桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

20thアニバーサリーに思うこと

2007-10-05 20:18:42 | 自閉症のtoshiya
息子が二十歳になった日なので、ただメデタイと言ってるだけではもったないので、ちょっと独り言を書かせてもらおうと思う。

20年と一口に言っても、それはそれは長かったようにも思うし、あんなことやこんなことがたくさんたくさんあったというのに一瞬だったようにも感じる。

生まれてから12歳(小学校卒業あたりまで)までのことは、著書『わたしは息子から世界を学んだ』にも書いたのだけど、一番私がもがいていたのは小学校就学前後だったように思う。
自分の今までの価値観を崩して、新しい生き方(人間観や世界観)を得るための苦しみというか、崩壊と再構築の痛みがすごかった。

ただ、それがあったから今の自分がいるのだから、ほんとに人生には無駄な苦しみはないんだと思う。

まわりのたくさんの方に助けられたし、学ばせていただいて、幸運だったと思う。

さらに12歳以降から今までというのは、今度はまた別の意味で想像を絶する苦しみを味わってきた。

息子自身の自我の確立のための嵐をまともに受けたからだ。

言葉で表現できない部分をすべて暴力としてぶつけられたわけだから、冗談じゃなく命がけだった。

このときも、陰ながら支えてくれた友人の存在は大きかった。
私の泣き言を夜中でも聞いてくれ、学校にも一緒に来てくれた友達もいる。

ありがたかった。

ついこの前、久しぶりに電話した別の友人に「あの頃は傷だらけだったもんねー」と言われて、そうだったなーと思い出したくらい今の生活は落ち着いたものになっている。


私も息子も、今までよく生きてたなと思う。


私も殺されるかもしれんと何度も感じたし、殺してしまうかもしれんと思ったことも一度ではない。


自閉症の子を育てるのは並みの苦労じゃ済まない。

たとえ家族の協力があっても大変だと思う。

私がほとんど独りで向き合ってきたことは、決して威張れることではないけれど、誇ってもよいことのように、少なくとも自信のひとつとして捉えても構わないと考えている。(決してお勧めはしませんが^^;)

これからも息子を見守りながらの人生を歩くわけで、それはある意味私にとって「足かせ」なのかもしれない。
それでも、奇跡というのは宿命というものから逃げた時でなく、がっぷり組み合ってとことん向き合った時にこそ起こるもののように思うのです。


女優の桃井かおりさんが何かのインタビューで言ってましたけど、彼女は自分のピークを70歳だと考えていらっしゃるそうで。

そう、私もスロースターターだったので、ピークを70歳にもって行きたいと思っておるのです。

息子が二十歳を迎えたのを区切りに、私も新しいスタートを切りたいと思うのです。



いよいよはたち

2007-10-05 00:20:11 | 自閉症のtoshiya
今週はマイナーイベントの目白押しで、バタバタです。

ということで、昨日は朝から子どもを連れて主治医のところに、年金申請のためのと障害認定のための2通の診断書を書いてもらいに行きました。

いずれも本人が同席してないとダメっちゅーことで、息子が長時間忍耐できるかどうかがポイントでした。

約1時間、途中で頭をバンバン叩いたりし始めたので、うぁ~と思ったけど、なんとかガマンしてくれ、その後も処方薬局に行くことも出来たし、思ったよりスムーズに運びました。

ホント、一時期に比べると楽になったもんだ・・・


が、夜になって反動が来たのか、だんだん機嫌が悪くなってお風呂の間はかなりピリピリして挑戦的でしたよ・・・はぁ

やっぱりまだまだ感情のコントロールは難しいようで。




で、今日は息子の20回目の誕生日

昨日から「明日はトシちゃんのお誕生日だよ」と言い聞かせてましたが、
本人は「トシたんおたんじょうびおめでとー」と自己完結しております。


ご近所の人たちも、息子を久しぶりに見て声を掛けてくださいますが、「もう二十歳なんですよー」というと皆さんビックリされますね。

見かけが幼いし、実際親でも信じられないですもん。

その分、自分も年取ってるわけですが・・・

たくさんの方にお世話になって、支えられてここまで育ててこれたのです。

お世話になった皆様に、これから少しずつ近況報告を兼ねたお礼のお手紙を書いていこうと思いつきました。

今の私の精神の柱になっていることを、あらためて振り返ることになると思います。

とはいえ、これから先が長いんだよねートシちゃん。
いつまで支えられるかわからないけど、元気でやっていこう。




Oisix-食卓から巻き起こすキレイ革命。食べ物から学ぶ生きる力