つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

若武者たち、荒ぶる戦場に躍動す。

2019年09月24日 08時30分44秒 | 賭けたり競ったり

きのう、福井県の「三国競艇場」に於いて
「第6回ヤングダービー」優勝戦が行われた。
同大会前年優勝者、
G3イースタンヤング、ウエスタンヤング優勝者、
当年9月1日時点で満30歳未満の勝率上位者によるプレミアムG1競走。
つまり「ヤングダービー」とは“若武者ナンバー1決定戦”である。
ご存知の通り、きのうは日本海を台風17号が縦断。
開門前、入場口に並んでいる際は、時折、体が傾くほどの強風。
徐々に治まる予報ではあったが
10メートル以上の風が吹く大荒れのコンディションの中で幕が開いた。
レースは、全艇「安定板」装着。
序盤は「展示航走」1周、「本番レース」2周となった。
分かる方には分かるだろうが、これは安全を考慮した措置。
しかし、それでも波乱は起こる。
第3レース、一番人気を背負った1号艇が風に煽られて転覆した。
事故艇周辺では基本的に「追い越し禁止」。
安全を確保しながら原則として右側を通過しなければならない。
こんな時、活躍するのが「レスキュー艇」である。
全長5.7メートル、総重量650キロ。
床面積が広く、左右の乗降ゲートが低い。
普段は競争水面の隅に待機し、
事故が起こるとレーサーを救助したり、転覆ボートを曳航したりする。
また、優勝選手を乗せてウィニングランを行ったり、イベントでも運用。
競技にはなくてはならない存在だ。
果たして最後に乗艇するのは誰か?
頂上決戦の時が近付きつつあった。
ちょうど、同じフロアに生中継番組「BOAT RACEライブ」の放送ブースが設置。
元サッカー日本代表の「武田 修宏」、タレントの「川村ゆきえ」が司会進行。
ゲストに、ボクシングWBC世界ライトフライ級王者「拳四朗」。
解説にボートレースアンバサダー「植木道彦」が座る。
この人はスゴイ人なのである。
デビュー3年目、桐生競艇場でのレース中に転覆。
後続艇のプロペラと接触し、75針を縫う大怪我を負う。
一時は復帰すらも危ぶまれた半年後、
カムバックの舞台として選んだのは、桐生競艇場だった。
賞金王決定戦優勝3回、10年連続賞金王決定戦出場。
9年連続獲得賞金1億円超え。
現役時代の圧倒的な強さと不屈の心を称え、
ファンからは“不死鳥”、“艇王”と呼ばれている。
間近で、そのご尊顔を拝し感激したのは、言うまでもない。

さて、優勝戦である。

1号艇:永井彪也 (東京)
2号艇:福田宗平 (大阪)
3号地:村岡賢人 (岡山)
4号艇:豊田健士郎(三重)
5号艇:宮之原輝紀(東京)
6号艇:今泉友吾 (東京)
荒ぶる風は北へ去り、12レースの風速は6メートル。
僕は、12-12-流しの3連単と、1235の2連単BOXを投票。
ファンファーレを待った。
出走! やはり戦前に予想したとおり、赤いカポックが舳先を翻し後ろに引く。
ダッシュ4艇、スロー2艇でスタート! 
横一線! 3の仕掛けは失敗に終わった。
2が意表を突く捲りに出たが、これも不発。
活路を見出したのは、4。
外へ流れた2と3の間を鋭く差し込んできた!
結果、1-4-2。
最後にレスキュー艇に乗り込んだのは「永井彪也」だった。

おめでとう!
僕の舟券は完敗。
でも、一日を通して楽しめた。
このリアルが全てである。
コメント (1)
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