KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ぴーちゃん、ありがとう

2018-01-03 | ぴーちゃん

《在りし日のぴーちゃん 満面の笑顔です》


ぴーちゃんを愛して下さった皆様

お正月の三箇日、御めでたい中、お眼汚ししてしまいます事お許しください。

昨日、1月2日午後、ぴーちゃんのお式を無事に終えました。
大晦日よりおめでたい最中に、共に嘆き悲しみ、また、希望あるあたたかなお言葉、お祈り、等々で、私とぴーちゃんに寄り添ってくださった皆さま、本当にありがとうございましたm(_ _)m

とても素晴らしい施設に巡り会う事ができまして、ぴーちゃんが鹿児島に来てから7年間
、毎日眺め、時には渡り登った桜島と錦江湾を見渡す、大自然の中、午後の時間をいっぱい使って、ぴーちゃんのためだけにお式をして頂きました。
私たち人間と何ら変わらないお式でした。



父と、東京、鹿児島とぴーちゃんと長く共に暮らしてくれたカンナさん、わんこ全員が同席してくれて、お別れも言葉掛けもたくさんしてくれました。



良く生ききった!偉かった!と父とカンナさんがたくさん褒めてくれました。

火葬式の際、一人で炉に入っていくぴーちゃんを見て、偉いな、この子はこんなに小さいのに、ちゃんと一人で行くんだな、新しい世界に生まれ変わるんだな、と思いましたら、それまでの重さ悲しさ辛さが、また違うものに変わりました。
共に生まれ変わらせて頂いたような、そんな感じです。

ぴーちゃんは最後、神様がお許しくださり、ありがたい事に腕の中で看取ることができました。
亡くなってからも、本当にただ眠っているようで、とても穏やかな顔でした。



お骨になってからもあんまりにも可愛くてびっくりでした。
カンナさんが、ぴーちゃんは生まれてから死んでまでフォトジェニックだった、と。

またぴーちゃんはその老いる過程の中で、私に大切なことをたくさん教えてくれました。また死を通して、遺された小さい子達とどう向き合って行くべきか、愛を注ぐべきか、教えてくれました。深く感謝しています。

とは言え、ぴーちゃんは私にとって、本当に本当に特別なパートナーであり、家族であり、子どもだったので、多分、まだ何年かは悲しみも癒えず元気のない時もあるかもしれません。
けれど、中身はぴーちゃんの魂のと共に生ききらねば、と心新たにしておりますのでご安心くださいませ。



ぴーちゃんのカラダは見えなくなり、皆さまとまた別の場所で遊んで頂ける日まで、しばしの休息にはいりますが、魂はこれからも私の中で共に生きて参りますので、ブログや色んなところで姿を現すと思います。
今後とも私共々、何卒宜しくお願い致します
m(_ _)m

本当にたくさんの御心をお寄せいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

米澤惠






ぴーちゃん(すみれちゃん)へ

ぴーちゃん、ねえちゃんだよ。
ぴーちゃんはもう兄ちゃんたちに会えたかな?
楽しく過ごしてる?さみしくないかな?
もう、苦しくない?大丈夫かな?






ぴーちゃんがお空にいって、三日も経っちゃったよ。
ぴーちゃんとこんなに離れてたことは一度もなかったからね、ねえちゃんはとってもさみしいよ。



ぴーちゃんはおぼえてるかなあ。
ぴーちゃんと初めてあった時ね、ぴーちゃんは他の人には何にも反応しなかったのに、お父さんとねえちゃんだけには寄って来てくれて、おいでおいでしてくれたね。

あの時、ぴーちゃんは300gしかなくてね、この子は育たないと思いますからお渡しできません、って言われてね、それでもいいんです、うちの子なんですから、ってお父さんがお家に連れてきたんだよ。
それからすみれちゃんになったんだよね。
2000年の春の事でした。



それから、ねえちゃんとすーちゃんはずーっと仲良しだったね。
どんな時も一緒だったね。

お父さんがお空にいった時、心優しいぴーちゃんはブラックマスクのお顔だったのに、数日で真っ白になったのだったね。
ねえちゃんはね、あの時、ぴーちゃんとはお別れだと思っていたんだよ。
お姉ちゃんは外国に行くつもりだったからね。
でも、ママがぴーちゃんの死んで行くのを見られない、耐えられない、って言ったからね、おねえちゃんは全部捨てて、ぴーちゃんと暮らすことを決めたのです。
決めるのに3秒もかからなかった。
皆は馬鹿だっていったけど、自分の人生より、ずっとずっとぴーちゃんが大事だったんだよ。

それからは鹿児島に帰った時も、北海道にいった時も、東京に戻った時も、ずっとずっと一緒にいたね。
ねえちゃんはね、ぴーちゃんのためだけに生きていました。
ぴーちゃんが居たから、生きてこられたんだよ。
ぜんぶぴーちゃんのおかげなの。



ムーサでも、伊達でも、鹿児島でも、何処に行っても、ぴーちゃんは可愛くてお利口さんで、みんなに本当に可愛がって貰ったね。
オードリーやともちゃんともお友達になったね。
そして、ぴーちゃんはそれ以上に、魂からみんなのことを愛してくれました。

東京でリッキーとシェアハウスにいる頃、ぴーちゃんは大きな病気があるのが分かったんだよね。
あの時、1時間遅れてたら、ぴーちゃんはもう居なかったそうです。
小さい時から病気がちなぴーちゃん、本当に良く頑張ってくれました。



それから、お兄ちゃんと会って、すみれちゃんはぴーちゃんになったんだよね。
ホメオパシーのお薬で病気もすっかり良くなって、毛もふさふさになってね。
可愛かったけど、もっともっと美人のわんちゃんになりました。



それからは、ずっとずっと自由になって、兄ちゃんと一緒にたくさんお散歩もして、車に乗って、北海道までお船にも乗ったし、毎週毎週、ぴーちゃんのお散歩ができる場所を探して、箱根や御殿場や那須や鬼怒川や新潟、北から南までいろんな所にいったね。
長野の大好きなまりちゃんのところにも何回も行ったね。

原宿の劇場を作った時は、3ヶ月も材木の中で一緒に寝泊りして、頑張ったよね。
そこに大好きなカンナちゃんやみんなも来てくれてね、嬉しかったね。

それから、また兄ちゃんがお空に逝ってしまって、二人きりになったところに妹のピピちゃんが来てくれてね。
ぴーちゃんは最初はおっかなびっくりだったけど、すぐにピピちゃんの優しい良いお姉ちゃんになってくれました。
そして、仲良しの大ちゃんに乗せてもらって、カンナちゃんと鹿児島に来たんだよね。



ぴーちゃんはすぐ、マロちゃんママやにいちゃん、じいちゃんと一番の仲良しになって、また車に乗せてもらえる様になって大喜びだったよね。
いつも、ぴーちゃんのお席は、助手席の足元。
クッションを敷いて特等席でした。
7年間、大好きなじいちゃんのお隣がぴーちゃんのお席だったね。



鹿児島に帰ってきてからも、大きな病気をして、手術してね。偉かったよね。
あの時もあと少し遅れていたら、ぴーちゃんはいなくなってたそうだよ。
小さい頃からカラダが弱くて、何度も何度も厳しい山を越えて、ぴーちゃんはねえちゃんの隣に居てくれました。

14歳の終わりごろから、お耳が遠くなって、15歳の春にお山のぴーちゃんの本当のお家に来たんだよね。それからお目目が痛くなって、だんだん見えなくなって。
大好きだったお散歩もたくさん歩けなくなりました。



そして、去年の夏に、ぴーちゃんがもう、いつ天使になってもおかしくない、と言われたのです。
ねえちゃんは信じたく無かったよ。
ぴーちゃんとずっとずっと居たかったから。
だから、とってもかなしかった。

それから、ぴーちゃんは急におばあちゃんになっていってね。
それでもねえちゃんは、ぴーちゃんは今度のお誕生日まで元気で居てくれると思ってたの。



クリスマス、たくさんケーキたべたね。
カンナちゃんもきて、ピピちゃんと兄ちゃんのパーティしたね。楽しかったね。

それから、それから、ぴーちゃんは今年の一番最後の日に、急にねえちゃんの手の中から居なくなってしまいました。



ねえちゃんは本当に悲しかった。
助けてあげたかったけど、だめでした。
不甲斐ないねえちゃんを許してね。
それでも、ぴーちゃんは最後まで、ねえちゃんを守ろうとしてくれたね。
すごく偉かったよ!本当に偉かった。

今も悲しくてさみしい。
ぴーちゃんが居ないのは、本当にさみしいよ。
ねえちゃんはもう死んじゃうんじゃないかな?って思うくらい悲しいです。

昨日はぴーちゃんのカラダとお別れをしました。
最後に2回もじいちゃんがドライブしてくれたね。
カンナちゃんもいて、全員で楽しかった?
最後までにきやかだったね。
ぴーねえちゃん、いつも踏まれたりしてね。
ご苦労様でした。

それから、お式をして。
じいちゃんもカンナちゃんもお見送りしてくれたよ。わかった?

ぴーちゃん、本当に偉かったね。
一人でちゃんといけたんだもの。
ねえちゃん、感心しちゃったよ。
さすがぴーちゃんはみんなのお姉ちゃんだなって思ったよ。



ぴーちゃん、ねえちゃんはぴーちゃんが大好きです。
いまも、これからもずーっと大好きだよ。
きっと、そこは幸せいっぱいで、兄ちゃんたちも居るから寂しくないと思うけど…。
時々、ねえちゃんが恋しくなったら、何時でもおいでね。ねえちゃんは何時でもここにいるからね。
昔も今もお膝はぴーちゃんの場所だよ。
ずーっとそうだよ。

ぴーちゃん、お家の中はまだまだぴーちゃんの為のお部屋です。
ぴーちゃんのお水スポイトも、シートも、敷物も、全部ぜんぶあるのに、ぴーちゃんだけが足りないのよ。
ぴーちゃん、ちっちゃいからさ、すぐ見えなくなるから、心配で心配で。
ねえちゃんは今でもすぐ探しちゃうよ。

ねえちゃん、根性なしだからさ、一度片付けしたけど、もうあきらめて、ぴーちゃんのベッド戻しちゃったよ。
だけど、みんなも、ぴーねえちゃんの場所だから、なかなかねんねしてくれないのよ。
だから何時でもまたねんねんしてね?

もう、ぴーちゃんの為にお掃除することも、ご飯を柔らかくすることも、お薬を買うことも、何もかも無くなるんだね。うそみたい。うそならいいのにな。
大変なのが幸せだって、またぴーちゃんに教えてもらいました。

ぴーちゃんと居て、ねえちゃんは教えて貰ってばっかりでした。賢くて、可愛くて。
ぴーちゃんは小さかったけど、中身は本当に大きな愛でいっぱいだったね。
今でも本当にお利口さんの自慢の妹です!

ぴーちゃん、また会ってくれるかな?
ねえちゃん、残り、頑張るからさ。
ねえちゃんがそっちに行く時にお迎えにきてくれるかな?
そうだったらいいなぁ。
そうしたら、もう1回、ふわふわの巻き毛で、ふさふさのしっぽをフリフリして笑う、あの可愛いぴーちゃんを抱きしめられる?



ぴーちゃん、大好きだよ。
ずーっとずーっと、ねえちゃんは死んだってぴーちゃんが好きだよ。
会いたいな。
また会いたいよ。

ぴーちゃん、そっちで幸せでいてね。
ちゃんと兄ちゃんたちと一緒に居るんだよ。
光のあるほうに行くんだよ。
そして、ねえちゃんが行くまで、もうちょっとだけ待っててね。
あんなにたくさん待たせて、また待たしてしまうけど。
それまで、ねえちゃんの中で一緒に生きようね。

ありがとう、ぴーちゃん。
たくさん我慢して、それでもねえちゃんを愛し続けてくれたぴーちゃん。
だいすきだよ。

ぴーちゃんはさよならが嫌いだったね。
ねえちゃんも嫌いです。
だからね、さよならじゃないんだよ?
またね。だよ。
ホンの、ほんの少しのあいだだけ、
またね、ぴーちゃん。




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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-01-31 09:37:50
なんとも言葉がみつかりません。
いつもこっそり更新されるのを楽しみにしていました。
実はまだ赤ちゃんのすみれちゃんに会ったことがあります。祐木さんが某劇場の楽屋に連れていらしてて抱っこまでさせてもらいました。手のひらにのるぐらい小さなかわいい女の子、わたしも2000年生まれのチワワを迎えたばかりだったので、すごく話が盛り上がったのをいまでも覚えています。
どうか安らかに。
きっとまた、会えますね。
突然のコメント失礼しました。
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Re:Unknownさま (raye-angel)
2018-03-04 10:19:20
長い間、パソコンの不調でサイトに来ることが出来ず、お返事が遅くなりましたm(_ _)m
優しいお気持ち、ありがとうございます✨
お陰様で元気に過ごしておりますm(_ _)m
残された子達に生かされる日々です。
そうでしたか!チビさんの頃に…。
では、あそこでお会いしたのですね?(笑)
懐かしく嬉しいです。ありがとうございます✨
奇しくもあと数日で鎧くんの命日。
鎧ちゃんもすみれちゃんを抱っこしつつ喜んでいることかと…。
病があり、なかなか更新できませんが、こっそり更新されました時にはまた遊びにいらしてくださいね。
どうぞお元気でお過ごしください!
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