SILENCE 2016年 あべの
≪ストーリー≫
1640年、
フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が日本へ布教に行き、他の者は殉教したが、行方知れずになり妻と子をもうけ生きていると言ううわさを聞き、
弟子であるロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は宣教の使命と神父の事実を確かめるため、
キリシタン弾圧のまっただ中にある日本へと向かい、中国でキチジロー(窪塚洋介)を介し、日本へと潜入する、
敬虔深いキリシタンの村人たちに迎え入れられ、信者たちは喜び彼を崇め、祈る、
しかし、奉行からキリシタンを密告すれば報奨金が与えられる御触れもあり、
ロドリゴたちは炭焼き小屋にじっと身をひそめる、
村にキリシタン狩りが行われ、長老と3人は捕えられ、海で磔刑にされる、
一部始終を見ているがどうにもすることができず、
ふたりは、五島と平戸に別れていくことに、
ロドリゴは五島で再びキチジローに会い、案内されるが役人に捕らわれる・・・
・.・*・.・*・.・*・.・*・.・*
まあ、久しぶりの劇場でした、
封切りされてから一週間後、もうすでに4回だった上映が3回になってるんです、
何だか寂しいです
夫と、3時間は長かったね、と言いつつも私は大丈夫でした、
冒頭からなんとなく涙腺ゆるゆるなのはどういうこっちゃ?
と感じながらも、日本に於けるキリスト教の位置ちゅうか、迫害されてきた経緯ちゅうか胸が苦しくなります、
マーティン・スコセッシ監督の言う何が善で何が悪なのか?
キチジローの裏切りの数々、そして告解、の繰り返し、
しかし、彼の目線から見れば、神の元へ行くことよりも生きることへの執念、拷問のキツさが逃げさせるんでしょう、
人間最後はみんな自分がかわいいんですよ、
誰しも人をさばくことはできません、裁くことができるのは神様だけです、と
ロドリゴが捕らわれの身となり、ガルペと再会しますが、
彼は村人たちと共に海に入っていきます、
そして、ロドリゴは追い詰められ、棄教を迫られます、
ついには寺で、フェレイラ神父の転んだ変わり果てた姿と対面します、
彼は仏教のことも受け入れています、
そしてロドリゴに村人たちを救うためと棄教をすすめます、
ロドリゴは決心します、そして踏み絵をします・・
沈黙
お~、神よ我が神よ、あなたはどうして黙っていられるのですか、
そうです、「沈黙」は神の声が聞こえないからです、
でも最後にロドリゴは聞きます、
優しい神の声を、
いつもあなたと一緒に居る、と
棄教し日本の人となって生きていきますが、
こころの中にはクリスチャンの御霊が生きていたんですね、アーメン
あの頃、なんで、キリスト教を信じる人たちがいたのか?
仏教の国で、八百万の神の国で、
「愛」を教える、そして人間みなイコールだと教えられたから?
不思議・・・わたしの名は不思議という(士師記13:18)
私だったら、踏み絵もするし、口では棄教もする、
でも、信仰ってこころの中で信じてまっすぐに神様を見上げること、
う~ん難しい、イエス様みたいに十字架に架かられへんし、
許されへん人もいっぱいいるわ、
なんちゃってクリスチャンな自分です
最後に全ての役者さんたちは良かった
アンドリュー・ガーフィールドは彼本来の「BOY A」「わたしを離さないで」を思いだす、
アダム・ドライバーは「スターウォーズ フォースの覚醒」のカイロ・レンだったんですね、
窪塚とよう似てて(笑)
深~い映画ですけど、色んなこと考えさせられていい機会かも、
終末時計2分半
≪ストーリー≫
1640年、
フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が日本へ布教に行き、他の者は殉教したが、行方知れずになり妻と子をもうけ生きていると言ううわさを聞き、
弟子であるロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は宣教の使命と神父の事実を確かめるため、
キリシタン弾圧のまっただ中にある日本へと向かい、中国でキチジロー(窪塚洋介)を介し、日本へと潜入する、
敬虔深いキリシタンの村人たちに迎え入れられ、信者たちは喜び彼を崇め、祈る、
しかし、奉行からキリシタンを密告すれば報奨金が与えられる御触れもあり、
ロドリゴたちは炭焼き小屋にじっと身をひそめる、
村にキリシタン狩りが行われ、長老と3人は捕えられ、海で磔刑にされる、
一部始終を見ているがどうにもすることができず、
ふたりは、五島と平戸に別れていくことに、
ロドリゴは五島で再びキチジローに会い、案内されるが役人に捕らわれる・・・
・.・*・.・*・.・*・.・*・.・*
まあ、久しぶりの劇場でした、
封切りされてから一週間後、もうすでに4回だった上映が3回になってるんです、
何だか寂しいです
夫と、3時間は長かったね、と言いつつも私は大丈夫でした、
冒頭からなんとなく涙腺ゆるゆるなのはどういうこっちゃ?
と感じながらも、日本に於けるキリスト教の位置ちゅうか、迫害されてきた経緯ちゅうか胸が苦しくなります、
マーティン・スコセッシ監督の言う何が善で何が悪なのか?
キチジローの裏切りの数々、そして告解、の繰り返し、
しかし、彼の目線から見れば、神の元へ行くことよりも生きることへの執念、拷問のキツさが逃げさせるんでしょう、
人間最後はみんな自分がかわいいんですよ、
誰しも人をさばくことはできません、裁くことができるのは神様だけです、と
ロドリゴが捕らわれの身となり、ガルペと再会しますが、
彼は村人たちと共に海に入っていきます、
そして、ロドリゴは追い詰められ、棄教を迫られます、
ついには寺で、フェレイラ神父の転んだ変わり果てた姿と対面します、
彼は仏教のことも受け入れています、
そしてロドリゴに村人たちを救うためと棄教をすすめます、
ロドリゴは決心します、そして踏み絵をします・・
沈黙
お~、神よ我が神よ、あなたはどうして黙っていられるのですか、
そうです、「沈黙」は神の声が聞こえないからです、
でも最後にロドリゴは聞きます、
優しい神の声を、
いつもあなたと一緒に居る、と
棄教し日本の人となって生きていきますが、
こころの中にはクリスチャンの御霊が生きていたんですね、アーメン
あの頃、なんで、キリスト教を信じる人たちがいたのか?
仏教の国で、八百万の神の国で、
「愛」を教える、そして人間みなイコールだと教えられたから?
不思議・・・わたしの名は不思議という(士師記13:18)
私だったら、踏み絵もするし、口では棄教もする、
でも、信仰ってこころの中で信じてまっすぐに神様を見上げること、
う~ん難しい、イエス様みたいに十字架に架かられへんし、
許されへん人もいっぱいいるわ、
なんちゃってクリスチャンな自分です
最後に全ての役者さんたちは良かった
アンドリュー・ガーフィールドは彼本来の「BOY A」「わたしを離さないで」を思いだす、
アダム・ドライバーは「スターウォーズ フォースの覚醒」のカイロ・レンだったんですね、
窪塚とよう似てて(笑)
深~い映画ですけど、色んなこと考えさせられていい機会かも、
終末時計2分半