こんばんは~。そうだいです。いやぁ~、今日は天気わるかったですね、うちの町は! 完全に台風14号の影響でございます。もう朝から日が暮れるまで、雨と風がビュンビュン!
でもなんか、もう台風じゃなくなっちゃったんですかね? 日がかわる直前の今ごろ、外はかなり静かになっています。明日は晴れるといいなぁ。
わたくしごとですが、最近、休日の過ごし方をどうしようかと考えています。
先日にも言ったのですが、大学を卒業して以来ず~っと続けていた劇団の役者をやめて、私の生活サイクルはけっこう変わりました。今まで稽古に使われていた時間が基本的にあいたんですね。
実は今日の30日が、役者としての最後の舞台が終わって以来初めての、働いていたり用事があったりすることの全然ない丸1日オフの日でした。24時間、いったいなにすればいいんだ!?
さっきから言っているように今日は絵に描いたような台風日だったため、特に外出してどこかに行くという選択肢はなかったんですが、私はオフの時間には、どこかに行きたくなるんだよなぁ! 家にいてもTVさえねぇし。
ただ、今は私の財政事情が未曾有のすかんぴんwalk状態になっておりまして……とにかく今は、来月の給料日までは死ねないという執念で生きております。かせげかせげ~!
さて、時間と経済状況に余裕ができた時にどこに行くんだ?という話になってくるんですが、私には大いなる野望があるんですよ、野望が!
突然ながらわたくしそうだいは、「いつかは必ず行ってみたい!」と思っている日本国内の城(か城跡)が、全部で402ヶ所あります。
これは私が、戦国時代に限定してなんらかの重大事件にかかわったという条件でリストアップしたお城の総数です。ある説によると、最盛期には全国あわせておよそ5万あったともいわれる城のうちの402ヶ所なんですから、これは厳選に厳選をかさねた上でのラインナップですよ!
私はこれまで、この『長岡京エイリアン』でやたら世界史(のごくせまいところ)のことばかり語ってきたのですが、ほんっとに私が好きなのは日本史なんです! ほんと大好き。
日本の歴史ならどの時代でも好きなんですが、私が特に好き時代は室町時代です。あの、はっきりした「英雄」みたいな存在があんまりなく、でも変革するエネルギーだけはグツグツ沸騰していたという感じが最高ですね。
ただ、小説やドラマなどのフィクションが山ほど出ているということもあって、やっぱり戦国時代と江戸時代の幕末はハズせませんやね!
幕末の話はまた次回にすることにして、今回にもからんでくる戦国時代に私が本格的に興味を持ち始めたきっかけは、はずかしながらTVゲームの『信長の野望』シリーズでした。ベタでしょ~!?
私が『信長の野望』にハマったのは大学時代の2000年前後のことです。ああ、もう15年前のことになるんだ……
その時、所属していた演劇サークルの部室にファミコンがあって、実家でもあんまりゲームをやったことのなかった私は、そこではじめてファミコンの楽しさを知ることとなったのです。他の人に迷惑がかからなかったら、徹夜でやりこむこともできたんだから。もう夢の空間ですよ。
そうしてハマったのが『仮面ライダー倶楽部』(いつかじっくり語りたい!)と『信長の野望 武将風雲録』だったわけなんですが、プレイしてはじめて全国統一を果たした時の感動といったら……!
私は足利義昭で全国統一したのですが、夜明けの部室の中で、室町幕府の再建という偉業を成し遂げた感動にうちふるえていました。そしてコンビニの早朝アルバイトに行くという日常にもどるわけです。
ともあれ、それ以来、パソコン用ソフトで発売されている歴代『信長の野望』を買いあさって、今に至るまでいくどとなくさまざまな武将で天下統一を果たしてきたんですが、そうやっているうちに、ゲームの中に出てくる登場人物や合戦の舞台となるお城に興味がわいてくるのも自然ななりゆきってやつですよね。
気がついたら、ゲームを楽しむことと同じかそれ以上に、大学や町の図書館に通いつめて戦国時代の歴史を調べていくことに没頭するようになっていたのです。普通の大学の勉強は?
そうした自分の中での行き場のない勉学の末に、めでたく2~3年前に完成したのが「全国の行きたい城リスト402」だったわけなんです。よかったよかった。
これですよ! こつこつためたお金と時間ができた時にやることは。ゲームや再現ドラマでは味わえない感動が、戦国時代からおよそ4~500年たった今でも現地には残っているはずなんだ、たぶん!
という決意をあらためて心にきざんだ次第なんですが、まぁ……今のところは、資金をちゃんとためなきゃね、資金を。
ところで、実は今の時点で、402ヶ所のうち2~3すでに探訪を終えているお城(跡)があるんです。
今回はその中から、2年前の春先に行った、そうだい402城制覇プロジェクトの記念すべき第1弾のリポートを復活させていただきたいと思います。これは当時、劇団のホームページ内の劇団員ブログでも語ったことのある内容なんですが、もろもろ補足などもあわせて、あらためて完全版としてお送りします。
時は、2008年3月。
先日、時間があいて天気も良かったので、身近に自転車で気軽に行けるお城はないものかとリストを眺めてみたところ、なかなかいい物件があったのでさっそく行ってみることにしました。
その名は、「小弓(おゆみ)城」! ご存じですか!? ご存じない!
場所は千葉県千葉市中央区南生実(みなみおゆみ)町。千葉県の内陸北部、千葉市の南端に位置する土地です。千葉市の地図を見てみると、JR千葉駅からは南へ5~6キロといったところ。
「行ったことはないけど、2~3時間もあれば自転車でラクにたどりつけるんじゃないの?」
果たして、現在でも良好な状態で城跡が残っているのかどうかというところが不安でしたが、春の陽気もあってか私の心ははじめての探訪プロジェクト決行に躍っていました。
その小弓城というお城は、少なくとも戦国時代前半のある時期には、関東地方における激しい戦乱の中心となる重要なポイントになっていました。
小弓城を拠点として、足利義明(よしあき 1480年代?~1538年)という人物が小弓公方(くぼう)と自称して活躍していた時期がそれにあたります。
この足利義明は、織田信長などをあつかった大河ドラマによく出てくる、室町幕府最後の将軍・足利義昭(竹中直人が主演の『秀吉』での玉置浩二さんが演じた足利義昭は最高でした)とは、まったくの別人です。
血のつながりも京都の足利将軍家からかなり遠く離れていた義明さんだったのですが、地理的にも遠く離れた関東地方・下総国の小弓城で、「わしは小弓公方だ。」と近隣諸国に号令していたのです。
「公方」とは、時代は違いますが江戸時代の将軍・徳川綱吉のことを当時の人々が「犬公方」とかげでののしっていた例でもわかるように、だいたい「将軍」と同じ意味の言葉です。まがりなりにもまだ京に将軍がいた時代に、なぜ関東にも「将軍」が?
日本史の授業で勉強したことをおぼえている人もいるかと思いますが、室町幕府という政治組織は、京の将軍とは別に、鎌倉時代の昔から「武家発祥の地」として大切な地域だとされていた関東地方を支配する関東公方(別名・鎌倉公方)というポストをもうけていました。
簡単に言えば、室町時代とは、関東をおさめる関東公方と、それ以外の全国をおさめる京の将軍の、2人の将軍が常に並立した時代だったのです。基本的に仲は良くありません。
そして話を戦国時代前期の関東にもどすと、かろうじて関東公方の家名は残っていたものの、肝心の権力は、その公方様をお守りするという名目で強引に自分の領内に軟禁していた関東の覇者、北条家のものとなってしまっていたのです。う~ん、まさに下克上の戦国時代!
「関東公方様の命令なんで、攻めさせていただきます。」という大義により、着々と関東地方の制覇を進めていく北条家。このままでは房総半島も風前のともしびだ!
そんな時に、対北条家の最前線たる下総国(現在の千葉県北部)で堂々と反旗をかかげたのが、誰あろう、「小弓公方」こと足利義明だったのです。彼は、その時期に北条家の勢力下で名前だけの関東公方(当時の別名は古河公方)におさまっていた人物の叔父でした。
いや~、こりゃスゴい。たいした勇気だわ。
なんてったってあの、天下にその名をとどろかす名城・小田原城にケンカを売ったお方の居城なんですから! そりゃ期待に胸もふくらみますよね!
さぁ、その小弓城にレッツラゴー!! ということだったのですが…… (続いてしまいます。)
でもなんか、もう台風じゃなくなっちゃったんですかね? 日がかわる直前の今ごろ、外はかなり静かになっています。明日は晴れるといいなぁ。
わたくしごとですが、最近、休日の過ごし方をどうしようかと考えています。
先日にも言ったのですが、大学を卒業して以来ず~っと続けていた劇団の役者をやめて、私の生活サイクルはけっこう変わりました。今まで稽古に使われていた時間が基本的にあいたんですね。
実は今日の30日が、役者としての最後の舞台が終わって以来初めての、働いていたり用事があったりすることの全然ない丸1日オフの日でした。24時間、いったいなにすればいいんだ!?
さっきから言っているように今日は絵に描いたような台風日だったため、特に外出してどこかに行くという選択肢はなかったんですが、私はオフの時間には、どこかに行きたくなるんだよなぁ! 家にいてもTVさえねぇし。
ただ、今は私の財政事情が未曾有のすかんぴんwalk状態になっておりまして……とにかく今は、来月の給料日までは死ねないという執念で生きております。かせげかせげ~!
さて、時間と経済状況に余裕ができた時にどこに行くんだ?という話になってくるんですが、私には大いなる野望があるんですよ、野望が!
突然ながらわたくしそうだいは、「いつかは必ず行ってみたい!」と思っている日本国内の城(か城跡)が、全部で402ヶ所あります。
これは私が、戦国時代に限定してなんらかの重大事件にかかわったという条件でリストアップしたお城の総数です。ある説によると、最盛期には全国あわせておよそ5万あったともいわれる城のうちの402ヶ所なんですから、これは厳選に厳選をかさねた上でのラインナップですよ!
私はこれまで、この『長岡京エイリアン』でやたら世界史(のごくせまいところ)のことばかり語ってきたのですが、ほんっとに私が好きなのは日本史なんです! ほんと大好き。
日本の歴史ならどの時代でも好きなんですが、私が特に好き時代は室町時代です。あの、はっきりした「英雄」みたいな存在があんまりなく、でも変革するエネルギーだけはグツグツ沸騰していたという感じが最高ですね。
ただ、小説やドラマなどのフィクションが山ほど出ているということもあって、やっぱり戦国時代と江戸時代の幕末はハズせませんやね!
幕末の話はまた次回にすることにして、今回にもからんでくる戦国時代に私が本格的に興味を持ち始めたきっかけは、はずかしながらTVゲームの『信長の野望』シリーズでした。ベタでしょ~!?
私が『信長の野望』にハマったのは大学時代の2000年前後のことです。ああ、もう15年前のことになるんだ……
その時、所属していた演劇サークルの部室にファミコンがあって、実家でもあんまりゲームをやったことのなかった私は、そこではじめてファミコンの楽しさを知ることとなったのです。他の人に迷惑がかからなかったら、徹夜でやりこむこともできたんだから。もう夢の空間ですよ。
そうしてハマったのが『仮面ライダー倶楽部』(いつかじっくり語りたい!)と『信長の野望 武将風雲録』だったわけなんですが、プレイしてはじめて全国統一を果たした時の感動といったら……!
私は足利義昭で全国統一したのですが、夜明けの部室の中で、室町幕府の再建という偉業を成し遂げた感動にうちふるえていました。そしてコンビニの早朝アルバイトに行くという日常にもどるわけです。
ともあれ、それ以来、パソコン用ソフトで発売されている歴代『信長の野望』を買いあさって、今に至るまでいくどとなくさまざまな武将で天下統一を果たしてきたんですが、そうやっているうちに、ゲームの中に出てくる登場人物や合戦の舞台となるお城に興味がわいてくるのも自然ななりゆきってやつですよね。
気がついたら、ゲームを楽しむことと同じかそれ以上に、大学や町の図書館に通いつめて戦国時代の歴史を調べていくことに没頭するようになっていたのです。普通の大学の勉強は?
そうした自分の中での行き場のない勉学の末に、めでたく2~3年前に完成したのが「全国の行きたい城リスト402」だったわけなんです。よかったよかった。
これですよ! こつこつためたお金と時間ができた時にやることは。ゲームや再現ドラマでは味わえない感動が、戦国時代からおよそ4~500年たった今でも現地には残っているはずなんだ、たぶん!
という決意をあらためて心にきざんだ次第なんですが、まぁ……今のところは、資金をちゃんとためなきゃね、資金を。
ところで、実は今の時点で、402ヶ所のうち2~3すでに探訪を終えているお城(跡)があるんです。
今回はその中から、2年前の春先に行った、そうだい402城制覇プロジェクトの記念すべき第1弾のリポートを復活させていただきたいと思います。これは当時、劇団のホームページ内の劇団員ブログでも語ったことのある内容なんですが、もろもろ補足などもあわせて、あらためて完全版としてお送りします。
時は、2008年3月。
先日、時間があいて天気も良かったので、身近に自転車で気軽に行けるお城はないものかとリストを眺めてみたところ、なかなかいい物件があったのでさっそく行ってみることにしました。
その名は、「小弓(おゆみ)城」! ご存じですか!? ご存じない!
場所は千葉県千葉市中央区南生実(みなみおゆみ)町。千葉県の内陸北部、千葉市の南端に位置する土地です。千葉市の地図を見てみると、JR千葉駅からは南へ5~6キロといったところ。
「行ったことはないけど、2~3時間もあれば自転車でラクにたどりつけるんじゃないの?」
果たして、現在でも良好な状態で城跡が残っているのかどうかというところが不安でしたが、春の陽気もあってか私の心ははじめての探訪プロジェクト決行に躍っていました。
その小弓城というお城は、少なくとも戦国時代前半のある時期には、関東地方における激しい戦乱の中心となる重要なポイントになっていました。
小弓城を拠点として、足利義明(よしあき 1480年代?~1538年)という人物が小弓公方(くぼう)と自称して活躍していた時期がそれにあたります。
この足利義明は、織田信長などをあつかった大河ドラマによく出てくる、室町幕府最後の将軍・足利義昭(竹中直人が主演の『秀吉』での玉置浩二さんが演じた足利義昭は最高でした)とは、まったくの別人です。
血のつながりも京都の足利将軍家からかなり遠く離れていた義明さんだったのですが、地理的にも遠く離れた関東地方・下総国の小弓城で、「わしは小弓公方だ。」と近隣諸国に号令していたのです。
「公方」とは、時代は違いますが江戸時代の将軍・徳川綱吉のことを当時の人々が「犬公方」とかげでののしっていた例でもわかるように、だいたい「将軍」と同じ意味の言葉です。まがりなりにもまだ京に将軍がいた時代に、なぜ関東にも「将軍」が?
日本史の授業で勉強したことをおぼえている人もいるかと思いますが、室町幕府という政治組織は、京の将軍とは別に、鎌倉時代の昔から「武家発祥の地」として大切な地域だとされていた関東地方を支配する関東公方(別名・鎌倉公方)というポストをもうけていました。
簡単に言えば、室町時代とは、関東をおさめる関東公方と、それ以外の全国をおさめる京の将軍の、2人の将軍が常に並立した時代だったのです。基本的に仲は良くありません。
そして話を戦国時代前期の関東にもどすと、かろうじて関東公方の家名は残っていたものの、肝心の権力は、その公方様をお守りするという名目で強引に自分の領内に軟禁していた関東の覇者、北条家のものとなってしまっていたのです。う~ん、まさに下克上の戦国時代!
「関東公方様の命令なんで、攻めさせていただきます。」という大義により、着々と関東地方の制覇を進めていく北条家。このままでは房総半島も風前のともしびだ!
そんな時に、対北条家の最前線たる下総国(現在の千葉県北部)で堂々と反旗をかかげたのが、誰あろう、「小弓公方」こと足利義明だったのです。彼は、その時期に北条家の勢力下で名前だけの関東公方(当時の別名は古河公方)におさまっていた人物の叔父でした。
いや~、こりゃスゴい。たいした勇気だわ。
なんてったってあの、天下にその名をとどろかす名城・小田原城にケンカを売ったお方の居城なんですから! そりゃ期待に胸もふくらみますよね!
さぁ、その小弓城にレッツラゴー!! ということだったのですが…… (続いてしまいます。)