たぶん2016年のブログです
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土居健郎さんの『甘え・病い・信仰』(2001・創文社)を再読しました。
おそらく10年ぶりくらいだと思います。
ずいぶんとご無沙汰してしまいました(土居さん、ごめんなさい)。
今回読んでみてよかったのは、「甘え」と「うらみ」と「ねたみ」の関係がとてもよく理解できたことです(今ごろになってわかったのか、とあきれられそうですが…)。
「うらみ」はじーじがずっと気になっているテーマの一つなのです。
土居さんによれば、「甘え」が十分に満たされないと「うらみ」になるということで、「うらみ」のほかに、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」などという感情も「うらみ」に近いものだ、といいます。
そして、これは、「甘え」が満たされない状態ではあるものの、いずれも「甘える」と「甘えられない」ということの間のどこかには位置するもののようです。
一方、「ねたみ」ということは、「甘え」が全然ない状態で、憎しみだけでいっぱいの状態だと説明されます。
こうなると「甘え」が通じにくく、その感情の解消にはかなりの心的作業を要することになりそうです。
じーじなどは「うらみ」だけでもかなりてこずっていますが、さらに「ねたみ」という強敵がいることはまだまだ十分にはわかっていませんでした。
いずれ、「ねたみ」の人との出会いもあるのだろうと思います(じつはもう会っているのかもしれませんが、気づけないでいるだけなのかもしれません)。
少しでもいい援助ができるよう、今後も、さらに勉強を続けていきたいと思います。 (2016? 記)
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2020年12月の追記です
じーじが家裁調査官になった時、指導官のお一人だった山野保さんが、部屋のみなさんと一緒に「うらみ」の研究に取り組んでいらっしゃって、とても活発な議論がなされていたのを思い出します。
新米だったじーじには、当時は、何が何だかわからない状態でしたが、貴重な思い出です。
理論や研究は、やはり目の前の仕事にていねいに取り組むところから始まることを教わった気がします。 (2020. 12 記)