「快走爛漫Ⅱ」

アウトドア大好き人間です。 (since2005.10) 

2011.3.11 14:46

2019年03月12日 22時05分25秒 | 徒然

 東日本大震災発生

 今も毎年14:46に仕事の手を止め職場の全員で黙とうしている。

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 震災発生後 入れ替わり立ち代わりで現地支援に赴いた。

 自分は3か月後の6月に現地入り。   その時は既に主要都市のライフラインはほぼ復旧していた。

 現地入り
 

 被害の大きかった閖上 (ゆりあげ) 地区へパトロールに出た。

 高速道路の土手が堺目になり海側の悲惨さに比べ山側は比較的被害小だった。

 

 ココでは当たり前の光景       (そちらこちらに多数存在)
 

 なんも無し
 

 会社の施設。        手の示す高さまで津波がきた、 施設浸水でダメージ甚大。
 

 津波に流されてきたガレキが金網に引っかかり施設内流入を防いだ。
 

 言葉が出ない
 

 

 TVニュースによく出ていたコンビニ。       ちなみにGSは手回しで機器で細々と再開していた。
 

 仙台空港へ。       ここでも手の先まで津波が押し寄せた、  当然全浸水。
 

 ガンバレ!
 

 海側の施設をパトロール

 まだこの辺りは復旧前、  手つかずの状態。
 

 応急措置として設備仮復旧させた。       (機材一式を自衛隊ヘリで空輸し設置)
 
 電気はきていないので高出力の発動発電機を回して電源供給。      (ただし燃料切れ前に補充、の繰り返し)

 震災2週間後に電柱埋設し設備仮復旧
 

 

 ガンバレ東北!

 

 支援に赴いた私たちは会社拠点の寒いビル廊下に各自持参の寝袋に入り寝た。   当然風呂なんて数日無し。
  (そこは縦走登山で経験していたので不自由さは全く無しだった & 贅沢なんて到底言えず)

 また、仙台まで到達するのに丸二日。 道路の安全性を確認できるまで警察指示の元、 一般車通行止めの高速道路上で車中泊。

 他、諸々多数経験。      それが知見になり今後の災害時の動きや備えに役立っている。

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 風化させないために。

 以上です。