落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (47) 「おちょぼ」と恋の行方(1)

2012-06-20 09:05:55 | 現代小説
アイラブ桐生 第4部
(47)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(1)





 舞妓になるまでの教育期間の少女のことを「仕込み」といい、別名を「おちょぼ」と呼びます。
おちょぼ期間は一年程度ですが、舞の仕上がり次第で2年位かかることもあるようです。
舞妓になるためには、舞の習得が必要です。
舞のお師匠さんに認められて、初めて舞妓になるための承諾がもらえます。




 舞が仕上がる頃には、京ことばも板についてきます。
その頃になると、本人とその周囲でも舞妓になるための準備が本格的に始まります。
まずは、「引いてもらう」お姉さん芸妓を決めます。
早く言えば舞妓の「後見人」です。
お姉さんの名前から一文字をもらい、デビューの「見世出し(みせだし)」を待ちます。
お千代さんの家に遊びに来る、「おちょぼ」の春玉(はるぎょく)ちゃんも、
ちょうどそんな時期の少女です。



 昔から見れば花柳界のしきたりも、ずいぶんゆるくなったと言われています。
それでも、修業中の『おちょぼ』は、朝から極めて多忙です。
朝早く起きてたくさんの仕事をこなした後、芸と舞のお稽古に通います。
夕方になればお姉さんの支度を手伝い、お風呂もお姉さんたちが帰ってきてから入るために、
寝るのは深夜か、夜更けになってしまいます。
たしかに見習い中の「おちょぼ」は一日中が多忙です・・・・




 掃除・洗濯・使い走り・屋形のお母さんとお姉さんのお手伝い・
着物の着付け・行儀作法・花街ことば・お稽古ごと、おまけに屋形で飼っている猫が
行方不明になれば、捜索に走りまわるようにもなります。
現代っ子には想像すらできない、過密で過酷な日程うえに毎日が修練の繰り返しです。



 つかの間だけ寄りこんで、お千代さんとお茶を飲みながら語っていくのも
「おちょぼ」にしてみれば、もうひとつ気分転換です。
温かくなり始めたこの頃は、表で下駄を鳴らして駆け回る「おちょぼ」と
あちこちで、よく鉢合わせするようにもなりました。





 「半玉ちゃ~ん、そんなに走るといけんよう。
 こけると危ないから、足元に気をつけるんだよ~。」

 「いけず~(意地悪)。お兄さんは好きません。
 春玉です!!春が半分ではあらしまへん!」



 立ち止まってそう言い張ると、
また元気よく、カラカラと春玉は駆けだしていきます。
この頃から、よく「おちょぼ」のデッサンを書かせてもらうようにもなりました。
あどけなさばかりが目立っていた少女から、ほんのりと大人っぽい色気が
漂うようになってきたのも丁度、この頃からだったと思います。



 「おちょぼ」の実地研修も始まりました。
馴染のお茶屋さんで、「お見世出し」前の約1か月間にわたる、デビュー前の見習いです。
舞妓さんと同じ姿をしていますが、だらりの帯は、半分だけの長さで、
通称を「半だら」と呼ばれます。




 お座敷に呼ばれて、出向いていくわけではありません。
特定のお茶屋さんで待機をしていて、お座敷に出させてもらうだけです。
接客をすることよりも、お姉さん芸妓や舞妓さんたちの指導のもとで、
雑用などをこなすことが主な仕事です。
この時期ではただ、お座敷とお客さんの雰囲気に慣れることだけが目的です。




 「着いて来い」と源平さんに言われ、生まれて初めてお茶屋さんへ上がりました。
表通りからは、やや後退した形に作られているのが、お茶屋さんの間取りの特徴です。
すべての客室は、廊下と坪庭付きの吹き抜けで区分をされています。
「踊り場」と呼ばれる板敷きのスペースが造られていて、文字通り芸妓や舞妓さんが
お客さんに踊りを披露する舞台として使われます。




 お姉さん芸妓の末席に座った「おちょぼ」は、見るからに緊張をしています。
初めてお座敷にあがったこちらにも、それは同じことがいえました。
お姉さん芸妓にあたる小春さんもそれ以上に、「おちょぼ」のことが心配で落ち着きません。
こちらも、妹舞妓の初披露に、最大限の緊張をしていました。



 そう言う意味では、今日は居合わせた全員が、みなさん共の初舞台です。
はじめての舞妓さん姿を見せた「おちょぼ」が、余りにも初々しかったことだけは
覚えていますが、それ以外の酒の味も料理も、まったく私の記憶には残っていません。
格式と歴史を誇る京都のお茶屋さんというものは、それほどにまで
初めてのお客を、極度に緊張させてしまいます・・・・



 晴れて「見世出し」の日になると
男衆(おとこし)の晩酌で、お姉さん芸妓と固めの杯を交わし、正式な舞妓になります。
当分の間はお姉さん芸妓に連れられて、お座敷を回ることが仕事になります。
その間に、お茶屋の女将やお客さんに顔を覚えてもらうのです。




 それから一カ月余りが過ぎてから、「おちょぼ」が学校に通い始めました。




 芸妓のもうひとつの仕事が、「にょこうば」と呼ばれる祇園の学校へ入る事です。
正式には、「八坂女紅場(やさかじょこうば)学園」と呼ばれています。
授業科目は実に広範囲です。
舞・能楽・長唄・常磐津・清元・地唄・浄瑠璃・小唄・鳴物・茶道・華道・絵画などなど・・・
最近になって、舞・鳴物・茶道と三味線も必須課目になりました。



 毎年、お正月になると始業式がありますが、
普通の学校とは異なり、入学式もありませんが、卒業式もまた存在しません。
ここには15歳から、上は80歳を過ぎた生徒までが在籍をしています。
舞妓になったその時が入学式にあたり、妓籍を抜ける時が事実上の卒業式にあたります。



 もちろん、体育祭や修学旅行などは一切ありません。
文化祭にあたるものが、有名な春の「都をどり」や秋の「温習会」になります。
受業の時間なども普通の学校のように、毎日決まっているわけではありません。
自分の選択した習いごとが有る時にだけ出かけていきます。


 時間割や予定表は、花見小路と検番に有る黒板に表示されます。
稽古の順番も、原則的には早く来た順ですが、先輩お姉さんが後から来ると
気をつかって「お先にどうぞ、お姉さん」と譲ることなどもあるようです。
こうしたことからも、出たての舞妓さんほど、稽古には時間がかかってしまいますが、
お姉さん方の稽古を見学することも、実は大切な稽古のうちにはいるようです。
熱心な舞妓ほど、長いこと見学をしていきます。
見ることも大切な勉強のひとつです。





 女紅場(じょこうば)と言うのは、明治の初めに作られたものです。
女子に裁縫や料理、読み書きなどを教えるための、学制外の施設です
八坂女紅場は明治5年につくられたもので、長い歴史を誇る同志社女子大学も最初は
「同志社分校女紅場」と呼ばれていました。
その後、全国の女紅場は、役目を終えて閉鎖をされていきましたが、
八坂女紅場だけは、祇園甲部の芸事の研修所として残りそのまま今日に至っています。



 3月も半ばをすぎると、一日ごとに温かくなります。
いつものように高瀬川の川沿いでスケッチをしていたら、お稽古帰りの「おちょぼ」が、
「ごきげんよう」と顔を見せてくれました。
お稽古の順番が早く済み、今日は少しだけ時間があるんどす・・・
と、嬉しそうに笑っています。
お天気も良く、せっかくだからすこしスケッチさせて、とお願いすると、
「ハイ。どうぞ」と快く笑顔で応じてくれました。



 ひとつにまとめて縛っただけの長い髪が、着物の襟に沿って、
「おちょぼ」の胸元まで、ゆったりと揺れていました。
舞妓の結う「われしのぶ」という髪形は、すべて地毛で結うのが基本です。
「鬘(かつら)」が許されるのは、晴れて芸妓になったときからです。




 「おちょぼ」は笑顔でこちらを見つめながら、両手は今日のお稽古の
舞いの仕草を思い出しています。
思案をしながらそれでも、ひらひらと舞い続けています。



 「お姉さん方が踊ると、綺麗にしっくりおさまりはんのに、
 なんでうちだけ出来へんのやろ。
 うちは、やっぱり、不器用やな・・・」



 不満そうな顔のまま、手にした舞扇は、
さらにひらひらと、行く場所を見失った蝶々のように舞い渋っていました。
(うん、たしかに春ちゃんは、どちらかといえば、不器用かもしれないな・・・)
その時でした。



「あら~、こちらはんが半玉ちゃんの、いけずの兄さんどすかぁ?」




 突然背後から、祇園なまりで語り掛けられました。
振り返るとそこには、お姉さん芸妓にあたる小春姐さんがにこやかに立っていました。
軽く会釈をされてしまいましたが、この人すこぶるの美人です。
薄い化粧と紅だけをひいていますが、その口元が実にドキリとするほど妖艶です。
見つめられただけで背筋が震えるほど、目元の涼しさと優しさが印象的な女性です。



 「おおきに。
 春玉がいつもお世話になってはりますぇ。
 よろしおしたなぁ~、お兄さんに美人に書いてもろうて。
 ええ絵でおすなぁ、おはるちゃん。」




 すでに「おちょぼ」は、見つかった瞬間から固まっています。
まるで、悪戯を見つけられた子猫のようです。
小春お姉さんが腰を低くして、私の耳元で、そっとささやきをはじめました。




 「こん子は、変った子ですから、扱いぶりに、ほんま大変どす。
 中学の修学旅行で来いはったときに、祇園で私を見立てから、
 自分も舞妓になりはると決めたそうです。
 すぐにでもなりたいといいはって、ずいぶんと駄々もこねはりました。
 そらあかん、物事には順序というものがありまして
 ちゃんと学校を終わってから改めてお越しやすうと、お願しをしました。
 はい、わかりましたと、気持ちよく返事をしましたので、
 やれやれと安堵をしておりましたら、
 2月の半ばに、前触れもなしに、またこの子が突然あらわれました。
 この子には、2度も3度もびっくりさせっぱなしどす・・・・」




 小春姉さんがにこりと笑って、流し目で春玉を振り返っています



 「中学校を卒業しはる、その直前のことどす。
 うちの写真を一枚だけ持って、祇園の検番にかけこんだそうどす。
 どないしても、とにかくこの人に会いたいと言って、検番で大騒ぎをしはるんどせ。
 びっくりして、屋形のおかあはんと二人で、とにかく検番へ飛んで行きました。
 お預かりをするにしても、今後のことなどもありますので
 親ごさんの承諾やら、手続きやらが仰山にありますので、
 後日また、あらためて親御さんらとお越しくださいと、なだめて、
 またその日は帰しました。
 またやれやれと気を緩めていたら、
 もう、次の日には、今度はお母さんと二人で屋形まで
 また、やってきはりました。」



 「おちょぼ」が顔を真っ赤にしたまま、俯いてイヤイヤをしています。




 「はぁて、ほんまに困りはてました。
 屋形のおかあはんが、祇園というものは行儀作法も、さらには格式も高すぎて
 現代っ子ではなかなか耐えられまへんと何度も、何度も説明をしました。
 しかし、こん子は途方もなく頑固者です。
 先方のおかあさんも、もうこの子は何が有っても舞妓になると
 小春姐さんのような、綺麗な芸子になりたいと、
 何を言っても聞かないので、もう私も万策尽きました、と、
 おかあさんまで、途方に暮れて泣く始末です。
 しまいには、貴方のせいでこの子が舞妓になりたいといいはじめたのだから
 その責任を取ってくださいなどと、お母さんさんからも責められてしまいました。
 もうそうなると、うちも、屋形のお母さんも、まったくもってのお手上げです。
 結局、あたしが責任を持って、大事なお嬢さんをお預かりすることになりました。
 ところが、こん子は、どこまでいってもやんちゃです。
 おちょぼのうちから、勝手にあたしの名前から一文字をとって、
 最初から、「春玉」と名のるんどす。
 おかあはんも、こん子は今時、珍しい子だからと、今では大のお気に入りどす。
 ほんなわけで、あたしとおかあはんの「箱入り」さかい、
 あんじょうお願いたします。」



 それだけ言うと小春姐さんが、「おちょぼ」を手招きします。
私からは見えないように背中を向けて、なにやら小声でささやいています。



 「ほなら、気いつけなあきまへんえ、おはるちゃん。
 そしたら、あんじょうお願いしはります」




 小春姉さんはあらためて、にっこりとこちらへ微笑むと、
くるりと背をむけ、風に揺れている柳の葉をひとつずつくぐり抜けながら
ひとつ先の路地へ、颯爽と消えてしまいました。
火照った顔のまま小春姐さんを見送っていた「おちょぼ」が、
元気になった笑顔で振り返ります。



 「たった今、小春お姐さんからは、お許しをいただきました。
 お母はんには、あと一時間ほどお稽古でかかりますからと、言ってくれはります。
 どこかその辺で、甘いものでも食べながらお絵描きをつづけなさいと
 いわはりました。行きましょ・・・・
 ねぇ、ねぇ、ねぇったら」


 なるほど・・・・祇園も花街も、たいへんに粋が似合う町です。
わたしも、実に粋な小春姉さんのファンになってしまいそうです・・・・





■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ、桐生 (46) お千代さんと友禅染(3)

2012-06-19 09:29:18 | 現代小説
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アイラブ、桐生 第4部
(46)第2章 お千代さんと友禅染(3)


(祇園のお茶屋さんがつづく通り)



 
 年が明けると、京都はきわめて底冷えのする夜が続きます。
日中も寒すぎるので、川沿いでのスケッチをあきらめて、なんとなく
お千代さんのお宅で過ごすことが増えました。
お千代さんのアトリエである『友禅部屋』と、源平さんの工房
『金箔部屋』の往復が続きます。




 「あんたはんは、いったいどちらのお弟子どす?」



 おばあちゃんには、そんな風に笑われてしまいました。
源平さんも、お千代さんが惚れ込んだというだけあって、腕の良い金箔職人です。
その源平さんの所へ、可愛いお嬢さんが訪ねてきました。
まだ見た目が中学生くらいに見える、幼なすぎる感じの女の子です。




 「おちょぼだよ。」



 源平さんは目を細めます。
舞妓を志す女の子は、屋形(やかた)と呼ばれるプロダクション(置き屋)に引き取られ、
一人前の芸妓になるまで、ここでの生活がはじまります。



 食事や着物、お稽古代からおこずかいまで、すべての経費を屋形が負担をします。
「おちょぼ」は、舞妓になるための仕込みの期間(約一年間)の間に
言葉や立ち振る舞いから、舞いや鳴り物など、必要とされる芸事の取得を目指します。
これらの習いごとが及第点に達し、お許しが出てはじめて舞子になれます。
仕込み期間中の女の子のことを、「仕込み」といい、
別名を「おちょぼ」と呼んでいます。



 「へぇ~君は、舞妓さん志望なんだ。すごいねぇ。
 でもなんで、今時、舞妓さんなんかをえらんだわけ?」


 「うちは、馬鹿やし、取り柄もないし、舞妓しかなれへんとおもったんどす。
 いけずやわ(意地悪)。このお兄ちゃん」


 見かねたお千代さんが助け船をだしてくれました。





 「この人は、東男(あずまおとこ)ですが、
 ほんまにちょっといけずです。
 東男に京女とは良くいいますが、ぼうやと春ちゃんは合わないようです。
 ねぇ~、春玉(はるぎょく)ちゃん」




 花街界というものが馬鹿では務まらないことは、この子のほうが良く分かっています。
この子は、源平さんが定宿にしているお茶屋さんの、
いつも贔屓にしている人気芸妓の、その妹ぶんにあたりました。
舞妓修業の第一歩は、先輩芸妓に姉妹の契りを交わすことから始まります。


 お千代さんとも顔馴染の屋形のおかあさんが、是非にということで、
お稽古の合間に立ち寄ることを許してくれたという、いきさつもあります。
花街や祇園の界隈では、こうして町ぐるみが総力をあげて、
一人の芸妓を育て上げていくのです。




 京都の花街は全部で6つあります。
このうちの島原を除く、四条河原町周辺の祇園甲部、宮川町、上七軒、先斗町、
祇園東の5つを「五花街(ごかがい)」と呼んでいます。
「五花街」は、それぞれが守り育んできた文化や伝統を、今日に至るまで
連綿と引き継いでいます。



 レイコから、短い便せんの便りが届きました。
駆け落ちをした二人は藪塚温泉に数泊したのち、ホテルの板長の口添えをもらって、
草津温泉へ足を運び、無事に仕事にもついたと書いてありました。
何かの時のためにと、先方のホテルと、アパートの連絡先も書いてありました。
先方からの意向によるもので、「忘れずに書き添えてほしい」と懇願されたと有ります。
短い文章の後は、わたしは元気ですと走り書きがあるだけで、あとの3枚は、
まったく白紙のまま同封されていました。
葉書でも間にあったのに、と思える文面でした・・・・




 そういえば、新任のマネージャーは元マナージャーの後輩にあたります。
朝礼の新任あいさつの後で、ぽんと肩をたたかれました。




 「アルバイトで主任と個室付きは、このホテルでの快挙だ。
 大したもんだ。
 まぁ、ホールは君にすべて任せるから
 よろしくやってくれたまえ。なにかあったら俺の面倒も見てくれよ。
 ああ・・・・そうだ。
 昨夜、先輩から電話があって
 場所は言えないが元気でやっているそうだ。
 君のこともよろしくと言っていた。
 先輩が元気でいることは俺も嬉しい、
 まぁなかよくやろうぜ、快男児くん!」




 それだけ言うと新マネージャーは、颯爽とした足取りで去って行きます。
ここのホテルでは、男女の社内恋愛は絶対がついている、禁止事項のひとつです。
幸い、元マネージャーは、一身上の退職ということで落着をして、
(ひとの噂では)離婚調停の方も、無事に決着するという方向で収まりつつありました。



 それにしても人生というものは、一寸先が解りません。



 後で聞いた話ですが、今度のマネージャーもやはり女性問題で一時的に失脚をして、
数年ほど都落ちの処分となり、地方のホテルへ飛ばされていました。
それが今度の急な人事で、見事に本館のマネージャーに返り咲きました。
女遊びも(実は)有能の証なのでしょうか・・・まか可思議な話です。


 そういえばもう新マネージャーは、
もう誰それと怪しい、そんな話が誠しやかに飛び交いはじめました。
震源地はいつもの、まかないのおばちゃんや、掃除のおばさんたちです。
しかしこれがちゃんと的を得ていて、きっちりと当たるから、これまた不思議な話です。





 今日は、お千代さんの部屋へお客さんが来ていました。


 すこしだけ、空気に違和感が有りました。
家を離れて暮らしている一人娘が、久し振りに、家へ戻ってきたようです。
作務衣姿の源平さんは娘の顔を見るなり、釣竿をかついで早々に居なくなってしまいました。
表では強い風が吹いているうえに、すこぶる底冷えのする寒い日だと言うのに、
源平さんは、あっというまに加茂川の土手の向こうへ消えていきました・・・・



 お千代さん部屋からも、話声がほとんど聞こえてきません。
年寄り二人とお茶を呑みながら、手持無沙汰でテレビだけを見て時間をつぶしました。
こちらの年寄りの部屋でも、さっぱりと、会話がはずみません。
用件自体はわかりませんが、なにごとか困った話が迷い込んで来たような
そんな雰囲気が濃厚に漂っています。




 「おや、来てたんだ。」



 中廊下からのお千代さんの声がしました。
お嬢さんも、その背後から現れました。
年寄り二人のそばへやってきて、ちょこんと横にすわって話し始めます。
お千代さんに良く似た面立ちで、色白で短髪の美人です。
切れ長の黒い瞳が(知性を感じさせて)キラキラと光ると、ちょっと素敵な感じが溢れてきます
ひととおりの世間話がすむと、こちらに会釈をしてから娘さんが立ち上がりました。
お千代さんが、低い声でなにかを話しながら、玄関まで娘さんを見送りに出ます。
静かに、玄関が閉まる音が聞こえます。



 年寄りの部屋を通り過ぎながら、お千代さんが手招きをしました。



「坊や、今夜のお仕事は?」



 冬の間は、修学旅行も少なめでホテルはまったくの閑散期にはいっています。
休みたいと言えば、簡単に何時でも休めますと答えたら、
じゃ今晩は、あるところに出かけるから、6時にもう一度来てくださいと言われました。
いえ、若い人たちとただ行き会うだけで、他には意味は有りませんと、
お千代さんは笑っています。


 約束通り、6時に訪ねてみると、
もう待ちかねていたように、お千代さんが玄関に出てきました。
先斗町を抜けて、木屋町通りに向かう小路の途中に有った、そのお店は
町屋を改造して造られた、かなりの格式をほこる京料理の老舗でした。
お茶屋さんが点在するこの界隈には、ほとんどが町屋造りばかりで、
よく似たような屋並みばかりが、小路に面してつづいています。
民家とお茶屋の見た目の違いは、、二階の軒先から吊るされた簾(すだれ)の様子と、
通りに面して仕付けられている洒落た手すりと欄干だけです。




 玄関まわりには、ポツンと明かりがひとつだけが灯されていました。
玉砂利を敷き詰め、小植裁が置いてあるだけの玄関先には、
薄暗がりの中に、ただただ静けさだけが漂っています。
女将が直々(じきじき)に案内をしてくれました。
綺麗に障子が締め切られた長い中廊下を渡っていくと、奥まったところに
そこだけに、明かりの灯った障子が見えました。
10畳ほどの部屋には、香がたかれ花のある床の間がついています。
娘さんたちは先に到着をしていて、同じような年齢で、
緊張した面持ちの背広姿の青年が、きっちりと膝を正して座っていました。




 「今日は娘に請われて、お顔をみるためにだけ参上をいたしました。
 楽にしてください。
 わたくしも、こんな若すぎる連れがおりますので、
 今日は早めに帰ります。」



 なにか言いたそうな娘さんを、お千代さんが目で止めました。




 「お話はすべて、この子から伺いました。
 可愛い一人娘に、跡取りの一人息子の縁談話です。
 縁談ごとでは、これ以上はないと思われるほどの、最悪の組み合わせです。
 たしかに一筋縄では進みません。
 でも、可愛い一人娘と、未来のお婿さんのためです。
 なにか、良い知恵でも考えましょう。
 私も貴方と同様に、まずはこの子の幸せのことを、第一番に考えます。」



 お千代さんが、そう挨拶をしてから、酒と肴の注文を始めました。
見る間に、あれやこれやと、たくさんの品数を発注しはじめています・・・・
あらら・・・・早くに帰る予定のはずでしたが、一体どうしたことでしょう。
もしかしたら、長居することになるのでしょうか・・・・





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アイラブ、桐生 (45) お千代さんと友禅染(2)

2012-06-18 09:22:58 | 現代小説
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アイラブ、桐生
(45)第2章 お千代さんと友禅染(2)







 友禅染めは、京都の扇絵師の、
宮崎友禅斎が始めたとされる精巧で緻密な染色方法です。
もともと扇に絵を描くことを得意としたため洒落た遊びごころいっぱいの
デザインが評判となり、やがて全国にひろまりました。
その技術や方法が従来よりもさらに洗練をされて、色彩豊かな染色の世界を
作り上げたものが、今日の京友禅の原点です。



 お千代さんの友禅染は、
その下絵を描くところから作業は始まります。
生地を湯のしした後、模様の柄を合わせるために仮縫いをした白生地に、
絵筆を使って青花(おいばな)と言う液をつけて下書をします。


 着物という凹凸のあるものに書くには、毛先の柔らかい筆が一番です。
掠れたり、滲んでしまうために一定の細い線が書けるようになるまでには、
長い年月と、高度な熟練とコツを必要とします。
青花液は、紫つゆ草という植物から抽出をした液のことで、
水を通すと消えてしまうという性質をもっています。
したがって友禅が染め上がった時に、この下絵の線は消えてなくなります。




 つぎに「糸目糊置き」と呼ばれる糊置きの作業にすすみます
下絵の線の上に、糸目のりと呼ばれる細い糊を、模様に沿って置いていきます。
色押し(友禅)をするときに外にはみ出さないようにするためのもので、
きわめて丁寧な仕事が求められます。
防染の役目をするもので、モチ米の粉、糠、塩、石灰などに熱湯を加えて混ぜ、
長時間蒸したものが使われています。



 まだまだこの先にも染色前の、下準備がつづきます。
次も前工程で「地入れ」です。
糸目のりを生地にしっかり食い込ませるために、ふのりとゴ汁を入れた水を刷毛で塗ります。
ゴ汁とは、大豆を一晩ふやかしてすりつぶしたもののことです。
染色時の発色をよくするために用いられています。
こうした生地への下準備を施してから、ようやく色挿し(友禅染め)
作業にとりかかります。



 まずは、色作りからはじまります。
初めに、白となる胡粉を溶きます。
つぎに、反物の地色や目指す基調に合わせて染料を混ぜ、
朱、黄、青、紫、黒などのそれぞれに基本となる5色を作ります。
基本色ができたら、そのそれぞれに三段階の濃淡色を作っていきます。
すべての色に、糸目のりの外にはみ出さないようにカゼインなどの色止めを加えます。
ここまでがすべて、下ごしらえとその準備工程です。



 友禅染めには、きわめて複雑で繊細な工程がいくつも存在をします。
そのために、工程別に分業化をされ効率化を図っている工房などもたくさんあります。
しかしカキツバタを得意とするお千代さんは、
こうした膨大な行程のすべてを、黙々と一人でこなします。


・・・・・





 結局、レイコの家に電話をかけました。
先日の「串焼き屋」の一件から、一週間ほどが経ったあとです。
マネージャーからも、悦子さんからも、その後の催促などはありません。
顔を合してもいつものように会釈をするか、丁寧に頭を下げて、
通りすぎるいくだけの日々がつづきました。


 迷いに迷った挙句、度胸をきめて公衆電話のダイヤルを回しました。
他の誰かに相談をしてもよかったのですが、マネージャーから相談を受けた瞬間から
なぜか、レイコのことばかりを考えていました。
3度のコール音の後、レイコのおふくろさんが、明るいいつもの声で電話に出ました。
『もしもし』と言っただけで、こちらが名乗るまでもなく、もう受話器を置いて
レイコを呼んでいる、元気なおふくろさんの声が聞こえてきました。
レイコが電話に出るまでには、少し時間がかかりました。



 「もし、もし」

 懐かしい声です。





 「ごめん待たせて。
 お風呂に入っていたの・・・・お髪もぬれているし」


 悪いね、と言うと、静かなレイコの声が耳元へかえってきました。




 「大丈夫なの? 困った話でしょう。
 久しぶりに優しい声で、わざわざ電話をかけてくるんだもの。
 なにかあるんでしょう?」



 あまりもの見透かしたひと言に、ドキドキしながらポケットを探り煙草を探しました。
やっと見つけて一本くわえ、ふるえる指で火をつけました・・・・
その動作のあいだの時間を、レイコも何もいわずに静かに待っていました。



 やっとの思いで、ことの顛末の説明をはじめました。
先日の出来事だけを、事務的にかつ手短かに順序だてて説明することにしました。
しかしレイコは相づちも打たず、ずっと無言のまま聞き耳だけをたてています。
しどろもどろになりかけながらも、ようやく説明が終わりました。
こんな説明の仕方で、男と女の反社会的な意味合いまでも含んでいる今回の
逃亡劇の意味合いを伝えきれたかどうか、まったく自信が持てません・・・・
しかし、電話機のむこう側でクスリと笑う、そんなレイコの気配が漂ってきました。



 「あなたらしいわね、事態は克明にわかりました」

 
 レイコが、電話番号を言うからメモを取れと言いだしました。
ひとつ目にあげたのは勤め先の電話番号で、もう一つはアルバイト先だと解説をします。




 「え?アルバイトを始めたの 」


 「24時間いつでも子供を預かる、無認可の保育所。
 あれほどなりたかった保母さんに、なれなかったくせに
 なんでいまごろになって、そんなことを始めたのか、今は訳は聞かないで下さい。
 でも、まもなく・・・もしかしたら本当の保母さんになれるかもしれないし、
 頑張れば、何か見つかるかもしれないから、張りあいはあるの。
 寂しさも、なんとなくまぎらうし・・・・」



 「もう一度、保母さんになる夢を追うの? 頑張っているんだレイコは」

 その言葉への、返事はありません。




 「解りました。
 とりあえず、泊れそうなところや、働けそうなところを見つければいいのね。
 こころあたりを探してみますから、あなたは安心していてください。
 電話番号はどちらも、レイコといえばわかりますからと
 先方さんに伝えておいてください。
 それと、連絡をいれる時間帯は、いつでも大丈夫ですからと、
 もう一言添えるのも忘れないでください。
 私が準備することは、それだけで充分ですか?」




 それだけ充分だよ、助かると答えたら、
用件が終わっても電話は先に切らないで、とレイコが低くささやきます。



 「わたしはとっても元気ですから、大丈夫です。
 このことが公になると、あなたはホテルの中で少し大変かも知れませんが
 我慢して踏みとどまってください。
 こちらでのことは、すべて私が責任をもって最善の準備をします。
 わたしで役に立つことなら、いつでもまた電話をして頂戴。
 もう、他にはなにも無い?
 困っていないの、大丈夫?
 ごめんね・・・
 じゃあ、先に電話を切ってもいいかしら」




 そこまで言いきったくせに、電話は切れずにただ無言に変わってしまいます。
しばらく待っても、ただただ沈黙ばかりが続きました。
気のせいか、かすかな洩れる吐息が聞こえたような気もします・・・・



 「じゃあ」というと、

 「うん・・・」とだけ答え、すこしの時間をおいてやっとレイコが電話を切りました。

・・・・・・







 お千代さんの工房では、友禅染の工程がつづいています。



 いよいよメインとなる「色挿し」です。
全部で30色ほどになる色を、地色や絵柄に合わせながら布地に挿していきます。
色の強弱、濃淡、明暗のバランスなどを考えながら、はみ出ないように、
むらにならないように、挿し落としなどが無いように丹念に挿していきます。



 ぼかしも大切な作業のひとつです。
『カタハ』という毛足が斜めになっている小さな刷毛で、毛足の長いほうに色をつけてぼかします。
まるで知恵の輪のような作業の繰り返しですが、染め上がった時のことを想像しながら
色を挿すのは最も楽しく、また、もっとも苦しく、もっともドキドキとする、
・・・・そんな工程だと、お千代さんは笑います




 このあとに施すのが、から蒸しと呼ばれる工程です。
染めた色を生地に定着させるために、蒸気で40~60分ほどかけて蒸しあげます。
ここまでが、白地の上での作業です。
染色(色挿し)が済み、白地の残った部分へ、
今度は地の色をいれていく作業が待っています。




 「のり伏せ」は、色挿した部分にふせ糊を置いて
地色を染める時に、地色が入らないようにするための工夫です。
「そめ地入れ」では、ふのりとゴ汁をいれた水を、生地全体へむらかく刷り込んでいきます。
伏せ糊を生地に食い込ませるようにするためと、地色をムラなく、
綺麗に染まるようにするために、この行程は欠かせません。


 「地染め」は、地色を刷毛で全体に塗りつける作業です。
長い生地をムラなく平らに染めあげるためには、長い熟練した技術を必要とします。
わざとぼかして染めたり、ムラに染めあげることもあります。
模様と生地のすべてに染色を施した後、生地を再び蒸しあげます。
さらに水にさらして、伏せ糊や糸目のりを綺麗に洗い流して、
京う友禅の一連の作業は終了します。




 こうして水洗いしてかわいた生地に
金線や砂子、切り箔、などの装飾が追加されて、最終的に雅な京友禅が仕上ります。
こうしてできあがった反物に、さらに刺繍などを施して仕立てあげると
訪問着や、留袖、振袖などといった高価な完成品に変わります。
京友禅は、高度な熟練と複雑な工程から生まれてくる、
職人たちによる雅な工芸品の世界です。




 でも、あたし自体はそれほど、雅(みやび)には縁がありませんと、
今日もにっこりと笑っているお千代さんです。







■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ桐生 (44) お千代さんと友禅染(1)

2012-06-17 09:46:05 | 現代小説
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アイラブ桐生 第4部
(44)第2章 お千代さんと友禅染(1)


(加茂川・三条大橋付近)




 蒸し暑い夏が通り過ぎると京都は、一気に観光の季節をむかえます。
修学旅行の動きもまたその波にのって上昇し、ホテルも最大の稼ぎ時を迎えます。
しかし驚いたことにこの時期になると、今までホールを担当してきたアルバイト学生たちが
一斉に仕事を辞めてしまいます。
いつものことさ・・・大丈夫だよ。と、マネージャーは平然と笑っています。



 「この時期定例の、秋の総入れ替えだよ。
 今までいた連中は、忙しくなるこの時期を避けて、
 また冬になると戻ってくるのさ。
 4年間もそれを、延々と繰り返しているつわものの学生さんもいるよ。
 なあに、心配などにはおよびません
 あふれるほどの、新規の学生バイトたちが
 明日から、わんさかと押しかけてきますから・・・」




 なるほど、まかないのおばさんが言っていた通りでした。
この日から連日、求人広告を見た学生たちが続々とホテルへ面接にやってきました。
実は、忙しくなるこの時期になると、ホテル側も通常の2割増しの時給で
学生たちを優遇するのです。確かに群がってくるはずです。



 人事課から、呼びだされました。



 用件はふたつです。
ひとつは時給のアップで、あとは主任手当も支給されることになったそうです。
ついでに3階に一部屋があいたので、そこを個室として使えとして当てがわれました。
この間までの待遇から見れば、まったくもって破格といえる処遇です。



 別に仕事ぶりを、ホテル側に評価されたわけではありません。
これには裏がありました。つい先日のことです。
マネージャーとフロント係の女の子が、ラブホテルと思われる場所から、
(日中だと言うのに)連れだって出てくるところへ、偶然にも遭遇をしてしまいました。
いつもの木屋町通りから、一本だけ裏路地へ入った通りです。
フロントの女の子は顔をそむけてしまいましたが、マネージャーの驚いた顔とは
ま正面から、ものの見事に鉢合わせをしてしまいました。
誤魔化し様がありませんので、こちらもおもわず会釈をしてしまいました。
あとはご想像の通りです・・・




 部屋を引っ越して、のんびり過ごせる環境になったとたんに、
夏が過ぎ去り、修学旅行が押しかけてくるホテルの「掻き入れ時期」に入りました。
本館とともにすぐ近くにある西館まで使って、連日の満員御礼が続くようになりました。
大広間や宴会場にも、『いざという時のために』大量の布団が準備されるようになりました。
いったい日本には、どのくらいの修学旅行生がいるのでしょう、
そのすべてが、否が応でも京都に集まってくる勢いです・・・・



 相変わらずのスケッチ行脚の合間に、
お千代さんのところにも、顔をだすようになりました。
初めて訪ねた時には、たしかに煩雑すぎる道筋でした。
碁盤の目のように整理された京都の路地裏が、こんなに煩雑だとは思いもよりません。
ようやく辿りついた路地の奥に、お千代さんのその『工房』はありました。
裏の障子を開けみると驚いたことにその先はもう、悠然と流れる加茂川の河原です。



 「おや、よく来たね、迷わずに来られたかい?
 遠慮しないで上がっておくれ、
 明治生まれの古い家だけど。」


 手入れがしっかりと行き届いている、古い日本家屋です。
中廊下は黒々と磨き込まれていて、木目が日差しに気持ちよく輝いていました。
柱は充分すぎるほどの太さがあり、細かい模様が丁寧に刻みこまれている欄間は、
建てた当時の職人さんの心意気を実に、雄弁に語っています。



 案内されたお千代さんのアトリエは、
どこにでもあるような、普通の和室の8畳間です。
中央に、大きな作業台が置いてあり、その上には染料の入った小皿が10個ほど、
使用中の筆とともに綺麗に並んでいます。
それ以外に、机の上にはなにひとつ余計なものは見あたりません。
座っていたと思われる座布団の膝のわきに、書き込み中のような友禅染めが見えました。
友禅染の大きさも、やっと風呂敷の半分くらいです。

 「意外かい?
 大きいものばかりじゃなくて、小物用も仕立てるんだよ。
 ひとつだけ絵柄を足すこともあれば、全部を書き換えることもある。
 そん時によって、仕事の中身はいろいろさ」




 もちろん友禅の着物も仕上げていますが、呉服屋さんのように、
お店を持っているわけではありません。
京友禅の着物作りには、二つの系統がありました。
ひとつは「仕入れ」といって、主に問屋へ納める着物地などを仕上げます。
これらは最終的に、有名デパートや呉服店などでは、
何十万から数百万円でならぶ製品たちのことをさしています。




 もうひとつが、「誂え」といわれています。
直接お客さんと顔を合わせて、注文された品物たちを仕上げる仕事です。
ほかにも、古くなったものの『染め替え』や、好みに応じた『柄足し』などがあり、
着物に新しい命を吹き込むためのお手伝いなどもあります。
今回のような、和装の小物用の仕事などもそのひとつの例のようです。


 いろいろと説明を聴いている最中に、
開け放した障子の向こう側に、釣竿を担いだ人影が立ち止まりました。
浅黒い顔にちょび髭を伸ばして、浅葱色の作務衣を着ています。
麦わら帽子をちょこんと持ち上げました。


 「ん、客人か? 。すこし河原を歩いてくる」



 そう声をかけたきりで、そのまま返事も待たず立ち去っていきます。
ご主人で、金箔師の源平さんでした。




 「釣りに行くのはいつもの日常です。
 時には、そのまま河原町のお茶屋さんまで行ってしまいます。
 夜中に平然と釣竿を担いで帰ってくる困った酔っ払いです。
 もう、慣れっこですけどね。」




 うちの亭主ですと紹介をしてから、笑ってそう付け足しています。
なるほど、ご亭主もなかなか楽しそうで、風流なお人のようです。


 午後の3時過ぎてから、ホテルの本館へ戻りました。
正面入口から入ってフロントを横切った時、「主任さん、ちょっと」と、
呼び止められてしまいました。



 この時間の前後がホテルでは、もっとも人が不在となる時間帯です。
すっと傍に寄ってきたのは、(マネージャーと)不倫関係のフロントの女の子です。
香水の甘い匂いも一緒になって近寄ってきました。
「ちょっと」と言って袖をひかれ、ロビーの片隅に引っぱり込まれました。



 「相談したいことがありますので、
 三条京阪駅裏の『串焼き屋』さんまでお願いできますか。
 知っての通り、私とマネージャーの一件です。
 9時過ぎで申し訳ないけど、都合をつけて来てくださる?
 マネージャーからも、是非にといわれています」




 「串焼き屋」は、ホテルからは、ひと駅先にある呑み屋さんです。
大人数が座れるカウンター席のほかに、奥まったところには小部屋が作られています。
しかしその小部屋の様子が、一風変わった作りです。
表から連れだって小部屋に入ったお客さんが、会計が済むと
そのまま裏口から帰れるようになっています。


 内緒の待ち合わせや、密談などでも使えそうな雰囲気があります。
実際に裏口から小部屋に入る水商売風のお姉さんたちも、何度もそこで見かけました。
そこでの相談ごとになります・・・込み入った話になると厄介だなとは思いましたが、
とりあえず行くということで、その場で承諾をしました。




 フロントの女の子(悦子さん)は最近、北陸から出てきたばかりです。
明るい笑顔とは裏腹に、実は離婚していたばかりだという噂で、ホテル内はもちきりでした。
口うるさい(人生経験が豊富な)賄いさんや仲居さんたちの間では、
美貌への嫉妬も含めて、早くもそんな風に日ごろから勘ぐられていました。


 約束の時間を見計らいながら、電車を使わずに一駅分を歩きました。
「串焼き屋」の縄暖簾をくぐったのは、夜の8時半を少し回ったばかりです。
入るとすぐ、目につきやすいカウンター席に悦子さんの姿が有りました。
ほほ笑んでくれたその目は、次の瞬間にはもう奥の小部屋を促しました。



 約束の時間のだいぶ前なのに、(マネージャーは)もう来ているんだ・・・・
奥の小部屋を開けると、マネージャーはもうビールを片手に呑み始めていました。




 「悪いね、わざわざ呼びつけて。とりあえず、一杯いこうか」


 なみなみと注がれたビールを飲み終わらないうちに、悦子さんも入ってきました。
後ろ手に、しっかりと隙間を確認をしながら障子を閉めきりました。
マネージャーのとなりに正座をした悦子さんが、二杯目となるビールを注いでくれます。



 「君の口が固いことに、俺たちはおおいに感謝をしている。
 だが、事態はもっと深刻になった。」


 そう言うと今度はマネージャーが、3杯目のビールを注いでくれました。




 「そこで・・・・俺もこいつもようやく、お互いの腹を決めた。
 ものは相談というのは、実はその件だ」





 マネージャーのたじろがないまっすぐの目が、真正面からやってきました。
正座をしていた悦子さんも、瞳を閉じてからいっそう背筋をのばします。



 「考えた末のことだ。
 こうなった以上、俺はホテルの仕事も、家族も捨てる。
 こいつと二人で、駆け落ちをする。
 出来る事なら、こいつと二人で、もう一度人生をやり直してみたい。
 そのくらい、こいつを一目見た瞬間から、俺はこいつに惚れちまった。
 簡単に許されないことくらいは俺も充分に承知をしている。
 充分とは言わないが、今まで貯わえててきたものはすべて家族のために置いていく。
 それがせめてもの、今の俺にできる罪滅ぼしだ。
 この身ひとつでの、無一文での裸の再出発をする、
 それでもいいからと、こいつも承知をしてくれた。
 俺には過ぎた女だと改めて思うくらい、俺はもうこいつにぞっこんだ。
 落ちのびる先を、東日本の関東あたりと決めた。
 誰も知り合いの居ない、新しい土地で、こいつと再出発をするつもりだ。
 そこで、おりいって、君に相談したい。
 温泉地が多い、群馬方面の伝手(つて)がほしい。
 だれか紹介をしてくれる、適当な人を知らないか。」




 単刀直入に、マネージャーから切り込まれてしまいました。
ある程度は想定はしていたものの、これははるかに私の想定を超えていました。
修学旅行生相手のホテルとはいえ、本館と西館を合わせれば100人以上の従業員がいます。
マネージャーといえば、その最頂点に立つひとりです。
当然、妻子持ちで二人のお嬢さんがいるとも、聞いていました。



 またマネージャーと悦子さんとでは、一回り以上も年齢が違います。
しかし今夜のマネージャーは、きわめての真顔です。
大人と言うものは、こんな風に火が点いて、時として、
突然として道ならぬ生き方への暴走を始めることもあるのでしょうか・・・・
それが何であるのかは、私には察することはできません。



 ただ、家庭を捨てると言い切るマネージャからも、
それを黙ったまま熱く見守っている悦子さんからも、ただならぬ決意ぶりだけは、
此処へ着いた瞬間から、なぜかひしひしと感じていました。
手にしたコップをテーブルへ置くこともできず、
まとまらない考えだけが、頭のなかで忙しく掛け巡りました。
しかし、いくら考えても何も答えが見つからず、ただただ、
真っ白になるばかりでした・・・・




(加茂川の夏の風物詩・川床の様子です)