■エデンの檻 第96話「Tomorrow:希望」
修学旅行に出ていた中学生の一団が、飛行機の墜落で無人島へ。
そこで始まる終わりのないサバイバル。
絶滅したはずの凶悪生物が闊歩する島で、彼らは一体どうなってしまうのか!
まぁどうなるもこうなるも、食われるに決まっているのですけれど。
悪意があるとしか思えない数々の絶滅生物を相手に、主人公さん達は大層酷い目に。
森の中でも、水の上でも、奴らは襲ってくる。
ベースキャンプを作れば害虫が大量発生し、柵を作れば巨大鳥が襲ってくる。
方々散り散りになっていた同級生と再会しても、喜ぶのもつかの間で、どんどん食われていく。
脱出手段など無し。唯一の救いだった豊富な水と食料も、尽きました。もうどうしろと。
そんなわけで、心が折れました。
もういっそ食われればいんだ。あの不気味動物に。
そんな投げやりな状況を変えたのは、一人の女生徒様のお歌でした。
唄ったお歌はサブタイトルにある通り。この漫画、毎回サブタイトルは「英語:日本語」形式ですけど、地味に良い演出。
打開策などまるで見えぬ中、響く「明日は来るよ 君のために」。
歌詞の端々は、現在の絶体絶命の状況からすると、あまりにも浮いている。
でもそこがかえって勇気になる。
「歌…?」
「綺麗な声だな」
「私、一緒にカラオケに行った事あるよ」
「カラオケかーなつかしい…」
「…いい曲だね…」
「明日は来るよ 君のために」。絶望の未来しか見えやしない。だから、それでも唄う。
良いシーンです。唄ったところでどうなるわけでもないのだけど、でも確かに変わるものがある。
サバイバル漫画の金字塔「漂流教室」でも「故郷」を絶叫するシーンがありました。
お唄は良いです。丸腰の人間にもできる数少ない「人間固有の」能力だと思う。
クジラとかも唄うそうですが、洗練度合いの桁が違う。
某アニメの「歌を忘れた生き物は滅びればいい」という名言を思い出します。あれは案外、本当にそうなのかもしれない。
「火」だとか「道具」よりも、ヒトが生存競争に打ち勝てた最初の理由は「歌」なのかもと思ってみた。
巨大生物がなんだ。肉食獣がなんだ。ヒトにはお唄があるんだ!
この漫画の熱いところの一つは、戦ってる相手は「実際に過去に人類が遭遇した相手」なところだとも思う。
(厳密にはホモサピエンスが直接対決していない動物もいますが)
我々の祖先は、奴らと戦って生き伸びたんだ。
彼らもまた、凍える吹雪や餓死の危機に晒されながら、吐くほどでかい生物や正体不明の疫病に襲われながら、必死に歌ってたのかもしれない。
その末裔が自分らだと思うと、負けてたまるか畜生という気持ちまで湧いてくる。
ラストがどうなるのか分かりませんが、劇場アニメとかでとても見たくなってきた。
■波打際のむろみさん #77「恣意と無為とむろみさん」
歌を兵器として栄えた実在例・人魚さん。
最近感想を書いてなかったけれど、毎号ちゃんと買ってました。
人魚さんの漫画を連載している限り、「マガジン」さんは購入します。人魚さんの訴求力を思い知ればいい。
とりあえず今号は柱のキャラクター紹介が変なことになってる。
魚だらけだ。
そしてリュウグウノツカイのモデルは、お中元に怯える作者さんなのかもしれない。
■絶望先生 第二百五十話「一杯のエスプレッソ」
「カフェ・ソスペーゾ」の精神は大事です。
人はもっとパトロンとかスポンサーの意識を持つべきなんだ。
金を払うとは、選択権を行使すること。
好きな商品さんは支えていきたい。
そして気に食わない商品は選択的に買わないようにするんだ。
■Baby Step #149「直視」
「不安要素をとにかく書きだす」というのは良い対策法だと思う。
私も、できるだけ実践しようとは心がけてます。
書きだす前は直視するのが怖いけど、「敵」や「問題」の正体が分かってしまえば、意外と楽になるもんだ。
…これのダメな派生例が、「計画を立てたらそれだけで満足してしまい、何もしない」ですけれど。
修学旅行に出ていた中学生の一団が、飛行機の墜落で無人島へ。
そこで始まる終わりのないサバイバル。
絶滅したはずの凶悪生物が闊歩する島で、彼らは一体どうなってしまうのか!
まぁどうなるもこうなるも、食われるに決まっているのですけれど。
悪意があるとしか思えない数々の絶滅生物を相手に、主人公さん達は大層酷い目に。
森の中でも、水の上でも、奴らは襲ってくる。
ベースキャンプを作れば害虫が大量発生し、柵を作れば巨大鳥が襲ってくる。
方々散り散りになっていた同級生と再会しても、喜ぶのもつかの間で、どんどん食われていく。
脱出手段など無し。唯一の救いだった豊富な水と食料も、尽きました。もうどうしろと。
そんなわけで、心が折れました。
もういっそ食われればいんだ。あの不気味動物に。
そんな投げやりな状況を変えたのは、一人の女生徒様のお歌でした。
唄ったお歌はサブタイトルにある通り。この漫画、毎回サブタイトルは「英語:日本語」形式ですけど、地味に良い演出。
打開策などまるで見えぬ中、響く「明日は来るよ 君のために」。
歌詞の端々は、現在の絶体絶命の状況からすると、あまりにも浮いている。
でもそこがかえって勇気になる。
「歌…?」
「綺麗な声だな」
「私、一緒にカラオケに行った事あるよ」
「カラオケかーなつかしい…」
「…いい曲だね…」
「明日は来るよ 君のために」。絶望の未来しか見えやしない。だから、それでも唄う。
良いシーンです。唄ったところでどうなるわけでもないのだけど、でも確かに変わるものがある。
サバイバル漫画の金字塔「漂流教室」でも「故郷」を絶叫するシーンがありました。
お唄は良いです。丸腰の人間にもできる数少ない「人間固有の」能力だと思う。
クジラとかも唄うそうですが、洗練度合いの桁が違う。
某アニメの「歌を忘れた生き物は滅びればいい」という名言を思い出します。あれは案外、本当にそうなのかもしれない。
「火」だとか「道具」よりも、ヒトが生存競争に打ち勝てた最初の理由は「歌」なのかもと思ってみた。
巨大生物がなんだ。肉食獣がなんだ。ヒトにはお唄があるんだ!
この漫画の熱いところの一つは、戦ってる相手は「実際に過去に人類が遭遇した相手」なところだとも思う。
(厳密にはホモサピエンスが直接対決していない動物もいますが)
我々の祖先は、奴らと戦って生き伸びたんだ。
彼らもまた、凍える吹雪や餓死の危機に晒されながら、吐くほどでかい生物や正体不明の疫病に襲われながら、必死に歌ってたのかもしれない。
その末裔が自分らだと思うと、負けてたまるか畜生という気持ちまで湧いてくる。
ラストがどうなるのか分かりませんが、劇場アニメとかでとても見たくなってきた。
■波打際のむろみさん #77「恣意と無為とむろみさん」
歌を兵器として栄えた実在例・人魚さん。
最近感想を書いてなかったけれど、毎号ちゃんと買ってました。
人魚さんの漫画を連載している限り、「マガジン」さんは購入します。人魚さんの訴求力を思い知ればいい。
とりあえず今号は柱のキャラクター紹介が変なことになってる。
魚だらけだ。
そしてリュウグウノツカイのモデルは、お中元に怯える作者さんなのかもしれない。
■絶望先生 第二百五十話「一杯のエスプレッソ」
「カフェ・ソスペーゾ」の精神は大事です。
人はもっとパトロンとかスポンサーの意識を持つべきなんだ。
金を払うとは、選択権を行使すること。
好きな商品さんは支えていきたい。
そして気に食わない商品は選択的に買わないようにするんだ。
■Baby Step #149「直視」
「不安要素をとにかく書きだす」というのは良い対策法だと思う。
私も、できるだけ実践しようとは心がけてます。
書きだす前は直視するのが怖いけど、「敵」や「問題」の正体が分かってしまえば、意外と楽になるもんだ。
…これのダメな派生例が、「計画を立てたらそれだけで満足してしまい、何もしない」ですけれど。