今年も遠く離れて住む母には、カーネーションのブーケを贈ることしか出来なかったけれど、とても喜んでくれます。
年々、母の日や父の日に何か出来ることが、こんなに有難いことだったのかと思う気持ちが強くなっています。
両親も高齢で病弱なのに、いろんな事情で滅多に顔を見せに帰ることも出来ないので、いつも済まなく思っています。
それなのに、母はいつも決まって「あんたは子供から花なんて貰えないだろうから、私が贈るよ」と、お金を送ってくれるのです。
親心は有難いものです。
私もかれこれ20年間母ですが、母の日に自分が母である意識はなぜかまったくありません。
やっぱり母といえば、わが母親ですから。
きっとずーっとそう思いながらこの日を迎えていくんだろうな、という気がします。
お母さんが居る幸せをずっと噛みしめていたいのかもしれません。
年々、母の日や父の日に何か出来ることが、こんなに有難いことだったのかと思う気持ちが強くなっています。
両親も高齢で病弱なのに、いろんな事情で滅多に顔を見せに帰ることも出来ないので、いつも済まなく思っています。
それなのに、母はいつも決まって「あんたは子供から花なんて貰えないだろうから、私が贈るよ」と、お金を送ってくれるのです。
親心は有難いものです。
私もかれこれ20年間母ですが、母の日に自分が母である意識はなぜかまったくありません。
やっぱり母といえば、わが母親ですから。
きっとずーっとそう思いながらこの日を迎えていくんだろうな、という気がします。
お母さんが居る幸せをずっと噛みしめていたいのかもしれません。