その劇場は原宿の竹下通りを抜けて、ちょっと奥にありました。
全て相方さんの手によるハンドビルドで作られていて、
天然の素材だけを使った、それはそれは懐かしい時間が流れる場所でした。
今はもうありません。
2年前の今日、相方さんはずっと体調を崩していたのですが、
やっとこちらの勧めを聞いてくれて、初めて病院に行ったのです。
そして血液検査をして、次の日、結果を聞きにいき、
白血病が発覚して、そのまま緊急搬送され、緊急入院しました。
あと2週間遅ければ、そのままなくなっていたほどの重症でした。
それから、4か月と半分、もう大丈夫、あとは再発を防ぐだけ、
やっと3か月ほどの長期退院ができると言う日の3日ほど前
前日にはお母さんもお見舞いに来てくれて、
先生からも「もう大丈夫ですよ」と太鼓判を押され、
そんな次の朝、肺炎を起こし急変して、わずか数時間で逝ってしまいました。
彼の死は、本当に予測もなく、突然にやってきたのでした。
それから、いろんな事があり、療養しながら生活することになり、
引越しなくてはならず、遺品整理をしなくてはならなくなり、震災があり、
もういろんな事がいっぺんにやってきて、動かない時間の中を動きました。
《エリーゼ》
一台のピアノがありました。
これは相方さんのピアノです。
名前をエリーゼと言います。
このピアノの事は他の人も関わっているのであまり書きませんでしたが、
彼が逝ってから一年半が過ぎ、きっとその方も許してくれるでしょうから
私の中の気持ちを書いてみたいと思います。
このピアノは相方さんと私が作った原宿の劇場にやってきたものです。
このピアノは私が選びましたが、それを心待ちにしていたのは
私ではなくて相方さんの方でした。
何故なら彼はとてもピアノが上手で、弾くのも大好きだったからです。
ピアノが届いたら、一番先に自分が触れるのだと決めていて
案の定、届いて、調律がすむと、真っ先に弾いていました。
それから、そのピアノは相方さんのものになりました。
普段は一切弾きませんが、店に寝泊まりしていた私たちが、
夜、夕食を済ませて、彼がほろ酔いで店に戻ると、必ずピアノを弾きました。
歌うようなピアノを弾ける人で、心地よい音を出せる人でした。
彼はもともと、持ち物を本当に大事にする人で、
古いものも新しいものも本当に大切にしながら使う人でした。
ピアノもそうで、傷をつけないように大切に扱っていました。
リーマンショックのあおりで突然にその劇場にも終わりが来て、
全てを片づけなくてはならなくなった時、
大切なお友達のご家族が、わざわざご連絡をくださって、
ピアノを預かってくださるとおっしゃってくださいました。
きっと、金銭的に困っているのでは?と察してくださったのでしょう。
どうしようかと思っていたこともあり、とても信頼していた方だったので、
お心に甘えて、私の一存で預かっていただくことにしました。
相方さんいうと「仕方ないよね」と一言だけ言いました。
その方はこちらが借りるのだからと言ってくださって、
移送費や調律代までご自身で持って下さり、
本当に至れり尽くせりで、お迎えしてくださったのです。
そして、何度か「買いますよ?」とも言ってくださいました。
その方は不思議な力を持つ方で、エリーゼちゃんの声が聞こえたのだそうです。
ご自身のところに来るべきではないかとも思ってくださったのかもしれません。
でも、どうしても、どうしても、それだけは出来ませんでした。
手放すつもりにはなれませんでした。
あれは、相方さんの大事なものだったからです。
相方さんが、ピアノをどれだけ好きだったかを知っていたからです。
でも、その事は相手の方にはうまく伝えられないままだった気がします。
それから、何度かそのお家に会いに行きました。
相方さんはその度に愛おしそうにピアノを撫でましたが
やっぱり人の前ではピアノを弾こうとはしませんでした。
そのお友達のお家には、心優しい男の子が一人います。
でも、そのころはまだ小さくて、まだまだ元気がいっぱいの頃でした。
相方さんと仲良しで、とても懐いてくれていました。
遊びに行くと、時々、その坊やがピアノに触れます。
ちょっとばかり、元気が良すぎる感じで。
子どもには何がどうってことは分からないから、
木切れや固いものを、ピアノに置いてしまったり、
楽しげにうごかす脚でけってしまったりします。
それが子どもと言うものです。
私はそう思っていました。
でも、ある日の帰り、車の中で、相方さんが言ったのです。
「俺のピアノさ、、、(何かを言い切らない感じ)
……なんか、もう、、、帰ってこないかもね。」
上手く言えませんが、彼の中の何かが伝わってきてしくしくと心が痛みました。
相方さんは、あのピアノを大事にしたかったのです。
大事にしてもらっていなかったわけではないのです。
本当に預かってくださった方なりに大切にしてくださっていたと思うのです。
でも、うまく言えないのですが、彼は、彼なりのやり方と言うか、
彼の手の中で、彼の感覚で大切にしていきたかったのでしょう。
やっと手に入れた大事なピアノが
どんどん自分から遠ざかって行く感じがしていたようでした。
それは、とても気になっていましたが、相手に言えば失礼になるし、
なんだか相手を軽んじたり責めたりと変な誤解をされるかも、と思いつつも、
相方さんのココロを思うと申し訳なくもなり、
その方に失礼を承知で、理由を説明して、
出来るだけ傷をつけない工夫をお願いしてみたこともありました。
返してほしいとも言い切れず、でも、こんなに悲しそうならと
ピアノを売ると偽って取りあえず返してもらおうかなとも思い、
売ることになるかもしれません、とご相談したこともありました。
それくらいから、少しずつ、ご連絡が途切れるようになってしまい…。
そうしているうちに、彼が病気になり、天の国に行ってしまいました。
もちろんそのご家族も病院に駆けつけてくれました。
最後にそのご家族のお顔を拝見したのはその時になります。
その後、私の中でとてもショックだったことが、
その方の関わる方の中で起きたりしてしまい、
私はその事についてうまく伝えることが出来ず、
また、それを察してもらう事はとっても難しい事で、
きっと、あまり良い印象ではなくなったのかもしれません。
人を愛で導くお仕事の方が、自ら疎遠となっていくくらいなのだから
相当、気持ち的に害する思いを持たせてしまったのかなと思い、
今もその方々を想うたびに、申し訳なく、また寂しく思います。
そのあとの事ですが、引越や遺品の整理をしなくてはならなくなった時、
失礼を承知でピアノを移動させて頂きました。
突然の事で、ご迷惑をおかけしてしまったので、
私に対する思いはなおさらだったかもしれないです。
実際に本当にお世話になったご家族でしたから、あのピアノは、
お礼にそのまま差し上げるくらいの事はしなくてはいけなかったのですが、
「もう戻ってこないかも」
と言った、悲しそうな相方さんの言葉がどうしても忘れられなかったのです。
これは、彼のものだから、彼の物として扱ってあげたい。
だから、なんて失礼な、好意を無にされたと思われるかもしれないけど、
このピアノは手元に戻させてもらって、預けるにしても、
自分がしっかり関われる場所に置いておこう、と思いました。
そのころ自分はもう出歩けなくなっていたので、
メールでのやり取りで、お願いしました。
でも、やっぱり、今書いているみたいにも話せないままでした。
本当にその方にはご迷惑をかけてしまったのですが、
有難いことに、その方は快く送り出してくださいました。
その事に本当に感謝しています。
大切な方とは疎遠になってしまったけれど、
やっぱりそうして良かったと思っています。
今、ピアノのエリーゼちゃんはどこに居るかと言うと、
関東の妹の家で姪が大事に使ってくれています。
電子ピアノがあるので、最初は難しいといわれていたのですが、
姪っ子の方がどうしても本物のピアノがイイと望んでくれて。
おかげでエリーゼちゃんは新しいお家に行くことになりました。
可愛いピアノだと、とても喜んで弾いてくれているようです。
本当に善かったなと思います。
将来、もし彼女に必要でなくなったら、移送して実家に置いてもらう予定です。
当初からそうできれば、お友達にも嫌な思いさせずに済んだのですが、
私の実家も今の家ではなかったので置き場所がなくて。
でも、本当に両家のご家族には感謝しています。
おかげで今は私のテリトリーに在って「彼のピアノ」に戻すことが出来ました。
私が気安く居られる場所にあれば、彼のピアノとして、
彼も弾きたいときに遠慮せずに傍に行けると思うのです。
《相方さんの作った劇場》
《沢山のアンティークの建具が使われています》
遺品に対しては、いろんなご意見があると思います。
私も、死んだ人のものは早々に片づけた方がいいとか、
未練たらしいのは相手の為に良くないとか。
相方さんの死から一年半以上が過ぎました。
私も周りからいろんな事を言われますが
私はそれでも、大事なものは、手放せません。
どうしようもなく手放したものも、
今でも出来る事なら手元に戻したいくらいです。
でも、残りは手元にあると言っても、生活の中で使っているもの以外、
あとの多くは、写真などと同じように倉庫や押し入れなどの奥深くにしまわれています。
今はまだ、思い出が大きすぎて、まっすぐ見られないのですよね。
彼が買ってくれたカメラですら、ちびたちが生まれるまでは出せなかったくらいです。
荷物は劇場などの解体したものも含め、家3~4軒分くらいあったのですが、
相方さんのものを「売ってお金にする」という事は一切できませんでした。
まるで彼を切り売りするようで。
だから、どうしても手放さないといけないものは、寄付したり、
知ってる人、信頼できる人にのみ、もらってもらいました。
周りはなんてもったいないことを、と思ったかもしれません。
でも、どうしても売るのも、捨てるのも、嫌だったのです。
皆には要らなくなったら捨てないで、引き取らせてほしいとお願いしました。
要らなくなったら、引き取らせてくれる人なんて居ないのかもしれないけど。
それでも、今でも、壊れたら引き取らせてほしいなと思います。
彼が大事にしていたものには、彼が宿っているような気がするからです。
《深夜、一人で作業し続ける相方さん》
《出来上がったのはこのドア。ドアも建具も皆、彼の手作り》
《日本各地から心友たちが勝手に集まって来てくれて、手伝ってくれました》
《床板も壁板もザラザラに荒れた板を一枚一枚、削って磨いたものでした》
《その材木は解体時、出来るだけ残してありましたが》
《彼の帰天後は兵庫の木工アーティストの心友さんと》
《私の友人が新たな命を生み出すために受け止めてくれました》
《製作の途中、ぴーちゃんとひと休み中の相方さん》
《残った木切れだけで美しい飾り床を張ってくれました》
相方さんの物に対する想いや、在り方は本当に深かったんです。
使った材木も布も小さなかけらまで捨てずに愛して使う、そんな人だったから。
だから小さなものの一つまで、相方さんそのものの様な気がするんですよね。
だから、さすがに床は無理だったけど、彼の作ったドアなどは全部持ってきました。
いつか、どこかで使えたらいいなと思っています。
こうしていることが、良いか悪いかわからないけれど、
今はね、まだ大事にしていたいと思っているのです。
まだ、そこに見えるものがあるから。
それを捨てるつもりにはならないんです。
なんだか、こういう文章を書くたびに
過去形であることが悲しい気持ちになりますが
今はそんな自分で良いかなーと思っています。
天に帰られた方の魂が安らかでありますように。
地に残された人たちの魂が安らぎの中にありますように。
心から祈ります。