蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

泣き虫弱虫諸葛孔明 第四部

2020年10月11日 | 本の感想
泣き虫弱虫諸葛孔明 第四部(酒見賢一 文春文庫)

三国志といっても史書としてのそれと「三国志演義」とかの翻案本では内容にかなりの隔絶があることは、本シリーズでも著者が度々指摘するところだが、日本での翻案本も多くの有名作家が手掛けるところで、ファンでなくても吉川、柴田、陳あたりのシリーズは多くの人が読んでいるに違いない。
私も吉川、柴田、北方のシリーズは読んだのだけど、その中では柴田錬三郎の(英雄シリーズ)が最もよかったかなあ、と思えた。孔明が死んだあとの話が特に印象に残っている。

繰り返し物語化されてきた、手あかのついたネタなので、いまさら長編小説化しようというのは大変だったろうなあ、と想像されるが、本シリーズはメタ的視点?を取り入れてできるだけ客観化した三国志にしようとしているように思えた。
そうはいっても第四部で語られる(関羽の敵討ちのための)劉備の最後の出陣シーン(著者自身が、ここが三国志最大の見どころであるとしている)や劉備が孔明に遺言(自分の後継者(息子の劉禅)がダメなら孔明が蜀の支配者となれ、と)するシーンなどは感動的に描かれていて、うまいなあ、と思えた。
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昆虫はもっとすごい

2020年10月11日 | 本の感想
昆虫はもっとすごい(丸山宗利、養老孟司、中瀬悠太  光文社新書)

「昆虫はすごい」がとても売れたので企画されたと思われる対談本。
昆虫の(観察、飼育、採集、標本化などの)愛好者は、自分や仲間のことを「虫屋」と呼ぶそうだ。蝶専門の愛好者は「チョウ屋」、甲虫専門なら「甲虫屋」などとなるそうで、
一般に職業などを「~屋」と呼ぶ場合は蔑称であることが多いが、「虫屋」の場合は(少なくとも仲間うちでは)そういう意味合いはないそうだ。

本書の中で、養老さんが「研究者って評価や名声がほしいとか、威張りたいとか、そんな気持ちで動いているわけじゃなくて、ただ純粋に「自分が知りたいことを知りたい」だけ」と述べている部分があるが、対談している3人にしても研究対象(養老さんは趣味だが)は、アリの穴に住む居候的昆虫やゾウムシ、ネジリバネという寄生虫で、まさに「そんなの何の役にたつの?」といいたくなるモノなのだが、そもそも「世の中の役にたちたい」という動機で始める活動は「研究」ではないのだろうなあ。

「昆虫はすごい」ほどではないにしても、本書でも、そういった狭い範囲の研究者以外誰一人知らないようなトリビアが開陳されているのだが、面白い読み物に仕上がっているのは三人の語り口のうまさなのだろう。
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