http://youtu.be/9ae27_gwti0
8月15日 uniontube55がup
8月15日、ことしも反「靖国」デモが9団体の呼びかけで東京・全水道会館で開催された。会場は超満員で約250人。集会で強調されたのは、「安倍政権のもとでもあきらめず、めげずに頑張ろう」ということだった。午後4時半から靖国神社に向けてデモが始まった。このビデオはデモの様子を収録した。
学徒出陣
日本は1937年(昭和12年)以来、当初は中華民国との日中戦争(支那事変)、続いて1941年(昭和16年)からはアメリカ・イギリスなど連合国との太平洋戦争(大東亜戦争)を続けていた。特にアジア・太平洋地域に及ぶ広大な戦線の維持や1942年(昭和17年)以降の戦局悪化で戦死者数が増加したため、次第に兵力不足が顕著になっていった。従来、兵役法などの規定により大学・高等学校・専門学校(いずれも旧制)などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていた。しかし兵力不足を補うため、次第に徴兵猶予の対象は狭くされていった。まず1941年(昭和16年)10月、大学、専門学校などの修業年限を3ヶ月短縮することを定め同年の卒業生を対象に12月臨時徴兵検査を実施して、合格者を翌1942年(昭和17年)2月に入隊させた[1]。この1942年(昭和17年)には、さらに予科と高等学校も対象として修業年限を6ヶ月間短縮し、9月卒業、10月入隊の措置をとった[2]。そして、さらなる戦局悪化により翌1943年(昭和18年)10月1日、当時の東條内閣は在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)を公布した[3]。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものである。この特例の公布・施行と同時に昭和十八年臨時徴兵検査規則(昭和18年陸軍省令第40号)が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者(開放性結核患者を除く)までを12月に入隊させることとした。この第1回学徒兵入隊を前にした1943年(昭和18年)10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。出陣学徒壮行会は、各地でも開かれた。しかし翌年の第2回出陣以降、壮行会は行われなかった。学徒出陣によって陸海軍に入隊することになった多くの学生は、自身の学歴をいかし、陸軍の幹部候補生・特別操縦見習士官・特别甲種幹部候補生や、海軍の予備学生・予備生徒として、不足していた野戦指揮官クラスの下級将校や下士官の充足にあてられた。1943年(昭和18年)10月には教育ニ関スル戦時非常措置方策が閣議決定され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められた。さらに翌1944年(昭和19年)10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ、学徒兵の総数は13万人に及んだと推定される。
☆この辺で「玉音放送」を実行していたならなぁ~・・・悔やんでも悔やみきれないのだよ>>諸君
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