昨日は行田の古代蓮の里へ行ってきました。もう昼過ぎでしたが、2時過ぎには
閉じるという蓮の花はまだ開いていました。その中に、4年間毎年行っているのに
いい写真が撮れなかったせいかまだアップしていない蓮が1種ありました。
ピンクの半八重の蓮、請所本紅 (うけしょほんべに、日本花蓮協会リストでは
「請所の本紅」)。かつて京都南部にあった巨椋池系の品種だそうです。今年は
いい具合に開いていました。
請所 (うけしょ) は、Yahoo百科事典によると、平安時代の荘園 (しょうえん) 制度
に関する言葉で、地元の地頭 (じとう)、荘官 (しょうかん)、名主 (みょうしゅ)らが
不在領主 (領家 りょうけ) と契約して一定額の年貢納入を請け負い、かわりに
荘園支配の全権を委任される場合に、請け負った荘地 (下地 したじ) を請地
(うけち) あるいは請所 (うけどころ) と呼んだそうです。 (請け負った年貢は
請料(うけりょう)、請口(うけぐち)という)。
asahi.com によると、
江戸時代の女性たちが主に口紅として伝統の「本紅 ほんべに」は、紅花に
含まれているわずか1パーセントの赤の色素を精製して作られ、「金一匁 (もんめ)
紅一匁」 というほどに本紅はとても貴重で高価なものでした。小さなお猪口
(ちょこ) の内側に塗られた、玉虫色に光る絵の具のような形で乾いた状態で
販売されましたが、本紅は光に弱いため、使わない時は伏せておけるように
ということだそうです。また赤ではなく玉虫色に見えるそうですが、これは純度が
高い赤の色素が光を吸収してしまい、反対色である緑色の輝きを放つからで、
不思議なことに、水を含ませた筆で溶くと、鮮やかな赤色に一瞬で変わるのだ
そうです。
本紅の産地はベニバナの山形かと思って検索すると、
山形県観光物産会館HP
にこうありました。
『「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花」 天童から山寺へ向かう
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)奥の細道で詠んだ句です。紅花は末摘花とも
いわれ、花びらの脇に鋭いとげがあります。朝露にぬれて柔らかいうちに収穫
され、加工されて北前船で京へ運ばれていました。山形からは紅を、京からは
帰り船で日用品などが運ばれてきました。旧家に伝わる 「享保雛」「古今雛」
などは紅花交易で運ばれてきたものです。』
請所を山形と断定はできませんが、この蓮の名は、その花色を遠く請所から
運ばれた本紅の赤色になぞらえたものでしょう。命名の時代はいつなのか
分かりませんが、江戸時代にも請所という言葉は生きていたようです。
(埼玉県行田市 古代蓮の里 090704)
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下は2005年7月30日のもの。
写真が1点しかなく、アップしなかったのでした。