何年も)全く見てもいなかった。
それよりも文章や世界にある表現や事象から
感覚や映像を感じ取っていく方が心地いい。

だからだろうか。
私は何につけても感覚の乏しい人(無頓着とも言う?)が苦手である。
そういう方とうまく交われない(´Д`;)
自分の度量の狭さに情けなささえ感じる位デスが。
なぜなら、そういう方っていうのは大抵感情に乏しく、
何を考えているか全く感じられないからなのだ。
なんというか、その人の持ってる風が吹いてこない…。

ワタクシの言い方は抽象的でわかりづらいかもだが、
具体的に言えば、例えば「味覚」とかでもそう。
何でも美味しく味わって食べられる人はいいのだが、ただなんでも食べる人は苦手。
こういう人の「美味しい」は全くあてにならない、と、私は思っている。
だって、こう言う人は、
「野菜は生でも食べられるから大丈夫だよ。えへ♪」
なんちゃって、生煮えの料理であろうが美味しく食べちゃうのだ。
これは、私に言わせれば味音痴というのに等しいし、有り得ない( ̄◇ ̄;)
多分、ディズニー映画のねずみのレミーとはかなり気が合うに違いない(笑)
まあ、家族以外では実際そういう人がいても、
その人のあり方ですから面と向かっては言いませんけどね。

料理もこれまた然りであります。
この世の中には文明の利器が転がりすぎてて、それを使って皆さん料理をなさる。
全く手を汚さないでカッターで野菜を刻み、手を汚さずに泡立て器でコメを洗い、
インスタントのスープをポンと鍋に放り込んで、電子レンジでチンする。
そんでもって、ご本人は手をかけて料理をしたと思っている。

あたしはこういうのがまたダメだ。
別に便利グッズを否定はしない。便利だし、使えば助かる人もたくさんいるのだから。
ぜひ、上手に活用すべきだと思っている。
ただ、手の感覚が育っていく機会が「便利を使うのは当たり前」の意識で
この世からなくなってしまうのは恐ろしい事だな、と心底思うのだ。

野菜を握る感触、煮えていく感触、すりおろす感触、切る感触、
舌触り、香り、そういうものを覚えて行くために感覚はあるのに、と思ってしまうのだ。
機械を使ってる人は、どれだけ料理をしても、それは絶対わからない。
ものづくりをする自分から言わせれば、その感覚がモノを作らせる。
そこが発達していなければ、どんなに器用でも作れない。
そして、その感覚を感じていることはもっと大事。私はそう思う。

生活面もそうである。
「女子力向上!」なんて言いながら、落ちてるものも跨いで歩く、
「だって、片付ける人がそのためにいるんだし…」
なんて言ってる、その感覚が苦手なのだ。

言葉にしても、そう。
最近、偶然に朝のEテレでやっている俳句の番組を見たけれど、
言葉の意味の失われ方には驚くものがあった。
文字は読めても、全く意味がわからないらしい。
「なにいってんだか全然意味わかんない」
と、出演者のギャルがあっけらかんと言っていた。

確かに昔も言葉が苦手な人はいたけど、
それは意味はわかってるけど言い違いしてしまう、
それがおかしい、と言うのが殆どだった。
でも今の時代は言葉自体が全くわかんないのだ。

言葉は確かに変わりゆくもので間違いないと思う。
例えば昔覚えた英語は今や死語もいっぱいだ。
ただ、だからと言って、元々の言葉は消えていない。
だから古い文体を読んでも理解ができるし、美しいと感じる。

ところが、日本語はちょっと危ない、と感じる。
だって日本語は言葉自体が消えてしまいつつあるから。

例えば、お侍さんの言葉は、昔は子供が時代劇を見たって理解できた。
なぜなら武家言葉はいわゆるMAX敬語に当たるものだからだ。
そういう言葉の変容が生活の中にあったのだ。
だから、今、使われていなくたって、容易に理解できた。
丁寧にしゃべるとああなるんだな、って理解して美しさを感じた。

でも今は生活で言葉が変得られる人が少ない。
みんな、ローラちゃんみたいなもの(⌒-⌒; )
(でも、ローラちゃんは意味わかってやってるけどね。)

でも、今は
「そうでござる、だって~(笑)、ってかさぁ「ござる」ってなんだよ?猿?」
「あー、きっとそうだよ、そういう猿だぞって意味じゃね?」
と本気で言っちゃうんである( ̄◇ ̄;)

それでいいのかい?と突っ込んでみても
「わかんなくても指させばわかんじゃん。わかればそれでよくね?」
ってな、もんである。

考えないし、知ろうとしない。
合理性だけを求めて、結局解ればいいとくる。
もう何もいう気がしなくなる。


私に言わせればそんなの良くない。全然、よろしくない。
意味の理解できない言葉は話をしてたって言葉じゃない。ただの音だ。
つーか、音にも意味があるから言霊と呼ぶのに、音にすら失礼だ。
ノイズだ、ノイズ!ヽ(`Д´)ノ
なーーーーんて思っちゃいますがな。

でもこのままじゃ日本語の美はなくなる。そんな気がする。


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世の中は「言葉」で成り立っている

人間性を磨くにはまずは基本の「言葉」を正すこと

「美しい言葉には、美しい魂」が、
「汚れた言葉には、汚れた魂」が込められ、
その人の人生を左右する

普段使っている「日本語」は、ひとつひとつにも意味があり、
本当にすばらしい【言葉】と言われている。

例えば、「神」/「かみ」という言葉。

「か」というのは、おかあさんの「か」。
宇宙の神の素晴らしい命が含まれているという意味がある。

「み」というのは、満ちるという意味があり、
つまり、「かみ」とは「偉大なる神の知恵が満ちあふれた素晴らしさ」という敬語。

このように日本語~大和言葉には霊的な意味がこめられていて日本人の叡智を伝えている。

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なぁんて事を感じてる人はどれだけいるのやら。
皆無に近いんではないか?と思ってしまう今日この頃。

意味を持たずに、ただ知ってる語彙を意味も知らずに発してるだけなんて、
感情を持たないロボットより、コンピューターよりダメじゃん。
そのうち、お前たちみたいな劣勢の生き物は文化を滅ぼすとかナントカ、
ターミネーターみたいなマシンたちに乗っ取られそうだ、
と本気で思っちゃいますよ、アタクシは(; ・`д・´)


それなのに2ちゃん言葉だの、ギャル語だの、生まれていく。
もちろん、生まれても廃れるのだが。
なぜ死語なんつーのがあるのか?
当たり前だ、意味もなさなきゃ、美しさもない。
第一、その時にしか使えないような価値しかないからだ。
残す必要を人間の魂が感じないから必然的に消える。
まあ、それに気づいている人も少なかろうけど。


マザーテレサが言いました。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


言葉の根っこには「思考」がある。
つまり、「その人そのもの」がそこにある、ということだ。
それが言葉になり、行動になり、習慣になり、性格になり、運命を定めてしまう。
意味を知らなければ、意味のある言葉は語れない。
そういうことだ。


10年前、ある人たちのやり時から、ある一つのことに気がついた。
人には、考えている人と、考えていない人がいる。
意味を持つ言葉を話す人と、話せない人がる。
そして、考えていず、話せない人ほど、意味を持って話していると信じている。
話すこと自体を、話せる、と勘違いしていて、
考えることを、考えられる、と勘違いしている、ということだった。

この違いは実に大きい。
そして、これは心しておくべきことだ、と自分の心の中にしまった。
これはある種の危機だ、と感じた。私はもう10年危機を感じ続けている。

いつから、こうなってしまったのか知らないけれど、
やっぱり世の中、自分で考える力が失われている気がするな。


友人がF1レーサーだったのだが、あるときこんな話をしてくれた。
今の人って誇りがない、本当に恥ずかしいって事がわからないね、って。
(今の人って言うけど、その人も25だったんだけどね⌒-⌒; )

その友人が言うには、レースクイーンなる方々は
売れっ子、そうでない人含め、貧富の差が激しいらしい。
で、みんな飲み水を持参しているらしいが、
以前は高価だったコントレックスとか
そう言うお高いお水を持っていらっしゃる。

あるとき、レース場の傍の公園を通りかかると、
レースクイーンたちが水道に群がっている。
遠目に見ていると、空きボトルに水を詰めている。

ところがレース会場に入ると、その公園の水を飲みながら
「やっぱり水はこだわらないとね」って話している(笑)
そして、国産の安い水を持ってきている子をけなす。
レースクイーンなのに恥ずかしい、格が落ちるよね~、って。

その友人は言っていた。
恥ずかしいのは、水ごときで見栄を張ってるお前らだ。
国産だろうが、安物だろうが、気に入ってるとか、
お金貯めたいから我慢してるとか、それの方がよっぽど価値ある。
恥かしいと思う基準が間違ってるんじゃないか?
公園の水をボトルに入れて、買ったふりして飲むのは恥ずかしくないのか?、と。

私もそう思った。
世の中、このごろ、基準がおかしい気がする。

このところ、尖閣諸島の領土問題を見ていても
世界各国でそう言う危機があるような気がしてみている。
あの略奪や暴挙はそういった表れの気がする。

尖閣に関するデモなどの事件に関しては賛否両論あるだろう。
何が一番の解決策だとは私もはっきりは言えない。


私にはいろんな国に友達がいる。日本人も外国人も様々だ。
国際結婚してる人も多い。

私の祖父は第二次世界大戦中、日本で2本指に入る竹製品の会社をやっていた。
もうひとつの会社と半分ずつ日本の家庭と日本軍の使用する竹製品をまかなっていた。
北京にも店があり、召集されてシベリアに抑留されてからも、
ロシア語、ドイツ語、中国ごと語学が堪能だった祖父は
ロシア人の心ある牢番の人に助けられて脱出、
中国人として大陸で2年を暮らし日本に戻ってきた人だ。


私もアメリカにはあちこちに友人が散らばっているし、
実家のシェアメイトさんのお母さんはご主人がイギリス人だし、
今はお二人で韓国で暮らしている。
友人はご主人が中国人だ。お嫁さんが中国人のお友達もいる。
私の出身劇団には韓国人や中国人の俳優さんだって沢山いる。

だからって、悪いことは悪いと思うし、譲れないものもある。
だけれど、とても複雑で心配な気持ちになる。


♪殺せ殺せ 裏切り者を
 憎い日本に祖国を売った
 日本人を殺せ殺せ
 殺せ漢奸 裏切り者


 この苦しみは この悲しみは
 忘れられない 消えはしない



これは某劇団に入ったとき、上演され、自分たちのデビューになるだろう
と言われていた作品「李香蘭」冒頭の中国人たちの歌である。

平和な中国の大地に、銃声が聞こえ、
日章旗が倒されて中国旗が上がる中でこの歌が始まる。

あの尖閣デモを見たとき、すぐにこの歌が浮かんだ。

当時、私たちは戦時中の日本人と中国人を演じなければならなかった。
演じるためにいろんなことを学び、いろんなことを考えた。

中国人として日本人を殺せと歌い、日本人を許さない、と歌い、
大虐殺のシーンでは車に追われて銃で撃たれ、
中国学生軍になり9月18日の心を綴った松花江上を歌った。

かたや「兄さん、お国のために頑張って」と
家族が食べるために売られていく日本の娘を演じ、
日の丸を振って勝ってくるぞと勇ましく!
兵隊さんのおかげです♪と歌う子ども達を演じていた。
ニイタカヤマノボレの手旗信号を必死に練習し、
特攻兵たちの手紙に泣き、戦闘機が落ちてゆく姿をみながら海ゆかばを歌った。


昔々の話だが、韓国人のおばあちゃんが日本に来た、日本語がとても上手だった。
子供らは屈託なく、何でそんなに日本語上手なの?と聞いた。
おばあちゃんは笑って「昔、韓国は日本だったんだよ」と言った。

その時は意味がわからなかったが、この作品を学ぶときにそれが浮かんだ。
もし、自分が、日本の片田舎に暮らしていたとして、
なんの政局も分からぬままに、国を奪われたといきなり知らされ、
お前たちはもう日本人じゃない、日本語を使うな、と言葉を奪われ、
喋れなければこうだ!と暴行を受け、虐げられる日々を経験したら
私はあのおばあちゃんみたいに笑って過去を話せるだろうか?
きっと、こんなひどいことされたと自分の子供らにはいうに違いない。
反日の根底にはそういう思いもあるだろう、そう思った。

私の地元は特攻隊の基地がある。
幼い頃から特攻兵の話を聞いて育った。
家族を守るために死を選んだ人たちの心は多分、ほかの人より理解できる。

そう言う気持ちがこの作品の中に、歌の中にあるのだ、と思った。
今の時代を感じながら、そんな事を思い出す。

今の時代からすれば、バカじゃないか?と思われるのかもしれないが、
私は、日本は世界に「戦争しません」と宣言した美しい国だと思っていた。
日本の教育の美しさは、敗戦国でありながら、
未来を作っていく若者に、憎しみを教えないことだと思っていた。

宇宙から地球を見た毛利さんが、地球に国境はない、
と言っていたけど、実際、地上ではそうはいかないらしい。

今の難しい問題には何も言えないけど、
自分自身はたった一つだけ守りたいことがある。

例え、どのような時代であり、流れがあったとしても、
チョンだの、支那だの、ヤンキーだの、
他国を侮辱するような言葉は私は使うまい。
文化や経済の差はあれど、人種の違いはあろうとも、
どの国も同じ地球に暮らす上で上も下もない。
国や人としての最低限の尊厳は守られるべきだ。
それを自らの声で破るのは、言葉の美しさ、つまりは魂の美しさに関わる。
それこそ人としての品格が失われる、と私は思う。


震災でこの世では富も権力もあまり意味をなさないと
私たちは尊い命と引き換えに思い切り知らされたはずな気もするが、
蓋を開ければ、下手したら戦争にもなりかねない騒々しさがある。
人間ってねー(´Д`;)


できれば、平和に、穏やかに。
どの国の人々とも屈託なく笑って話したい。
私はそう願う。

これは事実、そう言われた言葉らしいが、李香蘭の裁判で、
裁判官が怒りに身を任せる中国人たちに向けてこう歌う。


♪この不幸なできごとが 
 後の世のための教えとなるように
 憎しみを捨てて考えよう

 憎しみを憎しみで返すなら 
 争いは未来永劫、続くだろう

 徳をもって怨みに報いよう
 徳をもって怨みに報いよう



世の中は、そんな甘いことでは動かぬものだ、
と知ってはいるけれど、敢えて、私は思う。

できることなら、この世において、全ての争いが、
この歌のように集結を迎えて欲しいと願います。

ここにそう願う。


いつもの如く、あっちゃこっちゃと話が随分それてしまったけど(⌒-⌒; )
ひとりごとです。
そして、私はあまりこの時代にソグワナイ気がする、って話。
とにかくこの時代にはテンポがトロいんだね。うん。
やっぱ、人様に迷惑かけぬには、山にでもこもるしかないんですかね(笑)
いや、そのほうが幸せなのかもなぁ。

葛藤は続くなり(笑)

徒然便り

2012-09-27 | KOFUKU日記



【玄関横に今年も彼岸花が咲きました。秋です(もう散りました…)】

この記事を書き始めてから、はや半月( ̄▽ ̄;)
お彼岸も終わりましたし…まろたんの誕生日もすぎ、
その間に竹島に続いて尖閣で中国デモ悪化、
書き始めは荒れ狂う台風の中でしたのに…また台風が来るらしいし( ̄◇ ̄;)
時間が経つのは早いわー(しみじみ)


夏前からの不調抜けきれず、不調なところにあれこれ起こり、
さらに重くなったりもして、なかなか前に進めない日々デス。
それでも、一時期よりは動けるようになったので良しとしまふ(*´∀`*)
やっと、数枚手紙もかけたし、少しはやらなくちゃいけない事の他にも動けるし。
うんうん、よくやってる、アタシよ、なんとか踏ん張ろうね(笑)



【なんだかんだ言っても仲良しなのよね】

ちびさんたちは相変わらずお元気さんデス♪
ホントにこの子たちのおかげで元気もらって、
なんとか生かさしてもらってますなぁ。
感謝、感謝(-∧-)




【今日は快晴。全員一列で日向ぼっこ中デス(*´∀`*)】


 

【チビチビたちはお庭の探検にハマっています】



そしてお彼岸の23日はまろたん3歳のお誕生日でした~!オメデトウ(^▽^)ゴザイマース

 

【まろたんも3歳 お父さんにもなってたくましく成長!相変わらずイケワンです!(´∀`)】





【そんな3歳児まろたんのお気に入りはお米と野菜のストック箱(笑)】



 

【家族全員揃わず淋しげなお誕生日でしたが、手作りケーキでお祝いもしました。】




【ちびたちもお父さんまろくんをキッスでお祝い(笑)】





9月に入って、少しだけ手紙書いたり、やること以外にもちょっと気持ちが動くようになりました。
かなり波はあるけど、ここが大事だから良しとします。

 

庭のしそが穂を付け始めたので、シソの実漬けをしたり、
にんにくしそペーストを作ったり。




【チビ達も収穫のお手伝い】


 

【鶏ハムを仕込んだり、朝ご飯にスコーンを焼いてみたり、少しづつペース取り戻し中】



気持ちにムラがかなりでやすくなっているので、
大事にならないよう無理だけはしないように気をつけつつ過ごし中。
何にもできないときは何もしない。出来る時にさっとやる。

どうしても落ち着かないときは、11月の相方さんの命日に向けて
祈りを込めつつひたすらに折り鶴をおっています。



【千羽鶴を製作中】




最近、秋になったせいか、心が落ち込みやすいからなのか分かりませんが、
どこか遠く人里離れたところで、犬や動物たちと暮らせたらなぁ、と思ってしまうのです。
もう少し広いスペース(庭がね)があるところで、
この子たちが大声で騒いでも迷惑にならないようなところに行きたいな~って。

自分の人生の先を考えると、そう出来たらいいのになぁ、と思ってしまうのです。
今みたいに近しい人に自分の都合で迷惑かけずとも生きていけるようになればなぁ、と。
遠くに行けば、誰もいなければね、もう誰もいなくても、生きていくしかなくなるでしょうし。
今は通販もあるし、食べるくらいの野菜も作れるでしょうし。

ただ、先立つものがない( ̄▽ ̄;)
そこだな、問題は。
宝くじでも買うか?(3億9千万目指しちゃうか?笑)

どこかなぁ、家仕事でやってけるところないかしら?
どっか大勢の犬付きで暮らせる家と場所はないかしら?
そう思う今日このごろデス。


こういう風に思うのはあたしだけかなぁ、と思っていたら、
先日、小岩に住む妹と話していると、妹もそうだと言っていた。

すぐ下の妹は今はおウチで内職をして生活費を稼いでいるのだが、
外に働きに出れば、全然稼ぎがいいのはわかるんだけど、
どうしても家の中に居たいんだって。
誰にも会いたくない、一人で仕事してたい、って。
すっごく明るい妹なんだけどね。そう言ってました。

まあ、思うに、これは昔がかなり関係してるんじゃないかな?と。
我が家は特殊な環境で、いろいろ大変だったのだけど、
特に大変だったのは、周りに寄る言われない攻撃です。

貧しいからって、他の人に迷惑かけてないのに虐められたりとか、
いま社会問題になっているイジメなんて比べ物にならないくらいだったし。
周りは憶測であれこれと人の家庭に突っ込んで、
悪気もなしにあたmり前みたいに物を言うから、それに傷ついたりとか。

要は今までの人間関係の苦労が今になって出てるんだな。
苦労しなきゃいけなかった頃は、それらの関係をスルーしたくてもできなかった。
そんな中で働いたり、生きていかなきゃいけなかった。

でも、自分の平安な場所が少しでもできると、そこに居たいんだよね。
多分、そのくらい、辛かったんだな、ホントは。妹も私も。
だから、これ以上、人と関わって傷つきたくない私が内にいるに違いない。
だから、家が好きなんだなー。誰とも会いたくないんだろうな。
今の私はそのピークにいる感じがする。




【なにが起こってもマイペースのチビたち。こうなりたいものです(^-^;】


いつか、外に出たい欲求が生まれてくるのだろうか?
なぞだけど。
待つしかないのかな

希望だけは捨てるまい。





Seasons of love

2012-09-12 | KOFUKU日記


【9月は夕焼けが綺麗ですね】



さて、ひとつ前に落ち込みまくりの記事を書いてしまったので(^_^;)
少し自分自身の中身を気分アップだせるためにも、
書き溜めている記事を一つ完成させてみようと思います。

この記事を書き始めたのは9月11日でした。
911のメモリアルディと震災から一年半を迎えました。
私は被災でパートナーたちを失ったわけじゃないけれど、
本当に突然に、一緒に歩んでいた隣の人に死が訪れて
突然に過去も現在も未来も消えたり変わったりしてしまったのは同じです。
二人を見送って、そこから11年、そして2年と経ちました。
未だに先の全く見えない迷路の中にいます。

ただ有難いことに落ち込んでいる時も、迷いの時にも
私には彼らが残してくれたチビ達が寄り添ってくれます。
大切な人はいなくなったけれど、誰かの優しい心に触れることがあります。
本当にありがたいことだなぁと思います。
ささやかなことだけれど、大きく違います。
心サミシイ人みんなに、こういった支えがある様にと心からお祈りします。


 

【みんな、お日様の下で日向ぼっこが大好き】
【この子達が仲良く過ごしているのを見るとホッとします。】



【今日は実家のシェアメイトのカンナちゃんが凹んで何も食べてなかった私に】
【美味しい鮭と野菜のミルクスープを作ってくれました】
【愛情と一緒に美味しくいただきました。アリガトウ】


そうそう、心友の一人がこのお皿を贈ってくれました。



【カニさん柄の可愛いかまぼこ型のお皿です。
新しくお勤めされている障害者施設で購入してくれたそうです。
遠くにいても、親しい人の便りは支えになりますね。
ありがとうございます。】





そういえば、今日は朝から晴天だったのですが、
午後になって、突然に天候が崩れて雨になりました。
雨といえば、先日、不思議な光景に出会ったんです。
実家に泊まり、チビ達と庭に出て、山や虫たちや花を見ていたら、
からっと晴れているのに、ニ階のベランダの屋根のひさしから
水がポタポタと大量に落ちてくるではありまんか。
あれ、もしかして2階のベランダの水道の配管でも壊れたんかい??
とか思いまして、2階を見上げましたら~、
ナント!家の前側半分にだけ雨が降っていました(⌒-⌒; )
で、降った雨が雨水になって落ちてきていたわけです。
風が吹くと庭の方にも雨が霧みたいに
ふわぁ~と飛ばされてきて綺麗でした。
こんな面白いこともあるもんだなぁ~と(*^_^*)
なんかありがたい気すらしましたよ(笑)




【兄弟仲良くお昼寝】


さて、やっと本題です(⌒-⌒; )

突然ですが、
今まであなたはどんな生き方をしてこられましたか?
一番悲しかったことはどんなことですか?
一番嬉しかったことはなんですか?
一番楽しかったことはどんなことでしたか?
自分にとって一番大切なものはなんですか?
大好きだった人は誰ですか?
大嫌いに会ってしまった人は?
空気のようにそばにいてくれる人はいますか?
皆さんは自分の人生をしみじみと巡ってみたことがありますか?


ふと、こんな事を考えさせられる歌があります。
ミュージカル俳優やファンなら、必ず知っている曲というのがありますが、
もしかしたら、この歌は皆様も知っている方が多いかもしれません。
この歌です。


*******************************

RENT - Seasons Of Love




♪Seasons of love             By Jonathan Larson

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
Five hundred twenty-five thousand moments so dear

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
How do you measure, measure a year?

In daylights, in sunsets, in midnights
In cups of coffee
In inches, in miles
In laughter, in strife

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
How do you measure a year in the life?

How about love?
How about love?
How about love?
Measure in love!

Seasons of love
Seasons of love



Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
Five hundred twenty-five thousand Journeys to plan
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
How do you measure the life of a woman or a man?

In truths that she learned
Or in times that he cried
In bridges he burned
Or the way that she died


It's time now to sing out
Tho' the story never ends
Let's celebrate
Remember a year in the life of friends


Remember the love!
Remember the love!
Remember the love!


 Oh you got to you got to
 Remember the love!


 You know that love is a gift from up above
 Share love, give love spread love

Measure in love

 (Measure measure your life in love~~~~)

Seasons of love
Seasons of love  

********************************


この曲は「RENT」というブロードウェーミュージカルの主題歌で
「Seasons of love」と言う曲です。

レントはジョナサン・ラーソンさんの書いたミュージカルですが、
実は彼はもうこの世にはいないのです。
この作品に情熱をかけ、苦労しながら作り上げ、
そして、この作品の初日を迎える朝に、
彼は突然にこの世を去ってしまったのです。
大動脈瘤の破裂だったそうです。


このRENTと言うお話は、1989年12月24日から
ちょうど一年間のニューヨークのイーストヴィレッジが舞台です。
ロックミュージシャンのロジャーと、
ルームメイトで自称映像作家のマークは、
スクウォッターハウス化した倉庫ビルを占拠して
ボヘミアン的な日々を送っているのですが、
ビルのオーナーになった友人ベニーから滞納している
家賃(レント)を払うか退去するよう求められる事になります。

この2人を中心に、ゴーゴーダンサーのミミ、
大学講師でハッカーのコリンズ、
ストリートドラマーでドラッグクイーンのエンジェル、
アングラパフォーマーのモーリーン、
ハーバード大卒エリート弁護士のジョアンらが、
貧困と病魔に苛まれる日々の生活の中にも
愛と生きることの喜びを見いだしていく物語です。

彼らの中にはゲイやレズビアン、ヘロイン中毒、
そしてHIV陽性の者もおり、こうした登場人物たちによって、
1980年代終わりのニューヨークの世相と、今では失われた
「ボヘミアン イーストヴィレッジ」の世界が鮮やかに描かれていく。
と、いうものです。

この作品はアメリカで、世界で、日本のミュージカルファンの中で、
一大センセーションを巻き起こしました。
たぶん、これらのミュージカルが人々の胸に強く残るのは、
そこに真実があって、現実があってこそ出来ているもので、
コーラスライン同様、作品であっても嘘が少ないからではないかと思います。

私は役者になってから、業界の人間と多く関わってきました。
それ以外の友人は、やはり同じような芸術関係とか
海外からの友人との関わりが多かったのですが、
そこはやっぱり少し一般と言われる世界とは違ったようで、
上の文章の中にある様な、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、
薬物的中毒、そしてHIV陽性の者と言った、
世間からマイノリティと呼ばれる人が普通に存在する場所でした。

なんとなくですが、それらの存在を受け入れる器も
ほかの世界よりは大きい世界ではないかなとも思えます。
とは言え、陰湿なイジメや侮蔑の世界がないわけではありません。
みんな個性が強いだけに、それはそれで濃くあるとも言えます。

ただ、少なくとも私の周りにいる人に限ってはですが、
そういう差別は一般世界よりは少ない気がしました。
種族や性別もあり方も確かに大切な要素だけれど、
それよりもまず、魂が大事ってことが、
理解できる世界に生きている人々だからかもしれません。
自分自身を含め、そんな生き方をする人たちが多かった分、
この作品はNYが舞台だけど、すごく親近感を持って捉えられました。

また大切な人を人生の前半と呼ばれるまでの間に2度も見送ると
この作品はますます大きな影響力を持って私に迫ります。
ソウルメイトのGちゃんが大切な作品の初日になくなったことや、
この作品が始まる12月24日は2年前亡くなった相方さんの誕生日でもあって、
なんだか、導かれているような気さえしています。




【なかよしこよし】


そんな作品のテーマであるこの歌には思い出があるんです。

私は英語はほとんどできないと言っても過言ではありませんが
(すいません、なんの自慢にもなりませんでした~⌒-⌒; )
その割に、昔から外人さんとのご縁が非常に濃いのです。

小さい頃から、なぜか外国の人が普通に周りにいるんです。
だから、外国の方、全く違和感なし(^ω^)
英語はできないけど、人からの愛情というものを
はっきりと感じた言語は英語でした。
若き日に愛の告白なるものをしてくださった
素敵な殿方の半分は欧米の人だったし(//∇//)
どんな占いやスピリチュアルな予言見たいのでも、
必ず「外国とご縁が深い」と言われます。
ただ、なぜか、自分から向こうに行きたいなーと思っても
準備万端整えても、なぜかこの国を出られないのですなぁ。
なぁんかね、不思議なご縁なんですね。

と、言うわけで、昔は頻繁に外国の方と会うことが多かったんです。
中には日本に来て直ぐで、まだほとんど日本語喋れないって人もいたりして、
これは、そう言う方との思い出なんですけどね。

あるときにアメリカ人の友人と会ったら、
日本に来たばっかりのアメリカ人の男性が一緒にいて、
やっぱり言葉ができないから、なかなか輪に入れないでいたんです。
私もしゃべる割には、本音のところでは、人の輪に全く入っていけない性格なので
なんとなく気になって、私の方から声をかけたんですが、
お互い言葉があんまり通じないんで、なかなか話が進まなかったんですよ。

私は昔、セサミストリートLIVEのワールドキャストだったので
「これ知ってる?」とテーマソングのSUNNY DAYを歌ったところ、
「もちろんしってるよ~、エルモ、大好き~」と意気投合(笑)

しばらくセサミネタで盛り上がっているうちに、
彼がとても歌が上手だったので、歌のことを聞くと、
自分はミュージカルが大好きで、歌をやっていて、
学校のドラマクラスでたくさんミュージカルを演じたといいます。
「そうなの~?私はミュージカルのじょゆうなんだよ~」と言いますと
もうお互い盛り上がって、まあ、日本語と英語で歌合戦になりまして(笑)
いや~、芸術は言葉も性別も年齢も全ての世界を超えますね(*^_^*)
最後に一番好きなミュージカルナンバーはなに?と聞いたら、
彼が一番好き、と言ったのがRENTの「Seasons of love」でした。

当時、日本でもとても流行っているミュージカルでしたから
そーなんだー、いいよねぇ、と盛り上がったんです。
で、日本で歌ってる歌詞を伝えたら(伝えてもらったら)
「僕たちの歌詞とはすこし違うんだね」って。
それで英語の歌詞を教えてもらって、
「どんな意味なの?」って説明をお願いしたんです。

英語のできない日本人と、日本語のできないアメリカ人が、
少し日本語のできるアメリカ人と辞書を頼りに
この歌の本当の意味なる部分をたどったわけですよ(笑)
相手はこのミュージカルの大切な部分のニュアンスを
こっちの持ってる言葉に変えて伝えてくれようと必死で。
それがすっごく嬉しかったですねぇ。


ちなみに英語の歌詞は動画の下に載せたものです。
日本の初演で歌われていたのが下記のものです。


「日本初演版 シーズンズ・オブ・ラブ」

52万5千6百の過ぎた時
3千百53万6千秒
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
どう数える 1年を

夜明け 昼寝 深夜のコーヒーカップ
笑い 泣いた 月日で

In five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
どう数えて 生きてゆく

それはLove
きっとLove
How about Love?
季節は

Seasons of love
Seasons of love



(Solo1:)
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
52万5千6百の旅の後
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
どう数えればわかるの
その重さが

(Solo2:)
出会いの数か 一人の夜か
燃やした過去か 死に様か


せめて 今は傷ついた友と
さあ 声が枯れるまで祝福を

それはLove
きっとLove
Remember the Love
季節は

(Solo)
Oh, you got to, you got to remember the love
measure, measure your life in love

Seasons of Love
Seasons of Love

******************************


かくして、この歌を「こんな感じ?」「こういう意味?」と言いながら
一緒に日本語に訳してもらって、私が理解したのが以下のものです。

なんせ「こんな感じ?」な人が語り合ったものですから
正しいかどうかは全然わかりません。
英語のできる人が読まれたら大笑いなのかもしれないんですが( ̄▽ ̄;)



福ちゃんとアメリカの友人によるバージョンの
♪Seasons of love             By Jonathan Larson


Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
(52万5600分)
Five hundred twenty-five thousand moments so dear
(52万5千もの大切な瞬間)


Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
(52万5600分)
How do you measure, measure a year?
(あなたならどう計る?1年をどう計る?)

In daylights, in sunsets, in midnights
(夜明けの数?日暮れの数?それとも夜の数?)
In cups of coffee
(飲んだコーヒーの数?)
In inches, in miles
(何センチとか、何キロとかって数える?)
In laughter, in strife
(それとも笑った数とか、喧嘩した数とか?)

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
(52万5600分の時間)
How do you measure a year in the life?
(人生の1年をどうやってはかる?)

How about love?
(愛はどうかな?)
How about love?
(愛だったらどう?)
How about love?
(愛ではかってみるのはどう?)
Measure in love!
(愛で1年をはかって!)

Seasons of love
(愛って言う時間で計るの)
Seasons of love
(人生、それは愛そのもの)


Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
(52万5600分)
Five hundred twenty-five thousand Journeys to plan
(52万5千通りの旅がある)
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes
(52万5600分という時間)
How do you measure the life of a woman or a man?
(女や男って人生をどうはかればいい?)


In truths that she learned
(あの子が気づいた真実の数?)
Or in times that he cried
(それともあいつが流した涙の数?)
In bridges he burned
(あとに引けない程の覚悟を数える?)
Or the way that she died
(それとも死ぬゆく姿で測ってみる?)


It's time now to sing out
(歌おう)
Tho' the story never ends
(決して終わらない物語を)
Let's celebrate
(そして祝福しよう)
Remember a year in the life of friends
(仲間達の人生を、その時間を)

Remember the love!
(愛を忘れないで)
Remember the love!
(愛を)
Remember the love!
(愛を)

 Oh you got to you got to
 Remember the love!
(愛を忘れないで、どうか愛をなくさないで)

 You know that love is a gift from up above
(知ってるでしょ、愛は天からの贈り物だってこと)
 Share love, give love spread love
(愛は分けあって、与えあって、広がっていくものなんだって)

Measure in love
(愛を数えてよ)
 (Measure measure your life in love~~~~)
(あなたの人生の中の愛を数えて)
Seasons of love
(愛の時間を)
Seasons of love
(季節は愛そのもの)

*************************** 
 



その彼と話をしたのは、それが最初で最後になりましたが楽しかったですね。
その彼が「Seasons of love」と言う事を私に説明するのに
何度も繰り返し言ってくれた言葉が
「All Love」「全ては愛」って意味だよ、
って言葉だったのが、今でもとても印象に残っています。


まあ、訳詞は本当は全然違うのかもしんないんですが
私の中では、この訳詞が、この歌の意味なんです(*^_^*)
なんというかね、その訳していく過程こそが
Seasons of loveそのものだった気がするからです。

Seasons of love
しみじみ、いい歌だなぁ、
ミュージカル、ってやっぱいいなぁ、
そう思います。



 

【陽射しも少しずつ秋の気配】




この歌を聞く度に思い出す人がもうひとりいるんです。
日本で、この歌を一番胸に届けてくださると私が思っている
歌手でミュージカル俳優の小西のりゆきさんデス(*^_^*)

日本初演のRENTに出演していらした方であり、
ディズニー作品のテーマソングを歌っていらしたり、
尊敬する先輩であり、私はファンのひとりでもあります。
いつも全くお金に余裕のない、この貧しい私が、
買い物を我慢してでも、ご飯を減らしてでも、
お金をやりくりしてまで聞きに行くことのある唯一の歌い人さんなのです。

(ここまで言うと、何も観に行けてないのがバレバレですね。
す、すいません、気持ちはあっても懐が許さず…( ̄▽ ̄;)


この方には私の中でだけの不思議なご縁があるんです。
このお話をご本人にしたことも、もっちろんありません。

小西さんことコニタンさんは、私の一番の心友たちの
心の支えになっていた程の親しいお友達でいらして、
11年前に亡くなったソウルメイトのGくんとも
何度かご共演のご縁を頂きまして、気が付けば、
もうお知り合いになってから10年以上が経ちました。

こう言うとコニタンさん、並びにファンの皆様に
大変失礼なことなのかもしれませんが(事前にお詫び申し上げます)
私にはですね、「この人はおんなじ星から来たな」
「同じ神様がついているな」と思う人達が時々いまして、
亡くなったGくんも、相方さんもそういう人達なんですけど、
コニタンさんもそういう方のお一人なんでゴザイマスー。

何がそうなの?って聞かれたら、これですー!っていう
はっきりした理由は全くないんですけど( ̄◇ ̄;)
私のココロの中にハッキリとそうだとわかる瞬間があるんです。

うまく言えませんけど、どうしても表現せい!
と言われたら「愛」なのかな、と思います。
恋愛の愛ではなくて、すごい広い意味での慈愛的な愛というか、
その人の心の「真実」とか「魂」とか言ってもいいのかな?
とにかく、私はその感覚を何よりも大切にしています。

もちろん、相手の方はそんなこたぁご存知ないんですよ( ̄▽ ̄;)
これは相手の知らない、ワタクシの一方的な仲間意識なのデスな(笑)
まぁね、いきなり「同じ星の人ですね」っつわれても「は?」ですよね(^_^;)
なので、普通そういう話はしないです。
しかも同じ業界の人とか、ある程度のキャリアがある人に話すと
下手したらめっちゃ気分害されて怒られたりする可能性大…。

とか言って、いま書いちゃってるんですが(⌒-⌒; )
どうかファンの方々、変な人の戯言とお許しくだされば幸いです。

コニタンさんの歌にはとにかくすっごい魂があるんです。
本当の意味での「ソウル」を感じるんです。
(なんか偉そうな書き方ですみません)
そして、うまく言えないけど、コニタンさんの歌は
聴く人それぞれに対する何かの使命を持っている気がするんです。
それは私にとっては「天使」的な存在となって降り注いでるというか、なんというか…。
まあ、これも表現は非常に難しいデス。

確かにお知り合いではあるんですが、これだけフリーなオイラなんですが、
尊敬している人とは、あんまりっつか、全然しゃべれませんのデス( ̄▽ ̄;)
いや、緊張がね、うん。そういうのを一度感じるとなんかもうね、
下手なこと喋れないっていうか、後光で目が潰れそうというか、
もう拝みたくなる感じになるんですわ~(⌒-⌒; )

ちなみに、そう言う意味では、亡くなった相方さんにもそうで。
人間として深く愛しておりましたが、それ以前に同じ業界人として
私の中で彼はもう尊敬のすごい高み極みにいましたもので、
まずその尊敬があってこそのお付き合いでしたから、
そのへんは最後まで、尊敬の念が間にしっかりあってですね、
相方なのに全く持って気軽には話せないくらいでしたんデス(^_^;)
なのでコニタンさんともじっくりとお話したことがないんですよね。
なんだけどー、自分にとっては個人的な生き方に大事な思いのある方なんですよねー。

私もたまに人に同じようなことを言われることがあるんですが、
コニタンさんは、なぜかいつも、私の人生の節目におられるんです。
しかもね、なぜかは解らないんだけど、何か大きなことが起きる前に、
必ずコニタンさんの歌を聴きたくなり、どうしても行かねばって気になって
聞きに行くと、何か琴線に深く深く触れるモノが必ずあって、
それでね、あとから考えると、コニタンさんのパフォーマンスは
これから自分に起きることへの導入みたいな部分があって、
しかも、それを癒してくれるって言うのか、
穏やかに受け止められるようにしてくれてる、
うーん、うまく言えませんが、神様からの言葉を、
そう天使に語られているような感じになっているのです。


注(神様、神様、言うてますが、私は特に宗教は持ってません。
ただ計り知れない大きな叡智というか、絶対的な愛を感じる時がありますんです。
しかもね、それって人格ある感じに感じるんですよね。
それを総括して、「私の神様」みたいな感じなんです。)


不思議なくらいに、コニタンさんの話した言葉とか、歌った歌とかに答えがあるんです。
もちろんコニタンさんはそんなことは何にも思ってないはずなんですけどね。
ライブに行っても挨拶のみで言葉も交わさず帰る事の方が多いので
きっと、私がそんなことを思ってるなんてことも全くご存知ないのです。
でも、そんなツナガリがあって、こんな気持ちの私がいるのは本当なのですよ。

まあ、そんな理由で、私の中でだけ(ここ重要です)
コニタンさんとはいろいろあったんです。
特に隣にいた大切な人が帰天した前後、必ずコニタンさんの歌に出会いました。
どちらの時も、これから来ることに準備をしなさい、
これまでに感謝をしなさい、これからも頑張りなさい、
ちゃんと大丈夫だから、と言われているような出来事ばかりでした。

ほんっとうに不思議なんですよねー。
まあ、とにかく昔から不思議なことが起こりまくる人なので、
これもまた、そう言うもののひとつなのだろうとは思います。

心友のまりちゃんや雄ちゃんが、コニタンさんをとても大切にしていたし、
亡くなったソウルメイトの鎧くんも、コニタンさんのことを
同じものをココ(魂)で感じるんだよ、って言ってました。
私も同じ感覚だったので、うんうん、わかるよ、わかるよ、と思っていました。

そんな風にコニタンさんはなぜか私のとても大事な人と繋がっていて、
私の中で親友とコニタンさんは思い出すのもセット的な感じだし、
コニタンさんと全くご縁のなかった相方さんが、
唯一、一緒に行ってくれたミュージカル系の私の友人のライブが
コニタンさんとその心友のダブルライブで、
しかも、唯一、心友と相方さんと亡くなった鎧くんの魂と
一緒に聞けたライブだったりして、すごいすごい特別だったんですよねー。

当時、私にとって亡くなったGちゃんの事を
あれこれ話せるのは、心友たちと相方さんだけでした。
彼の魂が一緒にいられるライブに、今を支えてくれてる相方さんと
どうしても一緒に行きたかったんです。
それでね、行って欲しいとお願いしたら、思いがけず付き合ってくれて。
彼はプライベートを仲間内に見せるのは本当に嫌な人だったから
私の知り合いの所に出かけるってのは、本当に奇跡的なことだったんです。
しかも、あまり簡単に人を褒める人ではなかったんですが、
コニタンさんの歌はとても感動していました。
「すごい真実がある歌」って言って。それも嬉しかったですね。

その時、、コニタンさんが挨拶に来てくださったんです。
私は心友が隣にいるからだろうと思っていたら、
後から、一緒にライブをしていた心友から
「福ちゃんが来てるよ」と言ったら楽屋から飛び出していったんだよ、
と聞いて、すごく嬉しかったのを覚えています。
私はコニタンさんにとっては、ものすごく影の薄い知り合いだろうと認識していたし、
当時、私はそれまで生きていた世界のミュージカルという場所から
ストレートプレイという世界に場所を移動して、
何も分からず迷いばっかり、生きてる人もほとんど誰も知らなくて
もうある意味真っ暗な中にいたから、なんか嬉しかったんですよね。
そんな風に歌のある世界にいる仲間の心の隅に存在したという事が大きな力になりました。
きっと、以前のソウルメイトのGちゃんのことを知っているから
色々とご心配していてくださったんだと思いますけどね。

あのライブの時は、心友と相方さんと3人で座って、
亡くなったGちゃんの席をもう一つ作ってね。
4人でコニタンさんと雄ちゃんの歌を聞きました。
なんだか昨日のことみたいです。

その相方さんも2年前に白血病で亡くなってしまいましたが、
彼が急変で突然になくなる10日ほど前にも、
私はなぜかコニタンさんのライブに行く機会を得ました。
治る治ると言われていたのに、鎧くんを亡くしていた身のせいか
病気治療の毎日が不安で不安でどうしようもなく暮らしていた頃に、
ライブがあることを聞き、どうしても行かねばならない気持ちになって、
コニタンさんとライブをしていた心友の雄ちゃんに
無理をお願いして一緒に行ってもらったんです。
それは白血病で亡くなった、本田美奈子さんへ捧げたライブでした。
全編がイノチに焦点が当てられた内容で深く心に残りました。

私自身がこの人は歌人だなと思っている人の歌声を、
この耳で聞いたのはあれが最後です。
その時の歌声は相方さんを突然に失って、
環境がどんどん変わってしまう現実の中で
何も変わらずに私を励まし続けてくれたのでした。

私は存在する方を名指しで書く事って、あまりありませんが、
なぜでしょうか?今日、ここに書かねばならない気がしたのです。

もちろん、このブログをコニタンさんは読むことなんかないと思うし、
きっと存在すら知らないと思うのですが、
どうしても書き残しておきたい気持ちになってしまったのです。
そんな気持ちをどうかお許しください。

この場を借りて、申し上げます。
歌い人の小西のりゆき様、ありがとうございます。
あなたの愛そのものである歌声に救われた人間がここに一人おります。
きっと私はその愛を持って、いつか帰るべき所に帰るでしょう。
この世で、その歌声に出会えて良かったなぁ、と思います。
これからもたくさんの方が、小西様のお声に、お芝居に、
そんな風に心震わせられたらいいなぁって思います。
心より感謝デス。


またねぇ、この心友の雄ちゃんもまりちゃんもねぇ
みんな、そんな節目に必ずそばに配置される方々なのです。
なぜか節目にいて、私を力強く支えてくれる。

同じ星から来たと思われる人たちはみんなそう。
コニタンさんみたいに、その人たちの持つ大きな才能で
このちいさい私に何かを与えてくれるんです。

そういう人たちが、今ここに生きなきゃいけない私を
大きな力で支えてくれてる。
これは確か。
変わらない自分を教えてくれていることは確か。
その世界に私を迎えてくれる。
それは確か。

そんな風に、人生って不思議な出会いに満ちてる。
相手が知らなくても、こうして何かが生まれてる。
いつも、いつも、いつも。
何なんだろうなぁ、不思議だなぁ。

うまく言えないけど、またいつか、皆さんとは同じところで会う気がします。
その時、きっと、このふしぎの答えがわかる気がします。

どこにいても、変わらない自分であり続けるためにも、
そこに居ずとも、わたしの生きるべき世界に生きるためにも
自分の中だけのこんな繋がりや思いを大切に生きていきたいと思います。



勝手に少し宣伝(^◇^;)

その小西のりゆきさんが11月に福岡にこられるそうです。
博多座のジェーン・エアにご出演の最中にライブをなさるとか。
とっても行きたいけれど、まだ一人移動のできない私は難しいかなー。

でも、たくさんの方にお歌を聞いていただきたい、と思います。
もし福岡近辺の方がいらしたら、ぜひ「愛」を聴きに行ってください。
きっと、震える自分の心と出会えますよ。



コニタン・ソロ・ライブ in Hakata
日時:11月11日(日) 開場18時半/開演19時半
場所:ジャズバー トロンボーン・クラブ
(博多区中洲5丁目3-21 第三津加佐ビル2F ℡092-281-1515)
料金:3500円(ワンドリンク付き)
出演:小西のりゆき、YUKA(ピアノ・コーラス)、中林成爾(チェロ)

   

 
 

心の影と魔のループ

2012-09-11 | KOFUKU日記
 

『チビさんたちの朝の風景 実家の庭で朝の太陽を浴びます』


南国も少しずつ秋の気配です。
チビさん達は朝の涼しめの時間はお庭にでてのんびりしています。
それを見ながら縫い物などして朝を過ごしております。

実は、めっちゃ気分が落ち込んでいまして…
ついでに一番体調の悪い時期が重なっちゃって…
っていうか、落ち込みすぎて、その時期を読んでしまったらしく
予定になかったので、今日はちょっと寝たり起きたりしています。

私事ですが、先日、妹と言い合いをしてしまいましたんです…
私らはあんまり喧嘩をすることはないんですが…(; ̄ェ ̄)
体調悪い前の気持ちがナーバスな時期だったのかなぁ、私が。

まあ、些細なことと言えばそうかもしれないんだけど、
大事なことって言えば譲れないくらいの意思のあるところで、
相手にとっても、そこは同じようなものだと思うから
そりゃ言い合いになるのは当然なんですけどね。

話している間にどんどん不安が募っていってしまい、
家族なので言いすぎてしまったのは事実なんですが…。
無効も売り言葉に買い言葉な部分もあるかもしれないけど、
言わなくても分かってもらえているなぁと思っていた所とか、
そうは言っても、きっとこうなんじゃないか、
お互い理解して共に会話していた部分を、
私個人の悪言と捉えられていたりとか、
自分が受け止めていたところを「そうじゃない」と言う
相手の直接な言葉で聞いてしまったので、それでちょっと凹んでいます。

私が喋ったことは、伝わったか、伝わらなかったかは
全くわかんないですが、っていうか、それ以前に、
言いたいことが伝えられてないから伝わるわけないですね( ̄▽ ̄;)
もうどうしようもありません。
相手に自分への理解が無い以上、
単純に妹を不快にさせただけで終わってしまってます。
本当に申し訳ない限りです、そんなんで迷惑かけて。




【テーブルのしたの足の上はチビ達のベッド】



私は性格的なものか、現在の精神的な病のせいなのか、
とにかく不安感と危機感がものすごーく募るのですよ(´・ω・`)
まあ、PTSDをベースにパーソナリティ障害やら
切迫性の不安障害やらパニック症やら何やらで
全くこの世に暮らしていけないって判断の適応障害なわけだから
何でもかんでもが悲しみにつながってしまって不安に変換されてしまうのです。
他人様にこれを言っても、起きていない事をいくら思ったって仕方ない、
と言われたらお話は終わりで、そこまでなんですけど…(-。-;

そう言うのが原因で、いろんなことが気になるのだって言っても、
関係の中で、飛び交うのは「現実の言葉」なので、
相手だって飛んでくるものは痛いから、その言葉に傷つくし、
私に関わるのは大変なんだろうなぁ、って思います。
それ以外には、こっちは傷も持ってないし、
相手から見たら、普通の人だろうし、余計ムカつくよね(-_-;)

しかも、集中力もないし、説明力もないから、うまく言えないし。
それは分かっているんだけど、その不安感や
焦燥感から来るものを自分でもどうしようもないんですよ。
だから病気なのかもしれないけど。

しかもね、相手に一生懸命語れば語るだけ、
結局、自分自身のことだけ考えている様に思われる。
決してそうではないんです。
相手のことを思うからここまで不安になるんです。

じゃあ、人のことなんて気にしなければ、思わなければいいじゃない?
って思うかもしれないけど、それができたら悩んだりなんかしないんですよ。
きっと共依存的な精神の構造がいけないんでしょうね。
でも、どうしたらいいんだか全くわからない。

でも、こういう事が数少ない頼れる相手とのあいだで起きちゃうと、
私の中で、またそれがトラウマになっちゃって、
人とどんどんかかわれなくなっていく自分がいるのがわかるんです。
言われてる方からすれば、ずいぶん相手を無視した勝手な言い分なんでしょうけどね。

でも実際問題に当てはめるとどんどんどんどん不安が募っていく。
事実、一人になって何かあったら?そうなったら、この子達は?
私はなんにも持ってないから余計に焦る。
そして魔のループに落ちるんです。
上がったり下がったり堂々巡り(;_;)


自分が不安だから、自分の立場と重ねて相手が見えてくる。
そして未来は見えないからとても不安。
自分の経験や、周りの相手に対する言葉とか考えて、
少しでもなんとかしなきゃ、と思ったりする。
それはかなりの切迫感を持って感じる。
でも、どうにかしてあげたくても、自分には力がない。
とっても大切なのになんにもできない。
だから余計、力が入る。

でも、こうなってくるとただの無力です。
この膨大な無力感は言い尽くせないです。
そして、孤独感がやって来る。
何もできない自分の結果はただ孤独です。

なんでそうなるの?と人はいう。
病院の医師ですら、今後、一人にならないために
人と関わり友人や仲間を作りなさいという。

ああ先生、わかるよ。言わんとすることは分かります。
ごめんなさい。でも今の私には無理。
親しい友人や仲間にだからこそ、そんなこと頼めないし、
死んでも頼みたくないんです。
失う可能性があるものはつくらないほうがいいし、関わりたくありません。
もう辛い思いはしたくないんです。それが本音デス。

それに私は性格上、頼めると思う人にしか頼めない人。
それは、自分にとって家族だと思える人にしかできない。
でも、そう言う人はもういない。
誰もいないのです。

それをもう一回作れなんて、ごめんなさい。
死ねと言われているのと同じです。
そんなに簡単に人とのつながりは作れません。


独りでいると、怪我をしても、病院に行かない限り、
自分の背中に薬を塗ることすらできません。そういうものです。
その状態で自分が果てたら、どうしようもありません。
病気とかあって発作とかあると尚更です。

伴侶を失い、一人になり、そういう状態を経験して
あまりの不の大きさに、私は唯一、
頼める人が居るところに帰ってきたのです。
誰にも頼めないから。それしか方法がなかったんです。
病気を抱えてて、発作でも起きて自分が倒れたら、
預かったイノチを守る方法がなかったから。
それと、少しは自分も安心感が出来るかと思って。
そんな期待も持って。

でもね、こういう事が起きると簡単に振り出しに戻ります。
しかも、それが深く残ってしまう。そんな悪循環な性格。
もうどうしたらいいものかわかりません。


人はどうかわからないけれど、こんな私は
不安だからエンディングノートとか書いてしまいます。
もし、自分に万一のことがあって、自分の身の始末とか、
残されたチビ達のこととか、身の回りのものの処分とか、
何をどうして欲しいかとか、度々記録に残し、書き換えています。
魂が安心する方法の一つとしてやっているのかもなんですけどね。

だって万一、私が不慮にでも死んでしまったら、
こうして欲しいって思っても伝えられないし、
こうしてあげたい、と思っても、どうやったって、
してあげられない場合の方が多いと思うから。
(中には死んだってできる人もいるだろうけど)
経験上、人はいつ死ぬかなんてわからないと思うし。

生きていても、何かが起きたとき、私の生きている所からでは、
出来ることと出来ないことも沢山あります。
私は10年の内に二度も大事な人を天に見送ったけれど、
そう思うことがたくさんありました。
この事も今に影響する大きなことなのかもしれないけれど。

ついでに言えば、もしなにか起こったとしたら、
今の私には人様に迷惑をかけることの方が多くて、
自分に大きな気持ちはあったとしても、
人にはしてあげられないことのほうが多いから。

事実、私には自分でお葬式代を出す事もできないわけだし、
自分のものもお金をかけないで片付けてもらうしかないし。
あの子達のことを頼めるのは家族しかいない。

そう思っていたんですが、でも先日のことで、
いろいろ気持ちを聞いて、とても不安になりました。
まあ、仕方ありません。私の実家はとても困難にあるので、
在り方がハードだからしょうがないんでしょう。
事実、そんなハードな出来事もこれまでに多くあったし。
仕方のないことなのです。彼らが悪いんじゃないし。
そこにお願いしようとしたことが間違っていたのでしょう。

だから、この子達のことだけでも、もっといろいろと
対策を取らないといけないかもしれないとも思います。
自分の生き方も先は一人で生きていくことを考えていかねば。
何とかして、誰にも頼らないで守る方法を考えないといけない。
そんな風に思ったりしています。
そうしないときっとまた迷惑かけちゃうし、嫌な思いさせるし、
今の私はそれが理由でまた不安が生まれるだろうし(-_-;)

ただ一つだけ、今回自分を振り返って見てわかったことがあります。
私は家族に対して無視だけはしてなかったってこと。
どんな時でも、家族から勝手に消えたことはなかったってこと。
どこに移動するにも事前に連絡は必ずしていたってこと。
出来る出来ないは別として、家族から求められることには
どんな状況にあったとしても、必ず答えたってこと。
私は自分がされて悲しいことだけはしてないってこと。
それだけはしてない事は、相手に対しても良かったと思える。
そして、そこだけは大切にしたいと思うってこと。
それがわかっただけでも良かったかなと思いました。


 

【寄り添える相手がいるのは素敵だね】



つくづく、自分の隣にいる人って大事だと思います。
自分の感覚や思いを完全に理解できなくても、
解ろうとする努力ができる相手ってすごく大切。
相手の思いを大切にしようとする努力が出来る相手って大事。
そう思います。
特にね、こんなふうに突然一人になると思いは大きい。
生活の中に失くした相手の影を見ます。
ほんと大きいよ。大きな力なんだなぁ、って思います。

そんなお互いの安心感を生み出せる大切な人が亡くなって、
一人はもう十年以上、そして相方さんは2年が経とうとしていますが、
悲しさやさみしさは募るばかりです。

多くの人は長く悲しみを抱えて持っていると、
そんなことばっかり考えてると相手も悲しいとか、
それは相手に対してじゃなくて自己憐憫なんだって、
と言った言葉で残された人の心を簡単に傷つけるけど、
そうじゃない。そうじゃないと私は思う。

確かに短時間で明るい思いに行ける人もいるでしょう。
でも、それが正しいとなぜ言える?
悲しいのがなぜ悪い?
相手への愛が深いからいつまでも悲しいんだよ。
それだけ、引きずる位、深い愛ってあるんだよ。
無くしても手放せない愛ってあるんだよ。
忘れられない愛ってあるんだよ。
私はそれでいいと思う。
悲しいのも嬉しいのも苦しいのも愛だから。
否定することなんかなんにもないと思います。


きっと、世界には私と同じような不安にある人がたくさんいるでしょう。
震災のあった日本にはそれこそ多いに違いない。

心の病は見えないから、パラリンピックにも出られません。
傷もないから、人からなかなか痛みを理解されません。
自分で何とかしたくても、難しいことの方が多いです。

そう言う人が少しでも多く、ご自身が安心できる日々を
静かにおくれたらいいなぁと心から願っています。
どん底でも、何か、何か一つでいいから大事なものを握って歩けますように。

人のことは言えませんが(^_^;)
私も細々でも、あゆみが人から見えなくても、
自分の中だけででも頑張りたいと思います。