落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第40話 青い目芸者の、後日談

2014-11-18 10:03:20 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第40話 青い目芸者の、後日談



 「へぇぇ。そんな事が有ったんだぁ」読み終えた勝乃が、目を丸くする。
「だがお前さんは、手の内を明らかにすると言いながら、しぶしぶこの記事を出した。
ということは、まだ、ほかに何か隠している事が有るんだな」
記事を読み終えたバー「S」の老オーナーが、鋭い目線をおおきに財団の
理事長に向ける。


 「お前には、かなわんなぁ。
 実はこの話には、後日談が有る。
 初の外国人芸者として、浅草で活躍してきたこのオーストラリア出身の女性が、
 置き屋や料亭が加盟する東京浅草組合に、独立の許可を求めたトコ、
 拒否されたうえに、除籍処分になったという後日談が有る」


 「何、組合から除籍された・・・そらまたいったい、どういう意味や」



 「彼女は、オーストラリアの有力紙に
 『外国人であるという理由だけで、独立を認められなかった』と述べとる。
 いっぽう浅草の組合は、共同通信の取材にたいして、
 『日本国籍を有するという条件が規約にあるが、短期で勉強をしたいという
 ことだったので、芸者になることを特別に認めた経緯がある。
 そもそも彼女の独立は想定していなかった』と答えとる」


 「だがなぜ、急に独立することになったんだ。
 芸者として独立するには、それなりの年数が必要なはずだ。
 特別な子でないかぎり置屋の抱え芸者として5年から6年、芸の修行に励む。
 一人前と認められた後、数年後に独立するのが一般的だろう」


 「置き屋の「おかあはん」が体調を崩し、このままでは活動を続けられなくなった
 ことから独立したいと浅草の組合に申し出た。と記事には有る。
 組合は彼女が外国籍で有ることよりも、芸者としての品位を問題にした。
 芸事の稽古にはあまり参加せず、先輩の言うことにも従わない。
 自身のウェブサイトを通じて、お座敷の予約を受け付けたり、
 出演を認めてくれなかった先輩芸者に対しては、大きな声で苦情を言うたそうや。
 この事件は現代社会と伝統的文化の融合が、いかに難しいかを物語っとる」



 日本はいま、古くからの伝統文化を根こそぎ失いつつある。
復活を目指す一部の動きもあるが、たいていが時代の波に押され、消えつつある。
我が国の文化は、封建制度の江戸時代に最盛期を迎えた。
ヨーロッパの知識人や、芸術家などの憧憬と賞賛の的になったすばらしい
独自の文化が、見事なまでに開花した。


 だが日本の伝統文化はその後2度にわたり、変革と試練の時を迎える。
最初が、明治維新とその後に政府による急激な欧風化改革だ。
2度目は太平洋戦争の敗戦により、全土に民主化というあたらしい波が到来をした。
長年にわたり維持されてきた文化的遺産や生活習慣が、激しい波に呑み込まれ、
外観だけを残して、いつの間にか中身が崩壊をはじめた。


 花柳界も同じように、時代の波に翻弄されている。
一世を風靡した日本各地の花柳界が、いまや絶滅の危機に瀕している。
原因として挙げられるのが、後継者の不足だ。
伝統的な日本文化を受け継ぎ、芸者や芸妓になろうという若い人たちが激減した。



 敬遠される最大の理由は、しきたりと厳しさ修行からくる、精神的な苦痛だ。
椅子での生活が当たり前だった女の子が、いきなり畳の上での正座を命じられる。
親のいう事さえ無視した子が、先輩の言葉の絶対的服従を強いられる。
ろくな給料ももらえない。
自由を制約されながら、将来のためにひたすら芸事の修練に励む・・・
とてもではないが、現代っ子に耐えらる世界ではない。
日本という風土が変わったわけではない。
勤勉で我慢強かった日本人という人種が、安易を求める現代風に変わってきただけだ。


 「分かりました」

 福屋の女将、勝乃がキリリと目を挙げた。覚悟を決めたのだ。



 「ウチが帰国子女を、お引き受けしましょう
 ただし。お引き受けするからには、ウチからも条件が有ります」



第41話につづく

 落合順平の、過去の作品集は、こちら