いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

ルオー大回顧展から

2008年08月16日 | SO-Color


  前の“ルオー大回顧展”で感想を述べさせていただいた、「葉子」。

 カラーではなく、田中さんにティケットと共に頂いていたコピーにあった。それを、更にスキャンして、イメージを少しでも伝え、残して置きたいのでここに登場して頂こう。
(その後、田中さんにこの記事をご報告いたしました。すると早速カラーコピーの「葉子」をお届けくださいましたので、とても有り難く拝見。感謝して、カラーの作品と差し替えますのでご覧ください。)

 葉子の鼻の線(すなわちルオーが感じた葉子)は、これで見る限り私の第一印象(前ページ参照)の衝撃感よりは大丈夫!…見られる。

 あまりの厚塗りで盛り上がっていて「あらっ! これでは何だか可哀想…」と思ってしまったから少し目をそらせたのかも知れない。
 もう少し絵から離れて、きちんと見てあげてなかったことを反省する。

 絵具をあれこれ使って色合いが混ざっていたような印象で、日本画のような迷わない色、整った決心の見える線…などとは程遠いもので、自由さ、奔放さ、躍動感が油絵にはある。
 その画材・オイルペインティングを扱って描くルオーの絵も、自由さの点でかなり頑張っている。直に絵を観るということは、その絵の作家の息遣いや肌合いまで、近く寄せて貰える感覚があるから、どんなに疲れても、この目で見なければ掴めない何かを探しに、そんなふれあいを楽しく受けるために出かける。

 以前見た「ゴッホ展」では、日本に憧れて日本画・版画に学ぶ気持ちがあったゴッホの喜びを見た。ゴッホが広重の「大はしあたけの夕立」を、多分ゴッホにとって斬新な考えたこともない構図に魅せられて、模写している。ゴッホの描いた絵をよく見ると、日本画材の岩絵具が油に混じり添えられて使われていた。油に交えて岩絵具の粒子がキラキラ光っていたのだ。これは画集で見ても判らない。直に絵に目を近づけて判ったこと、発見であった。もともと私はキラキラ光ってさらさら砂のような動きを見せる岩絵具が好きで、日本画を学びたいと思っていたことを思い出した。 
 ゴッホの気持ちが痛いほどわかった。少しの岩絵具を手に入れることだって大変だったろうと。版画だけではなく、岩絵具まで入手できて模写したゴッホの踊るような嬉しさが手に取れた。

 田中さんから頂いたコピーは美術館散歩―出光美術館ページ(←クリック・大きなページが見られます)。タイトルは 自らの作品を愛し続けたルオーが生み出した“溶岩のようなマティエール

 そのコピーに依ると、ルオーは晩年になるほど絵具の厚塗りが極端に厚くなっているという。これ以上盛り上げると絵具の層ごと画面から剥がれ落ちそう…と書いている。
 なぜこうなったか?
 その一つの理由は、わが子のように愛してやまない自分の作品に対する深い愛情にあった―という。葉子の父君は福島繁太郎。彼はルオーの絵を収集したが、突然訪ねてきたルオーによって「裸婦立像」が、描き直されて、とうとう駄目になった(すっかり違う作品になってしまった)という。
 つまり―ルオーにとって作品とは常に気がかりな対象であり、チャンスさえあれば自分の満足のいくとおり何度でも筆を加えたい存在だった―というのである。
       (…出光美術館主任学芸員 八波浩一…氏の書いた文を参考にした。)

 


ルオー大回顧展(出光美術館)

2008年08月16日 | SO-Color

 


 足が弱ってきている? 今日の美術展は疲れた~! 
 この弱音は、本当は吐きたくは無かったのだが、遂に5分の4くらいを鑑賞して後、ポソッと、K.T.さんにつぶやいた。
 すると…「私も!」と、1年先輩の方が同意された。「ホッ…」
 だけどもう歴年齢だけじゃない、体力的な面も脳の中も「生活年齢」というかどうかは知らないけれど、年齢だとは一概には片付けられないことが実体験で感じさせられている。
 しかし、彼女がお疲れなら大方の皆がそう感じたのだろうと安心する。そしてセルフサービスで自由にお茶を頂ける休憩室に腰を下ろした。
 ここのコーナーは絶品である。何もさえぎるものが無く皇居の自然が遠景で眺められてホッとできるからだ。
 ここで一息ついて、少し作品群を鑑賞。  田中さんから頂いた招待券。二千和会メンバーに有効に使わせていただこうと、今日は主に、絵画に特に興味をもたれていらっしゃる方をお誘いさせていただいた。
         
                    
         左:チケットの図柄  右:受難〔1〕  下:キリストの顔
 ルオーと言えば、輪郭線がはっきりと強い線で、特に黒い色を用いて描かれる。その発想、と感覚は何故なのかとかすかな疑問に思っていたが、はっきりした。
 父親がステンドグラス職人だったそうだ。納得であった。
 ここのオーナー出光のコレクションは素晴らしい。ルオー代表作である油彩連作「受難(パッション)」が全部揃っている。これがそもそもの疲れの素かな?絵とその説明…鑑賞に余りあることだ。挿絵だから小品であるにも関わらず、油をつかって力が入っているから重い。それと版画連作「ミセレーレ」を中心に、厳選した約230点の作品によって、ルオーの画業の全貌を展示している。つかれた~!見ごたえがある~!

         
                
       左:X夫人      右:優しい女      下:トリオ(真ん中がブルジョワ、右が成り上がり、左が曲馬団の娘)
 今回の展示中、私が好きな気に入った絵は「レナ」! インターネットで作品を探したが無いので具体的に紹介できず残念。その女性は都会的な雰囲気で、やや右向きの憂いを含んだお顔。肌色には緑がかった色が重ねられて透き通った西洋人の肌が描かれている胸までの肖像画。塗り重ねも只事ではない。2~3センチの厚みに見える。
 そしてその絵を引き立てる額。あれは手作りだろうか?凝っている。普通は絵の周りのマットは白っぽいのだが、混ざりっ気のないグリーンで12、3センチはあると感じられる幅。その枠が更に二重三重に飾られているのに、ただその絵を引き立てるだけの役割をはたしていて、邪魔ではない。一度見て、また引き返して「レナ」に会ってきた。お気に入りとなった。
  
                         6月25日の「二千和会 皇居参観」のときのもの。出光美術館の方向?
 ほかに、「葉子」は注目した。日本人のモデル、日本ではいち早くルオーの作品を購入した福島繁太郎の令嬢、葉子。ルオーは鼻の線が平仮名の「し」かアルファベットの「U]のような形で表して単純な線の作品が多い。
 葉子の鼻も単純な線だけれど「と」のような表現。アジア人の特徴を「と」としたか!と。絵具が塗り重ねられて分厚いふくらみ、懸命に描いて描いたのだろうが、もっと美しく描いて欲しかったな。日本人の私としては!
 「私は三人のマリア!が気に入りました。」と言われた方もありました。

 主婦三人。午後からのお出ましなので、そろそろ4時を回ると、「一応出かけてくると家族には告げて、夕方少々遅れるかも、とは承知してもらっているけれど…」と言いながら、夕餉の支度が気になってくる。
 あ~、私は例外かな! かなり自由に私の時間を編み出しているし、家族それぞれが自分の時間を大事にしているので、私の時間も結構認められていると思っているのだが…。
 あ!この家族のための夕餉の支度が自分の時間か!?

 家庭を持ったときの最初のスタイルが、その家族の未来を物語って行くらしい。
 「私個人の時間」と家族のなかの「私(職業人)・主婦・母・妻の時間」は、運よく(?)区別がはっきりできる生活から入った私とは、違うのだから仕方ないと思う。 
 折角有楽町まで出てきたのだから、本当はその辺をゆったりとした時間のなかで掴んでみたいとも思ったのだけれど、こうして帰りの電車の中でのおしゃべりも、なかなか掴むものがあった。
 同居のご両親の生活、過ごし方は唸らせるほど理想の形で、それを感じ取って共に生きていかれることの素敵さを受け取った。

 ありがとう!田中さん、楠さん、高橋さん。お陰さまで好い時間が過ごせました。