落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ、桐生 (50) 「おちょぼ」と恋の行方(4)

2012-06-25 09:21:45 | 現代小説
アイラブ、桐生第4部
(50)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(4)




 道は、尾根伝いに少し下り勾配に変わりました。
綺麗に整備された登山道には、多くの足で踏み固められた形跡がしっかりと残っています。
このあたりからは、下山先を示す案内標識も数多く出現をして、いくつかの分岐点から、
それぞれの方向へ下山することができるようです。




 また、尾根伝いに眺望が開けてきました。
サントリーの山崎工場を見下すことが出来るちょっとした広場で
遅めの昼食をとることにしました。
「おちょぼが、お千代さんが朝早くから用意をしてくれたお弁当をひろげます。
山頂からは、だいぶ歩いてきましたが、ここにもほとんど人目はありません。
「おちょぼ」が、煮ものを箸でつまんでいます。



「お兄ちゃん、お口を開けて、あ~んをしてください。」



 含み笑いをして、おちょぼが迫ってきました。
「こら、はしたない。人さまが見たら行儀が悪いと思うだろう」とたしなめると、
おちょぼはまったく涼しい顔をしたまま、ゆったりと周囲を見回します。
「どなたもおりませぬ。心配することなどはあらしません」と、意に介しません。
「格式の煩い祇園のお座敷では、そんな過剰なサービスは絶対しないだろうに、」
と反論をすると、
「ほんに・・・・小春姉さんに知られたら、しこたま叱られますぅ」と、
今度は一転して、コロコロと笑いこけています。
それでも、「今日だけは、特別ですさかい、)と、さらに執拗に
すこぶる嬉しそうな顔で迫ってきます。
結局、根負けをしてしまいました・・・・





 稜線からの登山道と別れをつげました。、
ここから麓の小倉神社まで下っていく小路は、そのほとんどが竹林の中です。
竹林の中を辿る小路も、実に良く手入れが行き届いています。
小路の両脇には、どこまでも行っても竹の垣根が続いています。
そこぶる安全な下り道になると思って油断をしていたら、思いがけないところで
本日最大の難所が待っていました。
小路が大きく右に曲がり込みながら、その先に急峻な斜面が現れました。
ちょうど竹林の中を、約半分ほど下ってきた処です。





 日陰になっている辺りが雨上がりのように濡れていて、足元が滑りそうな気配がします。
見た目以上に、難所となる急坂でした。
滑らないようにと「おちょぼ」の手を引いてやり、足元を確かめながら
歩幅を狭くして、ゆっくりと下り始めました。





 遠くからは、かすかな瀬音も聞こえてきます。
脚を止めて前方を伺がうと、斜面を下りきった先に、小さな橋が見えています。
その橋を渡れば、前方には小倉神社があるはずで、そこが登山道のゴールにもあたります。
境内にある大きな杉の木とモミの巨木は見えましたが、赤い社殿の屋根は、
深い緑に囲まれたままで、ここからは見ることができません。
もうひとつ、竹林越しの茂みの間から、かすかに確認が出来たのはシンボルとされている
境内にそびえた、ペアの御神木のようです。





 濡れた斜面ももう少しというところで、「おちょぼ」が、足を滑らせました。
用心をしながら下っていたのですが、思いのほか滑った足元のため、
あっというまに、おちょぼが体勢を崩してしまいました。
足元の支えを失ったおちょぼが、前のめりとなって、私のほうへ崩れて落ちてきます。
あわてて受け止めようとしましたが、こちらの足元も、やはり濡れたままの傾斜地です。
かろうじて踏みとどまりはしましたが、無理な体勢すぎたため、
おちょぼとは、これ以上はないだろうというほどの、密着状態になってしまいました。
小柄な「おちょぼ」が私の胸の中で、すっぽりと収まってしまいました。
両手で、必死になって帽子を押さえている「おちょぼ」の顔は、真っ赤です。
胸の鼓動まで、しっかりと聞こえてきそうなほどの至近距離です。



 「こわかったぁ~」





 甘えるようにつぶやいてから、おちょぼが、私の胸へ顔を埋めてしまいました。
子供だとばかり思っていた「おちょぼ」が、予想外なほどふくよかで弾力のある胸の
持つ主であることに、たった今、ここで初めて、気がつきました。
ほのかに匂い立つおちょぼの甘い香りまで、ここまで漂ってきます・・・・。


 「いやゃわ~、いけず。」




 胸と帽子を押さえて、目をまん丸にした「おちょぼ」が、
アッと声をあげたあと、バネではじかれたように、あわてて後方へ飛びのきました。
今度は、耳まで真っ赤に染めあげています。
3歩か4歩ほど離れたというのに、激しく高鳴る「おちょぼ」の心臓の音が
ここまで確かに、はっきりと聞こえたような、そんな気さえしました。
それはまた、私の心臓にも同じことが言えました。
妖しささえ覚えた私の胸の高鳴りは、実は少女だとばかり思っていたおちょぼの中に
きらめくような女性の雰囲気を見つけてしまい、
ただただ戸惑っているばかりの、私自身が、そこにいました。




 豊臣秀吉が、天王山の戦いの前に
戦勝を祈願したという、小倉神社の境内まで、あと少しというところで
「おちょぼ」が突然、何かを見つけて、立ち停まってしまいました。
大きな帽子のつばを思い切り深く傾けて、おちょぼが顔を隠します。
おちょぼが、指をさしたのは、境内へ到着したばかりの
一台の黒塗りのタクシーでした。


 丁度、ひと眼でそれとわかる芸妓さんたちが、
艶やかな着物姿を際だたせながら、一斉に、タクシーから降りてきました。
帽子をさらに深く、目深にかぶり直した「おちょぼ」が、くるりと背を向けると、
一瞬のうちに、今来たばかりの道に向かって、駆けだしまいました。
必死で走る「おちょぼ」の後を追い、ようやく追いついたのは、
先ほど足を滑らせたばかりの、竹林の中でした。
やっと立ち止まった「おちょぼ」の息は、これ以上は無いほどに





 「どうしたんだい、いったい・・・・藪からぼうに」



 「祇園の、おっきいお姉さんがたどした。
 小春姐さんと、同期のお姐さんなどもご一緒でした。
 幸い、こちらは木蔭でしたので、たぶん、気がつかへんかったと思います。
 すんまへん。びっくりさせてしもうて」



 知り合いならば挨拶すれば・・・と言いかけたところで、私もはっと気がつきました。
休日とはいえ格式ある祇園の舞子が、人目もはばからないミニスカート姿で山歩きです。
ましてや、どこの男ともしれない二人きりでの道中です。

 「そうか、まずいよな。そんな恰好だもの。」


 「おちょぼ」が強い目線で振り返ります。




 「服装のことでは、決してあらしません。
 お稽古どす。
 祇園というものは、おなごが芸を磨いて、磨きぬいた芸ではじめて生き残れる街なんどす。
 小春お姉さんも、おっきいおねえさんがたも、それぞれみなさんが、
 いちように、歯を食いしばって通ってきはった道なんどす。
 そのお姉さんがたに、今の春玉の姿を、見せることなど、でけしません。
 本来ならば、遊びよりも、お稽古に明け暮れているのが普通です・・・・
 ふとそう思った瞬間に、お姐さんがたへご挨拶をするどころか、
 思い切り恥ずかしくなってきて、我を忘れ、一目散に逃げ出してしまいました。
 おおきにすんまへん。」



 「おちょぼ」は私に背中をむけたまま、また大きな帽子を下へ引き下げています。
小さな背中が竹林の真ん中で、さらに深くうつむきはじめました。
「おちょぼ」の肩へそっと手を置いてみした・・・・
ぴくりと小さな反応を見せたおちょぼが、さらにまた、真深く帽子を引き下ろしていきます。




 「今朝、出掛ける前に小春姉さんに教わりました。
 舞妓も芸妓も、祇園で働いているうちは、
 何があっても、祇園の中では、絶対に泣いてはいけないと教わりました。
 お客さん方の前ではもちろんのこと、おかあさんや女将さん、
 お姉さんがたの前では、いつでも笑顔を忘れぬように、
 精一杯に笑顔を見せて、よろしゅうお願いいたしますと
 にこやかに笑いなさい。
 そうすることで、みなはんに可愛がってもらうんだよって・・・・
 そんげなふうに教えていただきました。
 それでも、生きていれば涙は生まれてくるそうです。
 泣きたくなったら・・・・我慢が出来なくなって、どうしても泣きたくなったら
 一人きりで、秘密の場所で泣きなさいと、そうも教えてくれはりました。
 小春姉さんは、ここの景色の中で泣きはったそうです。
 わざわざここまで来はって、一人っきりになって、泣いていたそうです。
 だから、わたしもこの竹林を見ておきたかったんです・・・」



 竹林の向こうで気の早いセミが鳴き始めました。
日暮れが近づいていることを告げて始めます。やがてそのセミの声は
大きな共鳴を呼びながら、竹林の中ををさざなみのように広がっていきます。




 「祇園のみなはんは、我慢に我慢を重ねながら芸事に励んでおられます。
 自分に打ち勝ったお方だけが、花街では生き残れます。
 舞妓は舞いが命です。 舞いには精進が命どす。
 たくさんの時間と、たくさんの汗と、
 たくさんの涙が、芸を育てるための土壌になると教えていただきました。
 精進した者だけが、本当の笑顔と芸を手に入れることができるんどす。
 お前にもそのうちに、泣く場所がきっと必要になるからと
 こっそりと、小春姉さんが教えてくれたのが、この場所です。」




 そういったきり、
「おちょぼ」が、竹林にむかって一層うなだれます。
涙を堪えていた小さな背中が、やがて小さく震え始めました。
私には、どうすることもできません。
大きな帽子に隠れたままのおちょぼは、声も出さずに、静かに涙をこぼし続けています。
祇園と言う花街は、ちっとやそっとの覚悟で生き残れる街では無いのです。
17歳になったばかりのこの少女は、もう自分の運命と、真正面から立ち向かおうとしています。


 お千代さんが、出掛けに言っていた、この不思議な帽子の意味がやっとわかりました。
舞妓の日焼けをふせいでくれる他にも、人目を忍ぶという意味もありました。
そしてさらにもうひとつ、涙をかくす意味まで含まれていたことに、
この時に私は、ようやくのことで気がつきました・・・・








 祇園の舞妓は、おぼこさ(幼さ)が命です。



 かつて舞妓を目指す少女たちは、祇園から中学へ通い、学校を卒業すると同時に
見世出しをして、花街で働くという道をあるきました。
幼すぎる少女の時代が、舞妓にとっての「旬」であり、それが同時に華になりました。
20歳が近づいてくると、少女から大人へと変わります、
その年代にさしかかる頃から少女たちは、襟替えを経て、あどけない舞妓から、
大人の芸妓になるための準備の時期にはいります。



 舞妓が芸妓になる儀式のことを「襟替え(えりかえ)」といいます。
この襟替えが近づくと、どこからともなく旦那の話なども持ち上がります。
その気の無い妓にとっては、これはきわめて煩わしい時期にもなります。


 襟替えでは、髷のついた髪に、屋形のおかあさんやお姉さんがハサミをいれます。
相撲力士の断髪式のようなものです。
舞妓の髪は地毛で結いますが、芸妓になると初めて鬘(かつら)が許されます。
芸妓になると同時に、今までの長い髪をばっさりと切ってしまう妓が多くなります。
芸妓になって何が嬉しいかというと、日本髪に結った髪の毛を気にしながら
眠らなくてもよくなることが一番のようです。
箱枕から頭が落ちて悲惨な状態になり、髪結いさんへ直行する悲劇からの
脱却が、実は何よりも嬉しいことのようです。




 
 また、今の時代となっては、たいへん少なくなりましたが、
芸妓や舞妓にとっては、旦那(だんな)と呼ばれるスポンサーを持つことが
花街では、ごく普通のこととされてきました。
旦那制度というものは、物心両面にわたって生涯、芸妓の面倒を見るという、
花街の独特の、男と女のシステムのことを意味しています。
「水揚げ」とは、舞妓が初めての旦那を持つときにおこなわれる儀式のことです。
しかし、こうした花街独特のシステムも、時代と共にその意味を失い始め、
いまではほとんど、実在をしなくなってきました。
芸妓たちも自由に恋愛を闊歩して、普通に結婚をして家庭へはいったり、
あるいは公認の上で、芸妓の暮らしを続けるなど、時代と共に変化をしてきました。




 その昔、芸妓と舞妓が800人ぐらい居た時期もあった祇園ですが
今はその規模も、10分の1くらいに減少してしまいました。
すくなくなったとはいえ、今でも舞妓の見世出しはポツリポツリと行われています。
細々とですが、『粋と芸』の昔からのしきたりも、その伝統も受けつがれています。



 祇園にはいると、実にほっこりとします。
「ほっこり」とは、ほっとする、あるいは落ち着くという意味です。
そう思えるお客さんが居る限り、祇園は伝統を守りつつ、その時代云々に合わせながら
形態を変えつつ、これからも歴史を紡いで繁栄をしていくのだと思います。






■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp

アイラブ桐生 (49) 「おちょぼ」と恋の行方(3)その2

2012-06-24 10:35:11 | 現代小説

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アイラブ桐生
(49)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(3)その2




 山荘美術館は、実業家の加賀正太郎氏が
大正から昭和の初期にかけて建てた、西洋風の別荘です。



 館内では、優しい光を透かしだす壁面の大理石やシャンデリア、
明るいテラスなどの優雅なしつらえを、今でも建てた当時そのままに見ることができます。
暖炉や随所で見かける大理石のランプなども、当時のままの輝きを保っています。
黒光りをしている階段の手すりひとつにも、建てた加賀氏の愛着が感じられました。


 館内に入って間もなく、回廊のその先には、モネの”水蓮”が展示されていました。
水蓮ばかりをまとめて見せるための、特別鑑賞用の部屋です。
「おちょぼ」がモネの絵の前で、吸い寄せられるように、ぴたりと立ち停まりました。
汗を拭くためのハンカチを持った手が徐々に止まり、やがてハンカチを強く握りしめたまま、、
胸の前で抱き寄せられて、しっかりと交差をしました。
傍目から見ていると、『おちょぼ」の呼吸さえ止まっているかのように見えます。
短い吐息をついた「おちょぼ」が数歩下がり、画を見つめた視線のまま
脚に触れたイスへ、静かに腰をおろしました。




 さきほどまで全身で野外を跳ねまわり、無邪気なおてんばぶりを見せたな6歳が、
一転して、息をひそめ、ひたすら睡蓮を見つめはじめました。
腰を下ろした「おちょぼ)には、まったく動く気配がありません。
絵のもつ意味と雰囲気を、自分の五感と全身で、必死に受け止めようとしています。
ほほえましくも見えるそんな光景を、私は少しだけ離れて、
いつまでも見守ることにしました。




 「おちょぼ」が、静かに動き始めました。



 被っていた大きな帽子取ると、その下でしっかりと束ねられていた長い髪を、
頭をゆるやかに右と左に振りながら、ふわりと自由に解き放ちはじめました。
外された帽子は、ハンカチと共に自分の胸に抱えこまれました。
潰れるかと思うほどの力が込められて、握りしめています。
それでも「おちょぼ」の真剣な眼差しは、睡蓮を見つめたまま、まったく動きません。
絵と会話をしょうと言う、「おちょぼ」の熱意が、こちらまで届いてきました・・・・
(この子には、絵を理解しようとする衝動が有る。
優れた感性の持ち主は、優れた作品に対しては、常に本能的に反応をすると良く言うが、
この子にも、充分なほどの『それ』があるようだ・・・・)





 「・・・・すっかりと、道草をしてしまいました!」




 右腕にぶら下がった「おちょぼ」は、まだ息をきらしていました。
(すっかり睡蓮で、興奮などをしてしまいました・・)と、あどけない笑顔を見せています。
二人が、本来の天王山のハイキングコースへ戻ったのは、睡蓮の間から、
1時間あまりも経過した後のことでした。


 「ずいぶんと、熱心にみていたね。」


 「なぜか、故郷の蓮池のことなどを思い出しておりました。
 田舎でもあんな風に、やっぱり綺麗に咲いていました。
 たいへんに、懐かしい風景です。」




 今日は『おちょぼ』から、祇園の言葉は出てきません・・・
やはり今日の「おちょぼ」は16歳のどこにでもいるような、ただの少女のようです。
右腕にぶら下がった『おちょぼ』は、片時も私から離れようとはしません。
意外なほど人の姿の少ない登山道の様子が、『おちょぼ』の行動を、さらに大胆にさせました。
ふいに右手を離した『おちょぼ』が、私の腰へその手をまわしてきました。
驚いて『おちょぼ)を見つめると、そこには照れくさそうで、
かつ悪戯そうな目が待っていました。



 「どなたもおへん。ええでしょう?」



 山荘美術館を、ぐるりと半周するように回り込んで登っていくと、
宝積寺側から来たもうひとつの登山道と合流をします。
そのままさらに坂道を先へ進んでいくと、やがて青木葉谷の広場へ出ます。
ここからは眺望が一気に開けていて、八幡市や枚方市をはじめ、
さらにその先には、遠く生駒の山々までも鮮明に見てとることができました。



 この広場の先へも、綺麗に整備された登山道が伸びています。
まもなく山崎合戦の碑が見えてきました。
そこにあった旗立展望台から覗きこむと、見渡す限りの京都の町並みが、
すべて一望のもとに、私たちの足元から大パノラマとしてのひろがりを見せてくれました。
たしかに此処は、お千代さんが言っていた通りに、
「おちょぼ」が、ミニスカートでも歩ける山道です。




 さらに頂上へ向かって、山道を進むにつれ、
周囲には、良く整備された竹林が現われてきました。
嵯峨野に良く似た雰囲気を持ち、天王山のもうひとつの「顔」としても名高い竹林です。
しかし嵯峨野のような人々の賑わいは、ここにはありません。
山道を行きかう人が、あまりにも少ないことにも、ここでも驚きました。
ここまで歩いてきた道のりで、行き会ったのは、おおくても5~6組のハイカー達だけです。
竹林の中を歩く人影のすくない登山道は、さらに奥へ向かって
細く曲がりくねりながら伸びていきます。
ひと組のハイカ―をやり過ごした「おちょぼ」が、
「ええですかぁ」と、クスリと笑ってから、また私の右腕にぶら下がってきました。



 歩き始めてから一時間あまりで、天王山の頂きへ着きました。
山頂広場と頂きを示す標識と、それを示す看板がありましたが、木々が
大きく茂りすぎているために、ここからは、まったく下界を眺望することができません。
しかし天王山ハイキングコースの本当の美しさは、実はこの先に待っています。
尾根伝いに小倉神社へ向かうその下り道で、美しさに満ちた竹林が
私たちの到着を、待っていてくれました。
あらためて私たちの目の前に現れた、大きな竹林の様子は、
今度こそ、まちがいなく嵯峨野そのもの景色でした。




 風が通りぬけるたびに、さやさやと竹の葉がささやきます。
木漏れ日が、あくまでも柔らかく、静かに足元の地面できらめいていました。
「おちょぼ」が、大きな帽子を脱いで、長い髪をなびかせながら楽しそうに歩き始めました。
見ている目の前で、最高級の笑顔を見せた「おちょぼ」が、
これ以上はないだろうというほど身体を翻すと、しなやかに、見事に、
くるりと一回転を見って見せました。
(竹林の・・・・妖精だ。)


 しなやかすぎる『おちょぼ』の身のこなしは、その先も続いていきました。
それはまるで竹林の中で楽しく踊っているミニスカートの妖精、そのものにも見えました。








■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ桐生 (49) 「おちょぼ」と恋の行方(3) その1

2012-06-23 10:28:14 | 現代小説
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アイラブ桐生
(49)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(3)





 舞妓さんのお休みは、月に2回で、第2と最終の日曜のみです。
他には、春におこなわれる「都踊り」のあとに、5~6日ほどのお休みがあり、
暮れの28日から年明けの5、6日までが「お正月休み」です。
しかし駆けだしの舞子は、とりわけ忙しく、仕事に追われて休む暇などありません。
文字通り毎日が、お座敷と舞の稽古に明け暮れます。



 初夏に入った頃、「おちょぼ」がハイキングに行きたいと言い出しました。
小春姉さんから「とても素敵な、お勧めのハイキングスポット」とやらを聞いてきたので、
私と二人で行きたいからと・・・・是非にと言って譲りません。



 「雨が降らなかったら付き合います」、という条件付きで、
6月最後の日曜日に、天王山まで出かける約束をしてしまいました。
天王山は、天正10年におこった山崎の戦いで知られいる京都と大阪の境にほど近い景勝地です。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が明智光秀を破ったことでも良く知られている、古戦場です。
古くからの名だたる歴史と共に、明媚な自然にも恵まれている山里です。
勝負を決める分岐点のことを「天王山」と呼び、その勝負のことを
「天王山の戦い」と呼ぶようになった語源とされている、ゆかりの地です。




 「今日は、春玉ちゃんにとっては、初めての天王山です。
 はい。とても綺麗にできました」



 お千代さんが、娘さんの衣装を使って、
「おちょぼ」をハイキング用の普通の女の子に仕立てくれました。
しかし、その恰好を見て腰が抜けるほどに驚ろきました。
にっこりと笑って登場した「おちょぼ」の容姿は、はるかに膝上のミニスカート姿です。
まぶしいほどに白い脚が、これでもかとばかりに輝いています。
山歩きにしては、大胆すぎるといえる服装そのものです・・・・



 「大丈夫です。
 ハイキングと言っても、天王山は山崎の駅から小一時間くらいの山道です。
 道中には、これといった急勾配もありません。
 春ちゃんなら、これで充分歩けます。
 第一、春ちゃんは、とっても綺麗な足をしてるだもの。
 たまには出してあげましょう。
 殿方にも目の保養になりますからね。うっふふふ」



 それからもうひとつ、これも大切な必需品ですと言いながら、
つばが大きく、被ると顔全体まで隠れてしまいそうな帽子を取り出しました。





 「これは昔、小春さんも使っていたとても便利な魔法の帽子です。
 舞妓さんが、陽に焼けたりしたら大変です。
 それともうひとつ、万一の時にも強い味方になります。」



 なんのことだろうと、すこし不思議な気がしました。
お千代さんからお弁当を受け取り、さあ出かけようという矢先になってから、今朝は
ご機嫌な様子の源平さんが、邪魔にならないから持って行けと言いながら
封筒を手渡してくれました。
最近の源平さんは、娘さんが戻ってくると、とたんに不機嫌となり、
「おちょぼ」が来ると上機嫌にかわります。




 「なぁに・・・お父さんも、最後の抵抗だ。」


 そんな源平さんの様子を横目に見ながら、お千代さんは相変わらず、
カキツバタの書き込みに専念をしていました。
三度のご飯なんか食べなくも、人は全然平気なのにというのがいつも口癖の人が、
この頃は、源平さんの好物ばかりを毎日丹念に作リ続けています。
外で娘さん達と会うことも止めて、いつの間にか若い人たちとの接点は、
もっぱら私が、連絡係としてこき使われています。


 熱燗を間に置いて、二人で差し向かいで飲んでいますが、
まだまだお互いに、先の見えない手さぐり状態のままのようです・・・・、
二人して碌な会話もせずに、酒だけをしきりと酌み交わしながら「あ~」と、
「う~」だけを、ひたすら繰り返しています。
大丈夫なのでしょうか。この二人・・・・





 京都線の山崎駅を下り、ぐるりと回りこみながら踏切を渡ると
正面に、天王山登り口の石柱が立っていて、ハイキングコースへと続く石畳の坂道が始まります。
道中にはアサヒビール・大山崎山荘美術館などもあり、その案内看板も見えています。
雨は降らず、結局この日は、すこぶるの好天に恵まれました。



 惜しげもなく白い脚をさらけ出した、ミニスカート姿の「おちょぼ」は、
どう見てもその辺に屯している、普通の高校生たちと同じにように見えます。
今日は、白粉も紅もつけていない、ただの16歳の素顔のままの少女です。
浴衣や着物姿ばかりを見慣れてきた私の目から見ると、まったく別人に見えてしまうほど、
洋服がよく似合っているおちょぼ」です。




 「回り道していきましょか。」



 「おちょぼ」に手をにひかれて、そのまま山荘美術館の方面へ向かいました。
急な山の斜面に沿って登っていくと、うっそうとした深い緑の向こう側に、
美術館らしい建物の屋根が見えてきました。
その行く手を遮るようにして、突然、木々の間から岩肌が現れます。
岩肌に沿って少し歩くと、今度はトンネルが見えてきます。
ひんやりとするトンネルを抜けた瞬間に、いっぺんに視界が開けて、
きわめて手入れの行き届いた、洋式の庭園が現れます。



 庭園には野外彫刻が見え、広い空間のあちこちに点々と置かれています。
広い庭と、点在する彫刻の織りなす風景が、英国風の山荘美術館ともほどよく調和をしています。
ウサギの彫刻を見つけた「おちょぼ」が、大きな歓声を上げています



 「不思議の国のアリスみたい!」



 もうすっかり有頂天で、とても手がつけられません。


 ここに陳列してある、ドガやルノワールなどの印象派の絵画や、
モネの「水蓮」なども見たいのですが、このはしゃぎようでは無理かもしれません。
この少女は毎日の生活そのものが、日本の古くからの花柳界の格式や歴史、
芸事が優先の世界に、きわめて深く埋没しきっているのです。
それらのことを、ごく当たり前のこととして暮らしているのです
ふつうならば、天真爛漫に10代の青春を謳歌しているはずの年頃です。
美術品や絵画よりも、いまの「おちょぼ」が欲しているのは、
このお日さまが溢れている庭園と、目に染み入るような緑の空間のほうが、
はるかに大切なことかもしれません。
そんな心配をよそに、きわめて無邪気に「おちょぼ」、蝶々のような飛び跳ねています。
本当に、ただの、どこにでもいる女の子の一人になってしまいました。




 汗をたくさんかいたあげく、頬を上気させ、髪も濡らしたまま
やっと私の所へ戻ってきたのは、それからずいぶんと時が経ってからのことです。
開口一番、「せっかく来たのですから、早くドガや、ルノワールの
絵画を見に行きましょう。ねぇ、そのために来たのですから」と急かしはじめます。
まったく、この子は、とにかく悪気のない子です・・・・



 「ここにある、たくさんの印象派の絵画たちは、
 みんな有名な絵で、どれもきわめて素敵だそうです!
 私もモネの”水蓮”が大好きです。ねぇ行ましょう、早く。ねぇ早くったらぁ!」





■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ、桐生 (48) 「おちょぼ」と恋の行方(2)その2

2012-06-22 10:18:13 | 現代小説

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アイラブ、桐生
(48)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(2)その2






 「元気じゃのう。
 気持ちのええ子やし、性格も素直だ。
 なによりもあの底抜けの明るさがいい。
 あんな子が増えると、また祇園も賑やかになるのだが。
 どんな芸妓に育つかのう、春ちゃんの行く末が今から楽しみだ。
 子春の若い時にそっくりだ。」




 「小春さんも、あんなに”おきゃん”だったのですか?」



 「若いうちなら、みんなそうじゃ。元気が取り柄さ。
 小春は、中学に入る前からこの祇園にやって来た子の一人だ。
 いわゆる特別な子の、ひとりだ。
 貧しい田舎から売られて祇園に来る子どもたちも、昔はたくさんいた。
 小春は特別で、田舎育ちだったが自分の意志で、芸妓にあこがれて、この祇園にやって来た。
 貧しいゆえの『口べらし』などというものが、まだ田舎に有った時代のはなしだ。
 お千代の同級生がやっている屋形から中学校へ通い、
 そのままそこで、舞妓になった。
 仕込みの頃の小春は、いまの春玉とそっくりだ。
 本当に、あきれるほど良く似てる。」




 「中学から祇園で育ったんですか、小春姐さんは。」



 「祇園も全盛のころには、そういう芸妓がたくさんいた。
 そう言う子のことを、祇園では『学校いきさん』と呼んでいた。
 学校でも『うちは、これから稽古です』といえば、授業中でも、
 帰してもらえた時代があった。
 中学の卒業と同時に、舞妓の見世出しが可能な時代だった。
 舞妓と言えば、幼い少女たちがほとんどで、
 17~8歳になると、もう、みんな一人前の芸妓になっていたもんだ。
 そういう舞妓が、つい最近までは沢山いたんだ。
 祇園が全盛だった、あの頃には、な・・」




 懐かしそうに源平さんが目を細めています。
この人も、お千代さんも、もう、半世紀以上もこの祇園とともに生きています。




 「そろそろ帰ろうかのう」
 源平さんが腰を上げたのは、4時過ぎてのことでした。
竿を担いで並んで土手を歩いているうちに、源平さんが独り言をつぶやきはじめます。



 春玉もそろそろ一本立ちをして、一人でお座敷を務める時期がくる。
お姐さん芸妓に着いてお茶屋を回っているうちは、舞妓といってもまだ半人前だ・・・・
お客に指名をされるようになってこそ、初めて一人前といえる。

 小春の時もそうだった・・・



 おまえも、春玉の初披露の席には俺に付き合え、と源平さんが振り返りました。
『少なからず縁もあるようだ。、春玉も内心は喜ぶだろうから、
段取をりするから一緒に来い』と、源平さんが強い口調で誘っています。
願ってもないことですが、私は、お茶屋の席が苦手です。
敷居は高すぎるし、あれやこれやの格式や決まりごとが多すぎて
正直、窮屈感のほうが強すぎました。





 「それはまさに、その通りだ!
 祇園は『粋』を楽しむために足を運び、遊びに行くところだ。
 遊び半分で、芸も舞も解らぬ素人衆が、舞妓や芸妓を愛でるために行くわけではない。
 芸というものが解っていて、踊りというものを知っていなければ
 宴席は盛り上がらないし、第一つまらない。
 花街は、遊ぶ側にも、茶道や華道、謡に日本舞踊の素養が必要とされている。
 一般人の盛り場とは、次元も格式もまったく別の違う空間だ。
 祇園は、長年にわたってそれらをを守り続けてきた、由緒正しい花街だ。
 おまえさんのその感想は、正直だし、まさに正解そのものだ。
 まったくもって、その通りだ!」



 あははと、豪快に笑われてしまいました。
祇園と呼ばれる花街は、芸妓たちが生涯をかけて真剣に芸を磨く場であり、
それを支えるお客たちもまた、常に芸を見る目も肥やし続けているのです・・・・
源平さんの自宅では玄関先から、煮物らしい好い匂いが漂っていました。


 「ほう・・・・珍しい。お千代の煮ものか」




 玄関に釣竿を立て懸けた源平さんが、上がれと手招きをします。
そのまま源平さんは、お千代さんの居るはずの台所を覗き込もうともせずに
廊下を進んで、自分の部屋へと消えいってしまいます。






 「お帰り。ありがとうね、頑固じじぃの面倒をみてくれて」


 ちょっとおいでと、今度は、お千代さんに呼び止めらてしまいました。



 「あの頑固者め。素直に(あたしの)言うことを聞けばいいのに、
 頑固に、いつまでたっても拒み続けて、まったくもって困ったもんだ。
 あんたも巻き添えを食って、いい迷惑だものね。
 迷惑ついでにもうひとつ、私の用事にもつきあってくれるかい?」




 最近は交互に、源平さんとお千代さんの間に入るという、板挟み状態が続いています。
お安いご用ですと先に答えたら、お千代さんに笑われてしまいました。



 「あらまあ、ぼうやも、気が早い。
 実は今晩、また、若い二人と会う約束をしていたのだけど、
 あれ(ご亭主)が、もう少しなんとかなると思っていたのに、
 あいかわらず、ああして拗ねたままでしょう。
 夕食にあれの好きな物を拵えて、機嫌でも取ろうと思ったけど
 当の私が夕食のときに出掛けてしまっていたのでは、いかにも具合も収まりも悪い。
 熱燗でも漬けて(あいつの)ご機嫌をとるから、
 ぼうやは、わたしの代わりに若い二人と呑んできて頂戴な。
 若いほうも、誘いを断ったら可哀想だもの。
 あたしは亭主、ぼうやは若いもんの二人。手わけをして機嫌をとりましょう・・・・
 あんたも私たちの板挟みだけど、わたしも
 頑固なオヤジと、どうにかしてあげたい、結婚前の若い二人からの、
 両方からの板挟み状態のまんまだよ。
 板挟み同士の仲間として、よろしく頼んだよ。」



 たしかに、娘さんの結婚話を巡って、
あちらとこちらで、板挟みとその腹の探り合いが続いています。
しかしこの窮地にありながら、なぜか余裕さえを見せているお千代さんに、
起死回生の秘策は、本当にあるのでしょうか・・・・






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アイラブ、桐生 (48) 「おちょぼ」と恋の行方(2)その1

2012-06-21 10:43:34 | 現代小説
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アイラブ、桐生
(48)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(2)その1




 お千代さんと源平さんの間には、
ただならぬ気配と、険悪な雰囲気が漂い始めました。
露骨にはならないものの、なぜか、お互いにしっくりとしない日々が続いています。
お千代さんは部屋に引きこもったままの日が多くなり、何処から頼まれたのか、
仕立て用の生地に、ひたすらカキツバタを描き込み始めました。
その様子には、いつにない気迫を感じさせます。


 一方の源平さんは、水の温み始めた加茂川へ朝から出かけていきます。
釣りをしながら、春がやってきた土手に寝そべりながら、ひたすら時間をつぶしています。
今日は私も誘われて、岸辺で並んで釣り竿を出しました。
温かさに誘われて、真黒い背をした小魚たちが足元まで泳いできます。
源平さんは竿を放りだしたまま河原の石に腰をおろして、のんびりとした顔で
遠くの大文字などを眺め、一帯の山肌に桜の気配などを探しています。
そう言えばそろそろ、この川べりにも桜の便りが届く季節になったようです。




 土手の向こうから源平さんを呼ぶ、少女の声が聞こえました。
姿を見せたのは、「おちょぼ」です。
もう舞妓になったのだから「おちょぼ」はやめてとよく言われますが、
どうしても顔を見たその瞬間に、私の口から最初に出てくる言葉は、
やっぱり言い慣れたままの「おちょぼ」です。




 そう言われてよく見ると、あどけない幼顔だった少女の『おちょぼ』が、
お化粧もずいぶんと上手になって、ほのぼのとした色香なども
確かに、それとなく漂いはじめています。
舞妓さんの白い顔を作るお化粧の仕方は、独特です。
白粉(おしろい)の下地に鬢付け油を使いますが、
この固い油を均一にのばすにはちょっとしたコツがいります。
これがうまくできていないと、後から塗った白粉がまだらになってしまいます。
出たての舞妓は、こうして毎日、自分の顔と格闘をしなければなりません・・・・





 出たての頃の舞妓は、髪は「われしのぶ」という髪形をしています。
着物の襟の色は赤と決まっていて、紅は、下唇だけにさすのが決まり事です。
一年ぐらいたつと、髪形が「おふく」へ変わり、紅も上唇にもさすように変わります。
同じように、着物の襟の色も時間とともに白っぽいものへ変わります。


 これらのことに、明確な決まり事があるわけではないようです。
見世出しをして2年以上もそのままというの芸妓もいれば、あっというまに
変わってしまう芸妓さんもいます。
一般的には、屋形のおかあさんとお姐さん芸妓が相談をしながら
次にどうするかを決めていくようです。




 そういえば最近の「おちょぼ」は、いつ見ても結った日本髪のままでした。
気がついたら半だらで短めだったの帯は、いつの間にか舞妓さん本来の
だらりの帯の長さにも変わっています。
いまはお姐さん芸妓の小春さんについてお茶屋さんを回っていますが、
そろそろ『おちょぼ』の春玉も、一本立ちになる時期かもしれません。




 また、声が聞こえました。




 お弁当箱とお稽古用の包みのふたつを、胸にしっかりと抱え込んだ『おちょぼ』が、
つくしが伸び、タンポポが咲き始めた土手の上で躊躇をしています。
見降ろした土手の傾斜の様子に、少しだけ怖じけづいた気配がこちらからも見えます。
それでも「おちよぼ」は、もう片方の手で、はだける浴衣の裾を気にしつつ、
おぼつかない足取りのまま、土手の斜面をおそるおそると下り始めてしまいました
素足のままの、赤い鼻緒の下駄ばきです。
その様子を見かねて、源平さんが下から声をかけました。



 「春ちゃん、そこは滑るからなぁ。
 こっちから行くので、そんな恰好で無理をしないでおくれ。
 下駄じゃ滑るし、足元が危なすぎるからのう。
 なにかあってからでは遅すぎる・・・・」



 源平さんが立ちあがり、
そう声をかけているそばから「おちょぼ」が足を滑らせました。
バランスを崩した「おちょぼ」は、斜面のほぼ中間部のあたりから、停まるすべもなく、
悲鳴をあげたまま、勢いにまかせてこちらへ向かって駆け下ってきます。
悲鳴に反応して、受け止めようとした時にはもう、「おちょぼ」は
私のすぐの目の前でした。
辛うじて胸で受け止めましたが、はずみを受けた勢いで、踏みとどまったのは
もう川まではあと数センチと言う、ぎりぎりの水際です。



 「相変わらず・・・春ちゃんは、ほんとにやんちゃだのう!。
 大丈夫だったかい、どこかに怪我はないかのう?」

 あきれながら事態を見守っていた源平さんが、あわてて駆け寄ってきました。


 「だいじょうぶどす。心配おへん。
 すんまへん・・・・あんのじょう、こけてしまいました。
 でもお弁当だけはこの通り、ほら。セーフどす!」





 受け止めた私の胸の中で、「おちょぼ」がにっこりと笑顔をみせています。
しかし見開いたままの「おちょぼ」の黒い瞳の様子が、たったいま経験をしたばかりの
怖い思いを、正直に如実に物語っていました。
その目は上気をしたまま、うっすらと涙さえ浮かべています。
おびえたまま私の顔を見上げている、その固すぎる笑顔といい、
可愛い唇から洩れ続けている安堵の吐息といい、『何がどうなったのかしら』と、
自分に起こったばかりの突然の出来事を、あらためて、忙しく頭の中で
ひたすら、再検証をしています・・・・
華奢すぎる両方の肩がおおきく、いそがしく、いつまでたっても、
上下動を繰り返しています。




 「また、うまいこと、男衆(おとこし)の胸にとびこんだものじゃ。
 今の学校では、そないな、必殺技まで教えるのかいな。
 ほお~お、たまげたのぉ~これは。」




 「すんまへん」と、私の目を見つめたまま「おちょぼ」が頬を真っ赤に染めています。
肩で息を整えていた「おちょぼ」がさらに数呼吸をくりかえした後、
やがてアっと大きな声をだしてから、自分の居る場所に初めて気がつきました。
顔を真っ赤にした『おちょぼ』が、、あわてて私から遠くの方へ飛び下がります。
胸の前で大事に抱え込んでいたお弁当の包みを、「おちょぼ」が
近寄ってきた源平さんへ、苦笑しながら手渡しています。



 「これからお稽古どす。
 たち寄ったら、お千代さんから、河原に二人でいるからと、
 お弁当などをたのまれました。
 ・・・・お父はん。
 なんぞどこかで、悪さなんぞでも、仕出かしましたか?
 お千代さんが、とても暗い顔などをしておりました 」


 
 と今度は、心配そうな顔をして、
笑顔で弁当を受け取っている源平さんをまっすぐに覗きこんでいます。




 「ああ・・・おっほん。これこれ。
 子供が大人のことにあまり口出しするな。
 大人には、大人にしか解らぬ、大人の事情というものもある。
 遠回りなのに、お弁当をわざわざありがとう。
 春ちゃんも余計な心配はせずに
 早く、都おどりの舞台にたてるような芸妓になっておくれ。
 その様子では怪我はなさそうだ、よかったのう。
 うん、・・・・ちょっと待て。
 春ちゃんは、
 もうしかしたら、わしらに届けるお弁当よりも、
 最初から用事が有ったのは、こちらのお方の胸の方かのう?」



 「いけず!」




 「おちょぼ」が、源平さんの背中を強烈な勢いで叩きます。
たった今の出来事をまた思い出して、顔を真っ赤にした『おちょぼ』が、
お稽古用の風呂敷包みを、両手でぎゅっと胸のふくらみが潰れるほどに抱えこみこみました。
そのままくるりと勢いよく反転をした瞬間、下駄を鳴らして川沿いを駆けだしていきます。





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