ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

土居健郎『「甘え」の思想』1995・弘文堂-悲しみをこころから悲しむことの大切さ

2024年09月11日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     * 

 このところ、土居健郎さんの精神分析の専門書ではなくて、一般読者向けの本を読み返していたのですが、いろいろなことを考えさせられました。

 有名な『「甘え」の構造』(1971・弘文堂)や『「甘え」雑稿』(1975・弘文堂)、『表と裏』(1985・弘文堂)、そして、本書などを読みました。

 それらの本の中で、例えば、「甘え」と「うらみ」、「ねたみ」などの関係が述べられていたり、また、秘密と自立の関係などの問題が考察されたりして、臨床的に重要な問題が提起されているように思いました。

 本書の中では、じーじは、さらに、ここのところ気になっている、悲しみをこころから悲しむこと、についてより深く考えさせられました。

 土居さんは、悲しみについて、悲しいのは愛するものを失うからだ、といいきります。

 そして、愛するものを失って悲しむ人はこころを病まないが、愛するものを失っても悲しめない人はこころを病むおそれが強い、といいます。

 さらに、「うらみ」や「悔み」が強い場合に、悲しむことができない、と指摘します。

 つまり、愛するものを失っても、なんらかの理由で、「うらみ」や「悔み」が強い時に、こころから悲しむことができずに、こころを病むおそれがある、ということだと思います。

 これらのことを考えていて、悲しみをこころから悲しむことというのは、本当に大切なことなのだなと、あらためて思いました。

 悲しみをこころから悲しみ、喜びをこころから喜び、楽しみをこころから楽しめるような、そんなこころの大きな人間になりたいな、とつくづく思いました。      (2015?記)

     *

 2020年12月の追記です

 別れの悲しみをこころから悲しむということは、精神分析でいう「喪」の作業です。

 考えてみれば、人生は出会いと別れの連続なわけで、別れを認められないとこころはたいへんなことになります。

 人生に不可欠な別れをこころから悲しみ、納得をすることがこころの成熟に大切なようです。      (2020.12 記)

     *

 2024年1月の追記です

 何度も繰り返しになりますが、諦める、という言葉は、仏教用語で、夏目漱石さんも指摘するように、明らかに見る、という意味がありますので、決して消極的な意味ではなく、人生への肯定的な意味あいがあることを確認したいと思います。       (2024.1 記)

 

コメント (2)

原田マハ『キネマの神様』2011・文春文庫-映画批評を通じて結びつく二人の老人の友情を描く

2024年09月11日 | 小説を読む

 2020年7月のブログです

     *

 原田マハさんの『キネマの神様』(2011・文春文庫)を読みました。

 これも旭川の本屋さんで見つけたもの。

 このところ、マハさんの小説にはまっています。

 この小説を読み終えて、すぐに図書館でパソコンに向かったのですが、涙を流した気持ちを言葉にするのは、なかなか難しいです。

 主人公は大企業をやめた39歳の女性なのですが、本当の主人公はブログの映画批評を通じて結びついた日米の二人の老人。

 日本の老人の温かめの批評に対し、米国の老人はやや冷酷な批評。

 両者、なかなか対比的です。

 それぞれに背景があってのことなのですが、しかしながら、二人の批評はだんだんと二人を結びつけていきます。

 あらすじを書かずに、感動のいきさつを記すのが、じーじの文章力ではなかなか難しいのですが、文章は人をむずびつけてくれるのだな、という素朴な感想を抱きます。

 文章のちからをどちらかというと信じているじーじですが、本当にそう思います。

 じーじが拙いブログを書くのも、そういうちからを感じたいがためなのかもしれません。

 もっとも、昨今のSNSでの誹謗・中傷のように、文章には怖い側面もあります。

 できることなら、そうではなく、たとえ、厳しくとも、いい文章、意味のある文章を書いていきたいものですが…。

 なお、蛇足ですが、文庫本の表紙には志村けんさんの写真が…。

 本作は志村さん主演で映画化が予定されていましたが、残念ながら志村さんはコロナで亡くなられました。

 しかし、山田洋次監督のこと、きっといい映画ができあがることでしょう。       (2020.7 記)

   

コメント