KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

エリーゼのために

2012-06-30 | 相方さん(米澤観児氏について)




その劇場は原宿の竹下通りを抜けて、ちょっと奥にありました。
全て相方さんの手によるハンドビルドで作られていて、
天然の素材だけを使った、それはそれは懐かしい時間が流れる場所でした。

今はもうありません。


2年前の今日、相方さんはずっと体調を崩していたのですが、
やっとこちらの勧めを聞いてくれて、初めて病院に行ったのです。
そして血液検査をして、次の日、結果を聞きにいき、
白血病が発覚して、そのまま緊急搬送され、緊急入院しました。
あと2週間遅ければ、そのままなくなっていたほどの重症でした。

それから、4か月と半分、もう大丈夫、あとは再発を防ぐだけ、
やっと3か月ほどの長期退院ができると言う日の3日ほど前
前日にはお母さんもお見舞いに来てくれて、
先生からも「もう大丈夫ですよ」と太鼓判を押され、
そんな次の朝、肺炎を起こし急変して、わずか数時間で逝ってしまいました。
彼の死は、本当に予測もなく、突然にやってきたのでした。


それから、いろんな事があり、療養しながら生活することになり、
引越しなくてはならず、遺品整理をしなくてはならなくなり、震災があり、
もういろんな事がいっぺんにやってきて、動かない時間の中を動きました。




《エリーゼ



一台のピアノがありました。
これは相方さんのピアノです。
名前をエリーゼと言います。

このピアノの事は他の人も関わっているのであまり書きませんでしたが、
彼が逝ってから一年半が過ぎ、きっとその方も許してくれるでしょうから
私の中の気持ちを書いてみたいと思います。

このピアノは相方さんと私が作った原宿の劇場にやってきたものです。
このピアノは私が選びましたが、それを心待ちにしていたのは
私ではなくて相方さんの方でした。

何故なら彼はとてもピアノが上手で、弾くのも大好きだったからです。
ピアノが届いたら、一番先に自分が触れるのだと決めていて
案の定、届いて、調律がすむと、真っ先に弾いていました。
それから、そのピアノは相方さんのものになりました。

普段は一切弾きませんが、店に寝泊まりしていた私たちが、
夜、夕食を済ませて、彼がほろ酔いで店に戻ると、必ずピアノを弾きました。
歌うようなピアノを弾ける人で、心地よい音を出せる人でした。

彼はもともと、持ち物を本当に大事にする人で、
古いものも新しいものも本当に大切にしながら使う人でした。
ピアノもそうで、傷をつけないように大切に扱っていました。

リーマンショックのあおりで突然にその劇場にも終わりが来て、
全てを片づけなくてはならなくなった時、
大切なお友達のご家族が、わざわざご連絡をくださって、
ピアノを預かってくださるとおっしゃってくださいました。

きっと、金銭的に困っているのでは?と察してくださったのでしょう。
どうしようかと思っていたこともあり、とても信頼していた方だったので、
お心に甘えて、私の一存で預かっていただくことにしました。
相方さんいうと「仕方ないよね」と一言だけ言いました。

その方はこちらが借りるのだからと言ってくださって、
移送費や調律代までご自身で持って下さり、
本当に至れり尽くせりで、お迎えしてくださったのです。
そして、何度か「買いますよ?」とも言ってくださいました。
その方は不思議な力を持つ方で、エリーゼちゃんの声が聞こえたのだそうです。
ご自身のところに来るべきではないかとも思ってくださったのかもしれません。

でも、どうしても、どうしても、それだけは出来ませんでした。
手放すつもりにはなれませんでした。
あれは、相方さんの大事なものだったからです。
相方さんが、ピアノをどれだけ好きだったかを知っていたからです。
でも、その事は相手の方にはうまく伝えられないままだった気がします。


それから、何度かそのお家に会いに行きました。
相方さんはその度に愛おしそうにピアノを撫でましたが
やっぱり人の前ではピアノを弾こうとはしませんでした。

そのお友達のお家には、心優しい男の子が一人います。
でも、そのころはまだ小さくて、まだまだ元気がいっぱいの頃でした。
相方さんと仲良しで、とても懐いてくれていました。

遊びに行くと、時々、その坊やがピアノに触れます。
ちょっとばかり、元気が良すぎる感じで。
子どもには何がどうってことは分からないから、
木切れや固いものを、ピアノに置いてしまったり、
楽しげにうごかす脚でけってしまったりします。
それが子どもと言うものです。
私はそう思っていました。



でも、ある日の帰り、車の中で、相方さんが言ったのです。

「俺のピアノさ、、、(何かを言い切らない感じ)
……なんか、もう、、、帰ってこないかもね。」

上手く言えませんが、彼の中の何かが伝わってきてしくしくと心が痛みました。
相方さんは、あのピアノを大事にしたかったのです。

大事にしてもらっていなかったわけではないのです。
本当に預かってくださった方なりに大切にしてくださっていたと思うのです。
でも、うまく言えないのですが、彼は、彼なりのやり方と言うか、
彼の手の中で、彼の感覚で大切にしていきたかったのでしょう。
やっと手に入れた大事なピアノが
どんどん自分から遠ざかって行く感じがしていたようでした。

それは、とても気になっていましたが、相手に言えば失礼になるし、
なんだか相手を軽んじたり責めたりと変な誤解をされるかも、と思いつつも、
相方さんのココロを思うと申し訳なくもなり、
その方に失礼を承知で、理由を説明して、
出来るだけ傷をつけない工夫をお願いしてみたこともありました。

返してほしいとも言い切れず、でも、こんなに悲しそうならと
ピアノを売ると偽って取りあえず返してもらおうかなとも思い、
売ることになるかもしれません、とご相談したこともありました。
それくらいから、少しずつ、ご連絡が途切れるようになってしまい…。

そうしているうちに、彼が病気になり、天の国に行ってしまいました。
もちろんそのご家族も病院に駆けつけてくれました。
最後にそのご家族のお顔を拝見したのはその時になります。

その後、私の中でとてもショックだったことが、
その方の関わる方の中で起きたりしてしまい、
私はその事についてうまく伝えることが出来ず、
また、それを察してもらう事はとっても難しい事で、
きっと、あまり良い印象ではなくなったのかもしれません。
人を愛で導くお仕事の方が、自ら疎遠となっていくくらいなのだから
相当、気持ち的に害する思いを持たせてしまったのかなと思い、
今もその方々を想うたびに、申し訳なく、また寂しく思います。


そのあとの事ですが、引越や遺品の整理をしなくてはならなくなった時、
失礼を承知でピアノを移動させて頂きました。
突然の事で、ご迷惑をおかけしてしまったので、
私に対する思いはなおさらだったかもしれないです。

実際に本当にお世話になったご家族でしたから、あのピアノは、
お礼にそのまま差し上げるくらいの事はしなくてはいけなかったのですが、

「もう戻ってこないかも」

と言った、悲しそうな相方さんの言葉がどうしても忘れられなかったのです。
これは、彼のものだから、彼の物として扱ってあげたい。
だから、なんて失礼な、好意を無にされたと思われるかもしれないけど、
このピアノは手元に戻させてもらって、預けるにしても、
自分がしっかり関われる場所に置いておこう、と思いました。

そのころ自分はもう出歩けなくなっていたので、
メールでのやり取りで、お願いしました。
でも、やっぱり、今書いているみたいにも話せないままでした。

本当にその方にはご迷惑をかけてしまったのですが、
有難いことに、その方は快く送り出してくださいました。
その事に本当に感謝しています。

大切な方とは疎遠になってしまったけれど、
やっぱりそうして良かったと思っています。


今、ピアノのエリーゼちゃんはどこに居るかと言うと、
関東の妹の家で姪が大事に使ってくれています。
電子ピアノがあるので、最初は難しいといわれていたのですが、
姪っ子の方がどうしても本物のピアノがイイと望んでくれて。
おかげでエリーゼちゃんは新しいお家に行くことになりました。
可愛いピアノだと、とても喜んで弾いてくれているようです。
本当に善かったなと思います。

将来、もし彼女に必要でなくなったら、移送して実家に置いてもらう予定です。
当初からそうできれば、お友達にも嫌な思いさせずに済んだのですが、
私の実家も今の家ではなかったので置き場所がなくて。
でも、本当に両家のご家族には感謝しています。

おかげで今は私のテリトリーに在って「彼のピアノ」に戻すことが出来ました。
私が気安く居られる場所にあれば、彼のピアノとして、
彼も弾きたいときに遠慮せずに傍に行けると思うのです。


 

《相方さんの作った劇場》
《沢山のアンティークの建具が使われています》



遺品に対しては、いろんなご意見があると思います。
私も、死んだ人のものは早々に片づけた方がいいとか、
未練たらしいのは相手の為に良くないとか。

相方さんの死から一年半以上が過ぎました。
私も周りからいろんな事を言われますが
私はそれでも、大事なものは、手放せません。
どうしようもなく手放したものも、
今でも出来る事なら手元に戻したいくらいです。

でも、残りは手元にあると言っても、生活の中で使っているもの以外、
あとの多くは、写真などと同じように倉庫や押し入れなどの奥深くにしまわれています。
今はまだ、思い出が大きすぎて、まっすぐ見られないのですよね。
彼が買ってくれたカメラですら、ちびたちが生まれるまでは出せなかったくらいです。

荷物は劇場などの解体したものも含め、家3~4軒分くらいあったのですが、
相方さんのものを「売ってお金にする」という事は一切できませんでした。
まるで彼を切り売りするようで。

だから、どうしても手放さないといけないものは、寄付したり、
知ってる人、信頼できる人にのみ、もらってもらいました。
周りはなんてもったいないことを、と思ったかもしれません。
でも、どうしても売るのも、捨てるのも、嫌だったのです。

皆には要らなくなったら捨てないで、引き取らせてほしいとお願いしました。
要らなくなったら、引き取らせてくれる人なんて居ないのかもしれないけど。
それでも、今でも、壊れたら引き取らせてほしいなと思います。
彼が大事にしていたものには、彼が宿っているような気がするからです。


 

《深夜、一人で作業し続ける相方さん》
《出来上がったのはこのドア。ドアも建具も皆、彼の手作り》


 

《日本各地から心友たちが勝手に集まって来てくれて、手伝ってくれました》
《床板も壁板もザラザラに荒れた板を一枚一枚、削って磨いたものでした》

《その材木は解体時、出来るだけ残してありましたが》
《彼の帰天後は兵庫の木工アーティストの心友さんと》
《私の友人が新たな命を生み出すために受け止めてくれました》




《製作の途中、ぴーちゃんとひと休み中の相方さん》




《残った木切れだけで美しい飾り床を張ってくれました》



相方さんの物に対する想いや、在り方は本当に深かったんです。
使った材木も布も小さなかけらまで捨てずに愛して使う、そんな人だったから。
だから小さなものの一つまで、相方さんそのものの様な気がするんですよね。

だから、さすがに床は無理だったけど、彼の作ったドアなどは全部持ってきました。
いつか、どこかで使えたらいいなと思っています。

こうしていることが、良いか悪いかわからないけれど、
今はね、まだ大事にしていたいと思っているのです。
まだ、そこに見えるものがあるから。
それを捨てるつもりにはならないんです。

なんだか、こういう文章を書くたびに
過去形であることが悲しい気持ちになりますが
今はそんな自分で良いかなーと思っています。


天に帰られた方の魂が安らかでありますように。
地に残された人たちの魂が安らぎの中にありますように。
心から祈ります。






雨上がり

2012-06-28 | KOFUKU日記


《親子で昼寝*まろとーたんとみーやん》
《寝相が同じ。遺伝子のすごさを感じて笑ってしまう(^_^;)》


今日は本当に久々の晴れとなりました。
でも、我が家の庭は山から下りてくる水で
庭に何個かある排水口が水琴窟の様に鳴りっぱなしです。

当たり前の事なんだろうけど、
木々が命を繋ぐために雨を集める力ってすごいね。
ほんと、自然ってすごいよ。


今日はカンナちゃんがご馳走してくれるそうで、
実家で晩御飯の出来るのを待っているところデス(^^)



《カンナちゃん、ちびたちに囲まれ製作中。》




《ちびたち、待ちつかれて一休み中》


今日はクレープらしい。楽しみだ~。









日本の憂いと我が家の小さなコミュニケイション《追記あり》

2012-06-27 | KOFUKU日記




《雨さんばっかりでちゅよ。》



こちらは今日まですごい雨が続いています。
明日は何とか晴れそうデス。

さて世の中、消費税増税、原発再稼働の方向で向かっている様子。
造反者がでた今回、野田首相は「残念でならない」と…。
いやいや、キミら民主に「残念でならないぜっ!」
と心底思ってるのは、こちとら日本国民だってばよ…(-"-)

29日にはまた官邸を囲む大規模デモなどがあるそうです。
 今回は前回のデモ5万人を軽く超えるかと思われます。

実際、今の科学力では電力や冷却停止の事故が起きれば、
核暴走、そして再度の放射能事故は食い止められないのが現実。
ナントか、原発再稼働、そして消費税増税を阻止したいものです。

そして、この消費税問題や雨や事故にまぎれて
福島四号機はひそやかに一部解体作業が始まっていました。

福一4号機一部解体映像はこちら


それなりの力がかかる作業かと思います。
この続く大雨、地震などで大きな事故につながらない事を祈ります。
また作業されている方が安全でありますように。


22時追記 

東電、実質国有化決定。
ホント、あり得ません(-_-;)

しかもまた、こんな事が…。

福島第一1号機、建屋内で過去最大の線量計測
(読売新聞 - 06月27日 20:37)

東京電力は27日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋地下で、
建屋内では過去最大の放射線量となる毎時1万300ミリ・シーベルトを計測したと発表した。

作業員の年間被曝(ひばく)限度である50ミリ・シーベルトにわずか約20秒で達し、
約6分で嘔吐(おうと)などの急性症状が出る。
廃炉に向け、建屋地下では汚染水の漏えい場所の特定や修復が必要だが、
東電は「作業員が入れるレベルではなく、ロボットを使った難しい作業になる」と話す。

計測は、配管が通る1階の貫通口から内視鏡と線量計を入れて実施。
地下階には、格納容器下部の「圧力抑制室」があるが、カメラでは損傷は確認できなかった。
汚染水の深さは約5メートルで、線量は地下階に入った段階で
約30倍の毎時625ミリ・シーベルトにはね上がり、汚染水の水面近くで最高を記録した。
2、3号機の建屋地下階の10倍以上の線量になる。
東電は「1号機は炉心損傷が最も深刻で、放射性物質が地下に多く流れ込んだ」と分析する。



今も、この放射能はダダ漏れのままです。
しかも見えません。
どうか日々の対策を怠らないようにと願います。


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《カンナちゃんが描いてくれたちび子たち》
《左からふう君、みやちゃん、ろま君です。特徴つかんでる~》


さて、今日は我が家のコミュニケイションの一つをご紹介。
私は基本独り暮らしなのですが、風呂なしキッチンなしお家だし、
ちわわンズもいるし、生活面で独りではできないこともあり、
なにかと実家にお世話になることが多いのです。

実家に泊まらせてもらっている時は、家事を主にさせてもらってるんですが、
ちびたちが暴れて邪魔をすることもあり、夜の10時半くらいには
泊めてもらってるお部屋に連れて行って全員寝かせるのでアリマス。

その為、実家のシェアメイト*カンナちゃんがレストランのお仕事で
帰りは深夜に近いので、夜はなかなかお会いすることがありません。
そこで、食事の在りか(笑)を書いたメモを置いているんですが、
妹アムさんがそれを観てて、カラーペンとメモボードを買ってくれました。


カンナちゃんはシュタイナー学校時代から絵やアートに定評があり、
その作品はシュタイナー系の本などでも紹介されています。
(シュタイナー学校では自分が学ぶ間に書いたノートが
自分の教科書になるので、毎日必然的に絵を描くのです)

で、夜メモを書いておくと、カンナちゃんが朝お返事をくれるんですが
そこに必ずわんこ達のイラストが描いてありまして~、
私はそれを見るのを目覚めの楽しみにしております(^^)

今日のはこれデシタ。



《どうやら、ちび子たちを部屋に運ぶ時の私の様です》
《今のところ、こうやって3匹まとめて運んでます(笑)》


置手紙とか、メモとか、ささやかな事ですが、
こういうコミュニケーションはイイですよね。
メールや便利なものもコトバもありますし素敵なんですが、
やっぱり手書きのものは特別な温かみがありますね。

いろんなご家庭でも、お子さんやおとうさんお母さんなんかが
お仕事や塾やお稽古事で遅かったりするし、
今の時代は便利である分、人との距離が疎遠ですよね。
そんな中にこんなあたたかさがあるとホッとします。

いつも料理をしていると、妹アムさんや甥っ子が
ご飯の盛り付けや準備を手伝ってくれるのですが、
我が家では、まず、そこに居ないカンナちゃんの分を盛り付けるのです。

その際、盛り付ける皿はどれにしよう?とか、
どこの部位をとっておこうか?とか、量はこれでいいか?とか
盛り付けはこれでいいかな?とか、それはそれは、
盛り上がって語り合っているのでアリマス(笑)

その割に、カンナちゃんの以外は全部、一皿盛りなんですけどね(笑)
なんせ人数が多いし、分ける分、洗い物が多くなるし、
水も使うし、ある意味で「エコ」ですな(笑)

でも、これもまた善きコミュニケーションになってるんですよね。
何より「善いな」と思う事は、そこに居ない人を忘れないでいられることです。
それが一番大切な事かなって思いますね。

そして、その人を想いながら、盛り付けたり作ったりするあたたかい気持ちが
料理や盛り付けたものから、相手に伝わっていれば、なお良いのですが。

あんまり顔を合わせないなぁってお家があったら、
ぜひ、メモを一枚、置いておいてみてはいかがでしょう?

お食事が美味しくなること、請け合いです(^^)


Friend

2012-06-26 | KOFUKU日記
今日も南国は雨模様でした。
今週いっぱいは雨、そして7月の訪れとともに梅雨が明けそうな気配です。

早いもので、あと数日で6月も終わりますね~。
4月の頭に生まれたチワワちびたちももう3か月になろうとしています。

 

《生まれて一週間くらいの頃のちびさん達》
《普通からしたら2倍だけど(^_^;)それでも小さかったなぁ…》


↑3か月前はこんなだったちびさんたちも、、、


↓3か月たって、こんなに大きくなりました(^-^)



《後列左から「ろま君」「ふう君」手前が「みやちゃん」です》



 

《顔も体型もデカチーまろとーたんにそっくりのふう君》
《3か月前にして、すでに2キロ近くあるマッチョちびデス(笑)》







《おっとりさんのろま君*ころんころんでとーたんにもかーたんにも似ています》





《ピピかーたんが大好きのみやちゃん。やんちゃな美人さんです。》
《もう大きさもママとあまり変わらなくなりました(笑)》






《寄れば触ればおもちゃの取り合いで大暴れのこどもたち》
《 でも兄弟とっても仲良しです(^^)》





《夜もベッドでみんなで寝ています。大きくても3か月》
《まだまだトイレが危ういのでバスタオルやカバーが必需品(^_^;)》



既に長男ふう君は2キロ弱、他の子も追い付け追い越せの成長ぶりですが(^_^;)
3か月で3キロの強者ベイビーもいるそうなので、善き成長ぐあいという事でね(笑)
なんせ、ここちゃんの分まで育ってるしね(^^)

このまま成長すると成犬時には5,6キロいくのかひらね???(・。・;
チワワで5キロ越え…かなり面白いぞ。一体、何犬に見えんだろ?(笑)
取りあえず、まろとーたんのMax体重3・7キロを超えるのはいつかな?
この分だと来月だったりしてね…(^_^;)わはははは。

(注*まろたんはマッチョでかっこいいカラダしてます。良く褒められます。
ぴーちゃんはお歳ですから、ちょっとぽっちゃりして3キロ。平時は2・8キロ前後。
妹ピピさんは骨格と身体はまろ君と同じくらいだけど、御痩せさんなので2・9キロ)

おちびたちは一体どうなる事やら、楽しみだわーーー。
まとめて持ち上げるのが大変になるけどぉ(・。・
(ちなみにあたくしはアダルティな方たちを3匹まとめて抱きますの。)
今後のメガちび3兄妹たちの成長をお楽しみに(笑)


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先日、大切な友人の一人、Dちゃん(君)が、
相方さんのお墓参りに代行で行ってきてくれました。
とてもありがたいことです。

私は昨年の8月末の移住途中で寄って以来、
相方さんのお墓には行けていません。
お墓は関西にあり、今の私は介助がなかったら
電車にもバスにも飛行機にも乗れないし、
ちびさん達を傍から離すことも出来ません。
(不安から預けたり、置いていけないのです)
だから一周忌も行くことが出来ませんでした。

また心身、経済の面から、行きたくても難しく、
この病を治し、自分の身を自分で立直し、
ある程度の生活が自分できるようにならなければ、
相方さんのお墓参りには行く事が叶いません。

以前は貧しいなりとも、少しは余裕が持てたので
月に一度、お花くらいは届けられましたが
こちらに戻ってきてからは、生活費も余裕がないので、
何かしたいと思っても、それも出来ず…。

そんな時です。関西にいるDちゃんに相談したところ
快くお墓参りを買って出てくれました。
もちろん相方さんの実家のご家族はマメにお参りくださっているのですが、
自分が行けないという事にはとても申し訳なく、さみしく残念な思いをしていたので。
おかげさまで、相方さんにも親しいお友達と会ってもらえて、
お花やお線香をあげることが出来、とてもありがたかったです。
これからも、代わりに行ってくれるそうで、本当にありがたいことと思います。
おかげで、ひとつ不安が消え、安心感がうまれました。
(この場を借りて、Dちゃん、本当にありがとう!)


こんなプライベートなことを他人様であるDちゃんに頼めたのも、
Dちゃんがどんなに善い心の持ち主か知ってるからで、
そして、自分や相方さんに対する、彼の友愛の情を知っているからです。
そこに透明な想いしかないのが、とてもよくわかっているからです。
彼ならば、間違いなく相方さんへ純粋な祈りをささげてくれると
本当の友達である彼ならばお願いできると、私の心がわかっているからなのでした。

皆さんにはそんな「ともだち」はいますか?
ただの友達ではない「本当の友達」という人です。

先日、あるところで「私にともだちはいません」と言うコトバに出会いました。

「ともだちがいない」

目にして、自分の事ではなくても、とてもさみしい気持ちになりました。
それを書いた方はどれだけ寂しいことかな、と思いました。

さみしい、には「淋しい」と「寂しい」という字がありますね。
前者は誰も居ない竹林に蕭々と雨が静かに降り注ぐ様子を表し、
後者は家の中に独り、ぽつりといる様子を表しているそうですが、
この方の寂しさは、後者の本当に孤独な寂しさだなぁと切なく思う事でした。


人との出会いとは不思議なもので、一度の出会いから
一生と言う長い期間深くつながる人もあれば
どんなに仲の良い時期を一緒に過ごしても、
いつしかぷつりと切れてしまうご縁もあります。
また、学校に入ったり、仕事に就いたり、結婚したり、
そんな環境の中で付き合っていく人々も変わっていくものですから、
そういう不思議なご縁の世界で、生きている間、ずっと親しい友達でいることは
本当はとってもとっても難しい事なのかもしれません。

私は自身は、特技とも言っていいほど、知り合いになるのは、
ものすごく得意なのですが、簡単にはお友達にはなれない方です。
心安く話しても、気を許しているわけではないのです。

ただし、一度信用したら、裏切られても許せるほどに相手を信じます。
だから、絶対数は少なくても、本当の友達、と自分が思える人は多いのです。
ともだち、と言うよりは「心友」「魂の家族」と心から呼べる人たちです。
私にとって、それが自分の唯一の宝であり、財産。
そう信じて疑いません。

大概、人はこの話をすると、笑います。
そんな友達なんか、普通できるわけない、夢物語だ、とかって言う感じでね。

そういう人と、しばらく付き合うと、次は必ずこう言われるのです。
「福ちゃんみたいに、本当に信じられる友達がいるのがうらやましい」って。
そう言わしめる、深い信頼と友情を持てる友が現実にいる事が私の自慢でもあります。

私は
本当の友達って、傍にいなくてもいい。
いつも会っていなくたっていい。
同じ意識を持たなくったって善い。
そう思っています。

それでも、友達だという事が解るのです。
それでも、すごく傍にいることがわかるのです。
どんなに忙しくしていて、今この時に思い出さなくても、
彼らの魂のなかから自分は決して消えない事が解る。
相手が自分の中から消えることがないことがわかる。
どんなに会えなくても、たとえそれが一生でも、
「ああ、あんな人も居たな」って風にはならない。
どんなに時を経ても、一瞬で出会った頃に帰れる。
たとえ、価値観が全く違うものを持っていても、
それを相手の大切なものなのだと認め合える。
それが私の友達、そこまで行けたら本物のともだち。

そんな友達は、何かあれば、必ず私の事を思ってくれるのです。
何が出来なくても、自分のできることで精一杯助けようとしてくれるのです。
しかも、そこに見返りの要求なんかは、全くありません。
してあげるのではなく、そうしたい、と自分が心から願うからです。
お互いに、ただただ透き通った、まっすぐな想いが届くのです。


こんな風に話をすると、一体、どんな能天気な人生を送ってくれば
そんなのんきな夢みたいな事を言える人間になれんの?とよく聞かれます(^_^;)

ま、まあ、ファンタジーの国の住人であることは間違いないけど(笑)
別段、能天気に何も痛みを伴わず、歩いてきたわけでもないのですよ。
どっちかっていうと、痛み伴う現実の方が多かったと思うし…

私の場合、物心ついたら、すでに貧しかったり、あれやこれやとありましたから、
大人子ども関係なく、いじめの対象にされたり、馬鹿にされたりしたものです。

貧しさにしろ、なんにしろ、経験のない人にはわかりませんでしょう。
だって、在って当たり前なわけですから、それがないって言ったら
「それはおかしいでしょう?」となってしまうわけです。
ストンと、「そうか、そうなんだね」と言う人の方はまずいません。
学校の先生ですら、そうでしたからね。

「貧乏が戸口からこっそり家の中へ忍び込んでくると、
偽りの友情はあわてて窓から逃げ出す
ミューラー」


と言うくらいですから、困窮した家庭の子どもである私と
お友達になってくれる人が逆に居ませんでした。
きっと、いろいろ大変な事があるに違いないと思われたのでしょうね。
そんなでしたから、私は友達作りには大変センシティヴでした。
信じるという事が難しい子どもでした。

まあ、そんな紆余曲折を超えて、この年まで来たのですが、
その年月の中で、私は本当にありがたい経験をたくさんさせてもらい、
自分のココロの扉にはドアノブがついていなくて、
中から自分が開けなくては誰も入ってこられない事実や、
無条件に信じる事から始める尊さや、またしっかりと疑う事で
その後を全く疑わずに信じて過ごせるのだという事を学びました。

本当のともだちを作るには、自分が相手の為にすべて捧げても
決して後悔しないような大きな覚悟を持たねば信じてもらうに値しない事や
事実、人の為に生命を投げ出す様な友愛も存在すると知りました。
そして、それは自分にも持てると知りました。

おかげで、私にはかけがえのない、人達が今います。
会えなくても、ずっと心の中にいる人です。

友達はいません

そう思っている人が居たら、これから本当のお友達を作ってほしいなと思います。
お互いが向き合える、お互いを認め合える、本当のお友達を。

時々、自分の意見を受け入れて、相手が変わってくれてこそ友達
と思ってる人がいるけど、そこは間違わない方がいいな、と思います。

孤独を超えて、あの人に友達が出来たらいいな。
そう願っています。



友達作りには秘訣があるんだって。
たけしさんがこういってます。






「ともだち」ビートたけし

困った時、助けてくれたり

自分の事のように心配して

相談に乗ってくれる

そんな友人が欲しい

馬鹿野郎、

友達が欲しかったら

困った時助けてやり

相談に乗り

心配してやることだ

そして相手に何も期待しない事

それが友人を作る秘訣だ



昔、某ミュージカル劇団にいたころ、そこは友達を作ってはいけない世界でした。
周りはみんなライバルで、何をしてでも蹴落としていくのが当たり前だった世界。
そんな中で、ラッキーなことに私には兄弟のような仲間がいて、
劇団を出たところで、良く皆で集まって歌った歌があります。

それがこれ。
そして、今も、その皆とは兄弟の様です(^^)




音楽座ミュージカル
「しゃぼん玉とんだ 宙までとんだ」より
《守ってブレンド(フレンドの意)》


悲しみください
あなたの喜び
見つめたい感じたい いつまでも


守り続けよう 大切ないのち
これからはもっと幸せに


果てしなく広い宇宙の中で
たったひとつだけ 小さないのち

だから守る
いつだってブレンド
きみの味方
こころのブレンド


あなたの笑顔が僕たちの夢
くじけずに負けないで いつまでも


どんな時にでも 助けてあげよう
いつだって友達だから


美しい地球に咲いた花のように
咲いているだけで心安らぐ


だから守る
いつだってブレンド
君の味方
心のブレンド




ミュージカルや歌は、私にとって、人生や言葉と変わらないものです。
人生、いろんな事があるけれど、そんな時に心に歌が聞こえて支えてくれます。
そんな歌の中から。



劇団四季ミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」より
「ともだちはいいもんだ」

作詞 岩谷 時子
作曲 三木たかし


友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
困った時は力をかそう 遠慮はいらない
いつでもどこでも君を見てるよ 愛を心に君と歩こう
   みんなは一人のために 一人はみんなのために
   みんなは一人のために ひとりのために


友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
大人になっても忘れはしない 夢を大事に君と進もう
   みんなは一人のために 一人はみんなのために
   みんなは一人のために ひとりのために



劇団四季ミュージカル「うかれバイオリン」より


そんなにしょげることはない
道が呼んでいる 
広い世の中を 観に行く いいチャンスじゃないか!

へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ

見上げる空に 太陽が照る限り
新しい道が 続いている限り

明日と言う日がなくならない限り
なんとかなるさ この世の事は

いつでも いつでも
おおきな おおきな
夢を持とうよ
胸をはって

へこたれはしない どんなときでも
笑顔わすれない つらいときこそ





孤独はくるしいもの
でも、孤独をかんじるってことは
本当の愛を知っているからなんだと、私は思う。




音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より

《旅》

曲がりくねった道を
馬車に揺られて行けば
広がる麦畑 崩れた城壁
 
強い雨に心までも たたきつけられ
辛くても 疲れても 前に進めば

ふっと雲が割れ 青い空のぞかせ
光に包まれる
愛に抱かれて
すべてが輝いて
生まれ変わる
 
僕たちの旅は今 曲がりくねって
寂しさや ためらいに 疲れ果てても
 
本当の孤独なんて ないから
きっと辿り着ける 

愛に…



あなたのこころが
たくさんの愛に出会えますように



マドモアゼル・モーツァルト「朝焼け」


《朝焼け》


あの空の遥か向こう
新しい世界 待っているから
まだ見ぬ夢を求め
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる

赤く染まる空よどうか
昨日までの悲しみ溶かして
まだ見ぬ自分に会うため
どこまでも追いかけて

音に乗り 風を受け 飛んでいこう
 
のびやかに翼ひろげ 旅がはじまる
辛くても 勇気だして はばたいていけば 
きっと会える さわやかな 優しい笑顔
さあ旅立とう 悲しい歌はいらない
夢を求め 生きる喜びあふれた 旅がはじまる




ブレイキング・ザ・コード

2012-06-23 | KOFUKU日記
南国は今日も雨。
昨日は官邸前の原発再稼働反対のデモも5万人を超えて、
ニュースでも取り上げられていて、ちょっと嬉しかったな。
このまま、危ないもの、無差別に幸せを奪う可能性のあるものは
動かさない方向で進んでもらいたいと願っております。


さて、パソコンを立ち上げると今日のGoogleのロゴ、数字のミニゲームになってました。
今日はアラン・チューリングの生誕百周年を祝っての事らしい。

皆さんはアラン・チューリングさんをしってますか?



《在りし日のアラン・チューリング博士》


アラン・チューリング(Alan Mathison Turing, 1912年6月23日 - 1954年6月7日)は
イギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、計算機科学者でチューリングマシンを作った人です。

って、なんの事かわからんわ~、って思いますわね(^_^;)
あ、でも、正解。
専門家でなけりゃ、普通、しらなくて当然で御座いましょう。

とにかく彼は数学者で、コンピューターの父と呼ばれる人で
第二次世界大戦時に暗号を解読したすごい人なんです。

私がこの方を何故知っているのか、といいますと、
私が所属した某ミュージカル劇団は、基本は普通の劇団でして
歌わない、踊らない作品も時々(笑)やるのでございます。

私が入団する直前、アマチュアとして最後に触れた作品が
このアラン・チューリングの人生を描いた
「ブレイキング・ザ・コード」(暗号解読)と言う作品でした。




《なつかしい当時のパンフレットの表紙から》


私はミュージカルが三度のご飯よりも大大大好きだけれど、
それよりなにより、舞台の上で生きることに喜びを感じる人です。
演じることが好きなので、ストレートプレイもミュージカルと同じくらい好きです。
ミュー主体なのは単純に喋るより歌う方が、表現しやすい言うだけの話。
相方さんの様に、もう完全に機能が、ミューとストレート違うカテゴリの人もいるけど
ぶっちゃけ、どっちも私にとっては変わりなく感じる、という人です。

だから、自分で言うのもなんだけど入団当初から私ってば変わり者でね~(^_^;)
「ミュージカルだけやればいいのに、ストレート、なんも面白くないじゃん」
と言う同期の中、一人燃えるような目つきで稽古に入っておりましたのデスわ。
余りの食い入りように、主演の方に
「キミはここにいるのに(笑)芝居が好きなんだねぇ、そうかぁ、嬉しいねぇ」
と、なぜか「劇団」にいるのに、そう言って頂いたことがあるくらいです(笑)

そんな、劇団なのにお芝居だけするのが不思議な世界に入った私は
このアラン・チューリングを描いたブレイキング・ザ・コードと、
入団してすぐに稽古参加させて頂いた「シャドウランド」と言う
ナルニア国を書いたC・S・ルイスと妻ジョイの人生を描いた作品と、
自分でも演出をとらせて頂いて、公演の機会を頂いた「オーファンズ」と言う作品、
この某ミュージカル劇団と呼ばれる所で上演された
踊らず・歌わない(笑)ただ演じるのみの、この三つの作品は、
自分の中にある普遍のテーマともいうべきものを描いたものでもあり
(って、人生を描けば、それは全部、そうなんだけど。
この劇団に限らなければ、作品はまだあるけど、、、)
そこで演じられていた俳優さん方の俳優としての生き様と共に
深く深く心に残る作品なのでアリマス。


さて、アラン・チューリングさんは環境にも恵まれて、
小さい時から天才的な能力を発揮していましたが、
唯一、当時の彼の問題は同性愛者であることでした。
当時のイギリスでは同性愛は法律的な大罪だったからです。

舞台「ブレイキング・ザ・コード」の中では
数学(暗号解読)と同性愛に焦点があてられて進んでいきます。

その中で、彼が同僚である女性とサイクリングデートをして、
途中、野に咲き乱れる花々を見ながら、花々がある法則の元に
全ての花を咲かせ、葉を広げているのだと語り、
科学者である自分は科学を突き詰めれば突き詰めるほど神の存在を見る、
神こそ真の科学者なのだと、語る部分があります。

私はもともと彼と同じような感覚があり、
更に彼の、この時見たものを見たい、感覚を感じたい、と思って、
ゲーテの自然などを学ぶために人智学コミュニティに行った経緯があります。
実に、この作品に出会ってから10年以上が経ってましたけど。
単純に言えば、じーっと花(自然)を見つめる機会が欲しかったんですね(笑)

とにかく、その人物に、そのシーンに、
10年後に人を動かすくらいの衝撃があったという事です。
多分、他の人はそんな辺りは残ってないかもだけど(^_^;)


チューリングさんは、最後、自死します。
本当はご自宅で亡くなられたそうですけれど、
舞台では、講義の最中、魂とは永遠なるものか、否か、
自分の身をもって解明したいと思う、と語り、
青酸カリを付けたリンゴをかじり、亡くなります。

実際にもリンゴをかじり亡くなったとか。
その死に方も衝撃的でしたが、
それよりも彼が数学や同性愛と言うものに感じていた
いわゆる「超自然」的なものと「人や生命」への畏敬の念や憧憬は
私の中にあるものとシンクロして深い想いを残しました。
未だに忘れる事のないもので、解明できないものです。
そうでいて、良く解らずとも、魂の中にしっかりと答えがある
それはそれは不思議なものなのでもあります。


振り返れば、自分が子どもの時、なぜあんなに歴史が好きだったのか、
なぜ、あんなにも、むさぼるように伝記を読んだのか、いま解る気がします。
上手くは語れないけれど。

このブレイキング・ザ・コードは映画もあるので是非ご覧ください。

また、この舞台作品を翻訳されているのは吉田美枝先生なのですが、
美枝さんとは年齢は本当に違うけれども、同じ舞台という世界で
偶然にもご縁を頂き、公私ともに親しくさせて頂いてきました。
公演させて頂いたオーファンズも美枝さんの翻訳によるものです。
おかげで沢山のお話を直接聞くことが出来ました。
(お話し下さった美枝先生に深く感謝)

同じように名詩をたくさん残されている岩谷時子先生や
私の手がけた愛する作品を訳された鈴木小百合先生にも
沢山のお話を伺う機会を得て、今もそれが支えになったり
自分の中の力を作ることに大きなパワーとなっています。

感性って、すごいものですよね。
その響きに出会うことで自分の感性が動き出すから。
本物の完成を持つ方からの波動は、単なる真似では終わらない。
本物に出会うと、勘当した自分の中の何かが目覚めるはず。

感動したと思っても、真似で終わってる時、なにも動かない時は
ココロがまだまだ感動に飢えていて、実は何も残らず、
さらにそれによって、自分の中が何も動いていない時だと私は思っています。

自分が本当に感動したのかを、見つめることって大事だと思う。
そうしないと、意志を持って嘘を生むだけだから。
いや、この表現ではうまく言えてないな、うーんむずかしい。
とにかく、そんな感じ(^_^;)

私自身の魂に深く影響を与えてくれた作品を
日本においてこの世に出された方々に直接出会い、
その作者の方に直接かかわっている方から多くの事を学べたのは、
とても素晴らしい経験だとココロから感謝する日々です。
だってアラン・チューリングさんに一歩近づいた気がするもんね(単純・笑)


私にとって、アラン・チューリングさんは、あの舞台にいた人だけど、
今日はGoogleさんのおかげで、深く知ることが出来ました。

皆さんも良ければ今日のGoogleトップの
チューリングマシーンゲームで遊んでみてはいかがでしょう?

あ~、善い舞台、観たいな~。善い脚本や訳詩読みたい。
久々にそう思えた日でした。ありがたや。

さあ、晩御飯の準備を致しましょう。
今日は黒豚スペアリブの煮つけです(^^)

こっちは安全で美味しいお肉が安くてありがたいよなぁ。
これまた、感謝なのでアリマシタ。