
7月19日(金)、7月の俳句会に出席した。
私の宿題3句は以下の通り。
(原句) むらさきの花びら重し菖蒲園
(コメント)中七の「花びら重し」が戴けない。「花びら美[は]しき」にしてはどうか。
(添削例) むらさきの花びら美しき菖蒲園
(原句) 蒸し暑し検尿カップ渡される
(コメント)上五「蒸し暑し」は、この場合、検尿が臭ってくるようで良くない。
特定健診であれば、本人はしゃんとしているのだから、真逆な爽やかな感じの季語がよい。
この場合の季語は、「青芒」がよいのでは・・・。
「青芒」は、葉先で指を切るのではという不安もあるが、
シャキッとしていて爽やかさもあるのでぴったりの季語である。
(添削例) 青芒検尿カップ渡される
(原句) 同スコア年長讃え缶ビール
(コメント)以下の添削例のように直された。意味の伝えにくい句であった。
“同スコアの場合、年上の人を上位にする”ことを言いたかったのだが・・・・。
(添削例) ビールで乾杯同じスコアのシニアなり
今回の俳句会は、御嶽山登山の1日後で疲労感があり、今一シャキッとしない俳句会だった。
毎回のことだが、今回も俳句作りで一番大事な季語の選び方・使い方の難しさを考えさせられた。
私の宿題3句は以下の通り。
(原句) むらさきの花びら重し菖蒲園
(コメント)中七の「花びら重し」が戴けない。「花びら美[は]しき」にしてはどうか。
(添削例) むらさきの花びら美しき菖蒲園
(原句) 蒸し暑し検尿カップ渡される
(コメント)上五「蒸し暑し」は、この場合、検尿が臭ってくるようで良くない。
特定健診であれば、本人はしゃんとしているのだから、真逆な爽やかな感じの季語がよい。
この場合の季語は、「青芒」がよいのでは・・・。
「青芒」は、葉先で指を切るのではという不安もあるが、
シャキッとしていて爽やかさもあるのでぴったりの季語である。
(添削例) 青芒検尿カップ渡される
(原句) 同スコア年長讃え缶ビール
(コメント)以下の添削例のように直された。意味の伝えにくい句であった。
“同スコアの場合、年上の人を上位にする”ことを言いたかったのだが・・・・。
(添削例) ビールで乾杯同じスコアのシニアなり
今回の俳句会は、御嶽山登山の1日後で疲労感があり、今一シャキッとしない俳句会だった。
毎回のことだが、今回も俳句作りで一番大事な季語の選び方・使い方の難しさを考えさせられた。
7月17日(水)・18日(木)、山小屋1泊で御嶽山登山に女房と二人で出かけた。
当初計画したころは、天気予報が晴だったのだが、だんだん曇の予想に変わってきたのが気懸りだった。
山小屋・二の池本館へは事前に予約をしてあったので、そのまま登山を決行することにした。
7月17日午前5時30分、自宅を車で出発。
高岡IC→東海北陸自動車道→高山清見道路→高山→国道41号→国道361号→
7時30分、道の駅「ひだ朝日村」に到着。朝食のため休憩。
道の駅「ひだ朝日村」→国道361号→県道20号→木曽温泉→御岳ブルーライン→
8時50分、御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅駐車場に到着(標高:1570m)。
駐車料金:無料。
登山靴を履き、リックを担いで、ロープウェイの乗車券を購入(往復:2400円)。

↑ お花畑の前方上の方に見えるはずの御嶽山は雲の中だった。
9時30分ゴンドラに乗り、御岳ロープウェイ飯森高原駅(標高:2150m)へ。

↑ 御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅。

↑ 飯森駅へ向かうゴンドラの中から。前方・飯森駅の方を見るが・・・・。

↑ 御岳ロープウェイ飯森駅(2150m)に到着。
10時、黒沢口登山道に従って登山開始。

↑ 登山道入口

↑ 10時10分、7合目「行場山荘」を通り抜け。

↑ 11時20分、8合目「女人堂」に到着(標高:2400m)。昼食のおにぎりを食う。
12時、9合目を目指して出発。

↑ 12時50分、9合目を目指す。青空が見えてきた。

↑ 12時10分、9合目「石室山荘」が見えてきた。

↑ 13時40分、9合目「石室山荘」(標高:2800m)に到着。おしるこを食って元気をつける。

↑ 14時15分、「覚明堂休泊所」が見えてきた。

↑ 14時30分、二の池分岐。
二の池を挟んで、左上が剣ヶ峰、頂上山荘方面。右が宿泊予定の山小屋・二の池本館。
明日の天気がどうなるか心配だったので、今日中に山頂・剣ヶ峰へ登ることにした。

↑ 14時45分、頂上山荘が見えてきた。

↑ 15時、頂上山荘に到着。頂上への階段(約80段)を上る。

↑ 15時5分、ついに剣ヶ峰・御嶽山山頂(標高:3067m)へ登頂。
一面のガスで展望は不可能だった。

↑ 御岳山頂奥社の社務所

↑ 御岳山頂奥社。無事を祈って参拝した。

↑ 15時30分、再び二の池分岐。

↑ 15時40分、二の池本館へ到着。
10時に登山開始し、山小屋到着まで、約5時間40分の山登りだった。
二の池本館(標高:約3000m)
宿泊料金:一泊(朝食・夕食付)8500円。
収容人数:50人。
この日は、我々の他にもう一組の夫婦だけだった。
なお、管理人は若い男性スタッフが2名だった。
入浴:風呂があり、浸かるだけだったが疲れた身体を休めることができ最高だった。
夕食:5時30分から、もう一組の若い夫婦と一緒に山の話などでゆっくり楽しんだ。
消灯は20時。
夜になるにつれて、風雨が強くなり、一晩中暴風雨の叩き付ける音で眠れなかった。
翌7月18日(木)。
4時30分ごろから明るくなってきたが、雨風は依然として強く収まる気配がなかった。
ご来光の時刻も近づいてきたがそれどころではなかった。
それでも、予定通り朝食の準備が整っていた。
味噌汁と温かいご飯が美味しかった。
御かわりをした。
若い夫婦は7時ごろ、雨風の強い中を下山していった。
スタッフさんによれば、9時ごろには晴れてくるとの予報だという。
しかし、8時ごろまで粘ってみたが、あまり収まる気配がなかった。
そのうち、一瞬ではあるが、日の射すときがあった。
8時30分、意を決してカッパを着て下山することにした。
9合目を過ぎるころには、雨風ともにだんだん弱まりほっとした。
8合目女人堂でコーヒーを飲みながら、山小屋で作ってもらった弁当のおにぎりを喰った。
後は順調に下山し、
11時30分には、御岳ロープウェイの鹿ノ瀬駅まで到着。
8時30分に山小屋を出発してから約3時間で下山した。

↑ この日は、お花畑の奥にくっきりと御嶽山の全容が見えていた。
雨カッパと登山靴を脱ぎ、すっきりした気分になった。
御岳ロープウェイ・センターハウスのレストランで、ざるそば大盛を食って満足した。
その後、立ち寄り温泉「やまゆり荘」でゆっくりと登山の疲れを癒し、帰宅した。
当初計画したころは、天気予報が晴だったのだが、だんだん曇の予想に変わってきたのが気懸りだった。
山小屋・二の池本館へは事前に予約をしてあったので、そのまま登山を決行することにした。
7月17日午前5時30分、自宅を車で出発。
高岡IC→東海北陸自動車道→高山清見道路→高山→国道41号→国道361号→
7時30分、道の駅「ひだ朝日村」に到着。朝食のため休憩。
道の駅「ひだ朝日村」→国道361号→県道20号→木曽温泉→御岳ブルーライン→
8時50分、御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅駐車場に到着(標高:1570m)。
駐車料金:無料。
登山靴を履き、リックを担いで、ロープウェイの乗車券を購入(往復:2400円)。

↑ お花畑の前方上の方に見えるはずの御嶽山は雲の中だった。
9時30分ゴンドラに乗り、御岳ロープウェイ飯森高原駅(標高:2150m)へ。

↑ 御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅。

↑ 飯森駅へ向かうゴンドラの中から。前方・飯森駅の方を見るが・・・・。

↑ 御岳ロープウェイ飯森駅(2150m)に到着。
10時、黒沢口登山道に従って登山開始。

↑ 登山道入口

↑ 10時10分、7合目「行場山荘」を通り抜け。

↑ 11時20分、8合目「女人堂」に到着(標高:2400m)。昼食のおにぎりを食う。
12時、9合目を目指して出発。

↑ 12時50分、9合目を目指す。青空が見えてきた。

↑ 12時10分、9合目「石室山荘」が見えてきた。

↑ 13時40分、9合目「石室山荘」(標高:2800m)に到着。おしるこを食って元気をつける。

↑ 14時15分、「覚明堂休泊所」が見えてきた。

↑ 14時30分、二の池分岐。
二の池を挟んで、左上が剣ヶ峰、頂上山荘方面。右が宿泊予定の山小屋・二の池本館。
明日の天気がどうなるか心配だったので、今日中に山頂・剣ヶ峰へ登ることにした。

↑ 14時45分、頂上山荘が見えてきた。

↑ 15時、頂上山荘に到着。頂上への階段(約80段)を上る。

↑ 15時5分、ついに剣ヶ峰・御嶽山山頂(標高:3067m)へ登頂。
一面のガスで展望は不可能だった。

↑ 御岳山頂奥社の社務所

↑ 御岳山頂奥社。無事を祈って参拝した。

↑ 15時30分、再び二の池分岐。

↑ 15時40分、二の池本館へ到着。
10時に登山開始し、山小屋到着まで、約5時間40分の山登りだった。
二の池本館(標高:約3000m)
宿泊料金:一泊(朝食・夕食付)8500円。
収容人数:50人。
この日は、我々の他にもう一組の夫婦だけだった。
なお、管理人は若い男性スタッフが2名だった。
入浴:風呂があり、浸かるだけだったが疲れた身体を休めることができ最高だった。
夕食:5時30分から、もう一組の若い夫婦と一緒に山の話などでゆっくり楽しんだ。
消灯は20時。
夜になるにつれて、風雨が強くなり、一晩中暴風雨の叩き付ける音で眠れなかった。
翌7月18日(木)。
4時30分ごろから明るくなってきたが、雨風は依然として強く収まる気配がなかった。
ご来光の時刻も近づいてきたがそれどころではなかった。
それでも、予定通り朝食の準備が整っていた。
味噌汁と温かいご飯が美味しかった。
御かわりをした。
若い夫婦は7時ごろ、雨風の強い中を下山していった。
スタッフさんによれば、9時ごろには晴れてくるとの予報だという。
しかし、8時ごろまで粘ってみたが、あまり収まる気配がなかった。
そのうち、一瞬ではあるが、日の射すときがあった。
8時30分、意を決してカッパを着て下山することにした。
9合目を過ぎるころには、雨風ともにだんだん弱まりほっとした。
8合目女人堂でコーヒーを飲みながら、山小屋で作ってもらった弁当のおにぎりを喰った。
後は順調に下山し、
11時30分には、御岳ロープウェイの鹿ノ瀬駅まで到着。
8時30分に山小屋を出発してから約3時間で下山した。

↑ この日は、お花畑の奥にくっきりと御嶽山の全容が見えていた。
雨カッパと登山靴を脱ぎ、すっきりした気分になった。
御岳ロープウェイ・センターハウスのレストランで、ざるそば大盛を食って満足した。
その後、立ち寄り温泉「やまゆり荘」でゆっくりと登山の疲れを癒し、帰宅した。
ウェルネスリンクから7月定期レポートが届いた。
これは先月(6月)の私のウォーキング実績の報告書である。
2013年7月定期レポート(1ページ)

・1日当たりの平均歩数が前月5月実績より下がり、目標の8000歩を下回ってしまった。
・1日当たりの平均しっかり歩数は前月5月実績をかなり上回った。
2013年7月定期レポート(2ページ)

・時間帯別の比較では、6月もスポーツジムへ行く時間13時~14時がとび抜けている。
・曜日別歩行パターンでは、月~木が8000歩をクリアしているが、金が4000歩を下回っていることが気になった。
2013年7月定期レポート(3ページ)

・6月の月間歩行ランキングは、
15,407位 / 47,004人中
( 13,124位 / 47,551人中 )・・・・参考:5月実績
( 10,155位 / 45,519人中 )・・・・参考:4月実績
で、5月よりさらに後退した。
これは先月(6月)の私のウォーキング実績の報告書である。
2013年7月定期レポート(1ページ)

・1日当たりの平均歩数が前月5月実績より下がり、目標の8000歩を下回ってしまった。
・1日当たりの平均しっかり歩数は前月5月実績をかなり上回った。
2013年7月定期レポート(2ページ)

・時間帯別の比較では、6月もスポーツジムへ行く時間13時~14時がとび抜けている。
・曜日別歩行パターンでは、月~木が8000歩をクリアしているが、金が4000歩を下回っていることが気になった。
2013年7月定期レポート(3ページ)

・6月の月間歩行ランキングは、
15,407位 / 47,004人中
( 13,124位 / 47,551人中 )・・・・参考:5月実績
( 10,155位 / 45,519人中 )・・・・参考:4月実績
で、5月よりさらに後退した。
★阪急交通社の海外ツアー(完結編)⑦
“日本航空往復直行便利用
おまかせ オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツ 8日間”
出発日 2013年5月13日(月)
帰着日 2013年5月20日(月)
<7日目> 5月19日(日)


↑ 7日目【ドイツ】リューデスハイム→ ザンクト・ゴアルスハウゼン→ フランクフルト→ 成田へ
朝食:ホテル(パークホテル)で7時から。

↑ パークホテル
8時30分ごろ、添乗員さんが希望者を募り、リューデスハイムの街を散策。
リューデスハイムは、年間300万人以上の観光客が集まるライン観光の中心地。
ラインクルーズの乗降客が最も多く賑やか。
150m程のメインストリート「つぐみ横丁」はいつも観光客でひしめき合っている。
ワインの産地でもある。

↑ 8時40分、ホテルの前の河岸通りを少し行くと・・・。

↑ 居酒屋が軒を連ねる「つぐみ横丁」

↑ ワイン工房

↑ 工房の中で各種ワインの試飲
約1時間の街中散策を終え、ライン川クルーズ観光船の乗り場へ。

↑ 9時50分、ライン川クルーズ観光船乗り場
観光:◎ライン川クルーズ【世界遺産⑨】(ドイツ)
世界遺産に登録されているライン川中流域は、ビンゲンからコブレンツまでのおよそ65Km。
その最も見どころの多いリューデスハイム~ザンクト・ゴアルスハウゼン間をラインクルーズ観光船に乗った。
ハイライトの伝説のローレライの岩をはじめ古城や城砦が右岸左岸に次々と現れた。
その主なものを写真に収めた。

↑ 10時、クルーズ観光船「LORELEY」号に乗り込む。

↑ 10時10分、リューデスハイムの桟橋を離れる

↑ 船内から見たライン川
ここから約2時間のライン下りを楽しむ。
[1] ネズミの塔
通行税を徴収するために建てられたかっての関所。

↑ ネズミの塔。
[2] エーレンフェルス城跡
関所として建てられ、14世紀から城砦として戦いに利用された。
1689年にフランス軍により爆破されて廃墟となった。

↑ 廃墟となった今もシルエットが美しいエーレンフェルス城跡。
[3] ラインシュタイン城
「ラインの宝石」という名の城。

↑ 17世紀にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世により修復されたラインシュタイン城。

↑ 観光船のデッキには滑り台があり、退屈した子供たちが時々楽しそうに遊んでいた。
[4] ライヒェンシュタイン城
ライン沿岸の古城の中で最も古い城の1つ。

↑ かっては盗賊騎士の館だった城。現在は個人所有となり、修復されてホテルになっているとか。
[5] ゾーネック城
難攻不落といわれた頑強な城

↑ かつての盗賊の館は時代を超えて復元されたゾーネック城。
[6] バッハラッハ
おとぎ話に出てくるような中世の佇まいを今に残す小さな村。

↑ バッハラッハの街の桟橋。
[7] プファルツ城
中州に現れるユニークな白亜の城。
関税の徴収をするために建てられた関所。

↑ 現在は博物館になっているプファルツ城。
[8] シュタールエック城
パッハラッハの丘に立つ城。

↑ 現在はユースホステルになっているシュタールエック城。
[9] シェーンブルク城
1166年にバルバロッサ皇帝が臣下に授けた城。

↑ 塔以外は再建され現在は高級ホテルになっているシェーンブルク城。
[10] ローレライ
有名なローレライの歌の発祥地。

↑ 今は平和なローレライの岩。

↑ “ローレライちゃん”(添乗員さんがそう言っていた。)の像(ローレライ像)
[11] ラインフェルス城
対岸にあるネコ城と同じく、カッツェンエルンボーゲン(ネコのヒジ)侯爵によって建てられた。

↑ 現在は近代的なホテルになっているラインフェルス城。
[12] ネコ城
対岸のラインフェルス城と同じカッツェンエルンボーゲン(ネコのヒジ)侯爵によって建てられた。

↑ ネコのヒジを意味する侯爵の名をとったネコ城。
[13] ザンクト・ゴアルスハウゼン
クルーズ観光の主要発着地。

↑ 12時20分、我々のクルーズ観光はここまで。下船した。

↑ 我々を降ろした観光船「LORELEY」号はさらにライン川を下って行った。
昼食:ザンクト・ゴアルスハウゼンのレストラン(ドイツ)

↑ 12時30分、昼食を摂ったザンクト・ゴアルスハウゼンのレストラン。メニューは魚料理。
移動:ザンクト・ゴアルスハウゼン→ フランクフルト(ドイツ):約90Km

↑ 15時過ぎ、フランクフルトの街へ入りマイン川を渡る。
観光:フランクフルト(ドイツ)
ドイツ銀行の本店や欧州中央銀行などが立ち並び、世界中のビジネスマンが集まる大都市。
その博物館通りにあるシュテーデル美術館へ。
◎シュテーデル美術館
銀行家シュテーデルの遺言により設立された美術館。

↑ シュテーデル美術館

↑ 美術館の受付で。右端の女性が現地ガイドさん。

↑ 絵画展示場。ここでビデオ撮影していた時、監視人さんからビデオは「No」と注意された。

↑ ビデオの撮影モードを“Photo”に替えて撮影した。
しかし、使い慣れていなかったので、この後は展示場での写真撮影は止めることにした。
美術館の見学終了後、レーマー広場へ。
・レーマー広場
旧市庁舎前にある広場で、正義の女神の青銅像やニコライ教会が建っている。
市民の憩いの場として使われ、教会からは時を告げる鐘が響きわたっていた。

↑ レーマー広場

↑ 旧市庁舎

↑ ソーセージショップ

↑ 買ったソーセージとパン

↑ 17時40分、バスへ戻る
観光後、空港へ。

↑ 18時ごろ、フランクフルト空港へ

↑ JALの搭乗口
21時05分発JAL408便にて空路、帰国の途へ。
JAL機内で、再度数独に挑戦。

↑ 数独 上級

↑ 上級をクリア。

↑ 数独 最高レベル

↑ 最高レベルもクリア。
数独チャレンジのお蔭で、機内で退屈もせずに約11時間の長旅を終えることができた。
<8日目> 5月20日(月)

JAL-408便は、15時30分ごろ、ほぼ予定通り成田空港に到着。
通関を終えてツアーは解散した。
我々は、20時05分羽田発のANAで富山空港へ。
そして、夜10時過ぎに無事帰宅した。
(完)
“日本航空往復直行便利用
おまかせ オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツ 8日間”
出発日 2013年5月13日(月)
帰着日 2013年5月20日(月)
<7日目> 5月19日(日)


↑ 7日目【ドイツ】リューデスハイム→ ザンクト・ゴアルスハウゼン→ フランクフルト→ 成田へ
朝食:ホテル(パークホテル)で7時から。

↑ パークホテル
8時30分ごろ、添乗員さんが希望者を募り、リューデスハイムの街を散策。
リューデスハイムは、年間300万人以上の観光客が集まるライン観光の中心地。
ラインクルーズの乗降客が最も多く賑やか。
150m程のメインストリート「つぐみ横丁」はいつも観光客でひしめき合っている。
ワインの産地でもある。

↑ 8時40分、ホテルの前の河岸通りを少し行くと・・・。

↑ 居酒屋が軒を連ねる「つぐみ横丁」

↑ ワイン工房

↑ 工房の中で各種ワインの試飲
約1時間の街中散策を終え、ライン川クルーズ観光船の乗り場へ。

↑ 9時50分、ライン川クルーズ観光船乗り場
観光:◎ライン川クルーズ【世界遺産⑨】(ドイツ)
世界遺産に登録されているライン川中流域は、ビンゲンからコブレンツまでのおよそ65Km。
その最も見どころの多いリューデスハイム~ザンクト・ゴアルスハウゼン間をラインクルーズ観光船に乗った。
ハイライトの伝説のローレライの岩をはじめ古城や城砦が右岸左岸に次々と現れた。
その主なものを写真に収めた。

↑ 10時、クルーズ観光船「LORELEY」号に乗り込む。

↑ 10時10分、リューデスハイムの桟橋を離れる

↑ 船内から見たライン川
ここから約2時間のライン下りを楽しむ。
[1] ネズミの塔
通行税を徴収するために建てられたかっての関所。

↑ ネズミの塔。
[2] エーレンフェルス城跡
関所として建てられ、14世紀から城砦として戦いに利用された。
1689年にフランス軍により爆破されて廃墟となった。

↑ 廃墟となった今もシルエットが美しいエーレンフェルス城跡。
[3] ラインシュタイン城
「ラインの宝石」という名の城。

↑ 17世紀にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世により修復されたラインシュタイン城。

↑ 観光船のデッキには滑り台があり、退屈した子供たちが時々楽しそうに遊んでいた。
[4] ライヒェンシュタイン城
ライン沿岸の古城の中で最も古い城の1つ。

↑ かっては盗賊騎士の館だった城。現在は個人所有となり、修復されてホテルになっているとか。
[5] ゾーネック城
難攻不落といわれた頑強な城

↑ かつての盗賊の館は時代を超えて復元されたゾーネック城。
[6] バッハラッハ
おとぎ話に出てくるような中世の佇まいを今に残す小さな村。

↑ バッハラッハの街の桟橋。
[7] プファルツ城
中州に現れるユニークな白亜の城。
関税の徴収をするために建てられた関所。

↑ 現在は博物館になっているプファルツ城。
[8] シュタールエック城
パッハラッハの丘に立つ城。

↑ 現在はユースホステルになっているシュタールエック城。
[9] シェーンブルク城
1166年にバルバロッサ皇帝が臣下に授けた城。

↑ 塔以外は再建され現在は高級ホテルになっているシェーンブルク城。
[10] ローレライ
有名なローレライの歌の発祥地。

↑ 今は平和なローレライの岩。

↑ “ローレライちゃん”(添乗員さんがそう言っていた。)の像(ローレライ像)
[11] ラインフェルス城
対岸にあるネコ城と同じく、カッツェンエルンボーゲン(ネコのヒジ)侯爵によって建てられた。

↑ 現在は近代的なホテルになっているラインフェルス城。
[12] ネコ城
対岸のラインフェルス城と同じカッツェンエルンボーゲン(ネコのヒジ)侯爵によって建てられた。

↑ ネコのヒジを意味する侯爵の名をとったネコ城。
[13] ザンクト・ゴアルスハウゼン
クルーズ観光の主要発着地。

↑ 12時20分、我々のクルーズ観光はここまで。下船した。

↑ 我々を降ろした観光船「LORELEY」号はさらにライン川を下って行った。
昼食:ザンクト・ゴアルスハウゼンのレストラン(ドイツ)

↑ 12時30分、昼食を摂ったザンクト・ゴアルスハウゼンのレストラン。メニューは魚料理。
移動:ザンクト・ゴアルスハウゼン→ フランクフルト(ドイツ):約90Km

↑ 15時過ぎ、フランクフルトの街へ入りマイン川を渡る。
観光:フランクフルト(ドイツ)
ドイツ銀行の本店や欧州中央銀行などが立ち並び、世界中のビジネスマンが集まる大都市。
その博物館通りにあるシュテーデル美術館へ。
◎シュテーデル美術館
銀行家シュテーデルの遺言により設立された美術館。

↑ シュテーデル美術館

↑ 美術館の受付で。右端の女性が現地ガイドさん。

↑ 絵画展示場。ここでビデオ撮影していた時、監視人さんからビデオは「No」と注意された。

↑ ビデオの撮影モードを“Photo”に替えて撮影した。
しかし、使い慣れていなかったので、この後は展示場での写真撮影は止めることにした。
美術館の見学終了後、レーマー広場へ。
・レーマー広場
旧市庁舎前にある広場で、正義の女神の青銅像やニコライ教会が建っている。
市民の憩いの場として使われ、教会からは時を告げる鐘が響きわたっていた。

↑ レーマー広場

↑ 旧市庁舎

↑ ソーセージショップ

↑ 買ったソーセージとパン

↑ 17時40分、バスへ戻る
観光後、空港へ。

↑ 18時ごろ、フランクフルト空港へ

↑ JALの搭乗口
21時05分発JAL408便にて空路、帰国の途へ。
JAL機内で、再度数独に挑戦。

↑ 数独 上級

↑ 上級をクリア。

↑ 数独 最高レベル

↑ 最高レベルもクリア。
数独チャレンジのお蔭で、機内で退屈もせずに約11時間の長旅を終えることができた。
<8日目> 5月20日(月)

JAL-408便は、15時30分ごろ、ほぼ予定通り成田空港に到着。
通関を終えてツアーは解散した。
我々は、20時05分羽田発のANAで富山空港へ。
そして、夜10時過ぎに無事帰宅した。
(完)