「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第31話 恋の予感?
結局。夜景を見るために、2人が並んで椅子席に座る形になった。
女性は夜景が大好きだ。
色彩を識別するための能力が、男性よりもはるかに優れている。
女性の唇を彩る、たくさんの口紅の色に、あれほどたくさんのバリエーションがあるのは、
そうした女性の識別能力の高さを、見事に証明している。
夜景を見つめる佳つ乃(かつの)の瞳が、きらきらと潤んでいる。
佳つ乃(かつの)は空中にワイングラスを置いたまま、飲むことを忘れている。
真近に見下ろす梅田の夜景に、すっかり心を奪われているからだ。
路上似顔絵師もまたこれほど近くで、女性の横顔を見つめるのも初めてのことだ。
女性は何故、目の前にひろがる夜景に夢中になれるのだろうか・・・
その答えを探すことよりも、かすかな潤いを浮かべている佳つ乃(かつの)の瞳を、
盗み見ることに、似顔絵師はすっかり夢中になっている。
2人が並んで座ってから、5分余り。
「あのう・・・ひとつだけ、質問をしてもいいですか?」と
路上似顔絵師が、佳つ乃(かつの)の横顔に向かって声をかける。
「あら。ごめんなさい。すっかり夜景に夢中になっとったわね、ウチったら・・・」
なぁに聞きたいことって、潤んだ瞳が、路上似顔絵師の顔を真正面から覗き込む。
その距離、わずか数十センチ。
至近距離に佳つ乃(かつの)が寄ってきたことで、路上似顔絵師が動揺を見せる。
「あ・・・大したことでは無いのですが、少しばかり気になっていることが有って・・・
あのう。顔が近すぎるので、もうちょっと離れてもらってもいいですか。すみません」
自分が悪いことをした時のように、路上似顔絵師が顔を真っ赤にしてうなだれる。
「ええではおまへんか。2人だけだもの。
ウチに何が聞きたいの。なんでもええから、遠慮せんで聞いてちょうだいな。
ここはプライバシーが保障されとる完全個室や。
お座敷での出来事以外なら、聞かれたことを全部お答えしますさかい」
「お座敷で起きたことは、絶対に、口外をしないのですか?」
「お座敷は秘密のベールに包まれた、大人のオアシスどす。
何が有ろうと何が起ころうと、一歩外に出れば、すべてを忘れるのが掟です。
お座敷遊びは、お互いの信頼関係で成り立っています。
うふふ。とにかく口が堅いのよ。
おぶ屋の女将も。芸妓も。お座敷にお見えになるお客様も」
「そんなものなのですか、お座敷遊びというものは」
「そないなものどす。でもあんたが聞きたいのは、お座敷の事ではおまへんでしょう。
何故、自分が指名されたのか、その理由が聞きたいんでしょ?」
「図星です」
「理由は簡単どす。あんた、清乃にスケッチブックを贈ったことがあるでしょう。
清乃に恋をしとるのかと感じました、最初の頃は。
丁寧に書いてあるし、清乃を見つめる視線の中に、真摯な姿勢を感じたもの。
でも、いくつか見ていくうちに、画家が対象物を見つめていくときの
ただの鋭い観察眼だと、ウチもようやく気が付いた。
それよりもウチは、あんたの絵の中にときどき現れる、可能性を見つけました。
あんたが描く線の中に、鋭く光る感性のようなものを感じます。
それも限られたごく一部分だけにどす。
限定的にあらわれる、あんたはんの可能性。
ウチはそれに惹かれました。
限定的と言う意味は、それ以外はまるっきしの未成熟状態という意味どす。
磨けば光る原石かもしれません。
でもまったく光らないままの、ただの石ころかもしれまへん。
でもたしかに、可能性のようなものをあんたに垣間見ました、ウチは」
「絵を書く才能がまだどこかに潜んでいるという、話ですか?」
「その口ぶりでは、やっぱり、絵を描くことに関して、すでに挫折済みのようですね。
パリに行ったのは、絵描きになりたいためでしょう?。
モンマルトルの丘で似顔絵を描いとったのは、たぶん、才能の挫折を感じたからでしょう。
あんたの絵がものになるとは言いまへん。
でも、画家を志すことを諦めるのも、まだまだ早すぎます」
「諦めず、もっと絵をかけということですか、僕に」
「応援してあげる。ウチがあんたを全力で。
若いんや。もっと夢を見たってええではおまへんか。
もしかしたら、ひょっとして、奇跡の新星が生まれてくるかもしれへん。
あんただけやった。清乃のことを真正面から、誠心誠意、見つめてくれたのは」
第32話につづく
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