「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第34話 お茶屋「富美佳」
祗園特有の格子戸を入り、長い廊下をそろそろ進んでいくと奥に、
ライトアップされた坪庭に面して、半円形のカウンターが広がっているのが見える。
限りなく贅沢な時間が味わえる、貴賓室のような雰囲気が漂っている。
手入れの行き届いた坪庭を眺めながら、ボックス席でグラスをかたむけるのも一興だ。
希望に応じて芸妓や舞妓も同席してもらえる。
それが、お茶屋のホームバーならではの楽しみ方だ。
お茶屋の女将だけでなく、此処にはちゃんと専属のマスターが居る。
マスターは、都々逸、さのさ、長唄などを、玄人はだしの三味線で披露する。
ときどき、ちょいとHな小噺を間に入れる。
お客さんをなごませることに、存分なまでに長けている。
富美佳は祇園でホームバーをはじめたお茶屋の、草分け的な存在になる。
掘ごたつ式になっているもうひとつのカウンターからも、坪庭の景色が楽しめる。
「富美佳」は代々、女将が家を継いできた。
いまの女将は祇園の名芸妓のひとりとして名を馳せたたあと、5代目として店を継いだ。
現役時代から、気っ風の良さと粋な身のこなしで有名だ。
女将自らが、舞妓や芸妓の化粧や着付けの手直しを手がけることもある。
目の前で見事に手直しされていく様子を見ることも、ホームバーに集まる客たちの、
実はひそかな楽しみだ。
路上似顔絵師が富美佳のホームバーに顔を出すようになってから、1ヶ月が過ぎた。
といっても、バー「S」が休みの日に限っての出勤だ。
祇園で働いている人たちは、客の名前と顔を覚えることにきわめて精通している。
3回も顔を出すと扱いが、早くも常連さんに昇格をする。
売れっ子芸妓、佳つ乃(かつの)の後ろ盾が有るために、必然的に扱いも別格になる。
4回目の顔出しから、接待役がマスターにかわった。
男同士のほうが、祇園のレクチャーがしやすいだろうという女将の配慮からだ。
「花街というのは、摩訶不思議な世界や。
作られたイメージや、噂だけの思い込みで、語られる事が多い。
映画で取り上げられる昔の暗いイメージや、花街と遊郭を混同した勘違いで、
いまでも凄まじく不当な扱いを受けておる。
確かに昔は、その様な事があったのかもしれへん。
だがハッキリ断言して、その様なマイナスイメージの要因は、
今の花街では、少なくとも祇園には一切無い。
では何故、世間が見る花街のイメージが、一向に改まれへんのか?
そら、花街の中の事が、いっさい外には出ないためやからだ」
「花街のことが外に出ない?。それはいったいどういう意味ですか・・・」
「花街には、中の事を決して外には漏らさないという掟(おきて)がある。
もちろん、外に漏らされては困る様な行いがされとるという訳では決してない。
花街が今でもその伝統を守っとるだけ、というだけ話なのや。
外から見ると明確なルールも無く、一部の特定の人間だけを、客として認めとる
怪しいシステムが、花街の謎により一層の拍車をかけとる。
一般人との接点が無いことと、昔のまんまの誤った情報とが相まって、
今も噂だけが先行している、妖しい男の楽園として語られておるからじゃ」
「なるほど。たしかにお座敷で乱痴気騒ぎしても、外には一切出てきません。
口が堅いという事も、花街のしきたりですか。さすがのものです」
「ひと口に祇園と言うても、花街を含んだごった煮の世界や。
京都市街地の中心を東西に走るメインストリート、四条通りの東端に八坂神社がある。
八坂神社の周辺のことを、昔から祇園と呼ぶ。
祇園といえば歓楽街として有名やけど、地名としての祇園で言うと、
八坂神社より西側がそれにあたる。
観光パンフレットなどで見る景観保存地区の写真のイメージから、
祇園には、一見はんお断りの、高級な店しか存在しておらん様に思われがちや。
だが実は大半が、普通のネオン街と変われへん、普通の飲食店ばかりや」
「そう言えばそうですね。
お茶屋さんばかりが並んでいるわけじゃないし、いたって普通の町ですからねぇ。
祇園の通りは」
「そうや。四条通の北側には、近代的なビルなどが建ちならんでおる。
そこに、クラブやスナック、飲食店などが普通にひしめいとる。
深夜になればタクシーが並びよるし、ネクタイを緩めたサラリーマンたちが
千鳥足で、町の通りを闊歩しとる。
見た限り、どこにでもあるごく普通の歓楽街の風景や。
南側は比較的落ち着いた昔からの建物やお茶屋さんが並んでいるが、それでも
一見はんOKの飲食店が、最近はずいぶんと増えてきた。
祇園はそないな雑踏の中で、格式を守るお店がぽつりぽつりと点在している、
ゴッタ煮の様な街や。
それが歓楽街として生き残った今の祇園の姿だ。
花街としての祇園は、格式を守るそうした一部のお茶屋はんのお座敷の中で、
雑踏に知られること無く、ひっそりと、受け継がれとるだけや」
第35話につづく
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