つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

注意!山の王者出没!

2019年08月14日 16時57分38秒 | 自然

あれは、昨夜の午後9時前だった。

「ミニボートピア津幡」で最終レースを見届け、
いつもの下り坂を車で走り始めて間もなく。
ヘッドライトの中に黒い物体が浮かび上がった。

闇よりも濃い何かは、結構大きい。
それが「イノシシ」だと気付いた僕は、一瞬バックミラーに目をやり、
後続車がいない事を確認してブレーキを踏んだ。
ちょうどこの辺りである。

道路中央、赤い円付近にいたイノシシは、
慌てた様子で一目散に矢印方向へ遁走。
山の中に消えてしまった。
車との距離は10m程か?
ぶつからなくて良かった。

今朝、愛犬を伴い現場を再訪。
特にイノシシがいた形跡は、見つけられなかった。

日本の本州~四国~九州に分布する種は「ニホンイノシシ」。
冬眠をしないことから寒い地域の生息数は少ないが、
近年の温暖化に伴い、北限は拡大傾向にある。

成獣の体長は100~170cm。
体重は80~150kg。
最高速度は、時速40kmオーバー。
剛毛と分厚い毛皮に覆われ、下あごの犬歯が牙状に発達。
人間の運動能力を遥かに凌駕する巨体が、
鎧を身に纏い、短刀を帯びているようなものだ。

ひとたび成獣になってしまえば日本国内において敵なし。
唯一、体格・攻撃力において勝る「クマ」は、滅多に大型哺乳類を狙わない。
しかも、個体数が限られる。
ニホンオオカミが絶滅した今、イノシシは「山の王者」と言えるだろう。

イノシシは雑食性。
基本的には何でも口に入れるが、主食は植物。
ドングリや栗、タケノコ、キノコ、柔らかい新芽などを好んで食べるそうだ。
目撃地の辺りなら、自生する餌は多い。

しかし、農作物の被害も少なくない。
稲やサツマイモ、豆類のそれは深刻なケースもニュースで耳にする。

加えて、墓地がイノシシに荒らされる被害が急増しているらしい。
目当ては「お供え物」。
お盆の墓参りの際は、持ち帰るのがよさそうだ。
ご注意くださいませ。
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特盛、競艇丼!?

2019年08月13日 23時01分39秒 | 賭けたり競ったり

きのう、家から最も近いレース場「三国競艇」へ行ってきた。
津幡町からは、高速を走り、片道1時間半程度の距離。
これだけ近いのだから、頻繁に足を運んでいてもよさそうなのだが、
訪問回数は「常滑競艇」→「びわこ競艇」→「三国競艇」の順。
ご近所のため、僕の気持ちでは「旅打ち」の情緒に欠けるのかもしれない。

展示を見て、出走表と睨めっこし、勝敗の行方を予想して、投票。
場外舟券売場(最近はボートレースチケットショップと呼ぶらしいが)と、
やる事は変わらないが、当然の事ながら臨場感がある。
改めて、本場はいいものだと実感した。

この日は、一般戦4日シリーズの最終日。
「名物水中二尺玉 三国花火大会競走」と銘打たれているのは、
前日(8月11日)に行われた、夏のイベントと連動しているからだ。

最高気温35度の中、レーサー達は熱戦を繰り広げてくれた。
12レースのうち、イン逃げは8本。
4本が捲り決着。
やはり、猛暑が影響したのか?小波乱~中穴~高配当も飛び出す。

僕の舟券は、まあまあ的中を得る。
思い返すと「惜しい展開」、「悔いの残る選択」もあったが、
プラス収支だから文句は言うまい。

三国競艇は、現在「モーニング開催」。
第一レース発走は、午前8:50と通常の時間帯より早くスタート。
最終レースは、14:48。
途中、一舟300円のたこ焼きを購入し糊口を凌ぎつつ、
優勝戦、1-2-5の順当決着を見届ける。

9月18日~23日まで開催されるプレミアムG1、
「第6回ヤングダービー」での再訪を誓い、
本場を後にし「ヨーロッパ軒」へ向かった。

“創業者、高畠増太郎がドイツ・ベルリンの日本人倶楽部での
 料理研究の留学を終え、明治45年帰国。
 (天皇の料理番の秋山徳蔵氏も同期)
 ドイツ仕込みのウスターソースを日本人の味覚に普及さすべく
 苦心を重ね、創案致しましたのが、
 翌大正2年 東京で開かれた料理発表会にて
 日本で初めて披露しました『ソースカツ丼』でございます。”
             (※ヨーロッパ軒HPより抜粋、引用)

日本で初めて丼飯の上にトンカツを乗せた元祖・カツ丼。
「ヨーロッパ軒」とソースカツ丼は、福井名物だ。
到着は午後3時を過ぎていたが、しばし入店待ち。
人気店なのである。
・・・と、ここで「福丼県」なる幟を発見。

福井県は、お米の代表的品種「コシヒカリ」の発祥の地。
また、食材を生かした丼文化はとても豊か。
2014年9月29日、「くうふく(9・29)の日」に「福丼県プロジェクト」を始動。
福井県民80万人が総出で、丼でおもてなししようという訳だ。
・・・と、ここで幟の下部、見慣れたロゴに気付く。

ここにも俺たち(競艇ファン)の銭が関わっていたのかっっ!
日本財団は、競艇の売上金の約2.8%を交付金として受け入れ、
国内外の公益事業を実施している団体への事業支援を行っている。
遠慮なくいただこう!

席に着き、「カツ丼」(930円)を注文。
以前、他の店でいただいた時の器は瀬戸物だった。
いざ、オープン!!

途端に、ウスターソースと香辛料の匂いが鼻孔をくすぐる。
薄くスライスしたロース肉やモモ肉を目の細かな特製パン粉にまぶし、
ラード・ヘッドでカラリと揚げたカツ。
噛み締めると、サクサクとした心地いい食感。
広がる甘みと酸味、肉の脂。
ご飯との相性もバツグン。
旨いのである。

さぁ「ミニボートピア津幡」に戻り、蒲郡競艇場で行われている
「第33回 レディースチャンピオン」優勝戦に投票だ。
最年少記録がかかる、福岡支部トップルーキーの1号艇か。
唯一人、地元・愛知支部から勝ち残った4号艇か。
どちらかの戴冠を望んで張る。

進入は123/456枠なりの3対3。
1号艇がコンマ01のトップスタート。
捲り差しを狙う3号艇の舳先が入りかけたが、
引き波で艇が浮き上がり、間隙を4号艇が突いた!
1は一人旅。
3と4の熾烈な2~3着争いの結果1-4-3でゴール!

見たかった光景も、的中舟券も恵んでもらった。
「大山千広」選手、おめでとう!!
ニューヒロイン誕生の瞬間に立ち会い満足至極。
朝から晩まで、競艇の愉悦に浸りお腹いっぱい。
ごちそう様でした!
コメント (2)
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津幡短信vol.61

2019年08月11日 13時52分11秒 | 津幡短信。

津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、この3本。

【たいとや、建物消失。】

江戸時代、特権階級の象徴「名字帯刀」を許された事から、
「たいとや」の屋号を持つ町医者が閉院して、2年余りが経つ。
その間、建物は名残を留めていたが、先日、遂に更地になった。

また一つ、見慣れた風景が消えた。
往時の様子は、記憶の中。
拙ブログに記録として遺せたのは、幸いだと思っている。
(※2017年12月10日、2018年10月14日投稿アリ)
一方、新しい景観にも接する。

「酒井医院」跡地から、旧・電電公社を望む。


【津幡町、新計画発動。】

津幡町は、屋内温水プール建設へ動き出している。

計画では、屋内温水プールは住吉公園の芝生広場用地を活用して整備。
建物は2階建てを想定し、6~7コース程度の25メートルプールやトレーニングスタジオ、
飲食スペースなどの設置を検討していると聞く。
子どもから高齢者まで幅広い年齢層が気軽に体力づくりなどを楽しめる憩いの場を提供し、
地域の生涯スポーツの振興につなげるのが目的。

また、プール建設と並行して、開園から20年以上が経過し老朽化している公園施設の
長寿命化改修にも取り組む。
今年度から23年度までの5カ年で全体事業を進めている。


【シュールな夏の一コマ。】

かつて、夏の歌舞伎興行は「東海道四谷怪談」など、幽霊が出る演目を選び、
「涼み芝居」を上演した。
肝を冷やし、暑さを忘れようという趣向。
今や、怪談は夏の風物詩の1つになっている。

この背景にあるのは、夏の年中行事「お盆」。
お盆には、あの世から死者が帰ってくる。
祖先の霊だけではなく、無縁仏や、怨霊も。
日本の夏は、霊魂と交感する習慣があるのだ。

霊ではないが、散歩中にマネキン案山子に遭遇。
津幡町・中須賀「八幡神社」の裏、
イチジクの樹の向こうに現れた、女の首。
・・・一寸驚く。
夏のシュールな光景である。


<津幡短信vol.61>
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国境(くにざかい)訪問記。

2019年08月10日 11時54分49秒 | 日記

わが津幡町は、四方陸続きに境を接する自治体がある。
北が「かほく市」、南は「金沢市」、西に「内灘町」、東を「富山県・小矢部市」。
先日、その1つ・・・
加賀と越中を分ける標高152mの「天田峠(あまだとおげ)」を訪れてみた。

この道が開かれたのは、今から140年余り昔の事。
明治11年(1878年)、明治天皇の北陸行幸に際し、
馬車通行可能な道として開削された。
更に、昭和9年(1934年)、自動車用に整備されたのが現在の姿。
この改修を記念する記念碑が建っている。

「幅員ヲ広メ 屈曲ヲ矯正シ、鉄道踏切ヲ除去シ、
 峠二於テ十米ノ切下ヲ行ヒ、
 以テ 勾配緩和ヲ図り開サク 数次ノ地スベリニ抗シツツモ、
 能ク所期ノ目的ヲ達シ」
・・・。

石に刻まれた文字から、苦労が滲む。

峠のすぐ傍、側道を登ると「倶利伽羅山八大龍王神」を祀る、
小さな社(やしろ)が建っている。

昔から九折(つづらおり=周辺の地名)の村人に、
「峠の神様」と親しまれているこの神様は、よく大蛇に化けて人々を驚かせたという。
また、前述の峠改修工事に関連した逸話が残っている。
津幡町観光ガイドHPより引用したい。

「峠を堀り下げていると、両側の山が地滑りを起こして工事が難航しました。
 度重なる地滑りにほとほと困りかねていた時、
 村人の1人が峠の神様の言い伝えの話をしました。
 その時、峠の神様は工事の邪魔になったので、付近に放置されていたのです。
 そこで海の見えるところに小さな祠(ほこら)を建てて安置し、
 お祀りしたところ、その後工事は順調に進み無事完成しました。」


やがて、天田峠の直下にあった鉄道トンネルが、一般道路に転用。
幹線は、距離、勾配共に大きく緩和された国道8号線へ移り、
峠越えの道は、すっかり静かになった。

鉄道開通まで、天田峠には「柳の茶屋」という茶店があり、
大層賑わったそうだが、今は昔。
跡形もない。

峠の麓、道の駅の一角には、
源平合戦や、江戸時代まで「北国街道」と呼ばれていた頃の資料が展示されている。
その中に茶店のディスプレイが。
往時は、こんな雰囲気だったのかもしれない。

帰り道、現代の茶店に立ち寄る。
国道沿いの「ドライブイン風車(ふうしゃ)」の創業は昭和48年(1972年)。
確か、以前は名前の通り大きな風車があったと記憶。
店内には、昭和の面影が残る。

注文したのは、モチロン名物「倶利迦羅そば(冷)」。

喉越しが良く、コシの強い麺はほんのり緑色。
地元で採れた山ゴボウの葉や抹茶を使っているからだ。
歯ごたえは潔く、緑の香りも鼻に抜け、爽やかな後味。
お土産・贈答用の乾麺もある。
ゆうパックで取り扱ってもいる。
機会があれば、ご賞味くださいませ。
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スローモーションの中の美女。~ 映画「タクシー・ドライバー」。

2019年08月04日 21時41分03秒 | 手すさびにて候。

スローモーションは、被写体を際立たせる。

笑う、泣く、叫ぶ、といった喜怒哀楽の表情。
走る、投げる、殴る、などのアクション。
火を噴く銃口、銃口から飛び出す弾丸。
飛び散る水滴。
手から零れ落ちる砂。
瞳のまたたき。
・・・シーンが「象徴的」に見えてくる。

昔から、多くの映画監督が作品にインパクトを加えるため、
この技法を用いて撮影してきた。
「黒澤 明」、「サム・ペキンパー」、「ジョン・ウー」ら、
巨匠たちによるスローの名シーンは数多いが、僕の個人的ナンバー1は、
「マーティン・スコセッシ」がメガホンを握った映画「タクシー・ドライバー」だ。

ほんの手すさび、手慰み。
イラスト連載、第百十六弾は「ベッツィーの登場」。

アメリカ大統領候補の選挙事務所から、彼女は出てきた。
純白のドレスに身を包み、ニューヨークの雑踏に降り立つ様は、
まさに「掃きだめの鶴」。
そこに主人公のナレーションが重なる。
単語1つ1つを噛み砕くように。

“They- Can- Not- Touch- Her.”
(誰も-彼女に-触れることは-でき-ない)

ゆっくりとした動きの中には、潔癖、透明感、高貴、気品が漂っていた。

スローモーションの原理は実に単純。
高速度撮影した映像を、通常速度で再生するもの。
映画は1秒間で24コマ、TVは1秒間で30コマが一般的。
だが、スローモーション動画の1秒間には、
それらの何倍もの情報が詰め込まれている。
だからこそ、力強く雄弁に、創作者の意志を物語るのだと思う。
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