「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第30話 大阪の夜景
お茶屋・富美佳の表でタクシーを拾った佳つ乃(かつの)が
行先を「JR京都駅まで」と告げた。
「JRに乗るの?」と問いかけると、「これでもウチは、京都の中では有名人。
でも外に出てしまえば、どこかのただの、お姉さんのひとりです。
そう思うでしょう、あなたも」
うふふと佳つ乃(かつの)が、小悪魔のように笑う。
京都と大阪は、直線距離にして40㎞ほど離れている。
爆走することで有名なJRの新快速を利用すれば、28分で大阪駅へ着く。
同じ路線をだらだらと走る快速でも、同じく39分で大阪に着く。
京都と大阪は、隣接しあう2つの都だ。
建築の高さ制限が有るために、低い家並みが碁盤の目のように続く京都に比べ、
大阪の市街には、首が痛くなるような高層ビルが立ち並ぶ。
高さ150メートル以上のビルが、此処には37棟もある。
最も高いのは、2014年に完成したばかりの300メートルを誇る「あべのハルカス」。
2位の「りんくうゲートタワービル」でさえ、256.1メートルの高さを誇示している。
JR大阪駅から徒歩5分。
梅田にそびえる摩天楼が、姿をあらわす。33階建ての大阪駅前第3ビルだ。
第1から第4まである大阪駅前ビル群の中で、最も高い建物だ。
33階に、佳つ乃(かつの)が予約をした、個室居酒屋 6年4組 梅田分校が有る。
「梅田の夜景を見下ろす、居酒屋小学校なのよ。
ネットで見つけた瞬間から、なんとしてでも来たかったお店どす」
最上階でエレベータを降りた瞬間から、佳つ乃(かつの)の足が小躍りになる。
個室居酒屋 梅田分校は、貸し切り状態で客に部屋を提供する。
6年4組と言うのは、リニューアルが済んだばかりの、教室スタイルの空間のことだ。
真新しいスペースには、実際の教室と同じように黒板も置いてある。
自由に、落書きしてくださいと書いてある。
通されたのは4人も入ればいっぱいになりそうな、ビップ待遇の校長室だ。
窓からは梅田の夜景が、一望で見下ろすことが出来る。
「驚いた?。
居酒屋小学校なんていうふざけたネーミングどすが、
中身は、プライバシーを重視した、完全個室方式のレストランのようなものどす。
他にも6年4組の 京都河原町分校が有るし、
東京には渋谷に、第1と第2の分校がそれぞれ有るそうです。
でもここはその中でも特別な場所。ここから見下ろす梅田の夜景は最高クラスどす。
それだけではおへん。料理も美味しいそうどす、ここは」
お先にと佳つ乃(かつの)が、梅田の夜景を背にして座る。
此処でのもう一つの売りが、すべての部屋から見下ろせる梅田の夜景らしい。
来る途中。ずっと胸に抱いてきた疑問を、路上似顔絵師が口にした。
「なんでこんなところまで、わざわざ僕を誘ってくれたのですか。
その気になれば、美人のあなたのことです。
ひと声かければお付き合いしてくれる男性は、山のように居ると思いますが」
「何を言い出すかと思ったら、酔う前から、ずいぶんぶしつけな質問ですねぇ。
罪滅ぼしと、口止めのためどす。
罪滅ぼしは、酔いつぶれたウチをマンションまで背負ってくれたことへのお礼。
口止めというのは、清乃の病気の件どす。
妹の引退の本当の理由を、女性特有の病気だと言うてしもうた、
ウチの失言を忘れてくださいというお願い。
ふふふ。それだけではおまへんでぇ、あんたを誘ったホントの理由は」
「お礼と口止め意外に、まだ、本当の理由が有るのですか?」
「男なら掃いて捨てるほど、山のように居ります。
医者。弁護士。経済界の大物、小物。大酒呑みの土地成金。
祇園甲部には日本中から、大金持ちと自称遊び人たちが集まって来ます。
でもウチは、成功しとる人たちに興味はありまへん。
あんたみたいに未知数で、この先どうなるかわかれへんような人が好きなんどす。
うふふ。でも勘違いをせいでな。恋人にするという意味ではおまへんから。
ただ興味が有ると、言うただけどすから」
呑みましょうと佳つ乃(かつの)が、ワイングラスを持ち上げる。
梅田の夜景を背景に座っている佳つ乃(かつの)からは、着物の時とは別の
なんともいえない色気が漂ってくる。
だが、佳つ乃(かつの)が座っているソファーからは、意図的に振り返らない限り、
外の夜景は見ることが出来ない。
(たしか・・・美味しい食事と梅田の夜景を、同時に楽しみたいと、
この人はずっと新快速の中で、嬉しそうに語っていた・・・)
佳つ乃(かつの)のささやきを思い出した路上似顔絵師が、自分の隣の椅子を
そっとうしろに引く。
目で合図を送ると、『ありがとう』と佳つ乃(かつの)が立ち上がる。
やがて窓側のソファーから、路上似顔絵師の居る椅子席に、嬉しそうに飛んできた。
(あんたのそういう気遣いが好きや・・・ふふふ。なんでやろ。
いつの間にか、ウチの口調が京都弁から大阪弁に変っておるわ。呑み過ぎかしら?。
それともあんたに、酔わされたせいかしら・・・)
第31話につづく
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