すぷり~んぐはずか~む。どうもこんにちは、そうだいでございます。
今日も千葉はいいお天気です。なのに、私は当面、花見に行くヒマがないんですよねぇ。忙しいのはすてきなことなのでいいんですが、ちょっとだけでもいいから、何の目的もなく満開の桜の花の下でボヤ~っとする時間がほしくなる。そんな季節がやってまいりました。
しっかし毎年思うんですけど、やっぱり満開の桜って、こわいですよね……夜なんか特に! あんなの、何人もの人たちといっしょにワイワイやるから楽しいんであって、1対1で桜の大木と向かい合ったら、たいていの人なら桜の「生命力」みたいなものに圧倒されてしまうんじゃないでしょうか。植物なんだから襲ってくることはないんですけど、そのオーラにおいては、満開の桜はライオンかヒグマみたいな「猛獣性」をはらんでいるような気がするんですよ。まさしくフォービズム! こえぇ~。
桜の花を見て思うんですけど、その一季節におのれの生涯の中の大部分を賭け、その時期が過ぎたら、また再びの季節の到来を待ってひたすらエネルギーをためる。この様子はまさしく、ある時期にしか生まれない「時分の花」を見せて多くの人々を魅了してくれる、芸能界の「アイドル」という人々のあり方にも通じるものがあるんじゃないでしょうか。
……えっ? あぁ~強引ですよ!! 強引に本題に入っちゃいますよ! いいじゃないっすか、ぽかぽかしてるんだから。
映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(2006年9月公開・99分 主演・松浦亜弥 監督・深作健太)
出ました~。天下のあやや大先生! 松浦亜弥さん主演の大迫力アクションサスペンス映画でございます。
なつかしいですか? う~ん、やっぱり「なつかしい」っていう印象を与えることになるんでしょうか。それはちょっと寂しいことです。
松浦亜弥さんはハロー!プロジェクトのオーディションに合格したのち、わずか14歳にしての2000年10月の TVドラマ主演が芸能界最初のお仕事となっておりまして、歌手としては半年後の2001年4月のデビューですので、実は「女優」というところからキャリアをスタートさせたということになります。
それ以来、松浦さんはハロー!プロジェクトのつんく♂プロデュース歌手として長年にわたり、ソロでありながらもグループのモーニング娘。に伍する国民的人気を誇っていくこととなります。とにかく彼女を物マネする人が多かったことが、彼女本人のパフォーマンスの影響力の絶大さを如実にあらわしていましたね。主に男のお笑い芸人さんたちにマネされてましたけど。
このあたりのことはすでに去年の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でも触れたかと思いますので詳しい経歴は省略しますが、松浦さんはもちろん2012年現在も現役活動中。ただしソロ歌手としては2006年以降はつんく♂プロデュースを離れており、2008年ごろからは病気療養のためにコンサート活動などを大幅にセーブせざるを得ない状況になっていたため、まさしくこの映画『スケバン刑事』が公開された2006年という年が、松浦さんにとって非常に重要な転換点になっていたことは間違いありません。
ところで、松浦さんはソロ活動と並行して、他のハロー!プロジェクトのアーティストと期間限定ユニットを組んでいたことも多く、『スケバン刑事』の主題歌『Thanks!』を歌唱したデュオ「GAM (ギャム)」もまた、松浦さんとモーニング娘。第5代リーダーだった藤本美貴さんによるスペシャルユニットでした。
そのため、ソロとしては2005年が最後なのですが、松浦さんが本当の最後につんく♂プロデュースを受けて歌唱した現時点でのラストシングルは、GAM としてのラストともなっている3rd シングルの『LU LU LU』(2007年3月)となっています。
ちょっと『スケバン刑事』からは離れるのですが、これは名曲ですよ……しっとりしすぎだし、あんまりおぼえやすいメロディもないので流行歌としてはいまいちなのかもしれませんが、はっきり言って「アイドル」という枠を余裕で飛び越えてしまっている松浦さんの「歌声の演技力」をまざまざとみせつけてくれるものになっています。
ともあれ、松浦さんが全力疾走した2000年代前半の5年間というものは、確実に「あやや時代」として日本芸能史に刻まれるべき内実を持っていたと、私は声を大にして主張したいです。「かわいい子が歌もうまい」んじゃなくて、「まごうかたなきプロの歌手がしかもかわいい」という事実こそが、松浦亜弥さんという不世出のエンターテイナーの本質なのです。そして、その貴重さは今現在も変わってはいないでしょう。
さて、そんな松浦さんが「歌声でなくセリフで演技をする」とどうなるのか!? そこらへんにクローズアップした映画がくだんの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』だったのであります。
ただ、松浦さんのキャリアがドラマ主演で始まっているということは言いましたが、その他にも彼女は、映画出演という点ではすでに2003年公開の『青の炎』(監督・蜷川幸雄、主演・二宮和也)でういういしいヒロイン役を演じきっており、「女優」としての評価は「歌手」なみに高いものとなっていました。つまり、主演の松浦さんの演技力のせいで『スケバン刑事』が失敗するという可能性は低いと見られていたわけだったのです。
と・こ・ろ・が。この映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は失敗しています!!
残念ながら、ひっじょ~に残念ながら! 映画としては口が裂けても「おもしろいよ~、オススメ!」とか、「スケバン刑事、サイコ~☆」などと、映画館の入り口みたいな場所で友達と一緒にならんでカメラに向かって裏ピースをきめながら叫ぶようなことはできない出来になっていると言わざるを得ないのです。
上映時間は99分ということなので、「2時間半」だの「3時間」だのとぬかす昨今の映画よりも物理的には短いはずなのですが、体感時間がまぁ~長い長い!
「松浦さんはやっぱり目の演技がいいなぁ!」「アクションも派手でいいなぁ!」と自分に言い聞かせつつも、どォ~しても時計で残り分数をしきりにチェックしちゃう自分がいるんですなぁ~。
ということで! 今回の本題としましては、「検証! 映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』はなぜつまんない?」というあたりを、わが『長岡京エイリアン』独自のスローペースでじっくりと考えていきたいと思います。
ついてきてくれるお方は……いらっしゃる? そこのあなた。ついてきていただける?
なぜ2012年の春に『スケバン刑事』なのか。前回の『数学♥女子学園』まででよかったじゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それでもわたくしはやりたいんです。自分の納得できるところまで、「なぜつまんないのか?」という問題を明らかにしてみたいんですねぇ。
「おもしろいかつまんないのか」という判断は、やっぱり最終的には「ひとそれぞれの価値観」の問題ですし、「あの映画おもしろかったよねェ~!」という話題でかろうじて他の人たちと意見をすり合わせることはあっても、「つまんなかったよねェ~!」というあたりで議論する機会はかなり少ないような気がします。
周囲で議論するほどの人数が観ていないことも多いですし、ましてや当時の人気アイドルが主演しているという派手な看板の作品だったりすると、その時期を過ぎたとたんにあっという間に「語ることすらはばかられる」扱いになってしまうこともあるんじゃないでしょうか。「黒歴史」だって。ヤ~な言葉ですねぇ!
そして嫌な連鎖は続くもので、そうなっちゃうと数年後にその映画の存在をはじめて知った人は、実際に観る前から「つまんないぞ~。」「観なくてもいいぞ~。」という情報だけを知ることになってしまうのです。これじゃあ観て「おもしろい!」と感じる可能性があったかもしれない人だって観なくなっちゃいますよ。特にネット上の無名の言葉の数々は、かんたんに見られるわりに強烈なフレーズが多いですから。
私だって、こうやってネット上のブログでくっちゃべっている人間ですので「ネットの危険性」だのなんだのとデカい口をたたくわけではないのですが、「出逢いの可能性を踏みにじってしまう言葉」に耳を貸すのは、貴重な人生の時間のムダ! これは、ネットも現実もどっちでも言えることだと思います。
つまんない? つまんないのなら、「なんでつまんないのか?」を考える有意義なひとときを過ごせばいいんですよ! それはそのまんま、「あぁ~、オレはこういうところをつまんなく感じるのかぁ。」とか、「あぁでも、あそこはおもしろかったねぇ。」とかにたどりつけるわけなんですよ。「つまんねぇ!」だけで忘却のかなたに追いやるのはもったいないっすよね。
まぁそういった感じで、とにかく私としましては、この『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は、
「まぁまぁ、そこまで言わずにちょっと考えてみようじゃないの! 確実にいいところがあった上で失敗してるなんて最高のお題よぉ~コレ。」
と言いたくなる「惜しい!」感をふんだんに盛り込んだ失敗作になっていると思うわけなんですよ。
ところで、ネット上ではこの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』をさして、公開時期が2006年の秋だったことから「あややも落ち目でヒットしなかった。」などと指摘した、なんともお寒いレビューとも言えないレビューを目にすることが多々あります。
言うよね~! いるよね~、こういう「未来から目線」で語りたがる人!!
それを2006年の公開当時から言ってんのなら別にかまいませんけど、どうせ数年後の未来から言ってんでしょ!? 気楽なもんだよねぇ。
「いろんな条件がかさなりあった結果そうなったこと」を、「そうなったことのたったひとつの原因」と勘違いするのは、歴史とそれを築いた偉大なる先人たちを極端に矮小化するたいへん失礼な行為ですよ。同時に、そう考える人の想像力もまずしくするもったいなさすぎる思考法だとも思います。
たとえるのならば、「石田三成は関ヶ原合戦で負けた。」と言う情報にほとんど価値はありません。そんなものはちょっと日本史の教科書かマンガを読んだりパソコンを検索したらわかることです。
結局それは「テストで何点かとれる」というくらいしか人生に貢献する意味はなく、むしろ「どうして勝てなかったのか?」「どうすれば勝てたのか?」「もし勝ったとしたらその後の日本はどうなっていたのか?」「ほんとのところ淀殿との関係はどこまでいっていたのか?」「圧倒的に知名度が低い兄貴の石田正澄はくやしくないのか?」といったあたりに想いをはせるほうがずいぶんと人生をうるおす楽しみになると思うわけなんですよ。
結果論を鬼の首でも取ったかのようにふりまわすのはちっともカッコよくないし、ましてやそれで歴史を知って先人たちの上に立ったような気になるなんてダメ!ゼッタイってことなんですね~。かえって自分を小さく見せるだけ。
「明智光秀は有名だが、明智光秀を殺した百姓の名前は歴史には残っていない。」
こういうことなんです……勢いを失った者を追い討ちする行為に、人々の記憶に残る資格は、ない。
えーと……なんでこんな話になったんだっけ?
あの~、話もでっかくなったし文章もかさんできちゃったんで、具体的なあれこれは、また次回にしちゃおっか!?
とりあえず今回は、私から見た「映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の失敗」を考える上でのポイントをいくつか挙げるとこまでやってみましょ。次回はそれらを軸に展開させていくっつうことで。
こんな感じっすかね!
1、「アイドル映画」にしたくなかった単独上映形式
通常の全国上映プログラムの3分の1の公開規模だった
2、「あやや主演映画!」のイメージと内容とのギャップ
異常に硬派な「スケバン刑事」シリーズの正式続編
3、松浦さんが出ずっぱりになれなかった内容
当時の過密スケジュールがわざわいした?
4、主人公が入れ替わって物語の軸がぶれてしまった中盤
「スケバン刑事」シリーズでありながらまったく関係のない話が展開
5、「物語上の時間が『3日間』」と非常にタイト
たった3日間でヨーヨー達人になれ!?
6、タイムリミットサスペンスでありながら終盤がグダグダ
「具体的に時間期限がきてなにが怖いのか」という緊迫感がぜんぜんわかない
7、「アイドル映画」は「男優」が命!!
竹内力さんを除いた男たちがのきなみパッとしない
興味のある方、次回もよっといで~。ほんじゃバハハ~イ。
《どうでもいい余談ですが》
この『長岡京エイリアン』、リアルタイムで読んでいただいている方ならばご存知かと思うのですが、ひとつの記事をいったん公開させてから完成させるまでに、およそ半日~1日の時間がかかることがありまして、完成したら消してしまうのですが、文章が途中までしかできていない状態で公開している時には、文末に「途中です~」とか「途中になったーりゃボンダルチュク」といった言葉を置いておくことがしょっちゅうあります。
ほんで、今回は『スケバン刑事』にかんする記事だったので、松浦さんの敵役を華麗にふてぶてしく演じきったチャーミー石川梨華さんの劇中での名ゼリフの、
「テメェの全存在がうぜぇんだよ!!」
をうける形で、
「わたくしの全存在が途中です」
という書き置きにしたんですね。
そしたら、その文章だけパッと見たら思いのほかズシーンとくる言葉でさぁ!!
いや、そりゃ確かにそうなんだけどさぁ! なんかいろいろ自分で受けとめちゃいましたよ。
ねっころんで自分の上にピンポン玉を投げてはキャッチ投げてはキャッチしてたら、何投かめにボーリング玉が落ちてきたよ!
言霊はほんとにおもしろいですねぇ~。
今日も千葉はいいお天気です。なのに、私は当面、花見に行くヒマがないんですよねぇ。忙しいのはすてきなことなのでいいんですが、ちょっとだけでもいいから、何の目的もなく満開の桜の花の下でボヤ~っとする時間がほしくなる。そんな季節がやってまいりました。
しっかし毎年思うんですけど、やっぱり満開の桜って、こわいですよね……夜なんか特に! あんなの、何人もの人たちといっしょにワイワイやるから楽しいんであって、1対1で桜の大木と向かい合ったら、たいていの人なら桜の「生命力」みたいなものに圧倒されてしまうんじゃないでしょうか。植物なんだから襲ってくることはないんですけど、そのオーラにおいては、満開の桜はライオンかヒグマみたいな「猛獣性」をはらんでいるような気がするんですよ。まさしくフォービズム! こえぇ~。
桜の花を見て思うんですけど、その一季節におのれの生涯の中の大部分を賭け、その時期が過ぎたら、また再びの季節の到来を待ってひたすらエネルギーをためる。この様子はまさしく、ある時期にしか生まれない「時分の花」を見せて多くの人々を魅了してくれる、芸能界の「アイドル」という人々のあり方にも通じるものがあるんじゃないでしょうか。
……えっ? あぁ~強引ですよ!! 強引に本題に入っちゃいますよ! いいじゃないっすか、ぽかぽかしてるんだから。
映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(2006年9月公開・99分 主演・松浦亜弥 監督・深作健太)
出ました~。天下のあやや大先生! 松浦亜弥さん主演の大迫力アクションサスペンス映画でございます。
なつかしいですか? う~ん、やっぱり「なつかしい」っていう印象を与えることになるんでしょうか。それはちょっと寂しいことです。
松浦亜弥さんはハロー!プロジェクトのオーディションに合格したのち、わずか14歳にしての2000年10月の TVドラマ主演が芸能界最初のお仕事となっておりまして、歌手としては半年後の2001年4月のデビューですので、実は「女優」というところからキャリアをスタートさせたということになります。
それ以来、松浦さんはハロー!プロジェクトのつんく♂プロデュース歌手として長年にわたり、ソロでありながらもグループのモーニング娘。に伍する国民的人気を誇っていくこととなります。とにかく彼女を物マネする人が多かったことが、彼女本人のパフォーマンスの影響力の絶大さを如実にあらわしていましたね。主に男のお笑い芸人さんたちにマネされてましたけど。
このあたりのことはすでに去年の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でも触れたかと思いますので詳しい経歴は省略しますが、松浦さんはもちろん2012年現在も現役活動中。ただしソロ歌手としては2006年以降はつんく♂プロデュースを離れており、2008年ごろからは病気療養のためにコンサート活動などを大幅にセーブせざるを得ない状況になっていたため、まさしくこの映画『スケバン刑事』が公開された2006年という年が、松浦さんにとって非常に重要な転換点になっていたことは間違いありません。
ところで、松浦さんはソロ活動と並行して、他のハロー!プロジェクトのアーティストと期間限定ユニットを組んでいたことも多く、『スケバン刑事』の主題歌『Thanks!』を歌唱したデュオ「GAM (ギャム)」もまた、松浦さんとモーニング娘。第5代リーダーだった藤本美貴さんによるスペシャルユニットでした。
そのため、ソロとしては2005年が最後なのですが、松浦さんが本当の最後につんく♂プロデュースを受けて歌唱した現時点でのラストシングルは、GAM としてのラストともなっている3rd シングルの『LU LU LU』(2007年3月)となっています。
ちょっと『スケバン刑事』からは離れるのですが、これは名曲ですよ……しっとりしすぎだし、あんまりおぼえやすいメロディもないので流行歌としてはいまいちなのかもしれませんが、はっきり言って「アイドル」という枠を余裕で飛び越えてしまっている松浦さんの「歌声の演技力」をまざまざとみせつけてくれるものになっています。
ともあれ、松浦さんが全力疾走した2000年代前半の5年間というものは、確実に「あやや時代」として日本芸能史に刻まれるべき内実を持っていたと、私は声を大にして主張したいです。「かわいい子が歌もうまい」んじゃなくて、「まごうかたなきプロの歌手がしかもかわいい」という事実こそが、松浦亜弥さんという不世出のエンターテイナーの本質なのです。そして、その貴重さは今現在も変わってはいないでしょう。
さて、そんな松浦さんが「歌声でなくセリフで演技をする」とどうなるのか!? そこらへんにクローズアップした映画がくだんの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』だったのであります。
ただ、松浦さんのキャリアがドラマ主演で始まっているということは言いましたが、その他にも彼女は、映画出演という点ではすでに2003年公開の『青の炎』(監督・蜷川幸雄、主演・二宮和也)でういういしいヒロイン役を演じきっており、「女優」としての評価は「歌手」なみに高いものとなっていました。つまり、主演の松浦さんの演技力のせいで『スケバン刑事』が失敗するという可能性は低いと見られていたわけだったのです。
と・こ・ろ・が。この映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は失敗しています!!
残念ながら、ひっじょ~に残念ながら! 映画としては口が裂けても「おもしろいよ~、オススメ!」とか、「スケバン刑事、サイコ~☆」などと、映画館の入り口みたいな場所で友達と一緒にならんでカメラに向かって裏ピースをきめながら叫ぶようなことはできない出来になっていると言わざるを得ないのです。
上映時間は99分ということなので、「2時間半」だの「3時間」だのとぬかす昨今の映画よりも物理的には短いはずなのですが、体感時間がまぁ~長い長い!
「松浦さんはやっぱり目の演技がいいなぁ!」「アクションも派手でいいなぁ!」と自分に言い聞かせつつも、どォ~しても時計で残り分数をしきりにチェックしちゃう自分がいるんですなぁ~。
ということで! 今回の本題としましては、「検証! 映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』はなぜつまんない?」というあたりを、わが『長岡京エイリアン』独自のスローペースでじっくりと考えていきたいと思います。
ついてきてくれるお方は……いらっしゃる? そこのあなた。ついてきていただける?
なぜ2012年の春に『スケバン刑事』なのか。前回の『数学♥女子学園』まででよかったじゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それでもわたくしはやりたいんです。自分の納得できるところまで、「なぜつまんないのか?」という問題を明らかにしてみたいんですねぇ。
「おもしろいかつまんないのか」という判断は、やっぱり最終的には「ひとそれぞれの価値観」の問題ですし、「あの映画おもしろかったよねェ~!」という話題でかろうじて他の人たちと意見をすり合わせることはあっても、「つまんなかったよねェ~!」というあたりで議論する機会はかなり少ないような気がします。
周囲で議論するほどの人数が観ていないことも多いですし、ましてや当時の人気アイドルが主演しているという派手な看板の作品だったりすると、その時期を過ぎたとたんにあっという間に「語ることすらはばかられる」扱いになってしまうこともあるんじゃないでしょうか。「黒歴史」だって。ヤ~な言葉ですねぇ!
そして嫌な連鎖は続くもので、そうなっちゃうと数年後にその映画の存在をはじめて知った人は、実際に観る前から「つまんないぞ~。」「観なくてもいいぞ~。」という情報だけを知ることになってしまうのです。これじゃあ観て「おもしろい!」と感じる可能性があったかもしれない人だって観なくなっちゃいますよ。特にネット上の無名の言葉の数々は、かんたんに見られるわりに強烈なフレーズが多いですから。
私だって、こうやってネット上のブログでくっちゃべっている人間ですので「ネットの危険性」だのなんだのとデカい口をたたくわけではないのですが、「出逢いの可能性を踏みにじってしまう言葉」に耳を貸すのは、貴重な人生の時間のムダ! これは、ネットも現実もどっちでも言えることだと思います。
つまんない? つまんないのなら、「なんでつまんないのか?」を考える有意義なひとときを過ごせばいいんですよ! それはそのまんま、「あぁ~、オレはこういうところをつまんなく感じるのかぁ。」とか、「あぁでも、あそこはおもしろかったねぇ。」とかにたどりつけるわけなんですよ。「つまんねぇ!」だけで忘却のかなたに追いやるのはもったいないっすよね。
まぁそういった感じで、とにかく私としましては、この『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は、
「まぁまぁ、そこまで言わずにちょっと考えてみようじゃないの! 確実にいいところがあった上で失敗してるなんて最高のお題よぉ~コレ。」
と言いたくなる「惜しい!」感をふんだんに盛り込んだ失敗作になっていると思うわけなんですよ。
ところで、ネット上ではこの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』をさして、公開時期が2006年の秋だったことから「あややも落ち目でヒットしなかった。」などと指摘した、なんともお寒いレビューとも言えないレビューを目にすることが多々あります。
言うよね~! いるよね~、こういう「未来から目線」で語りたがる人!!
それを2006年の公開当時から言ってんのなら別にかまいませんけど、どうせ数年後の未来から言ってんでしょ!? 気楽なもんだよねぇ。
「いろんな条件がかさなりあった結果そうなったこと」を、「そうなったことのたったひとつの原因」と勘違いするのは、歴史とそれを築いた偉大なる先人たちを極端に矮小化するたいへん失礼な行為ですよ。同時に、そう考える人の想像力もまずしくするもったいなさすぎる思考法だとも思います。
たとえるのならば、「石田三成は関ヶ原合戦で負けた。」と言う情報にほとんど価値はありません。そんなものはちょっと日本史の教科書かマンガを読んだりパソコンを検索したらわかることです。
結局それは「テストで何点かとれる」というくらいしか人生に貢献する意味はなく、むしろ「どうして勝てなかったのか?」「どうすれば勝てたのか?」「もし勝ったとしたらその後の日本はどうなっていたのか?」「ほんとのところ淀殿との関係はどこまでいっていたのか?」「圧倒的に知名度が低い兄貴の石田正澄はくやしくないのか?」といったあたりに想いをはせるほうがずいぶんと人生をうるおす楽しみになると思うわけなんですよ。
結果論を鬼の首でも取ったかのようにふりまわすのはちっともカッコよくないし、ましてやそれで歴史を知って先人たちの上に立ったような気になるなんてダメ!ゼッタイってことなんですね~。かえって自分を小さく見せるだけ。
「明智光秀は有名だが、明智光秀を殺した百姓の名前は歴史には残っていない。」
こういうことなんです……勢いを失った者を追い討ちする行為に、人々の記憶に残る資格は、ない。
えーと……なんでこんな話になったんだっけ?
あの~、話もでっかくなったし文章もかさんできちゃったんで、具体的なあれこれは、また次回にしちゃおっか!?
とりあえず今回は、私から見た「映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の失敗」を考える上でのポイントをいくつか挙げるとこまでやってみましょ。次回はそれらを軸に展開させていくっつうことで。
こんな感じっすかね!
1、「アイドル映画」にしたくなかった単独上映形式
通常の全国上映プログラムの3分の1の公開規模だった
2、「あやや主演映画!」のイメージと内容とのギャップ
異常に硬派な「スケバン刑事」シリーズの正式続編
3、松浦さんが出ずっぱりになれなかった内容
当時の過密スケジュールがわざわいした?
4、主人公が入れ替わって物語の軸がぶれてしまった中盤
「スケバン刑事」シリーズでありながらまったく関係のない話が展開
5、「物語上の時間が『3日間』」と非常にタイト
たった3日間でヨーヨー達人になれ!?
6、タイムリミットサスペンスでありながら終盤がグダグダ
「具体的に時間期限がきてなにが怖いのか」という緊迫感がぜんぜんわかない
7、「アイドル映画」は「男優」が命!!
竹内力さんを除いた男たちがのきなみパッとしない
興味のある方、次回もよっといで~。ほんじゃバハハ~イ。
《どうでもいい余談ですが》
この『長岡京エイリアン』、リアルタイムで読んでいただいている方ならばご存知かと思うのですが、ひとつの記事をいったん公開させてから完成させるまでに、およそ半日~1日の時間がかかることがありまして、完成したら消してしまうのですが、文章が途中までしかできていない状態で公開している時には、文末に「途中です~」とか「途中になったーりゃボンダルチュク」といった言葉を置いておくことがしょっちゅうあります。
ほんで、今回は『スケバン刑事』にかんする記事だったので、松浦さんの敵役を華麗にふてぶてしく演じきったチャーミー石川梨華さんの劇中での名ゼリフの、
「テメェの全存在がうぜぇんだよ!!」
をうける形で、
「わたくしの全存在が途中です」
という書き置きにしたんですね。
そしたら、その文章だけパッと見たら思いのほかズシーンとくる言葉でさぁ!!
いや、そりゃ確かにそうなんだけどさぁ! なんかいろいろ自分で受けとめちゃいましたよ。
ねっころんで自分の上にピンポン玉を投げてはキャッチ投げてはキャッチしてたら、何投かめにボーリング玉が落ちてきたよ!
言霊はほんとにおもしろいですねぇ~。