「ありがとう、 早川山荘」 もうこの言葉しか思いつきません。
この土日で予てから計画していた新潟県にあるスキー宿、 “早川山荘” に行って来ました。
(今回の投稿は完全に自己満足の記事です、 長いです。 ただし早川山荘をご存じの方はその限りではないことを願います)
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2011年 3月 5日(土) 新潟県妙高高原国際スキー場中腹ににある、 早川山荘へ向け出発。
今回はクルマではなく思い出に耽るためあえて鉄っちゃんにしてみた。
車窓からの冬景色を眺めつつ、 山荘の想い出をじっくりと振り返ろうと。。
佐野駅を出て両毛線で高崎駅へ。 そして高崎駅から新幹線で長野駅へ。
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(以前は上野駅から信越本線で一気に妙高高原駅へ通っていたのだが・・ )
当時横川駅停車時では釜飯弁当を売りに来ていたのだが今は寂しくトンネルの中。
でいきなり軽井沢駅へ。 佐久平を過ぎる頃右手に雪を被った浅間山が見えてくる。
長野駅から妙高3号に乗り換え妙高高原駅へ。 リンゴ畑の向こうに広がる北志賀方面。
奥志賀分岐から始まる高速コーナー、 みゆきの杜YH、 海和のよませスキー場、 馬曲温泉、 阿弥陀堂だより・・
いつもツーリングで訪れた地、 でも今日は電車の窓からのんびりと見させてくださいね。。
この切符は宝物にする。 (妙高高原駅で記念に貰った) ほどなくして妙高高原駅着。
バス乗り場を探した。 見渡せば駅から右手に観光案内所が・・
「宮スポーツに行くにはどのバスに乗ればいいですか?」 と僕。
「宮スポーツ、 知ってるんですかあ?」 と係の女性。 そんな会話だけでも実に嬉しい。
ああ、 妙高に帰って来たんだなあと、、 ご無沙汰してたなあ、、 と。。。
2番線バス停より発車~ オーライ♪ (ちなみに1~3番線までしかない)
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(駅前はなんだか様変わりしていたかな? それでも駅反対側にあるスキー場にはまだジャンプ台があったよ)
高速道路ができて便利に!?
便利の裏には・・
高速道路ができたお陰で交通の便が良くなった。 しかし高速が延びる前まではスキー客はどこかの宿に1泊以上で来ていた。
今は殆んどのお客が日帰り。 時速ぬふわkmで走ってきて1日滑りぬふわkmで帰る。 宿には泊らない。
バスから見るかつてスキー客で賑わっていたスキー宿街、 その面影は今はなかった。
でもバスは満員だった。 赤倉や杉の原辺りの宿に吸い込まれて行くのか・・。
そして終点に着く頃にはバスの中は僕一人になった。
そして終点に到着。 バス待合室は昔のままだった。
ああ、 いよいよだ。 ここから僕のスキー修行と酒豪が始まった。 (爆)
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「早川山荘へ」
宿は林道小谷妙高線の途中(冬季閉鎖)にあるため、 以前はここから歩いて行くか、シングルリフトを乗り継いで行ったのだが。。
(林道小谷線 = 白馬側からこちら妙高に抜ける林道で昔セローで抜けたこと数回。 その都度山荘の前を通る度、心が痛んだ)
そのシングルリフトは今はもう無かった。 そして当時歩いていた林道は雪深く到底歩けない。 (未使用になっていた)
なるべく宿に迷惑のかからぬよう歩いて行こうと思ったのだが、、 仕方ない、迎えに来てもらうしかなさそうだ。
宿に電話を入れモビルで迎えに来てもらった。 ちょうど次の電車で来た友人(サトさん)が下のバス停に着いたらしい。
迎えに来た宿のモビルは僕の前で一度止まった。 そして↑を伝える。 下のバス停でサトさんを乗せまた僕の所へ戻ってきた。
ああ、、 そう、 この瞬間だ。 走馬灯のようにあの当時が蘇った。 (泣)
サトさんを真ん中にしてゲレンデの中を上がって行く。 「でもこの運転手はいったい誰だろう、 バイトかな?」
途中から林道に入り見覚えのあるクネクネ道を山荘まで上がって行った。
僕の頭の中は、、 「この運転手は誰だろう・・ 」 でいっぱい。
見えてきた。
早川山荘到着。 18年ぶり。
感無量。 この時点で目頭が熱くなったよ。
おばさんにご挨拶し早速中へ。 もーダメ、 声にならず・・。
モビルの運転手は息子さんだった。 あの小学生、 中学生だった息子さんが。。。
以前と全く変わっていなかった。 なんだかつい最近来たような錯覚に・・ まるでタイムマシン。
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(カップヌードルやお菓子類も以前と全く同じ配置で)
ハルさん、 貴方のことやっと分かりました。 (たぶん宿で顔を合わせていたかも、ですね)
そして僕の賞状が・・ 色あせているけど当時のまま飾ってあった。 ホント、、 涙出そうでした。
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(貼ってある場所は以前とは反対側の窓際上だった)
先に到着していた “カラ” さんに挨拶。 18年以上?ぶりですか、 お元気でしたか。
僕をこの早川山荘に連れて来てくださった会社(当時)の先輩なのです。 今は長野県在住。
カラさん、 サトさん、 そして僕。 再会を祝しビールで乾杯♪ (^^v
そしてお決まりの美味しい昼食。 (今日はカレーじゃなくチャーハンでした)
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(お皿も当時のままで まったく同じお皿だった。 ちなみに醤油やソース差しも)
宿のおばさん、 カラさんの人参苦手を思い出し、それを抜いたチャーハンを持ってきてくださった。
(18年ぶりなのにスゴイ!)
こんな心遣いが素晴らしい、 実に心休まるあたたかい宿。
お昼ごはんを食べた後サトさんと二人、 上の第2高速リフト手前まで歩いて行ってみた。
サトさん。 (山形県湯殿山麓出身で千葉県在住。 あの渡辺三郎デモの出身スキー場で腕を磨いた)
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(宿の屋根の傾斜は当時よりきつくなっていた。 一人、おばさんが雪降ろしをしないですむよう改築したと)
僕。 共にもういい歳したオヤジである。 (笑)
当時お互い負けじと切磋琢磨していた。 先生が亡くなられた時も二人で実家にご挨拶に伺った。
(逆にスゴイご馳走(おいしかった)を出してくださり二人して恐縮しきりだった)
対面の山どこだかわかります? ハイ正解。 そう、斑尾スキー場(裏面)です。 手前には野尻湖が。
懐かしい景色です。 この上の左手に妙高国際スキー学校の建物があったんです。
宿に戻って雪かきのお手伝い。 このくらいしないと申し訳ない。 でもこのくらいじゃ恩返しになんてならないね。
当時の居候の皆さんは誰から言われるまでもなく積極的に動いていた。
ゲレンデからの帰りの道作り、 風呂焚き、 玄関前の階段作り、 掃き掃除、 トイレ掃除・・。
全員、 “体育会系” あの清々しい挨拶や行動全部が気持ち良く、 皆好青年だった。
昔を懐かしみ僕も階段作りをやらせていただきました。
※こうして見ると自己満足に見えるかもしれないが、 そう見えて、そう思っていただいても結構です。
でもこの時自分は心の底から感謝の気持ちでいっぱいでした。 「先生、ありがとうございました」 と。
カラさん、 サトさん休憩の図。 (笑)
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(カラさんは今でも年に数回はスキーをされているそう。 さすがです)
一仕事を終え(仕事のうちに入らないが)宿の中へ戻ると僕たち(サトさんもここで1級取得)の賞状が外されていた。
「持って帰ってください」 ということなんだと直感した。 (またまた涙腺が弛む)
そして当時の仲間の賞状やアルバム写真をじっくりと拝見する。 懐かしいの一言!
スチュワーデスさんが泊ったときの先生のハシャギようったら・・・ (笑)
こうして見ると僕は写真係だったうな・・。
サトさんが着ている赤いウエアは当時僕が提案し二人して揃えたもの。
全員早川山荘に鍛えられ、 またいろいろと教えていただきました。
(考え方、大人としての行動言動、義理、感謝の気持ち、他人を愛する心・・ とてもとても書ききれない)
中村君元気でやっているかい? ナイターでよく一緒に滑ったね。 今もミ○ノで働いているのかな?
当時の先生(スキースクールの副校長先生)です。 お若い!! (今回初めて拝見しました)
おばあちゃんと先生。
若かりし日。 「青春の1ページ」
当時は首都高くらいしか高速は無く後はずっと下道(R18)。 夜千葉を出て朝方宿に着いて・・ だった。
あまりに早く駐車場に着いた時なんか宿に電話するのが申し訳なくて、クルマの中で8時頃まで待っていた時もあったっけ。
次女(だったと思う)とヤッちゃんとカラさんと僕。 この時これが最初で最後、 一緒に滑ったね。
もー ダメ。。。 ちょっと部屋から外に出ました。
夕食の時間。 サトさんは日帰りため僕たちだけ早めの夕食にしていただいた。
食堂にも当時のままの写真があった。
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(ホバリングしたヘリコプターの下、 数回滑ってやっとOKが出たポスター写真左)
当時この写真を見て先生自ら、 「あー、、 いやいや、 やーやー」 と。 (わかる人には分かる言いよう)
佐野の地酒を持参しました。 今宵は一献。。。
カラさんも写真を撮っていました。
いつもながら美味しい夕食。
全員で記念撮影です。 おばさん、 ヤっちゃん、 いつまでも元気でネ♪
サトさん帰ります。 今日はありがとう、 またいつか会いましょう、 気をつけて!!
ささ、 食べ直し、 じゃなかった飲み直し。 (笑)
カラさんもアンチャン(カラさんは先生のことを昔からアンチャンと呼ぶ)の写真を撮ってます。
ちなみに壁には先生の年代別の名札がいっぱい貼ってある。
宿のおばさんとヤッちゃんが来て、 この中から記念に何か持ち帰ってくださいと。。
さすがに故先生の免許証等は遠慮した。 で僕が選んだのは当時使わせていただいていたシーズン券数枚。
毎年毎年シーズン券を貸していただき毎日毎日一生懸命練習しました。
食後居間に移動しヤッちゃんに地酒(どぶろく)を頂く。 いやあ、 今回は飲んでばかりです。 (^^;
甘酒のような味わい(フルーティー)で行けること行けること。。 ぬははー (^^v
(最初の数杯では当然終わらず、 そのうちに一升瓶を持ってきてくれた)
風呂後外に出て涼んだ。 気持いい冷気。 今夜は星空だった。
いい雰囲気でしょ? 早川山荘。 外は寒いけど宿の中はスゴク温かい(暖かい)んですよ。
他の常連さんに混じり昔話や趣味の話に華が咲く。 山荘が閉まるのを残念がっていました。
この中にいると僕なんてまだまだペーペーです。 皆さん30年以上来られているそうです。
こういうシチュエーションで夜な夜な酒を酌み交わし胃腸を鍛えそして翌日には腕を磨き、 だったなあ。。。
そろそろお開きにしましょう。 短い1日が終わります。
TVなんて必要なし。 当時、 皆1日中滑って疲れて呑んであとは眠るだけの生活だった。
明日、 帰ります。
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3/6(日) 名残惜しいですが泣いても笑っても今日で最後です。 眩しい青空。
おはようございます。
おいしい朝食、 頂きます。 当然お代わりです。
カラさんも名残惜しんでいます。 窓の外は過ぎた時間があっと言う間に縮ります。 この景色見たのホンのつい最近のよう。
ヤッちゃんが僕に言ってくれた。 「せっかくだから最後に滑ってきてください、 僕のスキー貸しますから」
初めは遠慮(帰るまでの時間想いに耽ようと思っていたので)したが、 せっかくなのでやはりご厚意に甘えることにした。
スキー板ストックとブーツ、 それと上着とグローブを借りて(要は一式全部)1本滑ってくることにした。
先生、 今僕はあなたの息子さんの道具をお借りして山荘の前に立ってます。 信じられません。
昔、彼がまだ小学生の頃一度一緒(お姉ちゃんも一緒に)に滑っただけでした。 その彼の道具を借りて最後に1本だけ滑ります。
(以前使っていた板は見栄を張ってのSL200cm(身長165cm)、 それが今は175cm以内の短い板が主流。 今日初めて乗る)
リフトは以前のように動いてはいなかった。 スキー人口の激減と共にリフト本数も減っていた。
杉の原スキー場まで滑り(下り)ゴンドラを乗り継ぎ国際(今は三田原ゾーンと言う)側に来なければならない。
カラさんいわく、 本数が少ないから昨日は激混みだったぞ、 と。
帰宅の時間もあるので、 宿からスキーを担いで第2高速リフトまで歩いて登り2高の1回券を購入し滑ることにした。
(山歩きをしているので荷物担いでの登りは全然苦にならない、 むしろ最初で最後やるのも面白いし)
妙高山の頂が綺麗に見えた。 今年火打ちと一緒に登ろうかなあ。
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(苦にならないとは言ってみたものの汗びっしょりである。 (^^; )
振り返る。 斑尾高原方面とナウマン象の野尻湖。
よくお茶していたチロルは雪を被り閉まっていた。 スキー学校も今は跡形もなかった。。 (泣)
1回券500円を支払い いざリフトへ。 懐かしい。。。
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(以前はつばぜり合い(笑)をしてリフトに乗ったものだが今はすんなりと乗れる。 嬉しいのか悲しいのか・・ )
昨日のことのように思い出す。 ここで修行した。 この上部が検定バーンだった。
今日はウサギの足跡は見つけられなかったよ。 ハハハ・・。
3高乗り場。 この上(大昔は無かった)がコブコブバーン。 昔一度だけフリーで先生にマンツーマンで教えて頂いた。
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(右手側が杉の原スキー場。 連絡路でもある)
さあ、 滑りますか!!
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昔はここから2高乗り場まで一気滑りばかりしていた。 今日は絶対できません。 (^^;
ヤッちゃん、 行くよーー!!! 18年ぶりです。
気持いいー!! 最初はへっぴリ腰だったがそれでもすぐに前傾になり中ショートターンもできた。
体は覚えているもんですねえ、、 って80%は道具のお陰だろうて。。 ドッヒャー。
脛(スネ)が痛くなってきた。 (←これも思いだした) 根性注入ぅ!!!
一気に下るのが勿体なくてちょいちょい止まっては写真をパチリパチリ。 そしてとうとう最後のバーンへ。
今はもう無いシングルを下りて山荘入口に向かうバーンです。 (右手中腹辺りに山荘への入口看板がある)
「ああ終わってしまう」 (これも当時のままの印象で、楽しい1日があっという間に終わってしまう、そんな印象)
“早川山荘入口”
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(当時は木の根元にオレンジ色の看板だったのだが・・ よく雪に埋もれて見えなくなるから変えたのかな)
「ただいま戻りましたーっ!」 が宿に戻った時、 台所のドアを開けて必ず言っていた挨拶でした。
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(山荘への道は分かりずらく木立の中を右往左往してしまった。 これも “今” を象徴する事柄なんだろう)
静まり返った居間。 昼間はいつもこんな感じ。
2日間ありがとうございました。 もう二度と泊ることはできません。
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(キノコ博士(故お爺ちゃんはキノコ博士)のキノコの額縁入り写真が外されていた)
さようなら、、 皆さん。
この温度計も昔のまま。 (どなたかの北海道のお土産)
ここから眺める雪壁も見収め。 昨夜のお酒は置いていくね。
帰り際おばさんから 「持って帰ってください」 と渡された。 一生の宝物にします。
ああ、、
いよいよあの瞬間がくるのか!? (来てはほしくないんだが)
ヤッちゃんがモビルを持って来る。
僕は段々声にならず回りを見ているだけ。
この辺からはもうウルルン滞在記のラストシーンそのものでした。
「カラさんとヤッちゃん」 ヤッちゃんが最初に言った、 「先ずはカラさんと二人だけで撮ってください」 と。
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(カラさんが早川山荘に来始めの頃、 ヤッちゃんはまだこの世に生は受けていない。 とのこと)
手前、 おばさん。
この方たちの笑顔は絶対忘れない!!
カラさん曰く、 「たぶん同年代(近い)?かも」
長い間本当にお世話になりました。
(次回?はまた実家にお邪魔させていただく約束をした)
上の写真を撮った後、 僕は両の手でおばさんの温かく働き者の手をそっと包んでお別れをした。
この時だけは涙があふれて声が出ず、 ただただ頭を何回も下げるだけ。
モビルに乗って振り返り撮った最後の写真。
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(カラさんは一人滑って下の駐車場に下りる)
ヤッちゃん、 君の背中はお父さんのようだよ。
たくましくなったなあ、、 お父さんに負けないようガンバレよ。
早川山荘の皆さま、
本当にありがとうございました。
完。
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Special Thanks. カラさん、 サトさん。