春です。あちこちで桜満開。人も笑顔。
今日は原宿で最後のボランティアでした。
階段もドアもぴかぴか。麗しくなりました。
ふと桜を見上げて平和だなあと思う。
こないだ、頭上をミサイルが飛んでいった。
おもわず無言になってしまう。
飛ばしてるのも、脅威に脅かされるのも、同じ人間。
動物や自然たちはそんな危ないものが自分たちの上に降りかかることをなにも知らない。
この行動はいったい誰の幸せに繋がっているのだろう。
さて、大家さんや友人から、「社長さんとはその後どうなったの?」と質問があったので経過報告。
一言でいえば~
「お茶を濁されています」(--)
今週まで待ってきちんとしたお返事がなければ告知どおり決行。
けど今回、いろいろな法律家さんや機関の方に教わったりして、いろいろな事を発見、経験。
起こっている事態の深刻さは別として、これもまた良い経験させてもらっているなあと。
だって訴訟と告訴の違いとか良くわかんなかったものねえ(^^;)
今回、訴えたい内容がいろいろとあり。調べた結果、告訴もありですね、と進められまして。
訴訟を起こす場合は裁判所に行くわけですが、告訴と言うのは簡単に言うとケーサツに事の見解と証拠を提出し犯罪であるかどうかの調査をしてもらって事を解決するようです。
つまり告訴が通るとお国が調査に乗り出すわけですな。
幾らあたしが物書きって言っても告訴状とか書くのも初めてだし~。
まあ出すにしても出さないで終わるにしても、こういう事をすること自体、あまりないことだと思うので、経験として貯蓄しておこうと思いますー。
そのうち芝居つくりのネタになるかもねえ。
今度、法律家の方にアドバイス受けながら、全く個人で強大な相手に訴訟で勝った経験のある友人が、ご自分の経験を元に刑事事件として告訴する為の細かい指南をしてくれるそうな~。
ある意味、その武勇伝をじっくり聞いてみたかったりして(^^;)
さて、まあセチからい世の事は置いといて~、
去年のわたしのテーマは「手をつなぐんだ、輪になるんだ」で御座いました。
そして今年のわたしのテーマは
「こころある暮らし」
心豊かにする為に何かをして暮らすのではありません。
ただ「こころある暮らしをしたいなあ」と思うんですよね。
皆様のこころある暮らしってどんな暮らしなんでしょう。
わたしの中には、自分流のこころある暮らしというカテゴリーがしっかりと存在しているんです。
それは私が生きていく上での生き方のベースにもなっているものです。
心ある暮らしの「心」は「愛」とも言い換えられると思います。
この心ある暮らしの先生となった人が二人おりまして。
(単純なので心の師ばっかり・笑)
一人はNHKの番組でも知られる「大草原の小さな家」シリーズの「キャロライン母さん」
もう一人は~、ハイ、当たり!「うちの母」です(マザコンですから・笑)
大草原の小さな家シリーズは開拓時代に生まれ育った作者のローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的な子供向けの小説。
開拓時代と言う、新しい文明と人の手によって生活がなされていた狭間の時期のアメリカの生活をいきいきと描き出した名作です。
幌馬車にゆられてアメリカを旅し、自分たちの生活を築いていくローラの家族。
家族の絆は深く、貧しくとも「家庭が天国であることがどんなに幸せか」を教えてくれます。
生活のあちこちに工夫を凝らし、家の中を素晴らしく創り上げていく様は目を見張るばかりです。
その中で、どんなときにもくじけず、常に工夫を凝らし、家族皆を笑顔に変えていくキャロライン母さんは素晴らしくカッコいいお母さん!
あ、ちなみにチャールズ父さんは素晴らしくカッコいいお父さんだったりします(^^)
お母さんや子ども達の為にあっという間にお家から何から作っちゃうお父さん。
うーむ、間違いなく理想のダーリン像(笑)
キャロラインお母さんの素晴らしいエピソードは作品の中にたくさん出てきますが、とくにキャロライン母さんはお料理がお上手。
まずい材料も母さんの手にかかれば、魔法のように美味しい一品になるのです。
キャロライン母さんはきれいなものが好きで、冬のミルクで作る脂肪分の少ない白っぽいバターににんじんの絞り汁で色をつけて、きれいな型で型抜きして食卓に出したりします。
まずいお肉を焼く時にベーコンをのっけて焼いて風味をつけたり、落ちてしまった青いかぼちゃの実でアップルパイもどきを作ったり。
吹雪で長い間、家に閉じ込められ、食べ物がなくなっても、種籾をコーヒーミルでひいてパンを焼いたり、明かりがなくなっても、ボタンと油でランプを作ったり。
それはそれは工夫いろいろ。
もちろん、今のように飽食の時代ではないから、あるものも、新しいものも楽しんで使うし、食べる。
そこに判断や理由はありません。
だから制限もない。けど過剰なことにもならない。
きっとそれは自然にバランスが取れてるからだと思うんです。
私もそうありたい。
もちろん、意味を持って何かにこだわることも素敵だけれど、
特に食に関しては、自由でいたいと思う今日この頃。
シュ○○ナー系(今更伏字^^;)の世界でよく目にしたのはマクロビ信奉(笑)
それはとても素敵なのだが、ある時、こういうシーンを目にした。
ある子どもがある子どものお弁当を覗いてこう言った。
「あー、お肉が入ってる。
うちのお母さん達が言ってたよ。
お肉やお魚を食べると身体に良くないし、生き物の痛みが伝わるんだって。
あたしも同じ生き物だから、お肉やお魚は食べないの。
○○ちゃんのうちのお母さんたちはそういうのが解らないの?
心が悪い人なんじゃない?」
他の子どもの話。
「先生、おれは美味しいものって食べたことないんだよね。
いつも味のないものばっかり。
親はそのものの味がするって言うけどさ、俺はわかんない。
早く家を出て働いて、美味しいものをたくさん食べたい」
絶句したんです。
幾ら理由あっても、こういう気持ちを育てる様な食卓にはしたくない、そんなご飯作りたくないと思う。
わたしはこんな経験が全くないんです。
母のお料理が飛びぬけて上手だったわけではないと思うが、彼女の食卓には家族の愛が溢れていたから、美味しかった。
貧しさもあったが、あるものを感謝して美味しく食べた。
私はそういう方が全然いい。
確かにそこには母の愛や信念があるんだろうが、一緒に食べる人に喜んでもらえないものしか作れないのは、その人の愛が行き渡ってない気がする。
だって~実家の食卓が悲しい思い出なんて、私には人生において悲劇だとしか思えない。
私はキャロライン母さんのように喜んでもらえるものを作りたい。
最近、本当にそう思う。
本を読んで居て思うのは、この家族の暮らしに一番大切な欠かせないものは「家族」だと思うのです。
その基本となる暮らしを大切にするこころが自然と生活を豊かにしているのでは無いでしょうか。
守りたい家族が居て、それを守ろうとするお父さんが居る、美味しいものを食べてもらいたいお母さんがいる、そしてそこに安心を感じる子ども達が居る。
いまの時代のように、わざわざ「心を豊かにしたいから何かをする」のではないんですよね。
何かをする時にすでにそこに「何かを愛するこころ」が存在しているんです。
それが豊かさを産んでいるんだなあ、と。
読み返すたびにそう思うのです。
うちの母はこの本をバイブルのように愛しておりましたが、同じように「こころある生活」をしておりました。
二人の母さんが教えてくれた事は何人にも、何物にも「愛情を持って生きる」という事です。
そうすれば必ずこころを持って喜び働ける毎日になるのだ、と。
ぜひ、リトルハウスシリーズ、ご覧ください。
この春のお勧めです(^^)
今日は原宿で最後のボランティアでした。
階段もドアもぴかぴか。麗しくなりました。
ふと桜を見上げて平和だなあと思う。
こないだ、頭上をミサイルが飛んでいった。
おもわず無言になってしまう。
飛ばしてるのも、脅威に脅かされるのも、同じ人間。
動物や自然たちはそんな危ないものが自分たちの上に降りかかることをなにも知らない。
この行動はいったい誰の幸せに繋がっているのだろう。
さて、大家さんや友人から、「社長さんとはその後どうなったの?」と質問があったので経過報告。
一言でいえば~
「お茶を濁されています」(--)
今週まで待ってきちんとしたお返事がなければ告知どおり決行。
けど今回、いろいろな法律家さんや機関の方に教わったりして、いろいろな事を発見、経験。
起こっている事態の深刻さは別として、これもまた良い経験させてもらっているなあと。
だって訴訟と告訴の違いとか良くわかんなかったものねえ(^^;)
今回、訴えたい内容がいろいろとあり。調べた結果、告訴もありですね、と進められまして。
訴訟を起こす場合は裁判所に行くわけですが、告訴と言うのは簡単に言うとケーサツに事の見解と証拠を提出し犯罪であるかどうかの調査をしてもらって事を解決するようです。
つまり告訴が通るとお国が調査に乗り出すわけですな。
幾らあたしが物書きって言っても告訴状とか書くのも初めてだし~。
まあ出すにしても出さないで終わるにしても、こういう事をすること自体、あまりないことだと思うので、経験として貯蓄しておこうと思いますー。
そのうち芝居つくりのネタになるかもねえ。
今度、法律家の方にアドバイス受けながら、全く個人で強大な相手に訴訟で勝った経験のある友人が、ご自分の経験を元に刑事事件として告訴する為の細かい指南をしてくれるそうな~。
ある意味、その武勇伝をじっくり聞いてみたかったりして(^^;)
さて、まあセチからい世の事は置いといて~、
去年のわたしのテーマは「手をつなぐんだ、輪になるんだ」で御座いました。
そして今年のわたしのテーマは
「こころある暮らし」
心豊かにする為に何かをして暮らすのではありません。
ただ「こころある暮らしをしたいなあ」と思うんですよね。
皆様のこころある暮らしってどんな暮らしなんでしょう。
わたしの中には、自分流のこころある暮らしというカテゴリーがしっかりと存在しているんです。
それは私が生きていく上での生き方のベースにもなっているものです。
心ある暮らしの「心」は「愛」とも言い換えられると思います。
この心ある暮らしの先生となった人が二人おりまして。
(単純なので心の師ばっかり・笑)
一人はNHKの番組でも知られる「大草原の小さな家」シリーズの「キャロライン母さん」
もう一人は~、ハイ、当たり!「うちの母」です(マザコンですから・笑)
大草原の小さな家シリーズは開拓時代に生まれ育った作者のローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的な子供向けの小説。
開拓時代と言う、新しい文明と人の手によって生活がなされていた狭間の時期のアメリカの生活をいきいきと描き出した名作です。
幌馬車にゆられてアメリカを旅し、自分たちの生活を築いていくローラの家族。
家族の絆は深く、貧しくとも「家庭が天国であることがどんなに幸せか」を教えてくれます。
生活のあちこちに工夫を凝らし、家の中を素晴らしく創り上げていく様は目を見張るばかりです。
その中で、どんなときにもくじけず、常に工夫を凝らし、家族皆を笑顔に変えていくキャロライン母さんは素晴らしくカッコいいお母さん!
あ、ちなみにチャールズ父さんは素晴らしくカッコいいお父さんだったりします(^^)
お母さんや子ども達の為にあっという間にお家から何から作っちゃうお父さん。
うーむ、間違いなく理想のダーリン像(笑)
キャロラインお母さんの素晴らしいエピソードは作品の中にたくさん出てきますが、とくにキャロライン母さんはお料理がお上手。
まずい材料も母さんの手にかかれば、魔法のように美味しい一品になるのです。
キャロライン母さんはきれいなものが好きで、冬のミルクで作る脂肪分の少ない白っぽいバターににんじんの絞り汁で色をつけて、きれいな型で型抜きして食卓に出したりします。
まずいお肉を焼く時にベーコンをのっけて焼いて風味をつけたり、落ちてしまった青いかぼちゃの実でアップルパイもどきを作ったり。
吹雪で長い間、家に閉じ込められ、食べ物がなくなっても、種籾をコーヒーミルでひいてパンを焼いたり、明かりがなくなっても、ボタンと油でランプを作ったり。
それはそれは工夫いろいろ。
もちろん、今のように飽食の時代ではないから、あるものも、新しいものも楽しんで使うし、食べる。
そこに判断や理由はありません。
だから制限もない。けど過剰なことにもならない。
きっとそれは自然にバランスが取れてるからだと思うんです。
私もそうありたい。
もちろん、意味を持って何かにこだわることも素敵だけれど、
特に食に関しては、自由でいたいと思う今日この頃。
シュ○○ナー系(今更伏字^^;)の世界でよく目にしたのはマクロビ信奉(笑)
それはとても素敵なのだが、ある時、こういうシーンを目にした。
ある子どもがある子どものお弁当を覗いてこう言った。
「あー、お肉が入ってる。
うちのお母さん達が言ってたよ。
お肉やお魚を食べると身体に良くないし、生き物の痛みが伝わるんだって。
あたしも同じ生き物だから、お肉やお魚は食べないの。
○○ちゃんのうちのお母さんたちはそういうのが解らないの?
心が悪い人なんじゃない?」
他の子どもの話。
「先生、おれは美味しいものって食べたことないんだよね。
いつも味のないものばっかり。
親はそのものの味がするって言うけどさ、俺はわかんない。
早く家を出て働いて、美味しいものをたくさん食べたい」
絶句したんです。
幾ら理由あっても、こういう気持ちを育てる様な食卓にはしたくない、そんなご飯作りたくないと思う。
わたしはこんな経験が全くないんです。
母のお料理が飛びぬけて上手だったわけではないと思うが、彼女の食卓には家族の愛が溢れていたから、美味しかった。
貧しさもあったが、あるものを感謝して美味しく食べた。
私はそういう方が全然いい。
確かにそこには母の愛や信念があるんだろうが、一緒に食べる人に喜んでもらえないものしか作れないのは、その人の愛が行き渡ってない気がする。
だって~実家の食卓が悲しい思い出なんて、私には人生において悲劇だとしか思えない。
私はキャロライン母さんのように喜んでもらえるものを作りたい。
最近、本当にそう思う。
本を読んで居て思うのは、この家族の暮らしに一番大切な欠かせないものは「家族」だと思うのです。
その基本となる暮らしを大切にするこころが自然と生活を豊かにしているのでは無いでしょうか。
守りたい家族が居て、それを守ろうとするお父さんが居る、美味しいものを食べてもらいたいお母さんがいる、そしてそこに安心を感じる子ども達が居る。
いまの時代のように、わざわざ「心を豊かにしたいから何かをする」のではないんですよね。
何かをする時にすでにそこに「何かを愛するこころ」が存在しているんです。
それが豊かさを産んでいるんだなあ、と。
読み返すたびにそう思うのです。
うちの母はこの本をバイブルのように愛しておりましたが、同じように「こころある生活」をしておりました。
二人の母さんが教えてくれた事は何人にも、何物にも「愛情を持って生きる」という事です。
そうすれば必ずこころを持って喜び働ける毎日になるのだ、と。
ぜひ、リトルハウスシリーズ、ご覧ください。
この春のお勧めです(^^)
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