中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

水と油のはずだが

2012-03-18 07:59:42 | 身辺雑記

 私がはじめて高校の教師になった時のことだが、社会科にFさんという教師と、国語科にOさんという教師がいた。二人とも私よりも少し年上だが、まだ20代後半だった。

  Fさんは京都大学出身で、在学中はアメリカンフットボールの名の知れた選手で、見るからに頑丈そうで精力溢れる体格だった。それに対して神戸大学出身のOさんは、在学中の経歴は知らなかったが、色の白いいかにもインテリ青年教師という風貌で、低音の声がなかなか良く、性格も温和だった。

   思想上ではFさんは硬骨な右翼で、特定の右翼団体に所属していることはなかったが、Oさんは左翼、おそらくは共産党員らしかった。だから二人は本来、水と油の関係であったのだが、どうしたものか、とても仲が良かった。二人で飲みに行ったりしていたようだし、仲良さそうに話していることもよく見かけた。そういう時のFさんはいかにもOさんを気に入っているような様子で、私に「これは共産党なんや」と紹介したことがある。そんな時にもOさんは穏やかに笑っていた。

 当時は教職員組合の活動も盛んで、私が勤めた高校の教師は全員組合員だった。右翼のFさんも組合に加入していたが、組合の会議には出席したことはなかった。反対にOさんはまじめな組合員で会議中には、穏やかな声で発言していた。

  その後しばらくしてOさんは他の高校に転勤したが、Fさんはずっと留まり、最後はある高等専門学校の教授になった。

  あの頃は今のように組合と言うと異質なもののように見たりすることはなかったし、組合活動が盛んだと言ってもギスギスした雰囲気はなく、活動の主目的は教職員の給与など労働条件の改善要求だった。だからFさんとOさんのような水と油でも混じり合えるような雰囲気があったのだろう。

  Fさんはすでに数年前に物故した。Oさんのその後の消息は知らない。もう80代に入って半ば近くになるだろうが、高校の同窓会誌を見ても物故者の名の中にはないから健在なのだろう。

  社会全体が右傾化し、とくに左翼と見なす者に対する非寛容さがだんだん強くなっているように思われる今頃、思想上は極端に右と左だったが、仲の良かったFさんとOさんを思い出すと、しきりに懐かしくなる。