ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年09月13日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2012年ころのブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。      (2012?記)

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 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

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柚月裕子『慈雨』2019・集英社文庫-元刑事の組織と個人との軋轢を熱く描く

2024年09月13日 | 小説を読む

 2020年7月のブログです

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 柚月裕子さんの『慈雨』(2019・集英社文庫)を読みました。

 すごい小説です。

 組織と個人の問題。

 それをとても熱く、しかし、重く、描きます。

 主人公は元刑事。

 組織と個人の問題を抱えています。

 あらすじは、例によって、あまり詳しくは書きませんが、新たな事件の発生で、主人公は自分の過去の妥協に直面することになります。

 しかし、思いを同じにする仲間の存在で、やはり真実に向き合うことになります。

 仲間や家族の存在の大きさを考えさせられます。

 じーじは、この小説を読んで、自分がいかにわがままか、思い知らされました。

 いい小説です。

 思えば、組織と個人の問題は、学生時代からのじーじの大きなテーマ。

 ファシズムや全体主義と民主主義の問題、国家と国民の問題、会社と社員の問題、そして、地域と住民の問題など、今も拙い思索は続きます。

 子どもを戦場に送らないため、そして、孫を戦場に送らないため、じーじにでもできることはしなければなりません。

 深くて、難しいテーマですが、考え続けていこうと思います。      (2020.7 記)

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 2023年秋の追記です

 組織と個人の問題、端的に出てしまったのが、最近では森友学園問題でしょう。

 誰が誰のために、どう指示したのか。わからないままに、自殺者が出てしまう。それでも真相はわからない。裁判でもわからない。

 そして、疑惑の政治家を自民党政府は国葬としてしまう。ひどいもんです。       (2023.9 記)

 

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