つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.122. ~ 令和六年 入梅。

2024年06月22日 23時45分45秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【雨に憂いて。】

本日(2024/06/22)気象庁は、北陸(新潟、富山、石川、福井各県)と、
中国地方(鳥取、島根、岡山、広島各県)が梅雨入りしたとみられると発表した。
梅雨前線を押し上げる太平洋高気圧の北への張り出しが弱かった影響で、
中国は平年より16日、昨年より24日遅く、北陸は平年より11日、昨年より13日遅い記録となった。

ようやくレイニーシーズンを迎え季節は通常運転。
ホッとする反面、嫌な記憶も頭を過る。
およそ1年前の令和5年7月12日、石川県内で初めての線状降水帯が発生。
津幡町では1時間80ミリの猛烈な雨が降り、4つの河川で氾濫が認められた。
人的被害がなかったのは不幸中の幸いだが、物的損害は小さくない。
住宅全壊7棟、大規模半壊1棟を含む370棟に影響。
道路150か所、河川40か所を含む町管理設備に被害が及んだ。

その記憶も生々しい現在。
--- 町内各所には「令和6年 能登半島地震」のダメージが残っている。





今年元日の揺れから早や5カ月半。
時が経つにつれ地盤の歪みが現れたところもある。
路面の窪みやひび割れから雨水が地下へ滲みこめば、更なる沈下を招きかねない。



土砂崩れの解消していない地点は、気が気ではないだろう。
津幡町・緑が丘地区の崩落箇所、地震直後に応急処置で被せたブルーシートが色あせてきた。
町は今秋にも本格復旧工事に着手の予定との事。
二次被害なく雨期を乗り越え、再建を願っている。





先日、町内の社で「仮鳥居」を見かけた。
初めて目にする光景に驚き、傍で草取りをしている氏子の方に理由を尋ねたところ、
『地震により「貫(ぬき)」にひび割れが入り、倒壊の危険があるとして撤去された』とか。
上掲画像「白鳥神社」と「野田八幡宮」2つの神社の鳥居は、いずれも明神系の石製だった。
それが、竹と木の簡素なものに。
こちらの再建への道も前途多難である。
                         
<津幡短信 vol.122>
                                         

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