2007年7月25日(水)~26日(木)
梅雨の晴れ間を狙って、信州木曽駒ケ岳ハイキングに出かけた。
早朝5時過ぎに自宅を車で出発。
北陸自動車道で糸魚川まで。
そこから、一般道・国道148号で南下。
信州大町付近のコンビ二で握り飯を購入し、朝食を済ませた。
そのまま国道・147号を南下。
通勤時間帯に入り道は混みだす。
松本市の手前の豊科ICで再び高速・長野自動車道に乗る。
岡谷JCTで中央自動車道へ。更に名古屋方面へ向かって南下。
駒ヶ根ICで高速を降りる。
時刻は9時30分ごろ。(自宅を出てから約4時間30分)
マイカーの乗り入れが禁止されているので、菅の台バスセンターまで行き、車を駐車場に入れた(350台駐車可能、混み具合は80%?:料金400円)。
ここから9時42分発のバスに乗った。補助席まで使用する満員(往復1600円/人)。
約40分間、いろは坂のような坂道を しらび平(標高1,662m)まで。
バスをおり、ここから、駒ケ岳ロープウェイで高低差950mを一気に登った(7分30秒:料金往復2,200円/人、ここで、JAF割引10%を利用し2,000円/人に)。
到着したところが、日本を代表する千畳敷カール(標高2,612m)。
ここから、中央アルプスの雄大な眺めを堪能できるはずであった。
が、あいにくの曇り空で、全山は霧に完全にベールされていた。
頂上付近も、下界の景色もちらっとも見ることは出来なかった。
まだ、10時30分ごろだったので、登山道を駒ケ岳山頂に向かって歩き始めた。
登山道は登る人、降りてくる人で結構混雑していた。
雪渓を渡り、登山道は段々その勾配をきつくしていった。
乗越浄土・宝剣山荘まで50分の道のり。
ちょうど半分くらい登ったところで、霧がどんどん上昇して来るように見え、登る人より下山する人の方が多くなった。
空腹も手伝って、11時30分ではあったが、朝コンビニで仕入れたおにぎりを食べることにした。
お腹が満たされたので、幾分元気になったが、依然として山頂付近は霧の中。
引き返す勇気も大事と言い聞かせ、下山開始。
日本百名山の1つ駒ケ岳山頂は次回に譲ることにした。
雪渓を渡り、登山道を乗越浄土・宝剣山荘へと進む。行く手を阻む霧・霧・霧・・・
千畳敷駅付近のお花畑で、ミヤマクロユリ、チングルマ、イワカガミ、コバイケソウなどの高山植物を楽しんだ。
駅の拡声器からは、下りのロープウェイが混雑するので、臨時便を増発している旨のアナウンスがひっきりなしに放送されていた。
千畳敷駅付近のカールとお花畑。
千畳敷には30分位いて、再びロープウェイとバスを乗り継いで、早々に下山し、駐車場に戻った(午後3時ごろ)。
予定より早く下山したので、駒ヶ根高原おすすめのスポットを散策。
天台宗の名刹光前寺を尋ねた。
霊犬早太郎の寺、光り苔の寺として有名。
散策後、なお時間があったので、駒ヶ根高原美術館へも立ち寄った(入場料1000円)。
池田満寿夫などの個性派アーティストの作品やルオーなどの名作が常設されていた。
光前寺の三門
午後4時、再び高速で駒ヶ根ICから岡谷ICへ。
さらに一般道を通り、下諏訪の諏訪湖畔のホテル輝山荘へ。
諏訪湖は波静かで、ボートコースで練習する学生でにぎわっていた。
ホテルの窓の下には、練習を待っているボートが底腹を見せて待機中。
翌朝(7月26日)、6時ころから、学生の朝練が始まった。
9時30分、チェックアウト。
諏訪湖一周の観光へ出発。
先ずは、諏訪大社春宮。
諏訪大社春宮の御柱。
6年毎に行われる諏訪大社最大の行事で有名なあの御柱。4本ある中の1本。
次は2010年の4月に開催されるようだ。
この諏訪大社春宮から、350mくらい離れたところに、みのもんたの“朝ズバツ!”で有名になった万治の石仏があった。
万治の石仏。
大きな自然石にユーモラスとも思える仏頭。海外のものとも見えてくる。
続いて、下諏訪大社・秋宮へ。
ここで、観光客が群がっているとこへ行って見ると、そこには、「君が代」の歌詞でお馴染みの“さざれ石”があった。
「君が代」でお馴染みの“さざれ石”(石灰質角礫岩)とその由来を記した立て看板。
この後、諏訪湖オルゴール博物館“奏鳴館”、諏訪湖時の科学館“儀象堂”を回り、上諏訪方面へ。
最後に北澤美術館新館“SUWAガラスの里”を見物。
昼食後、午後1時過ぎ、帰途についた。
帰りは、岡谷ICから高速で長野自動車道、上信越自動車道、北陸自動車道を乗り継いで自宅まで。
自宅到着は午後4時30分ごろだった。
梅雨の晴れ間を狙って、信州木曽駒ケ岳ハイキングに出かけた。
早朝5時過ぎに自宅を車で出発。
北陸自動車道で糸魚川まで。
そこから、一般道・国道148号で南下。
信州大町付近のコンビ二で握り飯を購入し、朝食を済ませた。
そのまま国道・147号を南下。
通勤時間帯に入り道は混みだす。
松本市の手前の豊科ICで再び高速・長野自動車道に乗る。
岡谷JCTで中央自動車道へ。更に名古屋方面へ向かって南下。
駒ヶ根ICで高速を降りる。
時刻は9時30分ごろ。(自宅を出てから約4時間30分)
マイカーの乗り入れが禁止されているので、菅の台バスセンターまで行き、車を駐車場に入れた(350台駐車可能、混み具合は80%?:料金400円)。
ここから9時42分発のバスに乗った。補助席まで使用する満員(往復1600円/人)。
約40分間、いろは坂のような坂道を しらび平(標高1,662m)まで。
バスをおり、ここから、駒ケ岳ロープウェイで高低差950mを一気に登った(7分30秒:料金往復2,200円/人、ここで、JAF割引10%を利用し2,000円/人に)。
到着したところが、日本を代表する千畳敷カール(標高2,612m)。
ここから、中央アルプスの雄大な眺めを堪能できるはずであった。
が、あいにくの曇り空で、全山は霧に完全にベールされていた。
頂上付近も、下界の景色もちらっとも見ることは出来なかった。
まだ、10時30分ごろだったので、登山道を駒ケ岳山頂に向かって歩き始めた。
登山道は登る人、降りてくる人で結構混雑していた。
雪渓を渡り、登山道は段々その勾配をきつくしていった。
乗越浄土・宝剣山荘まで50分の道のり。
ちょうど半分くらい登ったところで、霧がどんどん上昇して来るように見え、登る人より下山する人の方が多くなった。
空腹も手伝って、11時30分ではあったが、朝コンビニで仕入れたおにぎりを食べることにした。
お腹が満たされたので、幾分元気になったが、依然として山頂付近は霧の中。
引き返す勇気も大事と言い聞かせ、下山開始。
日本百名山の1つ駒ケ岳山頂は次回に譲ることにした。
雪渓を渡り、登山道を乗越浄土・宝剣山荘へと進む。行く手を阻む霧・霧・霧・・・
千畳敷駅付近のお花畑で、ミヤマクロユリ、チングルマ、イワカガミ、コバイケソウなどの高山植物を楽しんだ。
駅の拡声器からは、下りのロープウェイが混雑するので、臨時便を増発している旨のアナウンスがひっきりなしに放送されていた。
千畳敷駅付近のカールとお花畑。
千畳敷には30分位いて、再びロープウェイとバスを乗り継いで、早々に下山し、駐車場に戻った(午後3時ごろ)。
予定より早く下山したので、駒ヶ根高原おすすめのスポットを散策。
天台宗の名刹光前寺を尋ねた。
霊犬早太郎の寺、光り苔の寺として有名。
散策後、なお時間があったので、駒ヶ根高原美術館へも立ち寄った(入場料1000円)。
池田満寿夫などの個性派アーティストの作品やルオーなどの名作が常設されていた。
光前寺の三門
午後4時、再び高速で駒ヶ根ICから岡谷ICへ。
さらに一般道を通り、下諏訪の諏訪湖畔のホテル輝山荘へ。
諏訪湖は波静かで、ボートコースで練習する学生でにぎわっていた。
ホテルの窓の下には、練習を待っているボートが底腹を見せて待機中。
翌朝(7月26日)、6時ころから、学生の朝練が始まった。
9時30分、チェックアウト。
諏訪湖一周の観光へ出発。
先ずは、諏訪大社春宮。
諏訪大社春宮の御柱。
6年毎に行われる諏訪大社最大の行事で有名なあの御柱。4本ある中の1本。
次は2010年の4月に開催されるようだ。
この諏訪大社春宮から、350mくらい離れたところに、みのもんたの“朝ズバツ!”で有名になった万治の石仏があった。
万治の石仏。
大きな自然石にユーモラスとも思える仏頭。海外のものとも見えてくる。
続いて、下諏訪大社・秋宮へ。
ここで、観光客が群がっているとこへ行って見ると、そこには、「君が代」の歌詞でお馴染みの“さざれ石”があった。
「君が代」でお馴染みの“さざれ石”(石灰質角礫岩)とその由来を記した立て看板。
この後、諏訪湖オルゴール博物館“奏鳴館”、諏訪湖時の科学館“儀象堂”を回り、上諏訪方面へ。
最後に北澤美術館新館“SUWAガラスの里”を見物。
昼食後、午後1時過ぎ、帰途についた。
帰りは、岡谷ICから高速で長野自動車道、上信越自動車道、北陸自動車道を乗り継いで自宅まで。
自宅到着は午後4時30分ごろだった。
「深追い」 横山秀夫著 (新潮文庫) 定価:552円
【この本を読んだ理由】
新潮文庫の5月の新刊!
“注目の新刊。骨太な人間ドラマと魅惑の謎。
これぞ不朽の警察小説!
横山ミステリーの最高峰、新潮文庫に登場!”
この宣伝文句に文句なくのめり込んだ。
【読後感】
本の帯にある宣伝文句、
“ある警察署に勤務する7人の男。彼らの人生を変えた7つの事件。”
「深追い」は、そんな1つであった。
著者の情景描写で、時々上手いなあと感心するところがあった。
だけど、ストーリーは、リアリティを帯びていて、なんとなく重苦しく感ずることも多かった。
ストーリーの結論を読者に任せるところなども、その一因かもしれない。
2007年7月20日(金)雨 16:30~20:30
この日は、夕食を簡単に済ませて、6時30分から始まる“俳句を楽しむ”講座の第1回目を受講するため、会場の川原公民館へ車で向かった。
会場には、1、2分くらい遅れて着いた。
初日から遅刻である。これでは、先が思いやられる。
入口に入ると、受付もなく暗い。
だけど上の方から女性の喋っている声が聞こえた。
どうやら、教室は2階のようだ。
思い切って階段を登っていくと、ロの字に囲った机の周りに先生を中心に生徒が座っており、先生の講義が始まっていたのだ。
その部屋の入口には、受付用の机も設けてあり、係りの人が2人座っていた。
その人に名前を言って、受講料を払った。2,500円。
準備してあった名札を付けて空いている席へ。
もう先生の横と前の方しか空いていなかった。
仕方なく、一番前の席へ向かったら、途中で小さく声をかけられた。
そこには懐かしい顔があった。昔在籍していた工場の先輩Yさんであった。
突然の意外な出来事に驚きながらも、一番前に着席した。
先生の講義は続いていた。
ところが、更に遅れてくる人もいた。
後から来た生徒は、先生の横にも座り、とうとう満席となった。
定員20名程度、女性と男性の割合は6:4くらい。
全員揃ったところで、先生から順番に簡単な自己紹介。
先生は当年とって62歳とか。失礼だが、歳より大分、ふけて見えた?
私は自己紹介のとき、“先生より3つ年上です”と言ったら、先生曰く、「わたしはとう(10)年取ってよ。」と念を押された。
どうやら、10歳さばを読んでいたとのこと。それで、顔と歳が一致するので、納得した。
平成19年度市民大学「たかおか学遊塾」16講座が7月から始まった。
いろんな講座がある中で、私は筆記具だけという“俳句を楽しむ”講座に応募していた。それが、この日からスタートしたのだ。
月1回の全部で5回、11月16日で終了する。
講師 牧長幸子 プロフィール 俳人協会員 俳誌「対人」「くらげ」同人
この日はその初回の日でテーマは俳句の基本。
先生は3枚のプリントをみんなに配ってくれた。
それを教室で貰ったファイルに綴じた(下記写真参照)。
一枚目のプリントは、“俳句を始めた動機”(牧長幸子)。
私が来る前に、先生はこれを話していたようだ。
俳句の基本については、2枚目のプリントがあった。
俳句とは、季語とは、「俳句歳時記」のこと。
俳句は、森羅万象へのあいさつでありマイナスの文学と言われているとか。
省略することによって感動のひろがり が出るようだ。
“一人よがりの感動では他の人に伝わりません”と言うことを先生は高岡弁で熱弁していた。
ここ高岡は万葉歌人大友家持が単身赴任した地でもあり、先生の句に、
家持の 妻恋ひ日和 藤袴
というのがある。藤袴という季語がこの句にぴったりとか。
そして、3枚目のプリントで、“参考の句の添削”と題して生徒の作った俳句25句の解釈と添削の実践があった。
その中の1句に、
雨にぬれ 朝顔けさも 咲きにけり
「だからどうだって言うの」先生の酷評が続く。こんな句は駄句というそうな。
句をつくるうえで大切なことは、
「感動を句にする 対称を見て感じ 自分の言葉を引き出す」
俳句には、“いつ どこで 何をした”が備わっていることが基本だとも。
次回までに3句作って提出すること。
これが今回のノルマだ。
技術屋で、“どうしてそうなるの”と理屈ばかりをこねてきた私には、この感性を問われる俳句に、ついていけるかどうか不安で一杯な一日目であった。
この日は、夕食を簡単に済ませて、6時30分から始まる“俳句を楽しむ”講座の第1回目を受講するため、会場の川原公民館へ車で向かった。
会場には、1、2分くらい遅れて着いた。
初日から遅刻である。これでは、先が思いやられる。
入口に入ると、受付もなく暗い。
だけど上の方から女性の喋っている声が聞こえた。
どうやら、教室は2階のようだ。
思い切って階段を登っていくと、ロの字に囲った机の周りに先生を中心に生徒が座っており、先生の講義が始まっていたのだ。
その部屋の入口には、受付用の机も設けてあり、係りの人が2人座っていた。
その人に名前を言って、受講料を払った。2,500円。
準備してあった名札を付けて空いている席へ。
もう先生の横と前の方しか空いていなかった。
仕方なく、一番前の席へ向かったら、途中で小さく声をかけられた。
そこには懐かしい顔があった。昔在籍していた工場の先輩Yさんであった。
突然の意外な出来事に驚きながらも、一番前に着席した。
先生の講義は続いていた。
ところが、更に遅れてくる人もいた。
後から来た生徒は、先生の横にも座り、とうとう満席となった。
定員20名程度、女性と男性の割合は6:4くらい。
全員揃ったところで、先生から順番に簡単な自己紹介。
先生は当年とって62歳とか。失礼だが、歳より大分、ふけて見えた?
私は自己紹介のとき、“先生より3つ年上です”と言ったら、先生曰く、「わたしはとう(10)年取ってよ。」と念を押された。
どうやら、10歳さばを読んでいたとのこと。それで、顔と歳が一致するので、納得した。
平成19年度市民大学「たかおか学遊塾」16講座が7月から始まった。
いろんな講座がある中で、私は筆記具だけという“俳句を楽しむ”講座に応募していた。それが、この日からスタートしたのだ。
月1回の全部で5回、11月16日で終了する。
講師 牧長幸子 プロフィール 俳人協会員 俳誌「対人」「くらげ」同人
この日はその初回の日でテーマは俳句の基本。
先生は3枚のプリントをみんなに配ってくれた。
それを教室で貰ったファイルに綴じた(下記写真参照)。
一枚目のプリントは、“俳句を始めた動機”(牧長幸子)。
私が来る前に、先生はこれを話していたようだ。
俳句の基本については、2枚目のプリントがあった。
俳句とは、季語とは、「俳句歳時記」のこと。
俳句は、森羅万象へのあいさつでありマイナスの文学と言われているとか。
省略することによって感動のひろがり が出るようだ。
“一人よがりの感動では他の人に伝わりません”と言うことを先生は高岡弁で熱弁していた。
ここ高岡は万葉歌人大友家持が単身赴任した地でもあり、先生の句に、
家持の 妻恋ひ日和 藤袴
というのがある。藤袴という季語がこの句にぴったりとか。
そして、3枚目のプリントで、“参考の句の添削”と題して生徒の作った俳句25句の解釈と添削の実践があった。
その中の1句に、
雨にぬれ 朝顔けさも 咲きにけり
「だからどうだって言うの」先生の酷評が続く。こんな句は駄句というそうな。
句をつくるうえで大切なことは、
「感動を句にする 対称を見て感じ 自分の言葉を引き出す」
俳句には、“いつ どこで 何をした”が備わっていることが基本だとも。
次回までに3句作って提出すること。
これが今回のノルマだ。
技術屋で、“どうしてそうなるの”と理屈ばかりをこねてきた私には、この感性を問われる俳句に、ついていけるかどうか不安で一杯な一日目であった。
2007年6月27日(現地時間)晴れ :ハワイ2日目
12:10 ホテル前に集合
ジャルパック「初めてのハワイ旅行」の目玉の1つ“ポリネシア・カルチャー・センター観光”。
ポリネシア・カルチャー・センターは、ワイキキとは反対側のオアフ島の北側にあった。
ポリネシアの7つの村(ハワイ、フィジー、タヒチ、サモア、トンガなど)を再現した人気のテーマパーク。
ホテルの前に迎えに来た小型バスで、他のお客さんと一緒にセンターへ向かった。
もちろん、お客さんは全て日本人で、ガイド嬢も日本からの留学生であった。
ポリネシア・カルチャー・センターに到着(所要時間約1時間30分)。
ポリネシア・カルチャー・センターの入り口。
真ん中に星条旗がなびいている。アメリカらしい歓迎だ。
案内嬢に先導されてセンター内部へ向かう。
ここでも、案内嬢は日本からの留学生だった。
センター内部には、水のステージとなる川があった。
ここで、ポリネシアの7つの村の踊りを見せるカヌー船上・ショーがあった。
演じるのは全て学生たちだとか。
カヌーで、すいすいと若き男女があらわれた。
続いて、ポリネシア7村の音楽と踊りのショーが始まった。
赤あり、緑あり、黄あり、紫あり、色とりどりの民族衣装をまとった若者たちが船上で、音楽に合わせて、ポリネシア各国の勇壮で、しなやかで、エネルギシュな踊りを披露した。
そして、王様の御一行が厳かに登場してフィナーレとなった。
続いて、体験ツアー(レイ作り、ウクレレ、ハワイアン踊り、薔薇作り)へ・・・
これは、ハワイアン・ダンスのレッスン中。
あのしなやかな腰の動きは、なかなか真似ができるものではなかった。
続いて
ウクレレのレッスン。
指導するのは、フランス人留学生とか。
ここには、日本人以外の外国の留学生も沢山いるそうだ。
そして、その夜はイブニングショー「ホライズン」を観賞。
ここが、その会場(巨大シアター)だ。
全て指定席である(2700名収容可能とか)。
そして、夕方7時30分、ショーが始まった!
フラシュ撮影は禁止とのアナウンスがあった。
もちろん、英語に続いて日本語でも。
仕方なく、夜間撮影モードで撮影開始。
そして、クライマックスは・・・
勇壮なサモアの男たちが演じるファイヤーナイフ・ダンス。感動の一場面だった。
そして、1時間30分に及んだショーもフィナーレを迎えた。
出場者全員による艶やかなラストシーン。
お客さんも立ち上がり、お客さんと舞台が一体となった“ジーン”とくる最終場面だった。
終了したのは9時。
再びバスにてホテルへ。
ホテルへ到着したのは10時30分。
缶ビール($1.9)がやけにウマカッタ!
12:10 ホテル前に集合
ジャルパック「初めてのハワイ旅行」の目玉の1つ“ポリネシア・カルチャー・センター観光”。
ポリネシア・カルチャー・センターは、ワイキキとは反対側のオアフ島の北側にあった。
ポリネシアの7つの村(ハワイ、フィジー、タヒチ、サモア、トンガなど)を再現した人気のテーマパーク。
ホテルの前に迎えに来た小型バスで、他のお客さんと一緒にセンターへ向かった。
もちろん、お客さんは全て日本人で、ガイド嬢も日本からの留学生であった。
ポリネシア・カルチャー・センターに到着(所要時間約1時間30分)。
ポリネシア・カルチャー・センターの入り口。
真ん中に星条旗がなびいている。アメリカらしい歓迎だ。
案内嬢に先導されてセンター内部へ向かう。
ここでも、案内嬢は日本からの留学生だった。
センター内部には、水のステージとなる川があった。
ここで、ポリネシアの7つの村の踊りを見せるカヌー船上・ショーがあった。
演じるのは全て学生たちだとか。
カヌーで、すいすいと若き男女があらわれた。
続いて、ポリネシア7村の音楽と踊りのショーが始まった。
赤あり、緑あり、黄あり、紫あり、色とりどりの民族衣装をまとった若者たちが船上で、音楽に合わせて、ポリネシア各国の勇壮で、しなやかで、エネルギシュな踊りを披露した。
そして、王様の御一行が厳かに登場してフィナーレとなった。
続いて、体験ツアー(レイ作り、ウクレレ、ハワイアン踊り、薔薇作り)へ・・・
これは、ハワイアン・ダンスのレッスン中。
あのしなやかな腰の動きは、なかなか真似ができるものではなかった。
続いて
ウクレレのレッスン。
指導するのは、フランス人留学生とか。
ここには、日本人以外の外国の留学生も沢山いるそうだ。
そして、その夜はイブニングショー「ホライズン」を観賞。
ここが、その会場(巨大シアター)だ。
全て指定席である(2700名収容可能とか)。
そして、夕方7時30分、ショーが始まった!
フラシュ撮影は禁止とのアナウンスがあった。
もちろん、英語に続いて日本語でも。
仕方なく、夜間撮影モードで撮影開始。
そして、クライマックスは・・・
勇壮なサモアの男たちが演じるファイヤーナイフ・ダンス。感動の一場面だった。
そして、1時間30分に及んだショーもフィナーレを迎えた。
出場者全員による艶やかなラストシーン。
お客さんも立ち上がり、お客さんと舞台が一体となった“ジーン”とくる最終場面だった。
終了したのは9時。
再びバスにてホテルへ。
ホテルへ到着したのは10時30分。
缶ビール($1.9)がやけにウマカッタ!