長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

全国城めぐり宣言 第23回 「備中国 鬼ノ城」最終章  家に帰るまですべてが鬼です 

2013年05月03日 23時49分00秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 (特に誰がやれと言ったわけでもないのに勝手に自分で設定した)いくたの苦難を乗り越えて、そうだいはついに念願の鬼ノ城探訪を果たした!
 あらかたの主要なスポットもめぐり終え、万感の想いをこめて今回の旅をふりかえる……だがしかし、すでに肉体は空中分解寸前のガッタガタ状態。一歩一歩大地を踏みしめるたびに、全身の関節のサスペンションがゆかいなビートを刻んでいる。
 しかし、よくよく考えてみればこののちのそうだいには、「徒歩下山」という実に無視しがたい大問題がひかえていたのだ!!
 考察のまとめ、下山、駅まで徒歩、岡山市でお芝居鑑賞、そのまんま深夜バスで千葉に帰還……そして、その数時間後に出勤。
 若さとバカさでダブルアタック!! 鬼の旅路を笑顔で完走しろ~☆


 鬼ノ城を探訪するつもりで早朝の吉備山地に踏み入っておよそ6時間。太陽はすでに空高くにのぼりきり、3月の山道はかなりの陽気をたたえるようになってきました。しばらく歩けばすぐに汗をかいてしまうようなぽかぽかしたお天気にはなりましたが、ちょっとひらけた場所に出て数分立ち止まれば、山肌を吹き渡る風のおかげであっという間に涼しいを通りこして寒いくらいの体感気温になってしまいます。
 しかし、この鬼ノ城山におとずれつつある季節は、確実に春。足を進めるたびに、目の前の草むらでは「がさがさっ」とトカゲやヘビやらが走り去る音が何度となく聞こえてきます。まさに春の虫たちと書いて「蠢く」! 爬虫類は虫じゃないけど。鬼ノ城内の順路のいたるところには毛筆で書かれた「まむし注意」の小さな看板が。これがホントの「鬼が出るか蛇が出るか」!! エンカウント率が高すぎるわ!
 それに加えて、今回経験した山道の旅では、前半の経山城のあたりからず~っと私は自分の鼻をつくかぎなれない独特な香りが気になっていて、あまずっぱいような香ばしいような、芳香とも異臭ともつかない何物かの存在がしょっちゅう気になっていたんです。それが際だって強くなってきたのも鬼ノ城に入ってからだったのですが、それがどうやら、城内のいたるところに生い茂っているアカマツの香りであるらしいことはぼんやりとわかってきました。天然の松やにのアピールがこんなに強烈なものだったとは……ラテン系の娘さんなみの押しの強さだ!
 そういえば、アカマツも多かったけど、今回私が訪れた山々はどこでも、シダのたぐいがかなりな我がもの顔で繁栄していたなぁ。そういうところも、神秘的な「鬼の棲み家」の雰囲気をけっこう彩っているんですよね。なにごともムードは肝要だ。

 そんなことを考えつつも、鬼ノ城いちばんの絶景ともいえる「屏風折れの石垣」の突端にひとり立ちつくしてみますと、そこからは周囲の山々と眼下の平野の風景が180°以上のパノラマで一望することができて、高所恐怖症でない人にはイチオシのスポットになっています。まさに断崖絶壁の先の先。スリル満点で気分は『土曜ワイド劇場』の真犯人! こころなしか、登山ルックでもなくふつうのジャケット姿でそこに立っている私に対する、周囲の観光客の皆さんの視線が緊張感のあるものになっているような気がします。まだわしは死なんぞォ!!
 ぐるっと周りを見まわして目立つのは、早くも山々のいたるところで花ひらいてきれいな白をそえている野生のヤマザクラと、きれいに整備されたふもとのゴルフ場……ゴルフにとんと縁のない私にとっては、あのゴルフ場の緑ってのはどうにも気にいらねぇ! 天然のものとはまったく異質な、きれいすぎるグリーンなんですよね。

 ここらで、いろんなつれづれに関する、今回の探訪を通じての私なりのまとめをパパッとやってしまうのですが、まずなにはなくとも、私が山に入ってみてかなり早い段階でいだいてしまった2つの疑問点に関する答えを考えてみたいと思います。記憶されている方、いらっしゃいますか? 経山城を探訪したときにくっちゃべってたやつね。


疑問その1、どうしてこれほどまでにふんだんに石垣が使用されているのか? 東北地方生まれの私にとっては、この石垣の投入量はちょっと考えられない。

疑問その2、どうして鬼ノ城のような大要塞の遺跡が残っていたのに、戦国時代の大名たちはまったくそれを再使用しなかったのか?


 この2つだったわけなんですが、どちらも、自分の足で探訪してみたらすぐに答えはわかったような気がしました。

 まず疑問その1、については、「こんなに石材が豊富な吉備山地で、むしろ石垣を使わないで城を建てるほうがぜいたくな話!」ということなんですな。
 山城を歩けば、経山城のような小さなお城を見ても石垣だらけ、それどころか棚田のような一般の農地にさえも段差に石垣が、農家の方のおうちにも石垣が! それもそのはず、鬼の棲み家の数々の奇岩を見てもわかるように、この一帯は山肌にゴロゴロ露出するほどに潤沢な花崗岩の名産地になっているわけだったのです。それはもう鬼ノ城の屏風折れの石垣からあたりを見まわしても一目瞭然で、あたりの山々のいたるところに木々の繁茂をさえぎって岩石が天を仰いでいる部分があるんですよね。
 うらやますぃ~! 石垣文化のほぼなかった東北人からしたら実にうらやましい環境だ……でも、岩石が少ないからこそ、こっちもこっちで山のめぐみが豊富なんでねぇ。こっちを取ればあっちが引っ込むってお話ですな。無いものねだりはよしときましょう。

 疑問その2、については、「鬼ノ城なんかまともに再利用していたら、維持してるだけで国が傾くわ!!」って感じだったんじゃないでしょうか。
 鬼ノ城は確かに、日本の山城としては考えられないくらいに広大で強固な守りが期待できる巨城ではあるのですが、それはおよそ3km という気の遠くなるような長さの城壁のすみずみに守備兵が常駐して初めてその実力を発揮するのであって、そのために必要な兵数たるや、なんだかんだいっても1万人はくだらなかったんじゃないんでしょうか。そんなアメ車みたいに燃費の悪いお城、節約を旨とする戦国大名が使うはずがありません。1万も兵を確保できるんだったら、城になんかこもらずに他国に攻め込むっつ~の!!
 要するに、数百からせいぜい1千人くらい同士の戦闘がほとんどだった戦国時代において、「万単位同士の国際戦争を予測して作られた要塞」などというものは、同じ軍事目的でもまったくニーズの違う施設だったのでしょう。どんなに城壁が難攻不落の高性能ぶりを誇っていたのだとしても、そこに守備兵がいなかったら単なるエクストリーム障害物競走にしかならないのです。
 そして最も大事なのは、そこまでして鬼ノ城に籠城するメリットが戦国時代ではほとんどなかったということで、山陽道や山陰道といった交通網、もしくは人口の集中する平野部の掌握が肝になっていた時代に、鬼ノ城山はあまりにもそれらから脇道しすぎる位置にあったのです。でかすぎる鬼ノ城よりは、拠点から拠点への移動、または敵国の拠点への侵攻のための休憩所 or サービスエリアのような軽さの経山城を確保しておくほうがよっぽどクレバーだったんですね。20世紀の戦争の話じゃないんですけど、やっぱり「大きければいいってもんじゃない」ってことなんです。本当に勉強になるわ……

 さてその後、私は鬼ノ城の東端にあたる屏風折れの石垣をまわって北に行き、最初におとずれた北門ポイントから、城壁沿いではなく、城内のいくつかの遺跡をめぐるコースに入りました。
 まぁ……そこにあるのはただ一面の林となだらかな山道、そしてこの広大な敷地に対して「たった7棟ぶん」という異常に少ない建物の礎石群なんですけどね。
 それも、お世辞にも戦争のことを想定した基地施設のようにはまったく見えず、倉庫のような目的にしか使われなかった建物のように見えません。鬼ノ城はその立派すぎる城壁とはまったく相反して、内部は実用どころか、誰かが常駐していたとも考えられないような「ただの山」感に満ちているのです。もちろん、「本丸」「二ノ丸」なんて縄張りの概念もありません。まだ発見されていないなにかの施設跡ももしかしたらあるのかもしれませんが、とにかく「城壁だけで力尽きた」ムードがたっぷり!
 むしろ、鬼ノ城の観光ルートには、ところどころに岩石を手彫りして作った磨崖仏像が置かれていたので、やっぱり裏手の「鬼の岩屋」に通じるような宗教的なかおりを、鬼ノ城にも強く感じました。やはりここも廃城後は、かつて「西の比叡山」とまで称されたという付近一帯の山岳仏教のいち聖地として使用されていたのでしょうか。温羅伝説と山岳仏教。この2つはたぶん、切っても切り離せないネガとポジの関係にあるんですね。ジョーカーとバットマン、ばいきんまんとアンパンマンの構図がここにもあるってわけだ! 私ホイホイシステムですな。

 つくづく変な城です……あるいは鬼ノ城は、戦国時代の感覚で言うお城というよりも、本当に進退窮まったときのための「避難シェルター」のほうに近い考え方で建設されたものだったのかもしれませんね。そうだとするのならば、663年の白村江会戦の敗戦後に築城されたと推定されておきながら、720年に完成した史書『日本書紀』にその名が記されていないことも私は納得がいくような気がします。もともと鬼ノ城は、『日本書紀』にあがっていた12の古代山城とは別の目的で建設された施設だったのではないのでしょうか。
 いずれにせよ、資料によると、出土する遺物は7世紀後期~8世紀初期のものであるというということで、その巨体の割に極端に短命な施設だったことがわかる鬼ノ城なのですが、実際に使用される事態にならなくて、ほんっとうによかった!

 こういった感じで、歩けば歩くほど「古代のロマン」ではなく「古代も大変だったんです……」的な必死さが垣間見えてくる鬼ノ城だったのですが、21世紀もしばらくたった現在では、天気がよければ多くの観光客でにぎわう格好のウォーキングスポットになっていました。初対面の人とも、すれ違うときには「こんにちは。」と笑顔であいさつをするなごやかな場……やっぱ平和がいちばんよねェ~!!
 お昼すぎということで、ほうぼうの広いスペースでお弁当箱を広げる家族連れのみなさんも見られたりしてとってもいい雰囲気だったのですが、私のほうはと言いますと、いち早くこの探訪を終わらせて下山したいという満身創痍のコンコンチキです。ちゃっちゃと行こう、ちゃっちゃと行こう!
 結局、私は鬼ノ城を城壁沿いに1周してから城内を通って西門から鬼ノ城山ビジターセンターに下りるというコースを歩きまして、トータルで「およそ4km 」歩いたことになりました。早朝の JR服部駅からの距離を入れたら「18km 徒歩」ですか……まぁ、鬼ノ城内はそうとうなだらかな山道でしたからね。それでもボロボロな両足には充分に鬼よ!?

 鬼ノ城山ビジターセンターは、鬼ノ城西門から400m ほど道を下った場所にあったのですが、館内には鬼ノ城関連の資料なども充実していたというこの施設は「毎週月曜日休館」、ということで、ね……いや、わかってはいました。わかってはいたんですが……なんで月曜日に来ちゃったんだろう、おれ!? バカなのね~、バカなのよ~♪
 ちなみに、私が最後に通ることになった、このビジターセンターから西門への登城路には、簡単な鬼ノ城に関する1枚つづりの無料パンフレットと、観光客のために無料でレンタルされている「登山用の杖」が置かれていました。だからみんな杖を常備していたのか……なんでビジターセンターから登城しなかったんだろうか、おれ!? 生き方がひねくれまくっているんです。

 鬼ノ城とはぜんぜん関係ないんですが、ビジターセンターの入り口には、同じような歴史関連施設の近日公開の展示企画を紹介する宣伝ポスターとして、

「埼玉県大里郡寄居町・鉢形城歴史館特別展示『プレ北条氏邦シリーズ第1回 鉢形城主・上杉顕定展 東日本の副将軍・関東管領上杉氏と鉢形城』」

 という、こう言っては非常に失礼なんですが、テンションと知名度とが美しいまでに反比例したものすごい展示のお知らせが貼ってありました。「東日本の副将軍」とは大きく出たな……思わずJARO に電話したくなる内実のともなわなさなんですが、「プレ北条氏邦シリーズ」という恐るべき企画に惚れました。シリーズ化するんですか……つづくといいね!
 でも、埼玉県の展示情報を岡山県のここに貼るってことは、それなりの効果があって鉢形城に馳せ参じる猛者が全国にはひしめいている、ということなんでしょうなぁ。私もがんばんなきゃ! 前日に東京で℃-uteのお芝居を観て今日は岡山県で鬼ノ城を探訪するというスケジュールごときでヒーヒー言ってるようじゃまだヒヨッコなんです。

 そして、そんな感じで鬼ノ城をあとにした私は、早朝に苦心して登りきった鬼ノ城登山道を、またまったく違う苦心を味わいながら下山することとなりました。
 足が……足が……確かに、「下山は登山くらいにキツい」!! もうね、足首の足の甲からすねにかけての部分のちょうつがいがバカになっちゃうの。いっさい力が入らずに、糸の切れたマリオネットのごとくにパッカパカになっちゃうんですね。これはもう、ひざと一緒に私も笑うしかありませんわ! ハハハのハ~ってなもんよ。

 そんなこんなでくったくたの全身を引きずって、始まりの服部駅に帰ってきたのは午後2時半ごろ。途中で久しぶりに観た自動販売機で買った缶ジュースがうまいのなんのって……道に人がいないのをいいことに、飲んだあとに大声で「っか~!!」って絶叫しちゃったからね。飲んだのは「QOO 」だったんですけど、「く~。」できくはずがないですよ、こんな渇望度!!

 ここまでの時点でトータルの徒歩距離はいよいよ「23km 」に到達していたのですが、なにを血迷ったのか、私はそこですんなりと吉備線には乗らずに、3km 離れた場所にある隣駅の足守(あしもり)駅までの最後の徒歩を敢行することにいたしました。ほ~ら、やっぱりひねくれてる。

 ま、なにに血迷ったのかって、たこ焼きに血迷ったからだったんですけどね……
 今回は自動販売機の極端な少なさに難渋した鬼ノ城探訪だったのですが、前回の備中高松城探訪時に私は、この高松地区における外食店の絶滅っぷりに唖然としてしまいました。全国チェーンの有名店どころか、個人経営のおそば屋さんほどのものでさえ、まともに存在してないんだぜ!?
 そんな中で、私は最後にたどり着いた足守駅のすぐ近くのたこ焼き屋「つぐ」でやっとありついた焼きたてほっかほかのたこ焼きの、これまでの自分のたこ焼きにたいする概念をくつがえすおいしさに心を奪われた経緯があったため、今回も是非とも最後は、あのたこ焼きでしめたいと企図するものがあったのです。そのためならば、2km や3km の追加なんかどぉ~ってことないっすよ! 山道じゃなくて平地ですしね。

 そんなわけで、服部駅から足守駅までトボトボ歩いていったわけだったのですが、私はこの、知らない町をひとり歩くっていう行為がめっぽう好きでして……いいお天気、行き交う人の滅多にいない農道、かなりきれいなのにキャンパスには人っ子1人いない岡山県立大学(春休みだったから?)、風の吹きすさぶ幹線道路の高架下、そして、30分に1回のペースでのんびりと線路をすべっていく単線の電車……たまんなかったねぇ~、どうにも!! あ、あと、田んぼのあぜ道でワーワー言いながら走りまわって遊んでいた3~4人のわらしこたち! 非常にこう、時空を超えた情緒にあふれた風景でしたね~。いい土地です。

 まぁ、お約束どおり、お目当てのたこ焼き屋さんは「臨時休業」で閉まってたんですけどね……鬼だよね~、やっぱ。
 ご丁寧に「毎週木曜日定休」って書いてありながらも、「本日25日は臨時休業とさせていただきます。」だってさ! もう笑ってさしあげるしかねぇ~っつうの!! イヒヒのヒ~よ。

 そういった鬼なオチをさしこみつつ、何とか無事に吉備線の岡山行きに乗ることができたのは、午後3時半。なにはともあれ、早朝7時半に開始された総距離26km におよんだ鬼ノ城探訪エトセトラは、8時間後に無事に終了とあいなったのでありました。生きて還ってこられたぜ……ほんとによかった。

 そしてその30分後に岡山駅に到着した私は、構内の待合スペースでぐったりしたり、売店でTシャツを買って着替えたり(それまで来てたTシャツは全体的に塩がふってありました……ご苦労さん!)、桃太郎大通りの地下街のラーメン屋さんで今日はじめてのまともな食事をとったりしての~んびり。時間の余裕をぜいたくに使って、夜7時からのお芝居に向かうこととなりました。
 ど~でもいいことですが、岡山市内のラーメン屋さんって、とんこつストレート麺が繁栄してるよね~! おいしいからいいんですが、太ちぢれ麺のみそラーメンで育ってきた東北人としましては、いささかさびしい異邦感にとらわれました。こういうとこで西日本にいるんだな~ってことを思い出すのよね。

 さて、その日に私が観た目当てのお芝居は、


ルネスホール特別企画 『月の鏡にうつる聲(こえ)』 (演出・関 美能留、作・末原 拓馬)


 でした。丸1年前の2012年3月に観たお芝居『晴れ時々、鬼』と同じく岡山市の旧銀行社屋を改修した多目的ホール「ルネスホール」での特別企画公演であり、同じく関美能留さんによる演出であり、同じく「温羅伝説(桃太郎)」をベースにした作品であります。出演者も、昨年と同じくこの公演のために公募された総勢25名もの役者陣で構成されています。

 そう言ってしまうと、昨年の『晴れ時々、鬼』と一体いかほどの違いがあるのか? と感じられる方もいるのかもしれませんが、そこはそれ、天下の関美能留演出よ。まるで違った味わいもあるし、作者が別なのでまったくパラレルな関係にあるとはいえ、「舞台公演」という意味での昨年の成果をしっかりと踏まえたネクストステージな作品になっていたのです。

 なにはともあれ、全国民的に超有名な『桃太郎』をもとにした物語になっているため、本来は凶悪な侵略者とされている「鬼(温羅)」を逆に「大和王権の勢力拡大の被害者」という立場ととらえ、温羅と宿敵であるはずの「桃太郎チーム」の誰かとが、実はかつて地元の吉備国で深い交流をむすぶ関係にあったという解釈にもとづいているという点では、前年と今年のどちらも同じ構図を物語の軸にすえています。『晴れ時々、鬼』の場合は吉備津彦命(桃太郎)の部下として付き従った「イヌ」が主人公になっていましたね。

 今回の『月の鏡にうつる聲』では、直球ど真ん中で温羅と桃太郎(吉備津彦命)の2人が主人公にすえられており、桃太郎が大和王権の皇族ではなく、吉備国から立身出世を目指してヤマトの都にやってきた、野心的なエネルギーに満ちた青年に設定されているところがミソになっています。桃太郎は吉備国での少年時代を、異国からやってきた戦災孤児の温羅といっしょにすごした仲だったのですが、運命の残酷ないたずらというべきか、武将となった桃太郎にヤマトの王が与えた使命は、故郷の吉備国で有力な地方領主となった温羅を追討するというものだったのです。

 話だけを言えばこういった悲劇的な雰囲気になってしまうし、実際に物語は、温羅の退治されたあとも「呪い」によって重たい雲と冷たい雨がたえず覆い深刻な不作が続いている吉備国から、過去の経緯を回想するという流れになっており、かなり陰鬱な始まり方をします。

 しかし、このスタートがあるからこそ、生前の温羅と桃太郎とのあたたかい交流と、方向性は違えどそれぞれに純粋な生き方を貫こうとする2人の発する明るさが非常にひきたってきて、温羅の死後の呪いの「ほんとうの意味」が生み出す爆発的なラストシーンが実によかったです。
 感動、ですよねぇ。昨年の『晴れ時々、鬼』はとにかくその公演かぎりのお祭りというにぎやかなイメージがあったのですが、今回の『月の鏡にうつる聲』はそこからより成熟したという感じで、あえてテンションをおさえるかのような前段があったり、現在と過去とのシーン構成をもっと重層的で有機的なつながりのあるものにする試みが随所に炸裂していたと思います。パッと転換する映画じゃないので、演劇は前のシーンのかおりをいやおうなく残してしまうものがあると思うのですが、その「良さ」をふんだんに活用したあいまいさが心地よかったですね。

 今回の出演者は25名ということで、昨年の17名をさらに上回る岡山のみなさんが舞台に立たれたわけだったのですが、例えば温羅や桃太郎の「少年」「青年」「現在」をそれぞれ別の役者が演じるといったかたちがキャストの多くに採用されており、2人の他にも「イヌ」「サル」「キジ」「温羅の側女」「ヤマトの王」といった主要な登場人物たちのおよそ30年にわたる物語がさまざまな個性の人たちによって彩られていくというバラエティ豊かな内容になっていました。役によっては男女の性別が時代によって変わっているものもあったし、ともすれば観る側が混乱しかねないギリギリのところを、共通のイメージの衣装やセリフで守り通していた冒険心に感服つかまつりました。攻めてるな~!

 そんな多くの魅力的な役者陣の中でも私が特に印象的に感じたのは、青年時代の桃太郎、つまりは「有名になって大金持ちになるんでい!!」という過剰な野心をいだいて都にやってきた田舎出身のピュアすぎる若者(演・大川由起子)のパートで、とにかく根拠のない成功ビジョンを強く胸に持ちつつ、洗練されたシティボーイのイヌ・サル・キジにつっかかってはコテンパンにのされ、ヤマトの王に偶然に出会っては「なんでもしま~っす♡  家来にしてくだせぇ!」とヘーコラこびへつらうという、彼の迷いのない生き方には素直に感動してしまいました。そういうキャラクター設定もいいのかも知れませんが、とにかく演じた大川さんのバカっぽさと空回り感がかわいらしいというかなんというか、コテコテの小者ではあるわけなんですが、根拠のない「一点押し!!」の姿勢がいかにも若くてたくましいんですよね。そのエネルギーの放射熱がいいんです。

 そして、そんな青年の泥臭いはいつくばり方に感動しながら、私は内心でハタと思い当たりました。「根拠のないエネルギー! 昨日の『さくらん少女』の中島さんといっしょじゃないか!!」と。
 つまり、物語にしろ現実にしろ、新しい世界を切り開くのはすべからく「根拠のない」ものなのではないのだろうかと。そして、それが花ひらいたあとで、後世の人々があとづけで好き勝手につけくわえるのが根拠というものなのです。最初から「根拠のある」ものなんてのは、所詮はその程度に今存在している世界の想像の範疇におさまっているスケールのものなんですから、そこから本当の意味での新世界は生まれるはずもないのです。
 私も、いよいよ齢30なかばにさしかかろうとしているオッサンなのですが、これからの人生をどのくらい新鮮に生きていくのかは、ひょっとすると、年齢相応に身にまとわりついてしまった常識やらなんやらにとらわれない根拠のない信念を、どれだけ周囲の反応を恐れずに持ち続けられるか、そこにかかっているのではなかろうかと感じました。
 いつも心のすみっこに、少年時代に近所の駄菓子屋で見かけた「?」としか表示されていないガチャガチャを!! いや、実際に買ったことはないんですけどね……

 そんなことをいろいろと考えさせられた『月の鏡にうつる聲』だったのですが、この作品はそれだけでも十二分におもしろかったものの、役者陣では昨年の『晴れ時々、鬼』からの続投となったおなじみの顔ぶれ(成人した温羅役の森峰清さんや吉備の農民役の遠藤雄一さんなど)が多く参加されており、前作でそれぞれが演じた役のことを考えるとさらにおもしろくなるという楽しみ方もできたし、演出に目をやれば、関さんの主宰する劇団「三条会」で上演された過去の作品の数々を想起させる構図やギミックがいたるところにちりばめられているという愉快さもありました。とにかく、私にとってはひたすら幸せでイメージ豊かなひとときになりました……
 観劇の直前まで自分なりにそうとう肉体を酷使していたので、「ひょっとしたら、観ている最中に意識が飛んじゃうかも……」という心配も若干あったのですが、まぁ~それは杞憂もいいとこでしたね。眠くなるほうがムリっていう話でしたわ。


 そんなこんなで無事に観劇も終了した午後9時すぎ。私は幸せな気持ちと充実感、そして「ここちよい」くらいのレベルを860% ほどオーバーしてしまった疲労をかかえて、午後10時発の東京行き深夜バスに乗って岡山をあとにしました。おみやげのきびだんごもちゃんと買ったヨ。

 思えば、今回の旅は前日のアイドル舞台の当日券すべり込み観劇から、ただひたすらに「鬼」な展開の目白押しでございました。不眠の深夜バス、早朝からの登山、まったく予想のつかない進路、だだっ広い鬼ノ城、トータル20km 超えの徒歩、そして「鬼」にまつわるお芝居の観劇。

 そういえば、帰りの深夜バスに乗るときも、バス停留所の位置をしっかり調べていなかったので、結局は運転手さんと電話でつながりながら数分ダッシュするというはめになりましたね。出発時間にはギリギリ間にあったんですが、一瞬真剣に岡山で野宿する自分の姿を想像してしまいました。その節は大変ご心配をおかけいたしました……

 そのまさかの展開も鬼だったけど、それで翌朝に東京に帰ってきて、数時間後に出勤しましたからね、わたくし。
 すべてが美しいまでの自業自得なので自分をほめる気にはさらさらならないのですが、こんなに唯我独尊な楽しさに満ちた3日間はなかったなぁ。ホントに自分勝手好き勝手にやらせていただきました。岡山の鬼王温羅さまには感謝の言葉もねぇよ!


 今回もとっても楽しかった。でも、次の城めぐりはも~ちょっと! ほんのも~ちょっとでいいから! ラクなものにしたいもんです……

 もう若くはないんだから、ムリはしたくないね……って、どの口が言ってるんだバカー!! 寄り道ばっかのハイカロリーな人生、ばんざい。
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