「快走爛漫Ⅱ」

アウトドア大好き人間です。 (since2005.10) 

荒崎海岸

2010年11月28日 19時00分45秒 | 徒然

沖縄から帰ってきました。

今回の最大の目的は、 ひめゆり学徒隊終焉の地である  「荒崎海岸」  に行くことでした。

以前、 BOOMの宮沢氏もTVでここ荒崎海岸で島唄(沖縄戦の唄)を歌っていたことがあります。

自分も今回この目で確認できました。     (普通の観光客はまずここには来ない)


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「ひめゆり」校章 最期の地、 糸満・荒崎海岸で発見

1945年6月18日、戦況の悪化で南風原の陸軍病院から南部へ撤退し伊原周辺の壕にいた
ひめゆり学徒隊には解散命令が出され、その後、一高女の生徒らが荒崎海岸に追い詰められた。
同21日、米兵の銃撃の乱射を受ける中、一高女の教師1人と生徒7人、卒業生1人、
県立第二高等女学校の生徒1人が手りゅう弾で命を絶った。

ひめゆり平和祈念資料館館長で県女師・一高女ひめゆり同窓会理事の本村つるさん(83)は、
「校章はみんなが一番大事にしていた。一高女の生徒として誇りを持ち、亡くなる時に抱き締めていたのかもしれない」  
と思いやった。
                                        琉球新報より引用抜粋。

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全員16歳~17歳の女子高校生たち。  

昨年この地で校章が見つかったという記事を以前読んだ。

今現在、 僕たちがこうして平和に暮らせるのは先人たちの犠牲があったからこそを痛感した。


あらためてご冥福をお祈りいたします。


2年前に訪れた  ひめゆりの塔


240人が南風原病院(豪の中)に送り込まれた。     (その時点で父母兄弟たちとは生き別れ)


南風原病院では重傷患者たちの手術(麻酔なしで手足切断(破傷風防ぎ))や青酸カリが飲まされていた。


ひめゆり学徒隊は、 薄暗く狭く不衛生な豪の中で患者さんのために一生懸命働いていた。


ひめゆり学徒隊終焉の地、  荒崎海岸。


奥に見える岬が日本軍終局の地、 摩文仁(まぶに)の丘。     1945年6月23日 牛島軍司令官割腹自決の地。



6月23日を慰霊の日(沖縄戦終結)として定め、 毎年必ず首相が参列。     
 (1945年8月15日 日本無条件降伏)


戦争は絶対にしてはいけないですね。






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沖縄

2010年11月24日 20時36分01秒 | 徒然

明日から沖縄です。   今なお残る戦争の傷跡を見て来ます。

そして今自分たちが平和に暮らす日々の豊かさの根源を再確認してきます。

昼間は歴史の勉強。    夜はカチャーシーを舞う予定です。

そんな  “沖縄”  の今昔物語を自分なりに見て聞いて戦後の今を再認識してきます。


昨年ふいに入った古ぼけた場末の店で、 うちなーぐちバージョン(本物)の  「神童」  を歌ってきます。





そのお店のママさん(昨年還暦を迎えられた)との1年越しの約束を果たしに。。

旅先での出会い、   一期一会、    わびさび・・        好きなんですよ。


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1.
天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
生まれたる我が子 祈り込め育て
(注1)イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し(注2)思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)の光受けて
(注3)ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
健(すこ)やかに 育て

2.
暑き夏の日は 涼風(すずかぜ)を送り
寒き冬来れば この胸に抱いて
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
月の光浴びて
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
健やかに 眠れ

3.
嵐吹きすさむ 渡るこの浮世(うきよ)
母の祈り込め 永遠(とわ)の花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
天の光受けて
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
天高く 育て

(注1)  沖縄民謡で使われるはやし言葉。
(注2)  私の産んだ子供。
(注3)  芯のある良い人。




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オリジナルバージョンの歌詞は以下のとおり。

1.
天(てぃん)からの恵み 受けてぃ此(こ)ぬ世界(しげ)に
生まりたる産子(なしぐあ) 我身(わみ)ぬむい育(すだ)てぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
まさ勝さあてぃ給(たぼ)り

2.
夏ぬ節(しち)来りば 涼風(しだかじ)ゆ送(うく)てぃ
冬ぬ節来りば 懐(ふちゅくる)に抱(だ)ちょてぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
月ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
大人(うふっちゅ)なてぃ給(たぼ)り

3.
雨風(あみかじ)ぬ吹ちん 渡り此ぬ浮世(うちゆ)
風(かぜ)かたかなとてぃ 産子(なしぐわ)花咲かそ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
天の光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
高人(たかっちゅ)なてぃ給(たぼ)り


夏川りみさんが歌っていて有名だが、 オリジナルは沖縄に昔から伝わる子守唄。 


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“THE 沖縄”      (2009年)



「嘉手納基地1」    住宅と隣合わせ。


「嘉手納基地2」    ひっきりなしの爆音が轟いていた。



“現実”  を毎年少しづつ勉強しています。




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いいかも

2010年11月22日 23時37分03秒 | 徒然

この前の土曜、 僕は甲武信岳に登った。

翌日曜、 山ちゃんは空木岳に登った。

お互い住んでいる所は遠く離れていれども山への気持は相変わらずである。

(お互い単独行故、 その山行や計画などはもしもの事を想定して連絡を取り合っている。 と信じている)


そんな山ちゃんから先ほどメールが来ました。 
 
山ちゃん  「この前空木岳で一緒になった方がヤマレコに投稿したので見てほしい」  と。

僕     「空ぁ木付かなかった」   とジジイ洒落で返信。

また山ちゃんから即メが来た。  

なんと!!    “うつぎだけ”   なんだそう。。      だはー  (^^;


何かそんなやりとり、   いいかも。


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話は変わるが・・   

以前、 会社主催の講演会(新宿本社ビルで開催)に全日本女子ソフトボール前監督の宇津木妙子さんが来られた。

そこでの話や経験談は今だに僕の心から離れない。

要約すると、、     “成せばなる、   諦めない心”    

それを受け継いだ後輩たちが勝ち取ったオリンピックでの金メダル。   泣けた。。

(宇津木妙子さんブログ  “心”  一見の価値あり)

その言葉を聞いてから僕の考え方もまたひとつ変わったと思う。   (大袈裟かな?)

「何にでも まずはやってみる」   と。      そう、 悔いの残らぬように。

仕事、  友人、  酒、  バイク、  自転車、  山・・


最近いろいろと益々面白くなったきたようだ。     結構いいかも。








いい気分の大人になってきたよ。。


この曲コピーして弾きたい。       うん、  いいかも。


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甲武信岳

2010年11月20日 21時24分31秒 | 山歩き

本日は甲武信岳に登ってきました。

南アルプスや山梨の山に登る時、 22時以降の真っ暗な時間帯に必ず走って越えていた峠がある。

奥秩父の先にある峠、  雁坂峠。    その峠から西方面にそびえる山が甲武信岳です。


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三国に跨っているということは、連嶺上の突起に過ぎない単純な山よりも、姿態が複雑である。甲武信岳から千曲川、
荒川、笛吹川の三つの川の源流が出ている。その点から言っても、甲武信は奥秩父のヘソと言いたい山である。

                                  深田久弥 「日本百名山」  より抜粋引用。

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例によって会社退社後JR小山駅からクルマに乗り換え一路、 雁坂峠を目指した。

峠下には道の駅みとみがあり、 その手前を左に曲がれば西沢渓谷入口であり甲武信岳の登山口がある。

真夜中0時過ぎ到着、 車泊。   (頭にタオル巻いてシュラフに潜り込み爆睡)

5時過ぎ起床。    気温マイナス4℃極寒、  辺り真っ暗、  明空にはまだ満天の星。

明るくなった6時過ぎ駐車場出発。   しばらくは西沢渓谷への林道を歩く。

登山口


いきなりの尾根急登が始まる。   

この夏登った北ア三大急登のブナ立尾根といい勝負かもしれないと思った。
なにせズーッと登り、  しかも結構急でしょっぱなからスゴク疲れた。   ハヒー

ヤセ尾根を注意して登り。


両脇スッパリ。


全体的に展望効かずの山道。  少し寂しい感じがする山だった。   回り誰もいないし・・

やっと見晴らしのいい場所(一瞬)に出た。    あの下に見えるダム湖手前から登ってきた。


富士山


この辺りから雪    3cmくらいで全く問題なし。


甲武信小屋着


マイナス1℃    でも身体は汗びっしょり。。


いざ!   頂上へ。   小屋裏手から北西方面に登る。


「甲武信岳」




登り僕独り。  頂上でも当然独り。   静かな山行が楽しめた。


「凛とした静寂」      好きです、  こういうの。。。


冬の太陽は釣瓶落とし。


無事帰ってきました。    西沢渓谷無料駐車場。    上の道路右側が雁坂峠。



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甲武信岳。  なかなか静かな登山を楽しめた。
両神山といい、 秩父の山々は奥が深くあまり人が入っていなく静かで素晴らしい。。。


登り  4時間30分     (ずっと登りっぱなしの馬鹿尾根)
下り  2時間        (帰りはちょいと飛ばした)


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再会

2010年11月18日 20時54分22秒 | 徒然

昨夜は昔の仲間が千葉から僕に会いに来てくれました。

そうとなれば何を置いても接待しなければなりませぬ。

錦糸町の街には様々なお店がひしめき合っています。

そんなお店の中でも僕の一押しのお店に連れて行ってあげました。


「涌谷」   ちょっとした小料理屋さんです。



カウンターの中では元気のいい、 そして爽やかな二代目が頑張っています。


一番のお勧めは・・   ガツ刺し。      芋焼酎もヤバイほどに旨いこと。。 
    

10年以上ぶりに会ったもんだから会話が弾みましたー  (笑)   

弾み過ぎて同じお店に22時過ぎまで4時間以上もいました。   もう根っこが生えてしまいました。  (^^;


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これからは何かと飲む機会が増えます。   身体を労わりながらほどほどにしよう。。    んんっ??



業務連絡

2010年11月16日 00時05分41秒 | 徒然

先週末、 松本の山ちゃんは爺ケ岳に登ったそう。   やるね~

なんでも2200mより上は自分のトレースしかなかったらしい。   やるなー

自分はまだまだ山は初心者(小心者)故、 冬山はやれない。

そんな山ちゃんから届く山からの贈り物(頂上画像)には心打たれる。

「いつかはオレも!」   と。。    でも現実的にはいろいろな課題があり行けないだろうけど・・。


そんな山ちゃん、 でもこれだけは言わせてくれ、

「これからは本格的な冬山、 大切な家族のためにも絶対、 ホント絶対無事に帰って来るように!!」


徹底した事前準備と十分な睡眠、 毎時の安全考慮、 的確な判断、 早期撤退・・    次があるさね。


クライムオン、  途中経過(ルート)、  クライムダウン(完了)時は必ず僕にメールするように。



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「単独行、  君(僕)は絶対独りじゃない、  そばにはいつも家族がいる、  そしてオレ(君)がいる」


4年後の男の約束・・   忘れるなよ。。。


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龍馬伝

2010年11月14日 13時20分15秒 | 徒然

もうすぐ終わってしまう、   龍馬伝。

時代が変わる時、 必ず現れる人物がいる。   

自分は歴史、 それも幕末モノが好きで以前より良く読んでいたり実物を見に行ったりもする。

そのひとつに会津があるし土方歳三終焉の地である函館の街にも行った。


それと漫画本。  自分は漫画本はあまり読まないが、それでもこの作者の漫画は面白かった。

川原正敏 「陸奥圓明流外伝 修羅の刻」  強くそして心優しき主人公。  宮本武蔵や新撰組が登場した。


“坂本龍馬”   もその一人。    きっとスゴイ人だったんだろう。   


番組のエンディングに流れる曲がまたいい。    何だか切なくなるし目頭が熱くなる。


Yucca    「想望」




あの埃っぽい映像、 他人(ひと)を思いやる優しさ、 一途さ、 男気・・     今宵もじっくり見るとしよう。。。






1867年 11月15日   海援隊隊長、坂本龍馬。  陸援隊隊長、中岡慎太郎。   京都近江屋で暗殺される。


桂浜に立つ坂本龍馬、 そして室戸岬に立つ中岡慎太郎。     今も、 お互い友をずっと見ている。。





札幌出張

2010年11月12日 23時23分15秒 | 徒然
いやあ、、     出張は疲れますぅ~  
 

朝5時起床、 身支度整え自転車で駅まで向かう。  在来線で小山駅へ、 そこから新幹線で東京。

羽田発後はあっと言う間に空の人。。


眼下には日本海と雪を被った鳥海山。



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「札幌着」


会社(札幌事業所)で仕事。      (毎年12月に実施される社内資格の講師。 (昨年に続き2回目))



結局 朝から夜中まで仕事。     サラリーマンは大変なんですぅ~


ひと仕事終えて懇親を深めに・・        いやあ、 ホント大変ですぅ~


えっ、 二次会?     んー、、  早く帰りたいのになー   お客さんの立場は断れないなー


全然帰れないよー    極寒だし参ったなー    安リーマンの付き合いって大変だなー


そうですかあ??    じゃあお言葉に甘えてせっかくだから本場の味を・・   


えっ!  四次会?    もうお腹いっぱいだよー    もう飲めないよー  (あまりお酒好きな方じゃないしぃ~ )



(2時過ぎ就寝・・ )


二日間の仕事がやっと終わったよー      目いっぱい仕事したから寝不足で疲れたよー  


お土産何にしようかなー       んんっ??    この陳列物は何だろう・・


去年もこの箱見たなー     仕方ない、 また家に送ろう。。


気温5℃&雨&冷北風    風邪引かぬよう温まっていくかいね。

(大倉山は雪で真白)

仕事って大変なんだなー    出張だったから当然か。   全然遊べてないしぃ~

(ダッシュA300-600R   巡航900km/h    行き、羽田離陸10分後には中禅寺湖上空だった)

ジェットEG君もいい仕事してるねー     “クラスJシート”   出張出張出張!!


APECの煽りを受け千葉の上空を何回も旋回したゾー      

(急遽どこぞの国のVIPが羽田に降り立ったそうな・・ )





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ここからが本当の安リーマンの最後の仕事。


札幌から羽田まで1時間20分。   (クラスJシートはファーストと共に優先搭乗)

羽田から自宅まで3時間10分。   (各駅停車の新幹線、 その後の在来線は手でドア開け閉め・・ )


会社へのお土産、    上司へのお土産、   ご近所さんへのお土産、    家へのお土産・・


あ~あ、、    サラリーマンってホント大変だなー      



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錦糸町の夜

2010年11月09日 22時28分15秒 | 徒然

昨夜は(も)会社のチーム全員での飲み会でした。

ひとつの大きなプロジェクトが終わったのでその打ち上げに。

1軒目を終え2軒目に移動する時に見える錦糸町駅前のロッテCITYホテル。   最近建った新築の高層ホテル。



今頃千葉の街はロッテファンで大いに盛り上がっているんだろうナー   いいナー   参加したいナー


「ああ、 千葉に飲みに行きたい・・ 」


2軒目を終え3軒目に移動。  そしてその店出たのが23時前。    ハイ、もう帰れまへん。。 

駅前で皆と別れ4軒目はいつものラーメン屋で〆。     うへー  メタボまっしぐらやん。 (^^;  




ででで、、、   5軒目はカプセルホテル内のレストランで・・・     (結局2時過ぎ就寝)


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ちなみに明後日の木曜からは札幌に出張です。     (去年に続き今年も。  寒そー)



千葉ロッテ日本一!!!

2010年11月07日 23時06分13秒 | 徒然

ち~ば、  ロッテ、  マーリーンズ♪

やったね!!   おめでとう!!!   史上最大の下剋上完結!!!!

西村監督の胴上げ!!     ウワー  スゲー  やったー   


栃木にいても26番目の勇士だゾー!    v(^^)v



 “We  are  the  Champions.”



全然眠れません。。    今からビールで乾杯ダーー!!!



              




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