つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.111. ~ 令和五年 小正月 。

2023年01月15日 20時00分00秒 | 津幡短信。
                       
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の投稿は、以下の2本。

【左義長 ~ 清水八幡神社にて。】



本日(2023/01/15)は「小正月」。
元日の「大正月」に対するそれは、年明けから続いた正月行事の締めくくりにあたる。
全国的に多く行われているのが「左義長」だろう。
正月飾りや神社のお札・お守りなどの縁起ものなど、
新年を迎える役目を終えたアイテムを「お焚き上げ」。
1年の健康や平和を願い、その炎で焼いた餅を食べる様子も窺えた。



わが津幡町の各神社でも行われていて、
僕は、毎年「清水八幡神社」へ足を運んでいる。
雪がなく歩きやすいお陰もあってか、沢山の人が訪れていた。



【音楽、書、落語 ~ 津幡町文化会館にて。】



同じく本日「津幡町文化会館 シグナス」にて、32回目のロビーコンサートが行われた。
“ロビー”と銘打つも演奏会場は大ホールのステージ。
今回は「北陸ファゴット協会」メンバーによるもの。

ファゴットは、ダブルリードで音を出す木管楽器。
合奏や楽団では低音域を担当することが多い。
長い管を二つ折りにした形状が特徴で、16~17世紀ころに成立したと言われる。
独特の柔らかで心にしみる音色に身を委ね、楽しいひと時が過ごせた。
 


1階展示ギャラリーでは「書小品展」を開催中。
多くの作品が並ぶ中で、個人的に気に入ったのは「古」の一文字。
墨の濃淡を活かした、絵画的で自由闊達な印象である。


          
この投稿からちょうど一週間後、2023年1月22日(日)14:00~
津幡町民落語会「つばた寄席」が開催される。
細君の母堂が津幡町・加賀爪出身の縁で町広報特使を務める「月亭方正さん」。
石川県・七尾市出身の「月亭方気さん」。
「津幡おきらくごの会」のメンバーも高座に上がる。
演目の掲載・発表はないが、上方落語などの話芸が楽しめそうだ。
入場料は嬉しいワンコイン500円。
都合と時間が許せば、足を運んでみてはいかがだろうか。
                         
<津幡短信 vol.111>
                    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲーテとお口の恋人。

2023年01月14日 12時12分12秒 | 手すさびにて候。
                       
年齢を重ねると「好み」は変化するという。
確かに自分自身にも幾つか思い当たる事はある。
中でも顕著に現れるのは「食の嗜好」。
昔はよく口にしていたが、いつの間にかご無沙汰しているもの---
個人的な1つは「ガム」である。

子供の頃は、よく甘いガムに手を伸ばした。
例えば、細身のゴールドの箱に収められた香水ガム「イヴ」。
他には、柑橘の味わいが特徴「ジューシィ&フレッシュガム」。
また、香ばしいコーヒーテイストの「コーヒーガム」も忘れ難い。
各商品の名称表記はアルファベットで統一されていたから、
まるで輸入菓子みたいでカッコよく感じたものだ。

これらの製造販売元の社名が、
あの作品のヒロインに由来しているのは、つとに有名なハナシである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百十八弾「シャルロッテ(愛称:ロッテ)」。



はじめに
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」は、
1749年、ドイツ・フランクフルトに生まれた。
詩人であり小説家、法律家、哲学者、政治家。
地理や考古学、自然科学にも造詣が深い“知の巨人”だ。

その代表作の1つとされるのが「若きウェルテルの悩み」。
初刊行は、日本の江戸時代半ばにあたる。
今回は、250年前から今日まで読み継がれている古典を取り上げてみたい。

あらすじ
主人公は上流階級の青年「ウェルテル」。
中世の面影が色濃く残る小さな城塞都市に逗留していた際、
ヒロイン「シャルロッテ」と出会う。
美しい容姿、理智的で親切、大らかな母性、少女のような無邪気さ。
およそ世間一般に“女性の魅力”と言われる要素を併せ持つ才色兼備。
「ウェルテル」は、心を射抜かれてしまう。

--- しかし、彼女には将来を約束した許婚(いいなずけ)がいた。
泣く泣く恋慕にフタをして、新たな土地へ移り仕官したが、
役所の上司と反りが合わず、赴任先の生活にも馴染めずに退官。
傷心を抱えた男は、再び女の元へ向かった。
--- だが、やはり成らぬものは成らぬ。
絶望した「ウェルテル」はピストルを自らのこめかみに当て、引金を引いた。

波紋
小説「若きウェルテルの悩み」は、当時、衝撃を以て迎えられた。
18世紀後半のヨーロッパは「啓蒙思想」がスタンダード。
理性を重んじる風潮に対し、ロマンと衝動に殉じることは十分に異質だった。
また、人間の命は原則的に神のものとする信仰に基づけば、
「失恋して自殺する話」はタブーと言えた。
ところが、主人公に触発されたファンによる後追い自殺が頻発する事態に。
危機感を抱いた著者は、重版の扉にメッセージを掲載して自殺賛美を戒める。
それは「自分を含めたウェルテルたち」への警告だった。

若きゲーテの悩み
大学を卒業した「ゲーテ」は、弁護士事務所を開設した折、
当時、最高裁が置かれたドイツ中西部の田舎町で、3人の人物と親交を持つ。
法曹界を目指す同志で友人「ケストナー」と「イェルーザレム」。
そして舞踏会で出会った女性「シャルロッテ・ブッフ」である。

「ゲーテ」は、15歳の美少女に一目惚れしたが、
程なく彼女が「ケストナー」の婚約者だと判明。
成就しない恋と知りながら、何度も相手宅を訪問し、手紙や詩を贈り愛を告白した。
たっぷり悩み悶えて4ヶ月が過ぎた頃、
ついに「ゲーテ」は、独り故郷へ帰って行くのだった。

弁護士業にいそしみ、痛手を紛らわせていたある日、
2人の結婚が成立したと便りが届く。
たちまち身を裂くような苦しみが再燃。
あまりの心痛に耐えかね、ベッドの下にしのばせた短剣を胸に刺そうと試み、
眠れない夜を過ごしていたところへ、今度は訃報が飛び込んできた。
「イェルーザレム」が、人妻への失恋からピストル自殺したという。

--- この時、突如、彼の心に物語が生まれた。

友人の死と、報われぬ愛。
自身の失恋と、冥府魔道に取り込まれかけた経験。
それらを重ね合わせ書き上げたのが「若きウェルテルの悩み」だった。
文学史に残る一作は、若き「ゲーテ」の心血であり、
主人公「ウェルテル」は、若き「ゲーテ」の鏡像。
猛烈な創作意欲が天才を死の淵から救い、
天才のペンに刻まれたことで「シャルロッテ」は永遠の恋人になったのである。

LOTTEの栄光と憂い
--- さて「株式会社ロッテ」のHPには、以下の記述が掲載されている。

<ロッテの社名は、ドイツの文豪ゲーテが著した名作
 「若きウェルテルの悩み」の中に登場するヒロイン「シャルロッテ」に由来します。
 「お口の恋人」というメッセージには、「永遠の恋人」として知られる彼女のように、
 世界中の人々から愛される会社でありたいという願いが込められています。>

そう考えたのはロッテグループ創業者、故「重光 武雄(しげみつ・たけお)」氏。
本名「辛 格浩(シン・キョクホ)」。
昭和17年(1942年)、自らの意思で玄界灘を渡った在日韓国人一世である。
当初は石鹸、靴墨、化粧品などを手掛ける油脂関連製品の事業を興し、
戦後、進駐軍が持ち込んだチューインガム人気を見て、ガム製造に乗り出す。
その際、社名の暁光となったのが愛読書のヒロイン「シャルロッテ」だった。
(※尚、同社のキャッチ“お口の恋人”は公募がキッカケ。
 「ザ・ドリフターズ」のメンバー、故「仲本工事」氏のご母堂が発案者と言われている)

ロッテはガムで日本一になると、チョコレート⇒キャンディ⇒アイスクリーム⇒ビスケット、
立て続けに新規参入を果たし、総合菓子メーカーへ変貌を遂げ確固たる地位を築く。
「重光」氏は、韓国籍ながら日本プロ野球球団オーナーとしても君臨した。
祖国においては、流通、観光、金融、建設、化学分野などにも事業を拡大。
五大財閥の1つとなったのはよく知られるところ。
そして、経営を巡る親族骨肉の争いから悩み多き晩年になったのも周知の通りである。
             
日韓の狭間に立ち奮闘した稀代のカリスマは生涯読書を好み、
片時も本を手放さなかったとか。
故人が「若きウェルテルの悩み」を読み返す機会があったとしたら、
「ゲーテ」が編んだこんなセンテンスに何を思ったのだろうか?

「人の心はおかしなものだね。
 道を同じくして、ずっと一緒にいようとしていた仲間から離れられるだなんて」

「幸せが同時に不幸の源になるなんて---
 頭のどこかではわかっていたはずなのに、何もかも過ぎ去ってしまった」


                                   
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十歳のつどい。

2023年01月08日 20時30分00秒 | これは昭和と言えるだろう。
             
本日(2023/01/08)「津幡町 二十歳のつどい」が開催された。



ご存じのとおり、昨春(2022/04/01)に施行された改正民法では、
成人年齢が18歳からにダウン。
そのため20歳を対象にした式典の名称を
旧来の「成人式」から変更して行われた。

全国で過去1年間における新成人(18~20歳)の数は341万人。
うち20歳人口は117万人。
前年から6万人減で過去最少となった。
わが津幡町の正確な数字は不明だが、傾向は似たり寄ったりと推測する。
ともあれ、会場となった「津幡町文化会館シグナス」には、
晴れ着やスーツの華が咲いていた。



僕が20歳になった頃「成人の日」は1月15日固定。
当時、町の成人式は旧盆開催だった。
雪の影響を鑑み、帰省しやすい時期等を考慮してのことと思う。
ハッピーマンデー制度以降カレンダーが連休となり、
ごく最近1月スケジュールへ移行したと承知している。

--- さて、自分自身の「二十歳の日々」はどうだったか?
遠い記憶の彼方に霞んでいるのが正直なトコロ。
ただ、セレモニーや行事に背を向け精を出していたバイト先のラジオから、
よくこの曲が流れていたことは覚えている。
                


「中森明菜」が歌う「ミ・アモーレ」と一緒に、色んなニュースを耳にした。

・東京・両国の新国技館落成。
・広域暴力団山口組の組長らが銃で撃たれ死亡、一和会と抗争激化。
・「かい人21面相」森永へ終結宣言。
・男女雇用機会均等法が成立。
・田中角栄元首相、脳こう塞で倒れ入院。
・「科学万博つくば ’85」開会。
・日本電信電話株式会社(NTT)、日本たばこ産業株式会社(JT)発足。
・豊田商事の会長刺殺。
・日航ジャンボ機墜落。乗客乗員520人死亡、世界最大の航空機事故に。
・阪神タイガース日本一。

昭和60年(1985年)を振り返れば、
世の中は「プラザ合意」に端を発する円高不況。
やがて政府が景気対策を次々と打ち出した矢先、遅れて円高メリットが到来。
原油など輸入原材料の値が下がり、生まれた莫大な利益は、
数年後にバブルの幕を上げる。

社会に船出する前の僕「二十歳のりくすけ」は、
近未来に前掲の歌のような熱狂と迷走のカーニバルが待っているとは露知らず。
嵐の前の静けさに包まれていたのである。
                    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せめぎ合いと共生。

2023年01月07日 21時34分34秒 | 自然
                          
わが石川県・津幡町は豊かな森を有する。
少々乱暴に言えば、総面積の半分くらいが森林。
それは山を切り拓いた宅地や道路が増えた今のハナシだから、
かつての森が、より広く深かったことは想像に難くない。

昔々、森というのはそれだけで一つの宇宙でした
10年前に終了したラジオ番組「森の散歩道」のパーソナリティ、
「森本レオ」氏の決まり文句は、言い得て妙。
確かに鬱蒼とした森は、人ならぬ者たちが棲む別世界である。

人と獣の領域が接するあたり。
街中からほんの少し山間に入った棚田の農道には、
イノシシ用の「箱罠」が仕掛けてある。





十二支の一つ「亥(い)」として。
「猪突猛進」の語源として馴染みの深いイノシシ。
彼らの生息域は、低山帯から平地の森林。
植物の根、地下茎、果実(ドングリなど)、タケノコ、キノコ。
昆虫類、ミミズ、ヘビなど何でも食べる雑食性だ。
近年、人里に出没するニホンイノシシの数が増加していて、
農作物に被害を及ぼすことは、よく知られている。



田んぼの周りには「電気柵」も張り巡らしている。
イノシシより体の小さなノウサギやタヌキ対策だろうか?
何にせよ、農家の方々にとっては深刻な問題。
生活の糧を食い荒らされてはたまらないだろう。

こうした人と野生のせめぎ合いは、昔から繰り返されてきた。
その証拠が駆除したイノシシの供養碑「猪塚(ししづか)」である。



<1774(安永3)年から翌々年にかけて大雪が続き、
 山奥でエサがないイノシシが多く出没し、山里の作物を食い荒らしました。
 そのため、藩では役人を派遣して大規模なイノシシ狩りが行われ、
 数千頭が殺されました。
 村人たちは証拠として尻尾を持っていくと、
 イノシシ1匹につき米1升の褒美(ほうび)がもらえました。
 その尾を集めて埋め、供養した石碑がこの猪塚です。
 石碑は高さ1.36メートル、直径0.39メートルの円柱状で、
 正面に梵字(ぼんじ=古代インドの文字)と建立の年(安永6年2月15日)、
 銘文が刻まれています。
 ◆2011年(平成23年)5月1日 津幡町文化財(有形民俗文化財)指定>
(※<   >内 津幡町観光ガイドHPより抜粋/引用)



狩猟者の減少。
高齢化に伴う農業後継者不足。
中山間地域の過疎化により休耕地や耕作放棄地が拡大。
--- などの理由から、森林面積は減少傾向なのに、
イノシシをはじめとした動物の個体数は増加しているらしい。
どうやら当面のせめぎ合いにおける軍配は、野生に上がりそうだ。

仮に将来、人が彼らを駆逐するようなことがあれば、
その結果は大自然のバランスを狂わせ、災いとなって跳ね返ってくるだろう。
僕たちも自然の一部。
やはり「対峙して共生する」のが正しい選択なのかと思う次第である。
                     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.110. ~ 令和五年 正月二日 。

2023年01月02日 09時36分36秒 | 津幡短信。
                    
新年おめでとうございます。
本年も拙ブログをどうぞよしなに。
今回は津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の投稿は、以下の2本。

【元日の津幡町。】

今のところ、わが津幡町に目立った降雪はなく一安心。
曇天、少雨、小雪が続き、空は冬らしい姿ながら時折晴れ間がのぞく。
きのう(2023/01/01)午前、そのタイミングを狙って散歩に出かけた。



路面の雪はすっかりなくなり歩きやすいが、
路肩には雪だまりが融けずに残っている。
寒さはそれほど厳しくないが、暖かいわけでもない。
春まだ遠く、町内には雪への臨戦態勢が窺えた。





車輪を休める大型除雪車たち。
昨年クリスマス寒波の際の大活躍は記憶に新しいところ。
彼らは頼もしい存在なのだが、どうか出動回数が少ないことを望む。



津幡町役場前、松の雪吊り。
降り積もる雪の重みから樹木の枝を守る備え。
幹に添えた心棒を中心にして放射状に広がる縄のシルエットは、
北陸の冬の風物詩だ。
--- その背後、壁に吊り下げられた懸垂幕にはこんな文字。
『全日本相撲選手権大会 二連覇 個人優勝 中村泰輝選手』
彼は、同じ在所の出身でアマ相撲のトップランナー。
角界入りを表明していて将来を嘱望されている。
どうか、怪我なく大成して欲しい。



津幡町・横浜の「野田八幡神社」。
撮影は午前9時半頃。
近隣にお住まいの方々が初詣に訪れていた。
--- 余談ながら、地名「横浜」と言えど辺りに海はない。
やはり、干拓前の「大きな河北潟」が、近くまで迫っていた名残か。
当時は、神社周辺の地形・風景は今とさぞ違っていただろうな。
などと思いを巡らせてしまうのである。

【冬の花。】



春まだ遠い冬の只中、戸外で見かける花といえば「山茶花(さざんか)」。
花言葉「ひたむき、困難に打ち勝つ」とあるように、
日陰、排気ガスなどに負けず成長し、寒さにも負けず花を咲かせる。
美しく逞しいのだ。

そぞろ歩きながら、何か他の花の姿はないかと探してみるも見当たらない。
他の地域から届く「梅 開花」のニュースも耳にしたが、北陸ではまだ早いか。
ふと「寒桜」の木があることを思い出し、足を向けてみた。



--- あった。
冬枯れの枝にたった一輪。
風に揺れる可憐な花を見つけた。
何だかとても嬉しくなってしまったのである。
そして、ウチに帰り着くと甘い梅の花が出迎えてくれた。



津幡町・加賀爪(かがつめ)の和菓子屋さん
「高倉製菓」謹製の正月菓子「福梅」。
その紹介については菓子に添えられた「しおり」から引用したい



<加越能三州の太守 前田利常公の遠祖は菅原道真公にて、
 その家紋は剣鉢梅であります。
 前田家は代々敬神の心厚く、文化の育成に力を注ぎました。
 例えば、菓子盛等の供物すべてに梅鉢の紋章を用いたといわれ、
 そうした処から「福梅」の紀元が生れたと伝えられています。
 当地では古くからこの梅鉢を型どった紅白のもなかを「福梅」と称え、
 お正月のお菓子として永く伝えられて来ています。
 縁起の良い名前から福を以って福を返す吉祥瑞相の賀菓として
 近年御贈答、お土産にもご利用され喜ばれております。>


 
最中の皮の中には、日持ちさせるように水あめを練り込んだ硬めの小倉餡。
皮の表面には蜜を塗り、砂糖がまぶしてある。
冷えた体を温める熱い茶と一緒にいただいた。
これもまた、北陸の冬の風物詩だ。
                         
<津幡短信 vol.110>
                    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする