2021年1月16日(土)
新年最初の夏井いつき選「俳句ポスト365」の結果発表。
毎回書くけど、この俳句ポスト365。
ほぼ2週間に一度提示された兼題をもとに気楽にネット投句。
夏井さんに『天・地・人・並・没』と選句してもらえて、無料。
俳句投句で無料なのは、ひとえに愛媛県松山市行政と「俳句の種を捲く」ことに人生をかけた夏井さんの心意気のおかげ。
今回の兼題は『寒海苔』
投句人数1739名:投句数9094句
今回も4句ほど投句。
入選句も没になった句も載せるからね。
他人の句を世間に晒し、とやかく言うより、まずは自分の没句を晒す方がよほどいい。
去年は4回連続『並」で終えたのだけれど
新年は、久々の『人』からのスタート、縁起いいかな。
では、『人』入選句
寒海苔を漉く一瞬の荒き海
かんのりをすくいっしゅんのあらきうみ
説明の必要のない句だよね。
昔、何度か「磯の生物観察会」に参加したときの思い出。
岩場にはりつく新芽のアサクサノリを摘み、そのまま食べたり、集めて漉いたり干したりして・・・
「こんなに風味や旨味が変化するんだ!」と驚いたときの一場面を切り取った。
続いて、没とされた3句
また生くると簀に寒海苔へばりつく
素人の私たちが漉いても凸凹になり、干した後も簀子にひっついてうまく剥がせなかったという思い出。
この句は寒海苔である必然性はなかったんだろうな。
新海苔でも、普段の海苔でもかまわなかったのかもしれない。
ま、海苔は根・茎・葉をもたない藻類の仲間。
ごく一部の組織からでも簡単に再生するしね。
寒海苔を掻くや舎外に座すガウス
この句はお気に入りなんだけどなあ。
寒い中、海苔を掻いて集めるという過酷な作業と
等差級数の和(例:1から100までの和を求めよ)の法則を7才にして見つけたガウス。
幼い頃読んだ彼の伝記に、あまりの落ち着きのなさに校庭へと放り出され、小枝を並べながらこの法則に気付いたという場面が重なったんである。
その伝記の真偽はよく知らないけど。
ま、独りよがりの句だな。
寒海苔を食むダーウィンを疑いつ
私ら庶民は、もはや寒海苔を口にする機会はほぼほぼないのである。
今や、新海苔とされていても私が買う海苔はアサクサノリではなく養殖スサビノリなのである。
幼い頃口にした「ふわ~っと口に広がる」アサクサノリなんてのは、とても高価で気合を入れ身銭をはたく覚悟でたべないといけなくなった。
それは、環境悪化でアサクサノリが採れにくくなったことより、スサビノリの方が養殖に向いていて、より効率よく生産できるからじゃなかろうか?
決してアサクサノリがスサビノリとの生存競争に負けたというわけじゃないと思うのである。
で、ダーウィンの進化論の過ちとして、よく「獲得形質は遺伝する」ことがあげられるけど
私は、「生存競争によってより環境に適した連中が生き残る」という概念が嫌いなのである。
よく資本主義社会の自由競争の中で、「より強い者・賢い会社」が生き残るなんて例に利用されてるのが余計腹立たしいのである。
環境変化の中で生き残ってく連中というのは、さまざまな変異の中で元々「はじっこにいた少数派」だと思うのである。
たまたま大きな環境変化があったとき、たまたま新たな環境に適応する変異をもっていただけだと思うのである。
何も生き残るために、必死になって他の変異グループと闘ってたわけじゃなかろうに。
そんなことばっか言ってると、極端な話、戦争をするか、弱者を淘汰するしかなくなるじゃん。
そして、そんな社会はファシズム的な単一性を産み、環境変化に対応できなくなるじゃんね。
かつてゲームばかりしてると叱られてた時代からEスポーツのプロにあこがれる時代に。
同じようにゲームに夢中になってた少年であるにも関わらず。
テレビからスマホへと情報ツールが変化してくことも、ユーチューバーという職業が誕生したことも
何もその間で新旧間の競争があったわけではなく、かつては日陰者だった立場であることに変わりなく
あくまでその時代に適し脚光を浴びたのに過ぎないと思うのである。
アサクサノリからスサビノリへと食卓の変化から、横道それまくれの腹立ちなのであった。
新年最初の夏井いつき選「俳句ポスト365」の結果発表。
毎回書くけど、この俳句ポスト365。
ほぼ2週間に一度提示された兼題をもとに気楽にネット投句。
夏井さんに『天・地・人・並・没』と選句してもらえて、無料。
俳句投句で無料なのは、ひとえに愛媛県松山市行政と「俳句の種を捲く」ことに人生をかけた夏井さんの心意気のおかげ。
今回の兼題は『寒海苔』
投句人数1739名:投句数9094句
今回も4句ほど投句。
入選句も没になった句も載せるからね。
他人の句を世間に晒し、とやかく言うより、まずは自分の没句を晒す方がよほどいい。
去年は4回連続『並」で終えたのだけれど
新年は、久々の『人』からのスタート、縁起いいかな。
では、『人』入選句
寒海苔を漉く一瞬の荒き海
かんのりをすくいっしゅんのあらきうみ
説明の必要のない句だよね。
昔、何度か「磯の生物観察会」に参加したときの思い出。
岩場にはりつく新芽のアサクサノリを摘み、そのまま食べたり、集めて漉いたり干したりして・・・
「こんなに風味や旨味が変化するんだ!」と驚いたときの一場面を切り取った。
続いて、没とされた3句
また生くると簀に寒海苔へばりつく
素人の私たちが漉いても凸凹になり、干した後も簀子にひっついてうまく剥がせなかったという思い出。
この句は寒海苔である必然性はなかったんだろうな。
新海苔でも、普段の海苔でもかまわなかったのかもしれない。
ま、海苔は根・茎・葉をもたない藻類の仲間。
ごく一部の組織からでも簡単に再生するしね。
寒海苔を掻くや舎外に座すガウス
この句はお気に入りなんだけどなあ。
寒い中、海苔を掻いて集めるという過酷な作業と
等差級数の和(例:1から100までの和を求めよ)の法則を7才にして見つけたガウス。
幼い頃読んだ彼の伝記に、あまりの落ち着きのなさに校庭へと放り出され、小枝を並べながらこの法則に気付いたという場面が重なったんである。
その伝記の真偽はよく知らないけど。
ま、独りよがりの句だな。
寒海苔を食むダーウィンを疑いつ
私ら庶民は、もはや寒海苔を口にする機会はほぼほぼないのである。
今や、新海苔とされていても私が買う海苔はアサクサノリではなく養殖スサビノリなのである。
幼い頃口にした「ふわ~っと口に広がる」アサクサノリなんてのは、とても高価で気合を入れ身銭をはたく覚悟でたべないといけなくなった。
それは、環境悪化でアサクサノリが採れにくくなったことより、スサビノリの方が養殖に向いていて、より効率よく生産できるからじゃなかろうか?
決してアサクサノリがスサビノリとの生存競争に負けたというわけじゃないと思うのである。
で、ダーウィンの進化論の過ちとして、よく「獲得形質は遺伝する」ことがあげられるけど
私は、「生存競争によってより環境に適した連中が生き残る」という概念が嫌いなのである。
よく資本主義社会の自由競争の中で、「より強い者・賢い会社」が生き残るなんて例に利用されてるのが余計腹立たしいのである。
環境変化の中で生き残ってく連中というのは、さまざまな変異の中で元々「はじっこにいた少数派」だと思うのである。
たまたま大きな環境変化があったとき、たまたま新たな環境に適応する変異をもっていただけだと思うのである。
何も生き残るために、必死になって他の変異グループと闘ってたわけじゃなかろうに。
そんなことばっか言ってると、極端な話、戦争をするか、弱者を淘汰するしかなくなるじゃん。
そして、そんな社会はファシズム的な単一性を産み、環境変化に対応できなくなるじゃんね。
かつてゲームばかりしてると叱られてた時代からEスポーツのプロにあこがれる時代に。
同じようにゲームに夢中になってた少年であるにも関わらず。
テレビからスマホへと情報ツールが変化してくことも、ユーチューバーという職業が誕生したことも
何もその間で新旧間の競争があったわけではなく、かつては日陰者だった立場であることに変わりなく
あくまでその時代に適し脚光を浴びたのに過ぎないと思うのである。
アサクサノリからスサビノリへと食卓の変化から、横道それまくれの腹立ちなのであった。
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