季節外れの台風も来ているので この週末も自宅周辺引きこもり。
で、 最近のヤマレコを飾る多くの山レコは・・ 「下ノ廊下」
そのレコ読むと、 自分もその道を歩いたのでその時感じたことが鮮明に思い出される。
ボクはそこを歩く前に実話を元にした本を読んで訪れたので尚更だった。
「高熱隧道」 吉村昭著。 (他に北海道を舞台にした 「赤い人」 もある)
こんな雨降りの夜は以前読んだ本を再度読み返す時間があっていいものである。
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昨年を忍び・・・。。
これから高熱隧道へ突入します。
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あっという間に蒸気で曇る。 今でもムンムン蒸す空気に包まれている。
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当時ここを掘ったときには想像絶する日数と、 多くの命が奪われた場所。
紅白歌合戦マイナス2℃の中、 中島みゆきが歌った場所。
そして今夜の宿到着。
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熱いです。 先人たちの思いがある。
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水平歩道。
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これが例の対岸にある奥鐘山。 目の前で見るとまさに圧巻、 鳥肌が立つ。
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落ちたら即昇天さ。
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あの谷が 志合谷。
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この場所からあの対岸の禿げた岩肌まで飛ばされた。 合掌。
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以下、 日電歩道、 下ノ廊下を歩いた方の感想分抜粋。
下の写真が奥鐘山の南斜面をズームしたものですが、山の中腹が黒く禿げています。
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これは黒三ダム工事のすさまじさを後世に伝える傷跡なのです。
この山の対岸、この写真では切れていますが写真の手前こちら側に志合谷というわずか平地があって、
黒三工事の際には、そこに4階建ての鉄筋コンクリートの宿舎が設けられていました。
万一雪崩が発生したとしても、流されるのを防ぐために戦中当時としては最高水準で頑丈に
強固に建てられたまさに鉄の要塞でした。
しかし1938年12月27日、普通の雪崩ではないホウ(泡)雪崩がこの宿舎を直撃します。
ホウ雪崩とは、通常の雪崩のように雪塊が落下するものではなく、
内部に空気を多量に含んだ新雪が時速200kmの速度で一気に山を駆け下りるため、
数百キロパスカルもの強大な破壊力で雪崩の進路にあるものを破壊する恐ろしいものです。
それが深夜に就寝していた100人近い作業員たちがいる宿舎の3,4階部分をまるで刃物で
すぱっと切ったような形で飲みこみ、そのまま小さな山を越えて対岸600m先にあるこの奥鐘山の
山肌に叩きつけたのでした。 写真の黒々とした山肌はその跡です。
鉄筋コンクリートの建物を浮かび上がらせて、それを1km先までぶっ飛ばしてしまうほどの破壊力。
そのすさまじさは全く想像できません…。
事故発生当時、深夜作業から戻った作業員たちはあるはずの宿舎がないことに驚愕し、
至急応援を呼んで、宿舎があった辺りを必死で雪をかいて捜索したそうです。
が、いくら掘っても遺体の1つどころか、宿舎の残骸すら発見することができませんでした。
まさに忽然と姿を消してしまったのです。
その後数カ月捜索しても、宿舎とそこにいたはずの作業員の行方はわからないという状況。
雪解けの季節となり、下流のダム湖に一体の死体が流れ着きます。
調べてみるとそれは宿舎にいたはずの作業員でした。
そこで捜査範囲を拡大して捜索に当たったところ、対岸の奥鐘山の山上の木々が、
途中でスパっと人工的に切り取られているのが発見されます。
そこでその方向に捜索の足を進めて見ると、なんとその山の中腹の岩肌に、
かつて宿舎であったであろうコンクリートと鉄の塊がベチャっとへばりつき、
そのまま凍りついているのが発見されたのでした。
それが雪解けの季節となり中でバラバラになった遺体が
一体また一体と宿舎から黒部川へと落下し、それが次々と下流へ流れ着いたというわけです。
この事故によって84名の死者をだし、そのうち47名は死体の腐敗がひどく身元確認ができなかったそうです…。
これは全て実話です。 興味のある方はぜひ 『高熱隧道』 を読んでみてください。
紅白で歌った場所、 そこは高熱隧道。 ここに来るのも目的のひとつでした。
旧日電歩道、 水平歩道。 旧知を忍びに また歩こうと思います。
今日の格言。
先人たち皆すげえ。 なのでオイラも・・
「絶対あきらめるな、 最後までガンバレ、 必ずできる。 終わったら飲もう」
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