いわき・うぶすな広場だより

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弥勒沢からエブリアまで・・・採炭の今昔物語・・・片寄平蔵生誕200年記念講演

2013-03-20 07:54:46 | いわきの歴史

講演中の秋元先生。
自分で書かれた地下の図面を説明しながら、
時を忘れて聞いていました。


第一期のの露天掘り・・・ツルハシ採炭。
第二期の斜坑・・・・・・・・発破採炭。
第三期の斜坑・立坑・・・機械採炭。
閉山までのお話。


上記の写真を
手書きですらすらと書いて
わたくしたちに説明を

採炭の今昔物語

秋元孝義先生(常磐炭鉱OB)

1) 石炭を掘り始めて120年かけ
   地下650メートルくらいまで掘り進めた

  弥勒沢→現在のエブリア・かしま病院まで掘ったところで閉山。
  まだ海の中には5億トンの石炭があると。

2) 昭和29年より46年まで・・・それ以降、秋元先生は陸へ。
  採炭一筋で石炭を掘り続けてきた。
  東大の工学部鉱山学科を卒業された。
  東大の工学部に鉱山学科があったのですね。
  時代の流れを感じる。

3) 石炭はどこにあるのか。
  素人の我々はどこにもあると感じるが、
  上記写真のように
  石炭の層=炭層は傾斜10度~15度くらい、
  厚さ3~4mで傾斜しながら、のびている。
  写真で見ますと右下がりで弥勒沢より海へ向かい傾斜しています。

4) 石炭を掘るとは「お湯」との戦いだったと。
  特にいわきの炭鉱は!!
  世界の炭鉱に例がないほどの「お湯」が・・・・
  それが問題だった・・・いわきの炭鉱だけ。
  熱中症にも。
  「お湯」は60度以上の温泉が噴き出す。

  坑内にお湯がたまる

     ↓
 徹底的に「お湯」をくみ上げる方針で・・・水位を上げないために。
     ↓
 毎分100~120トンのお湯を
     ↓
 川に流した
(現在毎分5トンで間に合っているのでどれだけ多かったのか想像を絶する)
現在温泉組合で使用しているのが毎分5トン。
それの20倍以上のお湯が出ていたことに。

 

いのししの中学時代から数年、
社宅に温泉・ガスが引かれた時がありました。
炭鉱から出るお湯・ガスを利用したのです。
泥のようなお湯ですので、
風呂に入るためには何回も濾さなくてはいけないので
大変でしたが・・・・
その温泉がこれだったのですね。


秋元先生
採炭の現場のお話
貴重で、
日本では2度とできない経験のお話

ありがとうございました。
語り続けてほしいです。


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