花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

藤原鎌足ゆかりの、鎌足桜

2021年04月22日 09時30分07秒 | さくら    
花の会結城農場では大半の花が終わりましたが、遅咲きのもの
がまだ咲いています。

これは淡紅八重のサクラ、鎌足桜 (かまたりざくら) 。
西側の新しい圃園にある若木の一つで、枝がまっすぐ伸びてい
ます。遅咲きの八重桜で4月中旬から下旬にかけて咲きます。

日本花の会HPによると、原木は木更津市矢部(旧鎌足村)に
あり、林弥栄により記載、発表されました。また、花弁の先端
が細く屈曲して鎌形となることから鎌掛桜、鎌垂桜ともいわれ
るそうです。

木更津市鎌足桜保存会HPによると、開花後、八分咲きほどになると、雌しべが中花に変化し二段咲きとなるそうです。また、雌しべの先端が鎌状に曲がっていることから、中臣鎌子 (藤原鎌足公) 誕生伝説の由縁ともなっています。

一般的には、鎌足の生誕地は奈良県といわれていますが、鹿嶋市が生誕地であるという言い伝えもいくつも残っています。

茨城の民話Web によると、『鎌足の父は中臣御食子といい、鹿島神宮に仕える神官でした。 御食子は若くして都に学び、妻を伴って帰郷しました。そして、鹿島の地で鎌足が生まれました。ちょうど稲刈りの季節でしたので、その稲刈りには欠かせない大切な道具である鎌にあやかり、「鎌子」と名づけられました。
鎌子が二歳になった時、母の夢の中に白狐があらわれ、「この子は、将来、国のためにりっぱな仕事をする人です。なおざりにすることなく、しっかりと育てなさい。」といい、鎌を授けていったというのです。「鎌子」という名は、白狐の授けた鎌からとったともいわれています。』

また一説に、木更津市鎌足桜保存会HPによると、『今から千四百年ほど前、(木更津の) 矢那の郷に藤原鎌足公の祖父猪野長官が住んでいました。長官は五十歳を過ぎても子宝に恵まれなかったため、高倉観音に参篭し子授けを祈願しました。満願百日目に妻が身ごもり、ようやく女の子を授かりました。観音様の霊験によって授かったので子与観(しよかん)と名付けられました。年頃になって嫁入り先を観音様に祈願したところ、縁あって常陸国鹿島に嫁ぎ、男の子を授かりました。出産の時、一匹の白狐が産所に現れ、草刈鎌を授け、「この鎌は敵を切るに鋭利、国を治め幸福を得るに良し。命ずるとおりに所持せよ。」と言って消えてしまいました。そこで、生まれた子どもに「鎌子」と名付けました。この子が後の「藤原鎌足公」と伝えられています。
鎌足公が高倉観音へお礼参拝のため訪れたとき、持っていた桜の木の 「杖」 を傍らの土手に挿して旅装束に着替えましたが、「杖」 はそのまま根付きました。人々は鎌足公に因んで 「鎌足桜」 と呼ぶようになったとのことです。』

この 「鎌足桜」 の祖株は、木更津市矢那小字山下にある旧家にありましたが、昭和37年頃、枯死寸前で「鎌足桜」が絶えてしまうことを心配した地元の鈴木治作氏が、京都の桜名人として有名な第15代佐野藤右衛門氏に、新芽を切りって京都まで持参し、苗木の育成をお願いしました。
そして昭和47年に2本、48年に10本の苗木が里帰りし、高蔵寺・徳蔵寺・鎌足小学校・太田山公園などに植樹されましたが、その多くは枯れ絶えてしまいました。 その後、地元でも接木による苗木の育成を手がける人が現れ、鎌足公民館や鎌足中学校、矢那川ダム公園など、木更津市内の各地にも植樹されるようになりました。
また中臣氏ゆかりの鹿島神宮にも寄贈されているそうです。
   (茨城県結城市 日本花の会結城農場 2021年4月21日)

   ◆梅・さくら・ばらなど花品種と 「公園ランキング」 の
    私のホームページはこちら→  「花の公園 花リスト」 
   ◆このブログの検索ウインドウが左上にあります。
    「このブログ内で」を選択し、短い1単語だけで検索して
    ください。 2単語以上だと機能しません。

   にほんブログ村花ブログへ ←クリックすると私の「花の公園」に
     ポイントが入ります。 応援お願いします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする