「今日の一枚」は、津幡町・加賀爪の「延命地蔵」。
県道217号線沿い、津幡中学校のグラウンドに隣接した一角に建つそれには、
次のような由来がある。
『延命地蔵尊の由来
この地蔵は明治初年横浜普念寺の住職が就寝中枕辺に不思議な老人が現れ
「吾は延命地蔵なり、我姿河原市用水に有り」と夢の御告げあり、
住職は翌朝寺番に命じて用水を探させたところ、
加賀爪東方付近の川辺に流れます地蔵尊の御姿を発見し寺へ持ち帰り
以来四十年普念寺に安置されていましたが、
明治の終わり頃加賀爪区へ御迎え申し上げ老若男女の篤い信仰を享けております。
昭和四十五年八月都市計画道路建設の為、現在地に再び還座申し上げた。』
(※地蔵堂の石碑より引用、原文ママ)
延命地蔵は、名前の通り「新しく生まれた子を守り寿命を延ばす」。
延命とご利益を祈願し、短命・若死にを免れるため信仰されている。
昭和45年(1970年)からこの地にあるという事は、毎朝、僕も前を通っていた。
ずっと、見守られていたのである。
お地蔵さまは、今も見守っている。
県道217号線沿い、津幡中学校のグラウンドに隣接した一角に建つそれには、
次のような由来がある。
『延命地蔵尊の由来
この地蔵は明治初年横浜普念寺の住職が就寝中枕辺に不思議な老人が現れ
「吾は延命地蔵なり、我姿河原市用水に有り」と夢の御告げあり、
住職は翌朝寺番に命じて用水を探させたところ、
加賀爪東方付近の川辺に流れます地蔵尊の御姿を発見し寺へ持ち帰り
以来四十年普念寺に安置されていましたが、
明治の終わり頃加賀爪区へ御迎え申し上げ老若男女の篤い信仰を享けております。
昭和四十五年八月都市計画道路建設の為、現在地に再び還座申し上げた。』
(※地蔵堂の石碑より引用、原文ママ)
延命地蔵は、名前の通り「新しく生まれた子を守り寿命を延ばす」。
延命とご利益を祈願し、短命・若死にを免れるため信仰されている。
昭和45年(1970年)からこの地にあるという事は、毎朝、僕も前を通っていた。
ずっと、見守られていたのである。
お地蔵さまは、今も見守っている。
