大阪府立和泉高校の校長の行為について、『東京』のコラム「筆洗」に次のようなものがあった。少し長くなるが全文引用する。
「製品の中から不良品を血眼になって探し出す工場長の姿と重なって見える。違っているのは、相手にしているのが、生身の人間であるということだ▼大阪市の橋下徹市長の友人で、民間人校長として採用された大阪府立高の校長が、卒業式の君が代斉唱の際に、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかどうかを確認していたという▼約六十人の教職員全員が起立した後、口の動きをチェック。不自然に見えた三人の教師を呼び出した。府教委は、歌わなかったことを認めた一人の処分を検討している▼「起立斉唱の職務命令が出ているのだから、口元を見るのは当たり前で素晴らしいマネジメント」と橋下市長は校長をほめちぎった。起立はするが歌いたくはないという教員は、アイドルグループ並みの「口パク」技術を習得しなければならない▼演劇賞をさらった「歌わせたい男たち」は、君が代斉唱をめぐる校長と教師のせめぎ合いを喜劇チックに描いた永井愛さんの戯曲だ。当初、ロンドンの劇場との提携公演になるはずだったが、あらすじを送ると「もっと文化的に越境が可能なコラボレーションをしましょう」と芸術監督に断られた▼国歌を歌わない、起立しないことで教師が処分される現実は海外で理解してもらうのは至難のようだ。口元を確認してまで歌わせようとする男たちの心象はどう見えるだろう」
実際、国家を歌わないことが処分の対象になったり、法廷に持ち出されたりするようなことにまでなるのは日本独特のものらしい。
『朝日』の夕刊のコラム「素粒子」は少し及び腰で冗談めかしてこう言っている。
「では、口パクにするか裏声で歌うか。口の動きを見つめる教頭の目が怖い。それを褒める市長の心はもっと怖い」
小学校の教師をしている次男とも話したのだが、私の若い頃は学校の雰囲気がおおらかで良かった。教育委員会は学校現場に対してはそれほど強圧的ではなかったし、国旗・国歌の強制はなかった。校長と教職員の関係も良かった。あの時代が懐かしい。そして今の大阪の状態が、すべて橋下という一人の突出した個性の人物の考えから出ていること、またそれを支持する声が多いという世相を思うと慄然とする。