約2000人の民間人を殺害した軍の関係者を受け入れ、訓練を施す国がある。日本だ。選挙に基づく政権をクーデターで覆し、抗議する市民を弾圧するミャンマー国軍の軍人を「留学」させ続けている。平和や民主主義の確立を目指す国是にそぐわず、ミャンマー市民の心情を踏みにじっている。ウクライナに侵攻したロシアに厳しいポーズをとる岸田政権だが、人権重視は上っ面だけか。(北川成史)
防衛大学校前で、ミャンマー国軍への訓練をやめるように訴えるミンスイさん㊧=神奈川県横須賀市で
「日本は中国やロシアと同じレベルじゃないか」。在日ビルマ市民労働組合会長のミンスイさん(61)は10日、神奈川県横須賀市の防衛大学校前で実施された抗議デモで声を上げた。
中国とロシアはミャンマー国軍の後ろ盾だ。昨年2月のクーデター後も武器を供給し、国連安全保障理事会では、常任理事国として制裁決議を阻む。国軍はお返しに、ロシアのウクライナ侵攻を擁護している。
そんな中ロと同類だとミンスイさんが非難するのは、防衛省による国軍の軍人への教育訓練だ。
日本政府は、委託を受けて訓練を実施できる自衛隊法の規定に基づき、35カ国の軍関係者を留学名目で受け入れてきた。
ミャンマーについては民政移管後の2015年度に開始。昨年度までに国軍の幹部や幹部候補生ら30人を受け入れた。うち4人はクーデター後に来日。本年度さらに4人を受け入れる。現在の在留者は7人だ。
幹部は数カ月〜1年程度、防衛研究所や自衛隊の幹部学校で、指揮官としての知識や技能を学ぶ。幹部候補生は5年間、防衛大学校で、実弾射撃を含む基礎的な訓練や教育を受ける。
ミャンマーの軍人は発展途上国出身との理由で、年間55万2000円の授業料は免除。幹部は月14万4000円、幹部候補生は月8万3000円の給付金を受ける。日本政府は15〜21年度に、給付金として約6800万円を支出している。
◆日本で訓練後、空爆にも関与か
国軍関係者の受け入れはクーデターから2カ月後の昨年4月、衆院外務委員会で取り上げられ、川崎方啓・防衛省人事教育局長は「民主主義国家での文民統制を示し、人的関係を構築する意義がある」と主張しつつ、継続については「事態の推移を注意しつつ、検討していく」と述べた。
その事態は悪化の一途だ。地元人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデターから17日までに、国軍は市民1963人を殺害し、アウンサンスーチー国家顧問を含む累計1万4000人超を拘束している。
国軍は地方で空爆も実施。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると5月末時点で、100万人以上が国内避難民になっている。
さらに国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)」は5月23日、日本で訓練を受けた空軍中佐が、空爆に関与した可能性を指摘している。
市民の犠牲は増えるばかりなのに、日本政府は本年度も受け入れを継続。同様の答弁を繰り返している。
HRWは今月10日、受け入れ停止を求める日本人や在日ミャンマー人ら4万人超の署名を防衛省に提出した。ただ、防衛省は署名受け取りの際「この件の担当が決まっていない」として、対話を避けたという。HRWプログラムオフィサーの笠井哲平さんは「不誠実な対応」と憤る。
「継続はミャンマー人の日本への信頼感を失わせる」。在日ミャンマー人の若者グループ代表ティサーさん(31)は怒りを表す。「国軍の軍人を育成するのは、弾圧に加担するのと同じ。日本政府の手にはミャンマー国民の血が付いている」
◆防衛省「軍人を通じ、関係を構築」
防衛省は「受け入れた軍人を通じ、日本の立場をミャンマーに働き掛けられる」と強調するが、どこまで現実的なのか。
ミャンマー民主化支援の議員連盟の会合で、防衛省と外務省の担当者に受け入れ中止を求めるミャンマー人の代表者(右端)。右から2人目はティサーさん=東京都千代田区で
東京都内在住のミャンマー人男性は、19〜20年に航空自衛隊幹部学校(目黒区)で訓練を受けていたミャンマー空軍少佐と都内の同国料理店で知り合い、飲食を共にした。
少佐は「訓練の中で意見を聞かれるが、答えられない」と漏らした。国軍内では自分の考えを整理し、発表する機会を与えられないからだという。
民主主義に一定の理解を示しつつ「ミャンマーは多民族国家なので、国をまとめるためには国軍が必要だ」と、国軍の主張に沿った話をしていた。
帰国した少佐とクーデター前までは、SNSで何度かやりとりしたが、現在、アカウントは消えている。
◆旧日本軍がミャンマーに残した「キンペイタイが来るぞ」
男性は日本の方針に異を唱える。「命令があれば市民を殺すのが国軍。あの少佐だって上に従うだけ。民政期ならまだしも、今は受け入れるべきではない」
軍政下の08年制定の現行憲法には国会議員の25%や国防、内務、国境の3大臣を総司令官が選ぶ規定がある。統治に強くこだわる国軍の成り立ちには、日本が深く関わっている。
第二次世界大戦中、旧日本軍が反英運動を指導するスーチー氏の父アウンサン(故人)らに訓練を施して結成させた「ビルマ独立義勇軍(BIA)」が母体だ。
旧日本軍はBIAとともに英国を追いやった後、ミャンマーを占領した。高圧的な振る舞いは評判が悪く、「キンペイタイ(憲兵隊)」という単語が残る。ミャンマー人男性(59)は「幼いころ、両親に『言うことを聞かないとキンペイタイが来るぞ』と怒られた。暴力や拷問を連想させる言葉だった」と振り返る。
また、西部ラカイン州の支配権争いで、旧日本軍は仏教徒のラカイン人、英国はイスラム教徒(ロヒンギャ)を武装させた。当時の両者の衝突は、現在も続く対立の一因になっている。
アウンサンは抗日運動を起こし、闘争主体の軍は以後も力を持ち続けた。負の歴史を教訓に、日本がミャンマーでの人権問題に敏感に向き合う態度は、軍人の受け入れからは漂ってこない。
昨年2月、日本など先進7カ国(G7)の外相が結束してクーデターを非難するとの声明を出した。同3月、山崎幸二統合幕僚長を含む12カ国の軍や自衛隊のトップも非難声明を発表。このうちオーストラリアは、ミャンマー国軍からの語学訓練の受け入れをやめた。こうした動きと日本の訓練継続は矛盾している。
政府は長年の政府開発援助(ODA)や日本財団の人道支援を通じ、国軍にもパイプがあるとの見解だ。だが、国軍の機嫌を損ねまいと曖昧な対応を露呈し、パイプは機能していない。
上智大の根本敬教授(ミャンマー近現代史)は「受け入れが民主化に役立つという理屈は、クーデターで間違いと証明された。継続すれば、国軍を支援していると国際社会に誤ったメッセージを送り、国軍には『G7で切り崩すなら日本』とみられる」と批判する。
国軍との対立を避ける日本の姿勢に、中国の影響拡大を防ぎたい利己的な事情が透ける。だが、国軍の中国との交流の規模は、日本より格段に大きいという。
「ミャンマー国民の不信感を生み、ビジネスにも悪影響を与える。効果がない半面、リスクは過大だ」
◆デスクメモ
ミャンマー国軍が日本で訓練しても「上に従うだけ」という言葉が、軍事組織の本質を表している。大佐や大尉より、もっと上層部に「民主主義国家での文民統制」を示さないと、国軍の弾圧は止まらない。豪州のように受け入れを中止したほうが、明確なメッセージになるのでは。(本)