私にとって手を動かす仕事は喜びと安らぎにほかならない。
以前も書いたけれど、私は基本的に自分の為には物を作ることをしない。
私はこう言うものが欲しいとか、食べたいとかいう欲求も少ないと思う。
私がミュージカル俳優になったのは歌や演技が好きなこともあるけれど
それ以上にそこにお客様が居てくれたから。
普段、あれしたいとか、これしたいってものもない。
大事な人たちがしたい事を一緒にしたい。
その方が断然、何かをしてる気持ちになる。
だって、相手がうれしそうだから。
もらうこともあまり得意ではない。
貰うより絶対的に何かしてあげたい(笑)
だから、善く「自分の為に何かできない人は可哀想」なことを言う方が居るが
(ポジティヴ礼賛のスピリチュアリストに多い気がする)
いやいや、人の喜びは人それぞれじゃないの?
君がしてもらって嬉しい様に、あたしゃしてあげて嬉しいのよ、
それを可哀想なんて言うのはやめて頂戴、
それが出来ないあなたがよっぽど可哀想とかってと真剣に思う(;^ω^)
とにかく私は喜んでもらえることが好きなのだ。
人の笑顔や、言葉はなくったって、きらきら輝く目や
心のドキドキが伝わってくる瞬間がものすごく嬉しい。
その気を吸って私は幸せになるのだ。
誰かの為に何かをして喜んでもらえると本当に嬉しい。
だから手仕事でもお料理でも、お話しでも何でも、
まず人の笑顔を想像しながら物をつくる。
それはかなり楽しい時間なのだ。
そう言う事が出来る、私の手を持って良かったと思う。
喜んでもらえなくても、それは次への励みになるので凹まない。
そう言う面ではへこたれない性分かもしれないな~(;^ω^)
日々、寂しさで凹み加減、自分の事には無頓着の私だけれど、
人様の事が出来ると思うと嬉しいので事が進む。
実はこの秋に親友が結婚することになった。
もう嬉しくてたまらない。
秋から生活が始まるので、彼女が家庭の中で使えるものを少しずつ作りためている。
彼女と彼の顔を思い浮かべながら、彼らの家の中を思い浮かべ
こんなのが善いかな?あんなのが善いかな?
素材はこう言うのが善いかな?と思いを巡らせて作る。
とても幸せで、こんな時間を頂ける事がありがたい。
相手がいなければ、私の喜びは絶対に生まれないものだから。
相手ありきで私の喜びがある。
相方さんが生きている時、そう言う喜びに満ちていた。
あれこれと褒めたり、言ってくれるわけではないけれど
小さな事を奥深く喜んでくれる人だった。
それはいつもココロにすーっと伝わってきて
喜んでほしいと動く私にはとてもありがたかった。
家族間ではささやかなことしか出来ない。
暑い夏、洗面器に水を張り、アロマオイルを一滴おとし
おしぼりタオルを絞り、ビニール袋に入れて冷蔵庫で冷やし
外から戻ってきた人に出してあげる。
寒い冬、相手より早く起きて、カイロをあたため
着て行くジャケットのポケットに入れておく。
小さい子たちと相方さんの為におそろいの帽子を編んだり靴下を編んだり。
お風呂上りが気持ち良くなるように何度もタオルを洗って柔らかくしたり。
猫舌の相方さんとちびっこの為に冷たくて暖かいおいしいものを考える。
食べやすいように骨を取り、皮をむき、盛り付ける。
そんな家族の当たり前は、家族が居ないとできない。
贅沢でなくていい。
シンプルで簡単でいい。
相手への愛がこもっていることが大切なんだと思う。
滋味深い食事は、心こもった手仕事はココロにも栄養が行きわたる。
家族がそこに居て、この手がなければ出来ないこと。
人間に生まれたから出来る事。
ありがたいことだなぁとつくづく思う。
今は小さい子たちの為にそうさせてもらえる。
それだけでも、ありがたい毎日だと思う。
滋味深い、、、そんな毎日であればいいと思います。