いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

在りし日の藤村と伯父と

2008年08月27日 | 会報お役立ち

 偶然であった。
  東金の旧家、子安家のアルバムに姻戚に当たる島崎藤村の姿が写っている。子安家の跡取り夫人は、私の幼馴染みの千恵子さん。彼女がその大事なアルバムを紐解いてくださった。そして、そこには…!!

 彼女が古いアルバムを引っ張り出して見せてくださった。何度か藤村と子安家の話題は伺っていたのだった。

    やっぱり難しいので確認した。以下は訂正して書き直してみた。
「私のお舅さんの父親の奥さん(私の義理の大伯母)は、藤村の奥さん、静さんの実のお姉さん。すなわち藤村はこちらの二代上の方の奥さんの妹さんと夫婦となったという訳だ。そして昔はよく藤村がこちらの家に遊びに来られて、九十九里海岸で遊んだり船で釣りを楽しんだことがあったということでね…、この藤村の写真をあげるわ!」
 …以前、藤村が船遊びしていらして、珍しく相好を崩して笑っておられる姿がセピア色になって残っていた写真。雑誌社か出版関係の人かと思われる、何方かもご一緒で、5、6人の人と手漕ぎの船で写していた写真(コピー)を、頂いたことがあった。
 文学散歩の何かの役に立つかと、伊藤会長にもず~っと以前にお目にかけたことがあったけど…あの写真…大事にしていたのに、どこへしまったのかしら?
 そんなことを考えていた。

 子安家のアルバムから藤村の写真!
 右はよく拝見しているあの藤村の姿です。左は奥さんの静さん。
 私の幼馴染みの千恵子さんにとっては、お祖父さんの父親、曾祖父の奥さん曾祖母が静さんのお姉さんだから、このアルバムに居られたけれど、私の遠慮癖が、また出てしまってデジカメに残さなかった。静さんに良く似た彫りの深い美人さんでした。

 アルバムを繰っていくうちに、今度は私の見たことの無い写真だったが、偶然にも私の父の兄の…私の伯父が同じアルバムに納まっているようす…?
 よく見てみると確かに伯父がいた。

 ここにある走り書きメモは、千恵子さんが、アルバム整理をせねばならぬと現在病床にある、お舅さんの妹(現在90歳)文さんに書いてもらったもの。
 私は真っ先に「安房郡富浦町…」の文字が目に入ったので注目した。富浦に住み、「富浦海浜学校」の校長先生であった伯父が居た懐かしい土地。夏休みには妹と富浦で暫く泊まり、泳げるようになった海、裸足でかけて行って凪をみては泳ぎの練習をしたことがあった。 海浜学校…それなら、この記念写真にいるはず…と目を凝らした。
 居ました!
 前列左から4番目、校長だった(数えてみると伯父は29か30歳の頃)から真ん中では?と探したが違った。多分来賓がお出でになったのか、そのために撮られたのか?
 千恵子さんのご主人の叔母さん=文さんは、その学校に半年間、籍をおいたということで、最後列右から二人目。
 また世間は狭いもので、私の妹がある時期、その叔母さんの息子さんとお寺で合宿したことがあったことのつながりは以前、聞かされていたことがあったので、知ってはいたが…?
 こみいっていて、人との繋がりは系図でも書かないと、はっきりは頭に入りにくいしなかなか理解しがたいのだが、この説明で間違ってはいないと思う。
 
 体が弱かった千恵子さんのお舅さんの妹、文さんと、富浦海浜学校で校長をしていた伯父(この写真、右から三人目 千葉大医学部卒 同大助手を経て開業 その後開業は生涯であったが、その間千葉大講師 日本医学会・東洋医学会評議員を歴任した。)が、たった半年間に過ぎない他生の縁により、一枚の写真に納まる運命で繋がっていた…なんて感慨深いことだろう。
 子安家のアルバムを見せて頂いて判ったことは、私たちとこんな思いがけない縁で結ばれていたということだったのか!
 こんな偶然もあるんだ~!
 単に体が弱かったというだけでは入学できなかった学校だったと聞いている。かなりの旧家か、資産家か、それなりの子息令嬢でなければ…。            

 本当に偶然とは言え、驚きましたし、納得もいたしました。