落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第29話 ボトルと、千社札

2014-11-05 12:07:18 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第29話 ボトルと、千社札



 お茶屋にキープしてあるボトルは、口ほどに物を言う。
芸妓や舞妓の千社札が隙間なくペタペタと貼ってあるので、名前や札の古さから、
客がどの様な交友関係を歩んできたのかが、一目瞭然になる。


 千社札(せんじゃふだ)は、芸妓や舞妓が名刺代わりに配る、
名前が入った縦長い小さなシールのことだ。
大きさに決まりは無いが、横2cm、縦が6cmほどの大きさが一般的だ。
『祗をん ○○」と名前が入っていて、背景には芸妓の好みの色や柄が使われる。


 芸妓も舞妓も、とにかく千社札を貼りたがる。
お客のボトルを見つけると、まず、誰の千社札が貼ってあるかを入念にチェックする。
なるべく良い位置に貼りたいと思うのが、人情だ。
だが、花街は上下関係の厳しい縦社会だ。
お姐さんたちの千社札に遠慮しつつ上手に避けながら、かつ大胆に貼りつける。



 とはいえ、ボトルの表面積には限りがある。
貼りつける面が無くなってくると、ボトルに架かっているネームプレートの紐に、
短冊の様に千社札を貼りつける。
短冊の端に、さらに別の千社札。そしてまた次といった具合に、3次元的に
千社札が増殖をしていく。


 千社札の貼ってあるボトルは華やかで良いのだが、初めて会った芸妓や舞妓たちに、
交友関係が、あからさまなってしまうところが泣き所だ。
ちなみ、舞妓の千社札を財布に貼っておくと、「お金が舞い込(舞妓)む」という
ゲン担ぎになる。
その他のバリエーションとして、名詞入れや携帯電話など貼っておくと、
良い物が舞い込み、ご利益がやってくると言われている。



 約束の時間を30分ほど過ぎた頃、薄化粧の佳つ乃(かつの)が
富美代のホームバーに現れた。
路上似顔絵師が挨拶しようと振り返ると、佳つ乃(かつの)が唇に中指を立てる。
『何も言うな」と、優しく目で合図を送る。
カウンターに座った佳つ乃(かつの)が、「ウチも同じのもので」と女将に声をかける。




 「ごめんな。久しぶりの休みやったけど、やっぱり思うように片付きません。
 慌てて飛んできたけど、30分の遅刻どす。
 怒っておらん?。拗ねてへん?」


 水割りを手にした佳つ乃(かつの)が、路上似顔絵師の顔を覗き込む。
「休みなのに、用事が多くて大変だね?。仕方ないさ、売れっ子だもの・・・」
皮肉を込めたつもりの路上似顔絵師の独り言を、佳つ乃(かつの)が、
うふふと笑い、するりと交わす。

 「ご飯食べが2軒やろ。
 ついでに病院のお見舞いが3件。あとはせっせとおぶ屋はんの挨拶回り。
 これでもいつもより予定を減らして、今夜のためにせええっぱいセーブしたんどす。
 でもあかんねぇ。誘っておきながら、30分の遅刻やもの。
 堪忍してや。芸妓は休みの日でも、明日からの営業のために大忙しなんやから。
 軽く飲んだら、ご飯に行こう。うちもう、お腹がペコペコや」
 

 「え・・・たっぷりと、ご飯を食べてきたんでしょ?。
 これ以上食べたら、きっと、体型に悪影響などを与えると思いますが」



 「食べたくてお客はんとご飯に行くわけやない。
 どこへでも顔を出すのが、ウチの仕事や。
 お客さんと行きあうたびご飯を食べとったら、胃袋がいくつ有っても足らんわ。
 あんたと食べるのを楽しみにして、食べたふりして我慢をしてきたんや。
 行こうか。もう軽く呑んだことやし」


 お母さんまたねと佳つ乃(かつの)が、ニッコリ笑って立ち上がる。
「え・・・あっ、お、お勘定は」と路上似顔絵師も、つられて慌てて立ち上がる。
「無粋やなぁ。此処ではその場の現金で払いません。
おぶ屋さんのお勘定は、月締めの翌月払いと昔から相場が決まっています。
それに、あんたが払うなんて軽々しく言うてみい。
お母はんがニッコリ笑って、座っただけで3万円どすなんて、
目の玉が飛び出るほど、ふっかけられるから」



 「座っただけで、3万円!。い、いくらなんでも高すぎるのでは・・・」



 「嘘です。うふふ」と笑った佳つ乃(かつの)が、女将にちょこんと頭を下げる。
「いっといで」の声に送られて、佳つ乃(かつの)が表に向かって颯爽と歩きはじめる。
「またおいでやす。お待ちしております」という女将の声におくられて、
路上似顔絵師があわてて佳つ乃(かつの)の、背中を追いかける。



第30話につづく

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