中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

香りの記憶

2008-04-19 15:20:02 | 身辺雑記
 電車の座席で本を読んでいたら、急に好い香りがした。横を向くと和服姿の中年の女性がいた。途中の駅から乗ってきたらしい。

 その和服姿は抜き衣紋だったから、私が向けた視線の先にはその女性の襟足があった。目の前に艶めかしいようなものを見たものだからちょっとどぎまぎして、すぐに目をそらしたが、このような抜き衣紋の姿は久しぶりに見たなと思った。もっともこれは私が野暮なので、夜の繁華街の常連なら珍しいものでもなかろう。

 そんなことよりも、私の嗅覚をくすぐった香りの方が気になった。その女性がつけている香水の香りなのだが、見覚えならぬ嗅ぎ覚えがあったのだ。濃厚な強い香りではなくさわやかなもので私にとっては好ましいものだったし、電車が揺れたりするたびに微かに匂ってくるのも悪くなかった。しかし匂うたびに、はて、この香りは何だったろう、確か記憶にあると、それが気になって読書の方が停滞した。

 私は好い香りが好きで、最近はしなくなったが小さい円錐形の香に火をつけて部屋の中に広がるよい香りを楽しんだものだ。中国の寺で白檀の線香を買ったこともある。先だっては東京の施路敏(敏敏)が男性用のオーデトワレを贈ってくれたので時々つけている。しかし女性の香水についてはほとんど知らない。妻がいたころには買ってやったこともあるが、妻が好きだったクリスチャンディオールのディオリッシモなどというもののほかは、覚えていないし、したがって知識はまったくと言っていいほどない。米国の女優のマリリン・モンローの逸話で有名になったシャネルの5番は、名前は知っているが、どんな香りかは知らない。

 電車の中の女性のつけている香りは、妻のディオリッシモのものではなかったと思うし、しかしどこかで嗅いだはずだと思っているうちに目的の駅に着いたので降りた。その女性とは離れたが、鼻腔の奥にはその香りが残っていて気になって仕方がなかったが、やがて考えることを止めた。

 夜、寝ようと思って自分の部屋に上がった時に、突然思い出した。ずっと前に香油を陶器製の小皿に少し垂らして、下から固形燃料の火で温めて蒸発させ、その香りを楽しんだことがあったが、その香りだったはずだと思った。机の引き出しを開けてみると香油の入った小さい管瓶がまだあって、中には少量の香油が残っていた。ラベルを見るとバラだった。栓を取って嗅ぐと、まさしく昼間の女性がつけていた香りで、そうか、そうか、この香りだったのかと納得したが、それにしてはバラとは平凡な結末だった。あの女性はバラの香りの香水をつけていたのだろうが、安っぽい匂いではなかったから、あるいはダマスカスローズとやらだったのかも知れない。ダマスカスローズはイランなどに産するバラの原種で、香りの強い精油(エッセンシャルオイル)が取れることが知られている。この精油は一緒に採れるバラ水とともに高価なものだ。



 五感の記憶というものは強弱はあっても残ることが多い。特に見たものの記憶は強いが、味、音、肌触りなども記憶されていて、時折ふと思い出すことがある。生まれたばかりの我が子の頬にちょっと口づけした時の柔らかい肌触り、温かさ、微かな乳の香りなどは40年以上たった今でも思い出すことができる。妻の声はもちろん今もはっきりと思い出すことができるが、それだけでなく20年以上前に世を去った父の若い頃の声も耳に残っている。臭いの記憶も芳香、悪臭ともに残っていて時々思い出す。戦争中に父方の祖父の家に同居していたが、その家にあった茶室のちょっと黴臭いような匂いの記憶は、70年近くたった今も鮮明だし、それと共に、その薄暗い茶室のひんやりした空気まで思い出す。五感の記憶はただそれだけでなく、それが関係していた雰囲気までも伴って思い出すことができるものだ。

 電車の中で隣に座った女性がつけていた香水の香りから、いろいろなことを考えた。我ながら暇なことではある。