つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

没後、1年。

2025年02月04日 22時13分13秒 | りくすけ
                                
それはちょうど一年前の事だった。
長年(15年間)連れ添い、共に時間を過ごした愛犬が死んだ。
名前は僕のブログネームと同じ「りくすけ」という。



彼と出会い、散歩をするようになり、わが町の風景を撮り始めた。
彼と出会わなければ、こうして貴方に出会うことはなかったのだ。
最期は、同じ寝床に就き僕の腕枕で眠りながら旅立ってしまった。
当時の衰えぶりを見るにつけ、覚悟は固めていたつもりだったが、
いざ「その時」を迎えてみると喪失感の深さは筆舌に尽くし難く、
深い哀しみに苛まれたのを、数時間前の出来事のように思い出す。





震える寒い冬、うららかな春、暑い夏、錦秋。
思い出を積み重ねながら共に歩を進めてきた。
上記2つの画像は、よく彼と一緒に訪れた所。
わずか数日前に撮影した時は、明るい陽の下。
既に報道などでご存じの通り今は一面の白銀。
思い出も何もかも白い雪に覆い隠されるのは、
一体いつになるのか、僕には未だ分からない。

back number - 思い出せなくなるその日まで (full)

                   
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スポーツの未来。

2025年01月19日 21時00分00秒 | 日記
                       
明日から大寒を迎えるのに10℃を超える小春日和の本日(2025/01/19)、
「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」設立10周年記念式典が開催された。
会場は「津幡町文化会館シグナス」大ホール。
1階638席の埋まり具合は6~7割。
僕も観客の1人となる。









集客の呼び水なったのは
「金城 梨紗子(きんじょう・りさこ)」「恒村 友香子(つねむら・ゆかこ)」両氏。
旧姓「川井」姉妹によるトークショーだと思う。
お2人はわが津幡町出身。
小中と地元公立学校に通う傍ら、母がコーチを務めるレスリングクラブで競技を始め、
姉・紗子選手がリオ、東京2大会連続でオリンピック金メダル。
妹・友香子選手も東京大会で金メダルを獲得した。
同会場1階ロビーには、その軌跡と偉業を称える展示もある。



「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」は、平成26年4月に法人格を取得。
町内の地区体育協会7団体、競技団体39団体、
ジュニアスポーツクラブ(教室)34団体が加盟。
平成27年4月からは、指定管理者制度により津幡町総合体育館・津幡町テニスコート・
津幡運動公園・津幡町艇庫の管理運営を行っている。
人口4万に満たない町としては、スポーツが盛んな土地柄と言っていいだろう。
やはり同会場1階、各教室案内チラシ掲示は賑やかなのである。



本日の式典では壇上に於いて町長を筆頭に来賓の挨拶・祝辞があった。
協会の歩みを振り返る中でほゞ共通して繰り返されたキーワードは、
「(日本)社会の変革」と「少子化」。
2025年現在、この町から競技スポーツの舞台で活躍する選手が登場しているのは、
関係各位の尽力の賜。
素直に拍手を贈りたい。
そして、確実に来る高齢社会へ向け、更なる取り組みを期待したい。
                        
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津幡短信vol.127. ~ 新春風物詩。

2025年01月13日 19時19分19秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【新春の風物詩。】

先日(2025年)1月4日のこと。
朝から午前の仕事を終えた帰路「住之江橋」に差し掛かると、
下流側の欄干に人だかりが出来ていた。
『人が川に落ちたのか?』
『熊や猪など大型獣でも現れたのか?』
近くに車を停め、捕物や捜索を思い浮かべながら近づいてみるも然に非ず。
僕を含めた野次馬の目当ては「河北郡市消防団連合会出初式」だった。





近隣一帯から総動員された消防車が物々しくサイレンを鳴らしながら集結。
津幡川河川敷道路に縦列整列し、次々とホースを川面に下ろす。
身を切るような寒風が吹き抜ける中、下帯姿の男たちが身構える。
対岸の指揮車が旗振りに合わせ一斉放水。
観客からも拍手が上がった。



続いては本日(2025/01/13)「清水八幡神社」で行われた「左義長」。
ご存じ小正月の火祭り。
別名「どんど焼き」「鬼火焚き」。
門松や注連飾り、縁起物、書初めなどを焼き、その炎と共に歳神を送り、
一年の無病息災と幸福、豊作を祈る。





ちょうど鏡開き直後である。
参加者の多くが焚火で振る舞い餅を焼いていた。
僕も子供の頃、同じように竹竿を伸ばした記憶がある。
また神社社務所では「ぜんざい(200円)」を販売。
今年も一つ相伴に与る。旨かった。ごちそうさまでした。



ラストは上記左義長後に立ち寄った施設「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で撮影。
まずは「旗源平(はたげんぺい)」。
<百万石城下町金沢で行われた遊技で、お正月には武家、商家、老若男女を問わず
 賽の目より源氏(白旗)、平家(赤旗)をはげしく争奪する加賀藩独特の旗取ゲームです。
 これは、加賀前田家12代斉広 (なりなが)公の頃、武術の達人土方常輔が
 遊技を以て町民にも治にいて乱を忘れさせない意図で案出したものといわれています。
 遊具は笹竜胆(ささりんどう)の白、揚羽蝶(あげはちょう)の赤の
 纏(まとい)と旗をならべた優雅なものです。
 なお、この旗源平は明治の初期頃に金沢の旧家で用いられていたものを模したもので、
 旗はすべて手作りで旗の上にはそれぞれ「軍配」「千成ひょうたん」をつけ、
 勇壮さと優雅さを合わせ持った遊具です。>
(※<   >内、説明パネルより引用/原文ママ)



続いては「炬燵」。
僕個人の周囲からこの頭寒足熱の暖房器具が消えて久しい。
展示にあるとおり、コイツの上で飯を喰ったり、麻雀したりしたものだ。
ちょうど今「れきしる」では3月末まで
冬の民俗資料展「暖房器具のいろいろ」を開催中。
都合と時間が許せば足を運んでみてはいかがだろうか。

<津幡短信 vol.127>
                        
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物の怪は、愛の化身

2025年01月10日 20時20分20秒 | 手すさびにて候。
                          
寒中お見舞申し上げます。
寒の入りとともに、列島は広く雪模様。
拙ブログをご覧の皆さまは、お変わりございませんでしょうか。
くれぐれも健康にご留意のうえ、ご自愛くださいませ。

さて、僕は「雪」に対し畏敬の念を抱いています。
それは北陸で生まれ育ったせいかもしれません。
とは言え、当初はいいイメージではありませんでした。
厚い鉛色の雲に閉ざされた空から舞い落ちる冷たい雪は、
草木を覆い尽くし、色彩をモノトーンで蹂躙する「白い死神」。
子供だった僕には、この世を滅ぼす恐ろしい存在に思えたものです。
ところが、ある科学読み物をキッカケに一新しました。

<土の中にはたくさんの目に見えないび生物がいます。
 その一部は、冬も生きていてかつどうしています。
 秋、地面に落ちた葉っぱなどには栄養がいっぱいあり、
 び生物たちが冬のあいだに土のようぶんに変えます。
 じつは、そのかつどうをたすけているのが雪です。
 気温がマイナス0度いかになっても、雪の下の地面はこおりません。
 雪がふとんになってび生物を寒さからまもっているのです>
(※<   >内出典不明/記憶の中の文面

驚きました。
雪は生活を脅かすだけではなく、大地を育む役割を担うのだと知り、
印象が「恐れ」から「畏れ」へ変貌した時、
心の奥からあのクールビューティーが浮かび上がってきたのです。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百四十四弾「雪おんな」。



現在の東京~埼玉~神奈川の一部に跨る「武蔵国」に
「巳之吉(みのきち)」という若い樵(きこり)がいた。
彼の仕事場は川向うの森、そこへ年老いた同僚と出かけるのが日課だった。
ある冬、帰り途で猛吹雪に見舞われ、渡し舟の小屋で一夜を明かすことに。
粗末な室内には火鉢も囲炉裏もない。
蓑(みの)を被り、嵐が過ぎるのを待つうち2人は寝入ってしまった。

夜半、顔に吹き付ける雪に気付いた「巳之吉」は目を覚ました。
頭をもたげると、きつく閉めたはずの戸口が開いているではないか。
老人が心配になり首を回すと、そこには白装束の女が。
息を呑むのと殆ど同時だった。
やにわに振り向くや、こちらを覗き込んできた。
不気味な光を湛えた瞳に射すくめられた。
指一本動かせず、喋れないのは恐ろしかったからだけではない。
見惚れてしまっていたのだ。
しばらく男を凝視していた女の口角が僅かに上がる。
青白く冷たい呼気に混ざり、凛とした声音が言葉を紡いだ。

『お前はまだ若くかわいい。 仲間と同じ目に合わせるのは止めよう。
 だが忘れるな、今夜見た事は胸の中だけに留めておくのだ。
 誰かに--- たとえそれが母親でも話をしたら、お前を殺す』

言い終わるや否や、女は踵を返し音もたてず出て行った。
慌てて飛び起き外へ出たが、白装束は烈しい吹雪に紛れて見えない。
諦めて戻った屋内に、凍りついた亡骸が横たわっていた。


 一年後「巳之吉」は樵を続けていた。
独りで森に入り、木を伐り、適度なサイズに小分けする。
それを背負い母の待つ家へ帰る日々。
単純だが大変な労働で生計を立てる暮らしは、性に合っていた。
何より自然相手だから余計な話をしないで済む。
特に「あの夜」の事とか---。

そんなある日の帰り途、スラリとした一人の若い女に往き合った。
追いつき横に並んだ男の挨拶に答える声は、凛として可愛らしい。
歩きながら話をするうち「雪」と名乗る美少女の境遇が少しだけ知れた。
先頃、両親を亡くし、親類を頼って江戸へ行くところで、
向こうではどこかの大店か料理屋の女中の職を世話してもらえるはずだという。
男は思い切って尋ねた。

『お雪ちゃん、誰か“いい人”でもいるのかい?』
『いいえ、何の約束もありませんよ』

笑いながらそう言った彼女の整った横顔にどことなく懐かしさを覚えた。
今度は女が質問する。

『巳之吉さんは、どうなんです?』
『俺ぁ独り者だ。母ちゃんと暮らしている。まだ若いから嫁っ子の事は考えてもいねえ』

互いに身上を打ち明けた後、2人は押し黙り、寄り添って歩いた。
しかし、相手を憎からず思っているのは以心伝心。
村に着いた時、男は家で休んでいかないかと提案。
はにかみ躊躇いながらも申し出を受ける女。
息子が女性を連れてくる珍事に、母は大喜び。
旅程を延ばしてはどうかとまで勧めるのだった。
こうして縁が生まれ、彼女が江戸の土を踏むことはなかったのである。


 五年後「雪」は美しいままだった。
男女10人の子を儲けたが、始めて村へ来た日と変わらず瑞々しい。
きめ細かな肌は、名前のように白く透き通っている。
大概、田舎の嫁は早く年を取るのに、何故?
村人たちは、彼女に常人とかけ離れた不自然さを感じ「畏敬の念」を禁じ得ないのだった。
もっとも当の夫は、露ほども気にしていなかった。
別嬪の恋女房と可愛い子供たちに囲まれ、毎日が幸せだった。
----- 好事魔多し -----
行燈の光の下で針仕事をしている女に、不意にこう切り出した。

『お前がそうしているのを見ると、18の年に遭った女を思い出す。
 お前のように色が白くて。そっくりだったよ』

刹那、針が止まった。
ついに禁を犯した男はまったく気が付いていない。
手元を動かしながら目線を落としたまま、女が話の穂を継ぐ。

『--- へえ、初耳。続けてくださいな』

舟小屋で過ごした恐ろしい一夜。
凍死した相方と、白装束の美女。
洗いざらい打ち明けてしまった。

『あれは人間じゃなかった。
 およそこの世のものに思えないほど恐ろしく、綺麗だった。
 もしかしたら、夢か幻、かもしれないと考えてしまうんだ』

眉根を寄せ、哀し気に歪む女の顔。
涙で潤んだ瞳は、暗く沈んでいた。
その奥に不気味な光が湧き上がる。
確かに「あの夜」に見た、赤目だ。

『夢でも幻でもない、現(うつつ)だ!
 それは私!「雪」です!
 誰かに話したら殺すと言ったはず!
 --- この子達さえいなければ ---』

枕を並べ寝息を立てている小さな命の方を振り返った途端、
憤りで沸騰寸前の感情に慈愛が水を差した。
いや、我が子だけじゃない。
何度も身体を重ね、苦楽を共にしたこの男も愛しい。
「あの夜」に岡惚れしたのは、私だ。

『今度こそ忘れないで。 もし、子供たちが不幸になったら。
 今度こそ巳之吉さん、あなたを ---』

まだ結末を言い終わらないうちに、凛とした声はか細くなっていった。
そして輪郭が曖昧になり、光を照り返す細氷となって霧散していった。
それきり「雪」の姿を見た者は、唯の一人もいない。



原典は、明治37年(1904年)に出版された有名な一冊、
「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)」著「怪談」の一節。
その大筋は変えず、脚色したのが上掲拙文である。
こうした雪おんな伝承は日本各地に残っているが、
「ハーン」版の元になったのは、彼の家の奉公人から聞いた昔話といわれる。
ストーリーテラーの出身は、現在の東京都西奥部。
埼玉・栃木・山梨と境を接するだけに、いずれ山深い地域の奇譚だろう。

ここから先は全くの推測・想像だが---
著者が、物の怪と人間の異類愛憎物語に惹かれたのは、
自身の背景と無縁ではない気がするのは僕だけだろうか。

「ラフカディオ・ハーン」は、ギリシャ生まれ、アイルランド育ち。
複雑な家庭の事情から実父母と離別し、
不幸な事故により隻眼となってしばらく後、養育者が破産。
学業を中途で諦め、遠縁を頼りに渡米。
赤貧に洗われながら勉強を続け、新聞記者の職に就く。
その頃、英訳『古事記』を読んで興味が募り日本行を決意。
明治23年(1890年)太平洋を渡った。
島根県・松江に英語教師として赴任した「ハーン」の世話役に雇われたのが、
旧松江藩家臣の娘「小泉セツ」。
2人は辞書を片手にコミュニケーションを重ね、言葉の壁を乗り越え結婚。
「ハーン」は日本に帰化し小泉家に入夫。
『古事記』にある和歌から引用して「八雲」を名乗るようになった。

思うに「雪おんな」は彼の分身だ。

時は19世紀末。
当時のヨーロッパ人にすれば、江戸の面影を留めた日本は一種の“異世界”。
歴史・習慣・文化の違う日本人は異類とも言える。
また、武門出身の女性が夫に対し似たニュアンスを抱いていて不思議ではない。
結婚に至るまでには多くの困難があり、その後も大小様々な戸惑いがあっただろう。
だから「八雲」は魔界人に己を重ね合わせたと考える。
「巳之吉」と幸せを築きながらも、いつか綻びが生じ、
別れが訪れるかもしれないと不安を抱えた彼女に。

そして、彼女は愛する伴侶の化身だ。
何故なら「雪」は「セツ」とも読めるのだから。
                          
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津幡短信vol.126. ~ 令和七年 正月。

2025年01月03日 07時30分00秒 | 津幡短信。
                     
新年おめでとうございます。
今年も拙ブログをどうぞよろしくお願いいたします。
令和7年(2025年)最初の投稿は、
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【元旦叙景。】

『弁当忘れても、傘忘れるな』
ご存じの向きもあるだろうが、北陸から山陰にかけそんな諺が伝わる。
陽が差しているかと思えば、にわかに搔き曇り風が吹き始め、
雨や雪が落ちてきて、ひとしきり降りが続いたらまたブレイク。
目まぐるしく変化する冬の天気を指す言葉だ。
元日の空模様も不安定だったが、朝方~午前は晴れ間が覗いた。



「おやど橋」から津幡川越しに「弘願寺(ぐがんじ)」を望む。
微風が残りさざ波が立ってしまったが、辺りの景観と空が川面に映る。
撮影したのは午前6時半頃だったか。
車も人も通らない早朝、穏やかな北陸の片田舎らしい幕開けだ。
耳朶を打つのは水鳥の羽ばたきのみ。
画像奥、右へカーブした流れの向うに少なくない数の鴨類が留鳥として生息している。
姿かたちからして水面採餌タイプと推測。
水に浮いた種子や昆虫を食べる彼らにとって、
岸近くに葦が生え、敵も少ない津幡川は住み心地がいいのかもしれない。



変わっては津幡町加賀爪の「白鳥(しらとり)神社」。
昔々この地に舞い降りた白鳥を捕らえ献上したところ、
日本武尊(やまとたける)の魂が白鳥となって飛び去った話を思い出した天皇が、
お宮を建て白鳥の神と名付けて祀ったのが由来とか。
鳥居が竹製にのは、一年前の地震の影響だ。
ダメージを負い倒壊の危険があるとして、元の鳥居は撤去。
石造りを再建するには7桁の費用が必要と聞いた。
「仮鳥居」になって半年が経つ。



本殿内に明かりが灯り、人の話し声が聞こえる。
初詣の準備が進んでいる様子。
僕は平穏無事な一年を願い手を合わせた。

<津幡短信 vol.126>
                        
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