アイラブ・桐生
(11)第三章 輪島から兼六園へ
(輪島の朝市の様子)
のどの渇きで目を覚ましました。
レイコの布団は、すでに綺麗に片づいています。
布団の上には、綺麗にかつ丁寧にたたまれた浴衣がちょこんと置いてありました。
昨日の夜から大きく開放されていた海に面した障子は、今朝は半分になっています。
真夏の夜明けだというのに、浜辺に近い民宿は建物全体を、寒さを感じるほどの
涼しい潮風が通りぬけています。
眠気覚ましも兼ねて、海岸の散策へ向かいました。
すでに海の上には、オレンジに輝く真夏の朝日が登りはじめています。
今日も熱くなりそうな気配を見せている夜明けの空を見上げながら、
堤防の上を歩いていくと「おはよう」という元気な声が、遠くから聞こえてきました。
振り向くとレイコと二人の女の子が、松林の中から現れてきました。
妹のほうが、レイコの首筋にしっかりとかじりついています。
頬をしっかりと寄せたまま、満面の笑みを見せてレイコの胸で無邪気に遊んでいます。
しかし上の子は、私の顔を見た瞬間にレイコの腰へ顔だけを見せて隠れてしまいました。
まるで子供と朝の散歩をしているお母さんそのものだ、と思いながら
「おはよう」と声をかけると、上の子がやっとレイコの背後から出てきました。
摘んできたばかりの浜辺の花を私に、はにかみながらも私に手渡しをしてくれます。
結婚すると毎朝がこんな感じになるのかな・・それも悪くない・・・・などと、
寝ぼけた頭で、ふと、余計なことまで考えてしまいました。
朝食を済ませ、何度もお礼を言ってから、
教えられた通りに、半島を横切り西海岸へと向かう山道へ向かい始めました。
子供たちは元気に道路まで飛び出してきて、車が見えなくなるまで
精一杯に手を振りながら笑顔のままに見送ってくれました。
小供たちが涙も見せずに、レイコと笑顔で別れてくれたことに、
実は内心ほっとしたと、素直に白状をすると・・
「甘いなぁ。民宿で育ったこどもたちなのよ。
親しくなるのも早いけど、人と別れることにもたっぷりと慣れてるわ。
別れたら他人で、もう次の関心は、今度来る別の人ょ」
なるほど、女は、別れたら次の人になるのか、
そうだよな・・・よくわかりましたと
レイコの説明に、妙な納得をしている自分が居ました。
小1時間ほどの山道を走り終えると教えられた通り、下りに入った斜面の先に、
大きくひろがる日本海が見えてきました。
目の前に横たわるのは、はるかな大陸にまで続く外洋です。
黒々とした海面のあちこちには、白いうさぎと呼ばれる三角の波が光っています。
30分ほど海沿いを走ると、ようやく輪島市の看板が出てきました。
街の入り口の少し手前で、運河に架かった小さな橋を渡ります。
渡り切ったすぐ先の広場で、駐車場への案内看板を見つけました。
標識通りに進んで行くと海岸沿いに造られた、朝市専用の駐車場が現れました。
充分な広さがある未舗装の駐車場です。
意外なことに、数台の車が点々と停まっているだけで、あとは、
ひたすら寂しいだけが漂う空間が広がっています。
しかし駐車場に辿りついたものの、ここから朝市の場所までの道順は定かではありません。
駐車場から見えるのは、立ちはだかるように見える民家の潮に焼けた板塀だけです。
潮風に晒されて、木目がやせ始めた板壁ばかりがやたらと続く小路を歩き始めました。
そんな板塀を少し行くと、人が一人やっと歩くそうな路地がポツンと現れます。
「よしなさいよ」と引き止めるレイコを無理やりに従え、その路地を強引に歩きはじめます。
何度か現れた突き当たりを適当に迂回をしていたら、突然前方が開けて
露天の立ち並ぶ通りに飛び出しました。
偶然にも辿りついたのは、ちょうど朝市通りになっているその中間部でした。
それほど広くない道の両脇には、少しの隙間も見せずに地元の野菜や魚を中心にした
小さな露店がいくつも仲良くならんでいます。
ほとんどが、地面に無造作に商品を並べただけの露天そのもののスタイルでした。
それはあまりにも、すこぶる素朴な田舎の朝市といえる情景そのもので、
まさに、普段着の食糧市場と呼ぶのにふさわしいと思える風情です。
手拭いで頬かぶりをした、しわだらけのおばあちゃん達が笑顔で屯(たむろ)しています。
そのうちの一人が、目を細めながら能登のなまりをそのままに、なにやらしきりに
私たちに話しかけてくれました。
しかし、なまりが強すぎて、会話の中身が一向に理解できません・・・・
まるで、宇宙人が会話をしているような、そんな違和感さえ有りました。
(同じ日本に暮らしているというのに、それぞれの地方に残る本格的な方言というものには、
なぜか、まったく違う言葉と表現が含まれています。
耳慣れていないと言うだけで、外国語のような雰囲気になってしまうから不思議です)
それにしても、こんな寂れきった光景と雰囲気をどこかで、
かすかに見たような記憶があります。
どこだろうと古い記憶を辿っていたら・・・・
同級生で、芸術家志望の西口の顔が、フイに頭の中に現れてきました。
・・・そうだ、あいつが好んで書いた渋い色調の画の中には、
こんな風な景色を背景に、干からび切ったアジの干物と一緒に
こんな婆さんたちもたくさん登場をしていた・・・・
そんな漠然とした記憶を思い出していたら、後ろから、レイコに頭をこずかれました。
「また、ぼんやりとして、いつのまにか遠くを見ているんだから、この人は。
おにいさん達はどこから来たのと 聞いてるん・・だって)
振り返った私の耳もとで、レイコがささやきました。
ほらっと指さした先には、輪島塗りのお店の前に人の良さそうな女将さんが立っています。
(ほら、あそこに立っているあの女将さんが、そんな風に翻訳をしてくれたのよ)
暇を持て余していたその女将さんが、私たちに近よってきます。
背後までやってくると、私とレイコの肩へ両手を置いてその間から顔を出しました。
「ほら、こちらのお譲さんもお人形さんみたいで、
とても綺麗で可愛いいし、素敵なお嫁さんだって、たっぷりと褒めているわよ」
ポンポンと軽く、私とレイコの肩を交互に叩いています
それだけ翻訳をしてくれると、またにっこりとほほ笑み、今度は
大きな声を出して笑いはじめてしまいました。
「群馬です!」 とレイコは真顔で元気に答えています。
「おやまぁ群馬から。
それはまたずいぶんと遠いところから、はるばると・・・・
ええ~と、群馬と言うのは、日本のどの辺りでしたかしら、ねぇ・・・・
たしか関東のあたりと記憶をしていますが、関東といってもねぇ、
たしか・・ええとぉ栃木、茨城、千葉、あらら・・・・出てきませんねぇ。
群馬は、どのあたりでしたかしら、う~ん。」
・・・実にあやふやなままに、女将は勝手に詮索を打ち切ってしまいました。
まあ後で確認をしますと、勝手に決着をつけてから、またまた賑やかに
レイコに向かっておしゃべりを始めます。
「輪島の朝市というのは、
観光用では無くて、もともとが女たちが日々の暮らしをかけて繰り広げてきた、
きわめて熾烈な、生きていくためのたたかいです。
家で待っている男や子供たちを養うために、女は朝早くから
働きに出掛けて来て、こうして朝市で物を売るのよ。
能登の女は、気丈で働き者です。
でも、いくら旨い事を言われても、言い値で買っては駄目ですよ。
此処での流儀は、”値切り”交渉です。
値段なんてものは、交渉次第でどうにでもなります。
朝からそんなかけひきを楽しむことも、また輪島流なのです。
気をつけなさい・・・ここのおばあちゃんたちは、とっても商売上手ですから。
あら・・・そういえば、
あんた、よく見ると本当に、格別に別嬪だわねぇ。」
とレイコをそつなく褒めて、あげくにまたまた元気に笑っています。
ようやく到着をした輪島の朝市での散策は、わずか30分ほどで終わってしまいました。
採れたての野菜や魚介類を売っている朝市は、観光用というよりも
日々の暮らしの食をまかなうために、路上で繰り広げられる小さな日常市そのものです。
ひと通りを見て歩くと、あとはもう見るべき場所も有りません・・・・
ぶらぶらと歩く私を尻目に、レイコは先ほどの輪島塗りの女将さんの所で、
お茶などを呑みながら、さらにしばらくの間話しこんでいます。
最後に勧められるままに、何かお土産代りの小物を買ったようです。
朝市の突き当たりから反対側の道路に出ましたが、
5分も歩くと小さな橋が有り、その先は海で行き止まりになってしまいました。
はるばると、12時間以上もかけて走ってきたというのに
わずか30分ほどの滞在では短かすぎるような気もしたが、どうする?とレイコに聞くと
せっかくだから、金沢まで戻ろうという返事が即答で返ってきました。
戻る? ・・・金沢は群馬への帰り道とは、まったくの逆方向です。
それはまだ、この旅がさらに先に向かって進むということを意味しています。
しかし、当初の目的は達成したために、もうそれほど先を急ぐ必要はなくなりました。
レイコものんびりとしたまま、車窓を流れる景色にぼんやりと見入っています。
このまま金沢まで、のんびりとしたペースのドライブが楽しめる・・・・
そう決め込んでいたら、またまたレイコが、突然何かを見つけてしまいました。
「渚を・・・車で走れるって・・へぇ~
よし、行こうッ。」
能登半島の西海岸線に有る、千里浜なぎさドライブウェイです。
日本で唯一、一般車両やバスなどがその波打ち際を、約8㌔にもわたって
走行することができるという、渚の観光用道路です。
その看板が、レイコの目にとまりました。
千里浜なぎさドライブウェイは、
羽咋郡宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町に至る、長さ約8㎞にわたる海岸です。
粒子の細かい砂が海水を含んで固くしまるため、波打ち際でのドライブが楽しめます。
千里浜海岸は、遠浅の海水浴場としてにぎわいをみせる一方、
かつては、ハマグリの産地としても知られています。
展望台にもなっているドライブインの屋上から、そんななぎさドライブウェイの
様子を眺めていたら、下の方から私を呼ぶレイコの声が聞こえてきました。
「降りて来い」と呼んでいるようです。
その手元には、いつの間に買ったのか、お土産袋がふたつ握られていました。
そのまま車まで、急いで戻れと言っているように聞こえます。
もう行くのかと思いつつ、車まで戻ってくると・・・・
「はい、綺麗なお嫁さんからの、初めての貢物。」
と、袋のひとつを手渡してくれました。
もう一つは自ら封を切り、中から原色で派手なアロハシャツを取りだします。
「ちょっと待て、」と、止める暇さえありませんでした。
今度こそ、止める間もなく、車内でのストリップがはじまりそうな気配です。
制止するわずかな時間も与えないまま、レイコは今朝いちばんで着替えてきたばかりの
シャツをあっというまに脱ぎ捨ててしまいます。
なぜかブラジャーまで外してしまい、周りの人の目も気にしないで、
上半身は、さらけ出してしまいます。
臆する様子も見せないばかりかレイコは、平然と鼻歌などを口ずさみながら、
買ってきたばかりのアロハに、着替えを始めました。
幸い至近距離に人影は有りません。
やれやれと一息をつきながら、あっけにとられたまま、レイコの様子を眺めていると、
「お揃いだから、君も着て。」と、すました顔で命令をされてしまいました。
ハイハイ(さからうとまずい空気になりそうなので、)・・解りましたと
着替えてから、これでいいですか、と、レイコを振り返りました。
そこでまた、再び度肝をぬかれてしまいました。
真赤な口紅に、まっ黒のサングラスと派手なアロハシャツに着替えて、
短い髪をさらりと掻きあげながら、すました顔をしているレイコがそこにいます。
(お前・・・・いつの間に、そこまで・・・・)
悠然と、たばこに火をつけはじめました・・・・
フ~とゆっくりと、煙を天井に向かって噴きだしています。
意味ありそうな流し目で私を見てから、さらに私の目の前へ右手の人差し指を伸ばします。
その指が、ゆっくりと動き始めました。
やがて、これ見よがしに、レイコの真っ赤な唇をさし示します。
そういえば、昨日の見た時の口紅の色は、ピンクでした。
サングラスを少しだけ下にずらして、長いまつげを見せたレイコが、
ゆっくりと、悩ましそうに片目をつぶります・・・・
「準備は万端です。
ここからのこれからが、私たちのドライブの佳境です。
ねぇあんた。私の言っていることの意味、ちゃんとわかってる?
なんで、私を残して寝ちゃうのよ。
これって、昨夜のために用意をした、勝負色の口紅なのよ・・・・
でもあんたは爆睡してたんだのもの、覚えているはずがないわよね。
この口紅を使うのは、ここが二度目。二度目は、此処でたった今使ったわ。
一度目は、昨夜。
あなたのための、使ったの。
あなたのために、初めてのルージュを塗ったというのに・・・
寝ちゃうんだもの、あんたって。まぁ、其れも仕方ないか、
まだ時間もたっぷりと残っていることだし、
未来の花嫁さんを乗せて・・・
さあ行こうぜ、二人を待ってる金沢へ!。」
(渚ドライブウェイ)
(11)第三章 輪島から兼六園へ
(輪島の朝市の様子)
のどの渇きで目を覚ましました。
レイコの布団は、すでに綺麗に片づいています。
布団の上には、綺麗にかつ丁寧にたたまれた浴衣がちょこんと置いてありました。
昨日の夜から大きく開放されていた海に面した障子は、今朝は半分になっています。
真夏の夜明けだというのに、浜辺に近い民宿は建物全体を、寒さを感じるほどの
涼しい潮風が通りぬけています。
眠気覚ましも兼ねて、海岸の散策へ向かいました。
すでに海の上には、オレンジに輝く真夏の朝日が登りはじめています。
今日も熱くなりそうな気配を見せている夜明けの空を見上げながら、
堤防の上を歩いていくと「おはよう」という元気な声が、遠くから聞こえてきました。
振り向くとレイコと二人の女の子が、松林の中から現れてきました。
妹のほうが、レイコの首筋にしっかりとかじりついています。
頬をしっかりと寄せたまま、満面の笑みを見せてレイコの胸で無邪気に遊んでいます。
しかし上の子は、私の顔を見た瞬間にレイコの腰へ顔だけを見せて隠れてしまいました。
まるで子供と朝の散歩をしているお母さんそのものだ、と思いながら
「おはよう」と声をかけると、上の子がやっとレイコの背後から出てきました。
摘んできたばかりの浜辺の花を私に、はにかみながらも私に手渡しをしてくれます。
結婚すると毎朝がこんな感じになるのかな・・それも悪くない・・・・などと、
寝ぼけた頭で、ふと、余計なことまで考えてしまいました。
朝食を済ませ、何度もお礼を言ってから、
教えられた通りに、半島を横切り西海岸へと向かう山道へ向かい始めました。
子供たちは元気に道路まで飛び出してきて、車が見えなくなるまで
精一杯に手を振りながら笑顔のままに見送ってくれました。
小供たちが涙も見せずに、レイコと笑顔で別れてくれたことに、
実は内心ほっとしたと、素直に白状をすると・・
「甘いなぁ。民宿で育ったこどもたちなのよ。
親しくなるのも早いけど、人と別れることにもたっぷりと慣れてるわ。
別れたら他人で、もう次の関心は、今度来る別の人ょ」
なるほど、女は、別れたら次の人になるのか、
そうだよな・・・よくわかりましたと
レイコの説明に、妙な納得をしている自分が居ました。
小1時間ほどの山道を走り終えると教えられた通り、下りに入った斜面の先に、
大きくひろがる日本海が見えてきました。
目の前に横たわるのは、はるかな大陸にまで続く外洋です。
黒々とした海面のあちこちには、白いうさぎと呼ばれる三角の波が光っています。
30分ほど海沿いを走ると、ようやく輪島市の看板が出てきました。
街の入り口の少し手前で、運河に架かった小さな橋を渡ります。
渡り切ったすぐ先の広場で、駐車場への案内看板を見つけました。
標識通りに進んで行くと海岸沿いに造られた、朝市専用の駐車場が現れました。
充分な広さがある未舗装の駐車場です。
意外なことに、数台の車が点々と停まっているだけで、あとは、
ひたすら寂しいだけが漂う空間が広がっています。
しかし駐車場に辿りついたものの、ここから朝市の場所までの道順は定かではありません。
駐車場から見えるのは、立ちはだかるように見える民家の潮に焼けた板塀だけです。
潮風に晒されて、木目がやせ始めた板壁ばかりがやたらと続く小路を歩き始めました。
そんな板塀を少し行くと、人が一人やっと歩くそうな路地がポツンと現れます。
「よしなさいよ」と引き止めるレイコを無理やりに従え、その路地を強引に歩きはじめます。
何度か現れた突き当たりを適当に迂回をしていたら、突然前方が開けて
露天の立ち並ぶ通りに飛び出しました。
偶然にも辿りついたのは、ちょうど朝市通りになっているその中間部でした。
それほど広くない道の両脇には、少しの隙間も見せずに地元の野菜や魚を中心にした
小さな露店がいくつも仲良くならんでいます。
ほとんどが、地面に無造作に商品を並べただけの露天そのもののスタイルでした。
それはあまりにも、すこぶる素朴な田舎の朝市といえる情景そのもので、
まさに、普段着の食糧市場と呼ぶのにふさわしいと思える風情です。
手拭いで頬かぶりをした、しわだらけのおばあちゃん達が笑顔で屯(たむろ)しています。
そのうちの一人が、目を細めながら能登のなまりをそのままに、なにやらしきりに
私たちに話しかけてくれました。
しかし、なまりが強すぎて、会話の中身が一向に理解できません・・・・
まるで、宇宙人が会話をしているような、そんな違和感さえ有りました。
(同じ日本に暮らしているというのに、それぞれの地方に残る本格的な方言というものには、
なぜか、まったく違う言葉と表現が含まれています。
耳慣れていないと言うだけで、外国語のような雰囲気になってしまうから不思議です)
それにしても、こんな寂れきった光景と雰囲気をどこかで、
かすかに見たような記憶があります。
どこだろうと古い記憶を辿っていたら・・・・
同級生で、芸術家志望の西口の顔が、フイに頭の中に現れてきました。
・・・そうだ、あいつが好んで書いた渋い色調の画の中には、
こんな風な景色を背景に、干からび切ったアジの干物と一緒に
こんな婆さんたちもたくさん登場をしていた・・・・
そんな漠然とした記憶を思い出していたら、後ろから、レイコに頭をこずかれました。
「また、ぼんやりとして、いつのまにか遠くを見ているんだから、この人は。
おにいさん達はどこから来たのと 聞いてるん・・だって)
振り返った私の耳もとで、レイコがささやきました。
ほらっと指さした先には、輪島塗りのお店の前に人の良さそうな女将さんが立っています。
(ほら、あそこに立っているあの女将さんが、そんな風に翻訳をしてくれたのよ)
暇を持て余していたその女将さんが、私たちに近よってきます。
背後までやってくると、私とレイコの肩へ両手を置いてその間から顔を出しました。
「ほら、こちらのお譲さんもお人形さんみたいで、
とても綺麗で可愛いいし、素敵なお嫁さんだって、たっぷりと褒めているわよ」
ポンポンと軽く、私とレイコの肩を交互に叩いています
それだけ翻訳をしてくれると、またにっこりとほほ笑み、今度は
大きな声を出して笑いはじめてしまいました。
「群馬です!」 とレイコは真顔で元気に答えています。
「おやまぁ群馬から。
それはまたずいぶんと遠いところから、はるばると・・・・
ええ~と、群馬と言うのは、日本のどの辺りでしたかしら、ねぇ・・・・
たしか関東のあたりと記憶をしていますが、関東といってもねぇ、
たしか・・ええとぉ栃木、茨城、千葉、あらら・・・・出てきませんねぇ。
群馬は、どのあたりでしたかしら、う~ん。」
・・・実にあやふやなままに、女将は勝手に詮索を打ち切ってしまいました。
まあ後で確認をしますと、勝手に決着をつけてから、またまた賑やかに
レイコに向かっておしゃべりを始めます。
「輪島の朝市というのは、
観光用では無くて、もともとが女たちが日々の暮らしをかけて繰り広げてきた、
きわめて熾烈な、生きていくためのたたかいです。
家で待っている男や子供たちを養うために、女は朝早くから
働きに出掛けて来て、こうして朝市で物を売るのよ。
能登の女は、気丈で働き者です。
でも、いくら旨い事を言われても、言い値で買っては駄目ですよ。
此処での流儀は、”値切り”交渉です。
値段なんてものは、交渉次第でどうにでもなります。
朝からそんなかけひきを楽しむことも、また輪島流なのです。
気をつけなさい・・・ここのおばあちゃんたちは、とっても商売上手ですから。
あら・・・そういえば、
あんた、よく見ると本当に、格別に別嬪だわねぇ。」
とレイコをそつなく褒めて、あげくにまたまた元気に笑っています。
ようやく到着をした輪島の朝市での散策は、わずか30分ほどで終わってしまいました。
採れたての野菜や魚介類を売っている朝市は、観光用というよりも
日々の暮らしの食をまかなうために、路上で繰り広げられる小さな日常市そのものです。
ひと通りを見て歩くと、あとはもう見るべき場所も有りません・・・・
ぶらぶらと歩く私を尻目に、レイコは先ほどの輪島塗りの女将さんの所で、
お茶などを呑みながら、さらにしばらくの間話しこんでいます。
最後に勧められるままに、何かお土産代りの小物を買ったようです。
朝市の突き当たりから反対側の道路に出ましたが、
5分も歩くと小さな橋が有り、その先は海で行き止まりになってしまいました。
はるばると、12時間以上もかけて走ってきたというのに
わずか30分ほどの滞在では短かすぎるような気もしたが、どうする?とレイコに聞くと
せっかくだから、金沢まで戻ろうという返事が即答で返ってきました。
戻る? ・・・金沢は群馬への帰り道とは、まったくの逆方向です。
それはまだ、この旅がさらに先に向かって進むということを意味しています。
しかし、当初の目的は達成したために、もうそれほど先を急ぐ必要はなくなりました。
レイコものんびりとしたまま、車窓を流れる景色にぼんやりと見入っています。
このまま金沢まで、のんびりとしたペースのドライブが楽しめる・・・・
そう決め込んでいたら、またまたレイコが、突然何かを見つけてしまいました。
「渚を・・・車で走れるって・・へぇ~
よし、行こうッ。」
能登半島の西海岸線に有る、千里浜なぎさドライブウェイです。
日本で唯一、一般車両やバスなどがその波打ち際を、約8㌔にもわたって
走行することができるという、渚の観光用道路です。
その看板が、レイコの目にとまりました。
千里浜なぎさドライブウェイは、
羽咋郡宝達志水町今浜から羽咋市千里浜町に至る、長さ約8㎞にわたる海岸です。
粒子の細かい砂が海水を含んで固くしまるため、波打ち際でのドライブが楽しめます。
千里浜海岸は、遠浅の海水浴場としてにぎわいをみせる一方、
かつては、ハマグリの産地としても知られています。
展望台にもなっているドライブインの屋上から、そんななぎさドライブウェイの
様子を眺めていたら、下の方から私を呼ぶレイコの声が聞こえてきました。
「降りて来い」と呼んでいるようです。
その手元には、いつの間に買ったのか、お土産袋がふたつ握られていました。
そのまま車まで、急いで戻れと言っているように聞こえます。
もう行くのかと思いつつ、車まで戻ってくると・・・・
「はい、綺麗なお嫁さんからの、初めての貢物。」
と、袋のひとつを手渡してくれました。
もう一つは自ら封を切り、中から原色で派手なアロハシャツを取りだします。
「ちょっと待て、」と、止める暇さえありませんでした。
今度こそ、止める間もなく、車内でのストリップがはじまりそうな気配です。
制止するわずかな時間も与えないまま、レイコは今朝いちばんで着替えてきたばかりの
シャツをあっというまに脱ぎ捨ててしまいます。
なぜかブラジャーまで外してしまい、周りの人の目も気にしないで、
上半身は、さらけ出してしまいます。
臆する様子も見せないばかりかレイコは、平然と鼻歌などを口ずさみながら、
買ってきたばかりのアロハに、着替えを始めました。
幸い至近距離に人影は有りません。
やれやれと一息をつきながら、あっけにとられたまま、レイコの様子を眺めていると、
「お揃いだから、君も着て。」と、すました顔で命令をされてしまいました。
ハイハイ(さからうとまずい空気になりそうなので、)・・解りましたと
着替えてから、これでいいですか、と、レイコを振り返りました。
そこでまた、再び度肝をぬかれてしまいました。
真赤な口紅に、まっ黒のサングラスと派手なアロハシャツに着替えて、
短い髪をさらりと掻きあげながら、すました顔をしているレイコがそこにいます。
(お前・・・・いつの間に、そこまで・・・・)
悠然と、たばこに火をつけはじめました・・・・
フ~とゆっくりと、煙を天井に向かって噴きだしています。
意味ありそうな流し目で私を見てから、さらに私の目の前へ右手の人差し指を伸ばします。
その指が、ゆっくりと動き始めました。
やがて、これ見よがしに、レイコの真っ赤な唇をさし示します。
そういえば、昨日の見た時の口紅の色は、ピンクでした。
サングラスを少しだけ下にずらして、長いまつげを見せたレイコが、
ゆっくりと、悩ましそうに片目をつぶります・・・・
「準備は万端です。
ここからのこれからが、私たちのドライブの佳境です。
ねぇあんた。私の言っていることの意味、ちゃんとわかってる?
なんで、私を残して寝ちゃうのよ。
これって、昨夜のために用意をした、勝負色の口紅なのよ・・・・
でもあんたは爆睡してたんだのもの、覚えているはずがないわよね。
この口紅を使うのは、ここが二度目。二度目は、此処でたった今使ったわ。
一度目は、昨夜。
あなたのための、使ったの。
あなたのために、初めてのルージュを塗ったというのに・・・
寝ちゃうんだもの、あんたって。まぁ、其れも仕方ないか、
まだ時間もたっぷりと残っていることだし、
未来の花嫁さんを乗せて・・・
さあ行こうぜ、二人を待ってる金沢へ!。」
(渚ドライブウェイ)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます