中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

梅(3)

2012-03-15 09:21:21 | 身辺雑記

 梅と言えば梅干しを思い出すが、とても酸っぱいから「ウメ」と聞いただけでも条件反射で唾液の分泌量は多くなる。 

 梅干しはもともと梅酢を作った後の副産物だったそうで、食用よりも薬として使われた歴史がある。梅は中国原産のものだから、梅干しも中国での歴史は古く、湖南省長沙で発見された紀元前200年頃の漢代の墳墓である馬王堆からも梅干しが入っていたと推定される壷が発見されたそうだ。しかし今の中国ではこのような酸味の強い梅干しは好まれないようで、甘みのある乾燥したものが売られている。話梅(hua mei)と言い、乾燥して硬くなっているが、口の中に入れていると、適度な甘みと酸味が入れ混じって美味しい。 

 梅干しは保存のきくもので、現存する最古のものは奈良県の中家という旧家に伝わるもので、安土桃山時代の天正4年(1576)に漬け込まれたものだそうだ。補充ができないので味わうことはできないそうだが、こうなると貴重な骨董のようなものだ。また同家には今から200年ほど前の江戸時代の安永年間に漬けられた梅干しもあり、試食したが問題なく食べられたという。 

 梅干し用の梅と言えば南高梅だが、これは和歌山県のみなべ町を主産地とする白梅の果実で、最高級品種とされている。もとは明治時代に高田貞楠が発見した高田梅に由来し、その後1950年代に南部高校の竹中勝太郎教諭らの尽力もあって、高田梅が最優良品種に選ばれ、高田の「高」と南部高校の「南高」をとって南高梅と命名された。 

 梅干しは、私のような世代の者にとっては「日の丸弁当」を思い出させる。弁当箱に白い飯を詰め、中央に1個の梅干しを置いただけの、最もシンプルな弁当で、戦争中は半ば強制されて学校に持って行ったが、やがて都会では白米、それに米そのものがあまり口にできなくなり、それさえも幻の弁当になった。

                                                     

                                             インタネットより

 


梅(2)

2012-03-14 10:06:55 | 身辺雑記

 

   ウメの学名は、Prunus mumeという。Prunusは分類上の属名でサクラ属を意味し、ウメ、サクラ、モモ、アーモンド、プルーン、スモモ、アンズなど春に美しい花を咲かせるものは皆これに属している。 

 mumeは江戸時代の古名の「ムメ」。ウメの語源はいくつかあるそうだが、その一つに中国語の梅(メイ)が日本に伝来した当時(奈良時代以前)の日本人は鼻音の前に軽い鼻音を重ねていたのでmeをmme(ンメ)と発音し、これが「ムメのように表記されて、それが読まれるとmume→umeと転訛したという。 

 実際に、現在でも「梅」、「馬」と発音する時の「ウ」と、「牛」、「歌」と発音するときの「ウ」とは、唇の形が違っていて、「梅」や「馬」と時には唇は閉じている。よく聞くと「梅」は「ムメ」、「馬」は「ムマ」となっている。だから馬子はマゴだし、馬籠(マゴメ)という地名もある。中国語の馬の発音も「ma」。 

 奈良時代には「花」と言えば梅を指していたが、平安後期以降は桜を指すようになった。 

 日本では梅は、松竹梅の一つとして、正月などの慶事に好んで画の題材とされたそうだし、今でも正月の飾りにする。また梅は、菊、蘭、竹とともに中国や日本ではその高潔な美しさ君子にたとえて「四君子」と称し、、やはりよく絵画の題材とされてきた。 中国西安の李真の父親の李延年氏は今は引退したが、西安では名の知れた画家で、私に作品を収めた画帳を贈ってくれたが、そこにも四君子が描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2012-03-13 00:19:17 | 身辺雑記

 そろそろ見頃になったと思って、近隣にある中山寺という安産祈願の観音を祀る寺にある梅林に出かけた。最寄りの私鉄で3駅のところにある。

 

 行ってみると、きれいに満開になっている木もあるが、まだ蕾が膨らみかけているものや、固いものもある。おそらくどの木も満開になるのは来週以降だろう。そうすると桜と重なるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 桜は暖かい陽光を浴びて、いかにも春の盛りを思わせるもので、心が浮き立つものだが、梅はまだ寒いうちに花を開き始めて馥郁とした香りをあたりに漂わせるのが気品があってとてもいい。私はどちらかと言うと梅が好きだが、とくに白梅が好きだ。

 

 


おじいちゃん

2012-03-12 10:37:45 | 身辺雑記

 最寄りの私鉄のターミナル駅に行く時には国道を跨ぐ歩道橋を通る。その歩道橋の先にエレベーターがある。階段もあるのだが、最近は杖をついているので、このエレベーターを利用する。

 昨日このエレベーターに乗ると、すぐ後から老婦人が一人乗ってきて、大きな声で「おじいちゃん、2階」と言った。後からその婦人の連れ合いでも来るのかと思って外を見たが誰もいない。どうやら下に降りるボタンを押そうとした私に言ったようだった。2階には改札口がある。それで自分の行き先を言ったのだろう。2階に着いて降りてから振り返ってみると、私より年配らしい80代と思われる婦人だった。 

 私は今更言うまでもなく年寄りだから、孫達からは「おじい」と呼ばれているし、中国の友人達は「おじいさん」「おじいちゃん」「じいちゃん」「爺爺イエイエ」などと呼んでいる。それが当たり前で、もし「おじさん」などと呼ばれたらかえって気恥かしい感じになるだろう。私は「おじいちゃん」と呼ばれるのが好きだ。

 しかし、エレベーターで出会った婦人は正真正銘の「見事な」お年寄りで、そのような人から「おじいちゃん」と呼ばれると、こちらも正真正銘の老人であっても、何だかひどく年をとったように思ってしまう。その婦人からすれば「おじいちゃん」と呼びかけるしかないのだろうが、改札口を通り抜けながら「おじいちゃんかあ」と苦笑しながら呟いた。

 


3・11

2012-03-11 10:55:38 | 身辺雑記

 あの悲惨な大災害の日から1年がたった。 

 近頃は何かしら日の経つのが早いようで、あっという間に1年が過ぎるという感じで年賀状にもそんなことを書いた。しかし、あの大地震で大切な家族や財産のすべてを失った被災者の方たちにとっては、長い長い1年ではなかっただろうか。私が妻を失ったのは2月の末のことだったが、その年は本当に長かった。喪失感に捉われて毎日を無為に過ごしたように思う。

 震災直後に新聞で報じられた、奥さんと幼い二人の娘を失った岩手県山田町のSさんは見も知らない方だったがお悔やみの手紙を送った。Sさんからは返信はなかったが、おそらくあの当時はそれどころではなかったのだろう、そのSさんは今日一周忌を迎え、最愛の妻子の写真を前にして、どのような思いをしているのだろうかと、妻の一年祭を迎えた時の自分を思い出して胸が痛む。

 大災害から1年は過ぎたが復旧はなかなか進んでいないようだ。被災3県の膨大ながれき処理を引き受ける自治体も多くないようで、特に放射能汚染を心配する住民の抵抗が強いようだ。その心配は分からないでもないが、それにしても震災後に叫ばれた「がんばろう日本」、「がんばれ東北」の声は空しい。昨年の漢字は「絆」だった。これも災害から1年たった今では、何か空虚にも聞こえる。 

  それどころか、風評被害がいまだに根強いようで、特に福島県、福島産のものに対する仕打ちは、何が「絆」だ、きれいごとを言うのもいい加減にせいと言いたくさえなる。福島人に対する差別もひどい。移転先で公園で一緒に遊ぶなと言われたり、保育園の入所を拒否されたりとひどいものだ。前にもブログに書いたが、あるネット掲示板の書き込みを見ると、福島県(人)に対する憎悪に満ちたものがあり、慄然とするし、このような非人間的な心の持ち主には強い怒りを覚える。 

  これからも復旧の歩みはなかなか進まないだろう。国の復旧へのいっそうの努力を求めながら、今なお住み慣れた地に戻れず、いわれのない風評被害に晒されている人たちが一日も早く安定した生活を取り戻せるようにと願う。

/@\*


これは何?

2012-03-10 18:32:25 | 身辺雑記

  近くにある家の、葉の芽が膨らみ始めたアジサイの枝に、稲穂が掛けてあった。この辺りには30年以上も住んでいるが、このようなものはこれまで気づかなった。 

     

 刈り入れの時期はとっくに済んでいるが、稲穂はどこかに保存してあったような感じで、きれいな外見だ。その家の人に尋ねてみようと思ったが、わざわざ呼び出してもと思ってやめた。家に帰って調べてみたが結局わからなかった。この家は今時風の造りなのだが、この辺りの農家なのかも知れず、何か農業上の習俗なのかと思った。

 近所のYさんの奥さんに出会ったときに尋ねてみると、「ああ、雀の餌」とあっさり言われたので拍子抜けした。その家は農家ではなくアパートを経営しているそうで、そのどこかからもらったのだろうとのことで、それ以上のことはYさんも知らなかった。

 何となく珍しい物のように思えて、あれこれ考えたり調べたりしたのだが、雀の餌とは単純な答だった。それでもまだ心の片隅では何か謂れがあるのか、秋の収穫期に食べられないように、今のうちに食べさせておくというまじないかなどと考えている。

 

 

 


つれづれに(2)

2012-03-08 09:49:17 | 身辺雑記

3月3日(金)

 桃の節句、雛祭りの日だが、やはり今頃では、まだ桃の花の暖かさが伝わってこない。街の花屋では温室育ちらしい花桃の小枝を売っているが、なんとなく縮かんでいるようにも見える。

 

        

 

 古来の伝統行事はやはり旧暦でするほうがいい。新暦では季節感が乏しくなる。旧暦では今年の3月3日は3月24日で、この頃なら桃の花に似合う。

 

 

                         2009年3月27日和歌山県紀ノ川市桃山町で

 

3月4日(土)

孔子の有名なことばに、「巧言令色、鮮(すくな)し仁」というのがある。「巧みな言葉やたっぷりした表情の人間には、仁(ほんとうの人の心)は少ないのだ。」(陳舜臣『論語抄』中央公論社)ということだ。連日のようにマスコミに騒がれている橋下大阪市長の言動を見聞きすると、ついこのことばを思い出してしまう。

 

3月5日(日)

卒業生のI君の店に行くとテレビが新しくなっていた。これまであったのはどこからか拾ってきたもので、アナログとデジタルの双用のものだったが、今月末で使用できなくなるので買ったと言った。大手メーカーの製品で3万6千円だったとのことで、BSも見られるそうだ。

テレビはかなり値下がりしているとは聞いていたが、ずいぶん安くなったものだ。これくらいなら買ってみるかとふと思ったが、そうするとテレビが見られなくなって1年以上もたち、テレビがなくて何も不便を感じなくなっているのに、またテレビの前にべったり座り込んでいる自分の姿が想像されて、やはりもう少し考えてからにしようと思い直した。  

 

3月6日(火)

 石原東京都知事を党首にして3月に新党を立ち上げるという話、その後どうなったのだろう。70代の老人達が集まって「新」でもあるまいにと思ったものだが、その石原氏が最近「僕は核武装するべきだと思っている。それができなければ核のシミュレーションだけでもやったらいいと思う。日本は世界一のスーパーコンピューターを持っているんだから。それを提唱するなら政党を作ってもいい」と言ったようだ。もともと彼は核武装論者だが、核武装するということは、行きつく先には核戦争もあるということで、この発言は極右政治家の本音と、核戦争の悲惨さに対する無関心さを露骨に表わしている。シミレーションするなどゲーム感覚なのか。

 小学生の時に広島の上空で原爆が炸裂するのを目の当たりにし、その後被爆者達の惨状を見て「これが地獄なんだ」と思ったと言う妻は、毎年8月6日の広島での原爆被爆者追悼式のテレビ放映を見ながら涙を流していた。このような庶民の心などは石原氏などにとっては一顧だにすることではないものなのだろう。

 かつてある評論家は彼の在りようを「老残」(老いぼれて生き残ること)と評していたが、私より1歳年上のこの「政治家」の姿は、ただただ「老醜」「老害」の極みだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


つれづれに

2012-03-07 00:57:51 | 身辺雑記

 「啓蟄」の時期に入ったことでもあり、休んでいましたブログを、再開いたします。手始めに休んでいる間のつれづれの日々に記したものを・・・。

 

 

2月26日(日)

 

梅一輪 いちりんほどの暖かさ  

 

 松尾芭蕉の高弟、服部嵐雪の句。今日は寒かったが、この2、3日少し暖かい日が続いたので、近くにある梅を観に行った。まだちらほらとしか咲いていなかったが、この句を思い出す風情だった。来月に入れば満開にもなるだろう。 

 

   

 

 2月27日(月)

 今日の『朝日』の夕刊の一面は、橋下大阪市長のツイッターが読者61万人,政治家としては鳩山元首相を抜いて1位になったという記事。それがどうしたというのだろうか。例によって見飽きした顔写真をつけて、大きく「橋下節 頂点なう(意味不明)」という見出し。全体として紹介と言うよりも、持ち上げ記事だ。

 『朝日』は先日は橋下氏に期待するという小学生の投書と、それを称賛する老婦人の投書を掲載し(どちらも読んでいて背筋がもぞもぞするような感じだったが)、20日には、朝刊一面トップに「橋下ブレーン増殖26人」という大きな記事。39面にも「なぜ集まる」という関連記事。最近の『朝日』は橋下氏や「維新の会」の広告塔、提灯持ちになり下がったのか。弟は「アンチ橋下の記事で読者に逃げられたら困るからじゃないかな。テレビも新聞も結局スポンサー頼りだから」と言った。

  かねてから右派ジャーナリズムの『産経』などは『朝日』を左翼視していて滑稽だと思っていた。かなり偏った右派の『産経』から見ればそうかも知れないが、『朝日』は左翼などというものではなくリベラルくらいのもので、それはそれで良かったのだが、そのリベラルも今では色あせてきたように思う。

2月28日(火)

 今日は妻の命日。13年目になる。仏教なら13回忌をするところだが、我が家は神道だからそういうことはない。でも、やはり花は新しいものを生け、好きだったちらし寿司を供えた。花はもう13年もたつたのだから、華やかな色どりのものにしてもらった。13年間1日も思い出さない日はなかった。最近はまた、夢に出てくることが多い。様子も声も元気な頃のままなので、目が覚めるとひどく悲しい。それでも少しづつだが、だんだん遠くへ行っているようにも思う。 

2月29日(水)

 キャベツのスープ煮という、私が勝手に名付けた料理のうちにも入らないようなものを作った。

 鍋に適当に水を入れ、これも適当にブイヨンの素とベーコンの切り身を加え、そこに小ぶりのキャベツを丸ごと入れ、蓋をしてとろ火で加熱する。途中でキャベツを引っくり返す。これだけのことだ。

 いたって簡単だし、一度にキャベツの半分は食べられる。私のオリジナル料理というものではなく、まだ妻がいた頃に、ある料理の本にあった、ヨーロッパのどこかの国の郷土料理のようなものらしかった。その時にそのレシピで作ったものはなかなか美味しいものだったが、そのレシピはもう見当たらないし、今回作ったものは、私の好みでもまあまあという程度で、人に食べてもらうようなものではない。 

3月1日(木) 

 早3月に入った。閏年で例年より一日多い2月も、あっという間に過ぎ去った。こんなことはと思い出すと、大抵は1月頃のことだ。まったく「ニがつはニげる」とはよく言ったものだ。まだ寒さは緩んでいないが、この辺りは明日くらいから気温は10度を超し、5日、6日ごろは16度くらいになるという予報。暖かくなったと喜んでそうこうしているうちに「サんがつはサる」というから、すぐに4月が来るのだろう。 

3月2日(金)

  今日の『朝日』の社会面には「『ハシズム』人気のわけは?」という見出しで、橋下氏を批判してツイッターなどで彼の「口撃」を受けた4氏の橋下分析を掲載している。そもそもは、1月に『産経』が橋下氏を「日本のリーダーとして最もふさわしい」とする世論調査の結果を掲載し、記者団に感想を求められた橋下氏が「聞いてくださいよ。ハシズムといって批判している人に」と言ったかららしい。橋下氏としては得意満面で、いくらバカ学者が批判しても俺はこんなに人気があるのだと言いたいのだろう。

  『朝日』の記者が訪ねたのは、北海道大学大学院の山口二郎教授、同じ大学の公共政策大学院の中島岳志准教授、神戸女学院大学の内田樹(たつる)名誉教授、精神科医の香山リカ氏。いずれも橋下氏から「役立たず」などと激しく批判されているようだ。その中の香山リカ氏は、橋下氏の「一回も面談したことがないのに僕のことを病気だと診断したんですよ。そんな医者があるんですかね。患者と一度も接触せずに病名が分かるなんて。サイババか」という罵倒に対して「特定の病気と断定したのではない。白か黒かでしか判断できない人は、大きな不安を抱えていることがある。二者択一を迫る政治家が支持されるのは、有権者が不安定な状況に追い込まれているからではないか」と言っている。毎度のことながらいきり立つ橋下対落ち着いた香山と言う構図だ。

 取材した『朝日』の記者は、「『既得権益』があると見なした人を『敵』に仕立てて、時に口汚ないと思えるほどの言葉を使いながら徹底的にやりこめる。橋下氏お得意の手法には、違和感を持っていた』と言い、「橋下氏に拍手喝采を送っている人が、ある日突然、『敵』にされるかもしれない』と結んでいる。

 「臆病な犬ほどよく吠える」と言うが、橋下氏の異様とも思えるほどの品性の乏しい口汚さと批判者への噛みつきようは、案外彼の臆病さの表われかも知れないと思ったりする。