第七師団と戦争の時代(渡辺浩平 白水社)
1896年、第七師団の前身:歩兵第25聯隊は札幌の東方:月寒に設立された。その後3個聯隊が旭川で第七師団として編成されるが第25聯隊は月寒に残る。第七師団はロシアから北海道を防衛することを目的とした「北鎮」部隊であったが、日露戦争後のシベリア出兵のころから「北進」部隊となっていく。やがてノモンハンのハルハ川西岸で壊滅的打撃を受け1940年代からは25聯隊が転出して樺太に駐留する。1945年樺太でソ連からの攻撃を受け8月25日ころまで戦闘を続けた。
第七師団というと、第六師団(熊本)と並んで旧軍最強部隊というイメージで、常に激戦地に投入されたという印象がある。
旅順、奉天、ノモンハン、がダルカナル(一木支隊)、アッツなど、実際なだたる戦場を転戦したわけだが、太平洋戦争期は大半の部隊が北海道にいたようだ。そうはいっても軍はソ連の脅威を感じていたのだろう。
最近では「ゴールデンカムイ」の重要人物を多数輩出?して有名?になった。もっとも誰もがキャラが強烈すぎて、変なイメージを持たれてしまっているような懸念もあるが。
1896年、第七師団の前身:歩兵第25聯隊は札幌の東方:月寒に設立された。その後3個聯隊が旭川で第七師団として編成されるが第25聯隊は月寒に残る。第七師団はロシアから北海道を防衛することを目的とした「北鎮」部隊であったが、日露戦争後のシベリア出兵のころから「北進」部隊となっていく。やがてノモンハンのハルハ川西岸で壊滅的打撃を受け1940年代からは25聯隊が転出して樺太に駐留する。1945年樺太でソ連からの攻撃を受け8月25日ころまで戦闘を続けた。
第七師団というと、第六師団(熊本)と並んで旧軍最強部隊というイメージで、常に激戦地に投入されたという印象がある。
旅順、奉天、ノモンハン、がダルカナル(一木支隊)、アッツなど、実際なだたる戦場を転戦したわけだが、太平洋戦争期は大半の部隊が北海道にいたようだ。そうはいっても軍はソ連の脅威を感じていたのだろう。
最近では「ゴールデンカムイ」の重要人物を多数輩出?して有名?になった。もっとも誰もがキャラが強烈すぎて、変なイメージを持たれてしまっているような懸念もあるが。