落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第46話 女が泣いて歩く路

2014-11-26 10:56:37 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第46話 女が泣いて歩く路



 祇王の話を終えた佳つ乃(かつの)が、竹林の出口で立ち止まる。
鬱蒼と続いてきた竹林が、ここから紅葉(もみじ)の道に変る。
このあたりのモミジは、紅葉の時期をむかえると燃えあがる赤になる。
小路をさらに進んでいくと、前方に「嵯峨鳥居本・伝統的建造物群保存地区」
の集落が現れる。


 「鎮火の神」として広く信仰を得ている、愛宕神社の門前町だ。
農村と門前町いうふたつの性格を持ち合わせて、発展をしてきた町並みが
2人の目の前に現れる。
「むしこ窓」を持つ町家風の民家。
茅葺きの「くずや」と呼ばれる農家風の民家。
美しい自然を背景に、建ち並んでいる家屋が2人の前に迫って来る。



 「美しいだけやあらへん。ここは、女が泣いて歩く道や・・・」


 「女が泣いて歩く道?。
 こんな美しい風景の中で、なんでわざわざ女が泣いて歩くのですか。
 泣くどころか、美しすぎて、感動の溜息が出てきます」


 「紅葉の時期でもなければ、こんな山奥まで訪れる人は滅多にあらへん。
 ここは花街の女がしみじみと泣くために歩く、人里離れたそのための場所や。
 遠くから見れば、景色に感動して泣いとるように見える。
 祇王はわずか19歳で、華も身も有る人生を諦めて、尼僧の生活を送った。
 この嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、古くは「化野(あだしの)」と
 呼ばれた、哀れな土地や。
 寂しいのはあたりまえどす。
 此処はもともと、京の人々の埋葬の地とされた場所や。
 こんな寂しい小路を好んで歩くのは、心の底まで傷ついた
 祇園の芸妓くらいなもんやなぁ」



 「佳つ乃(かつの)さんも、この小路を泣きながら、
 とぼとぼと、歩いたことが有るのですか?」



 「あんたってお方は、何でもストレートに質問をしはるなぁ。
 はい。泣いて歩きましたと、ウチの口からは死んでも言えません。
 察っしておくれやす。浮き沈みの激しい花街で、
 15年以上も生きてきた女どす。
 心の底から泣きたいことは、1度や2度ではあらしまへんて」



 佳つ乃(かつの)の強い目が、下から似顔絵師を襲う。
佳つ乃(かつの)の目には、ときどき、人を瞬時に射抜く光りが走る。
拒絶する時も、受け入れる時も、目に、はっきりとした意思の色が現れる。
だがそれは、知る人だけが見分けることが出来る、些細な変化だ。
この人は顔色ひとつ変えずに、意思を伝えることが出来る。
それも、特定の人に限って・・・


 場数を踏んだ芸妓たちは、何が起ころうと、白塗りの顔の下に
完璧に、感情を隠すことが出来る。
想定外のことが起ころうと、その場で血相を変えることは、まず有りえない。
宴席と、酒の席の空気をコントロールする主役は、常に冷静そのものだ。
だが目には、言葉以上の感情が籠る。
「大丈夫ですか」とほほ笑みながら、きつい目で相手を叱りつける。
経験を積んだ芸妓は、表情を巧みにコントロールしながら、
何が起こるかわからないお座敷を、プロデューサとして巧みにさばいていく。



 一の鳥居が見えてくると、細い街道に人家の数が増えてくる。
だがどこからどう見ても、此処は女が泣いて歩くには、
美しすぎると思える小路だ。



 「ほんとに、こんな美しい風景の小路で泣いたのですか・・
 疑わしくなってきましたねぇ。あなたのお話が」

 日傘を揺らし、楽しそうに歩く佳つ乃(かつの)を呼び止める形で、
後方から、似顔絵師が声をかける。



 「女が泣くには、いくつか理由が有んのどす。
 たとえば、寂しくて泣く。何かで傷ついて泣く。
 愛する人と別れたくなくて泣く。例外的に、泣く事を利用する時も有る。
 女の半分は、涙で出来てるのや。
 嬉しくても、悲しくても泣くことのでける動物や。
 身体のほとんどが涙で出来てます。
 うふふ。あんたも気いつけてな。簡単には騙されいでな、女の涙なんかに。
 でもなぁ、意地の悪い質問ばかりをするのは、もうやめといて。
 せっかくの奥嵯峨野でのデートどすぇ。
 もうすこし、女の子の雰囲気を盛り上げる、洒落た会話は出来ないの?
 そないなことやから、いつまでたっても、女が振り向かないのよ。
 一生ひとり者で過ごすつもりなの。
 いつでも中途半端な絵描きはん。うふふ。ほら。また怒ったぁ」


 「大きなお世話です」ふんと、似顔絵師が頬を膨らませる。
一の鳥居が近づいてくると、周囲の様子がすこしずつ異なって来る。
手前に見えるお茶屋に、観光客たちが屯している。
このまま進んで、お茶屋に寄るのかなと思っていると、「こっち」と言って
佳つ乃(かつの)がまた、すこしだけ、うら寂しい小道を選択する。


 
第47話につづく

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